99. 葡萄の涙で軟膏作り
リュカやメロディアと一緒に雪遊びやそり遊びに興じたり、時折、ネージュを訪ねて神殿に顔を出したりして、あっという間に冬は過ぎていった。
そうして、再びやってきた葡萄の涙の季節。短いこの期間が終われば、いよいよ僕たちは王都に向けて出発する予定だ。
今日は、テオドアさまと従者さんが葡萄の涙を見たいと言うので、僕が案内役を務める。
畑ではせかせかとたくさんの小作人たちが歩き回り、雫が滴っている枝に容器を設置していた。
遠くで、レミーやヌーヌおばさんが指揮をとっているのが見える。
「ほっほっほっ。なんとも神秘的な光景じゃの」
「そうですよね。僕もそう思って、鑑定してみてたら……」
「とんでもない結果がわかってしまった、ということじゃったな」
「はい……」
僕は自分の手のひらに溜めた葡萄の涙を、乾燥が気になる顔・首・手に念入りに塗りこむ。かじかむような冷たさだけど、我慢だ。
普段は治療院謹製の保湿剤を使っているものの、ヴァレーの冬はとても乾燥する。いくら保湿しても、し足りなかった。
「はあ〜。痒みがすうっと引いていく……」
「ほっほっー! これはこれは」
テオドアさまたちも、僕の見よう見まねで肌に塗る。たっぷりと葡萄の涙を塗った二人の頬には、明らかに艶っとしたハイライトが差していた。
「ふむ。これに薬草を組み合わせるとすると……。肌を清潔に保つ作用のあるラベンダー、痒みや赤みを抑える効果のあるカモミールも良さそうじゃ。軟膏やポーションにも使えるかもしれん。優秀な素材じゃのう」
「軟膏……!」
いま、僕の目はきらきらに輝いている自覚がある。葡萄の涙はもちろんいいのだけれど、酷い乾燥には少し物足りない感じがあるのだ。具体的には、油分が。
「どうやら、ルイは軟膏に興味があるようじゃの。どれ、葡萄の涙はコップ一杯分もあれば、しばらく使う分くらいは作れるじゃろうて。作ってみるかの」
「! ぜひ!」
ありがたいテオドアさまの言葉に、僕は飛びつく。
結局、去年の葡萄の涙はほぼすべて王族に買い取られてしまって、研究や商品開発に使う分すらもヴァレーには残らなかったと聞いた。
でも、今年の葡萄の涙は、それなりの量を手元に確保できるはず。
美肌水だけではなく軟膏も販売できれば、農作業や水仕事で手があかぎれたり、ひび割れてしまった小作人たちに喜ばれるだろう。
(それに、商会の鑑定士は『分離・精製すると、効能が高められる可能性がある』と言っていた……。もしかしたら、テオドアさまなら方法がわかるかもしれない)
ここは衆目があるので、詳しい話をすることは難しい。
あとで相談しようと逸る気持ちを抑えつつ、レミーに断って僕は容器に溜まった葡萄の涙を回収する。……ヌーヌおばさんをはじめとした、女性陣の血走った視線にびくびくと怯えながら。
♢
翌日、庭のテラスでさっそく実験だ。
テオドアさまの従者さんが、一足先に火鉢に火を起こしてくれていた。
「さて、分離・精製といえば『抽出』スキルじゃが、残念ながらわしらは持っておらぬからの。じゃから、これを使う」
「これは……?」
テオドアさまが収納からどどーんと取り出したのは、急須を三段重ねにしたような陶器だった。中段に口が付いている。
「精製器じゃ。さあ、ルイ。上段には冷たい井戸水を、下段には葡萄の涙を入れてくれんかの」
「はい!」
うっかり落として割ってしまわないように気をつけながら、僕はテオドアさまの指示どおり準備をする。
精製器の下段は何の変哲もない鍋だけど、中段と上段は不思議な形をしていた。
中段は、ドーナツを上下に割り、断面をくり抜いて溝を掘ったような構造だ。溝は、ちょうど口へとつながっている。上段は、丸いドーム状に底が凹んでいた。
僕は三段重ねに戻した精製器を五徳の上にのせ、中段の口の下には容器を置く。
そうして、火鉢で暖を取りながらテオドアさまとおしゃべりしながら待っていると、しばらくして煮えた精製器の口から、ぽたぽたと水が出てきた。
「ルイ、これが葡萄の涙の精製水じゃ」
「……!」
(もしかしてと思っていたけれど、これは『蒸留』だ!)
精製器が前世の蒸留装置とは似ても似つかなくて、ぴんと来なかったけれど、きっとそうだ。
いまさら結果が怖くなって気が進まないけれど、僕は鑑定をしてみる。
「鑑定」
ーーー
名前:葡萄の涙(濃縮)
状態:優
説明:飲用不可。葡萄の樹の古い樹液を精製したもの。神の加護を受けた樹と、大地の力が凝縮している。無味無臭。強濃度強刺激。高保湿。
ーーー
「よ、よかった……。普通の葡萄の涙だからかな? 一部怖い表記はあるけれど、変な効果は付いてない、はず」
「ほっほっほっ。基材としては、使い勝手が良さそうじゃの」
一時間もせずに口から水が出なくなったので、精製器を火から下ろす。
結局、コップ一杯分の葡萄の涙を精製して、できた量はコップの底から二ミリ〜三ミリ程度の量だった。
(精油は大量の薬草を使って、やっと一滴取れるかどうかだったっけ? そう考えると、この量は結構いい方なのかな?)
火鉢の火があるうちに、そのままの流れで軟膏を作り始める。
テオドアさまが分けてくれた蜜蝋と厨房からもらってきたオイルを、一対五の割合でボウルに入れ、湯煎する。
蜜蝋がすべて溶けたら、小壺に移して精製水をほんの一〜二滴落とす。
間をおかずに、練り切るようにひたすら混ぜ続け、空気を含ませた。
「うむ。良い具合に白っぽくなったの。あとは冷えれば完成じゃよ」
「えっ! 思っていた以上に、簡単なんですね……」
「そうじゃろう? 昔は花や薬草から精製した水で軟膏を作っては、教会で売ったものじゃ。わしが作った軟膏はよく効くと、それはもう評判じゃった」
テオドアさまは愉快そうに笑って、ぱちりとウィンクを飛ばす。相変わらず、陽気な方だ。
ただ、僕はよく効くという言葉が気になって、作ったばかりの軟膏に鑑定をかけてみる。
「鑑定」
ーーー
名前:軟膏
状態:良
説明:食用不可。オイルや蜜蝋などから作られた軟膏。低刺激。保湿力が高い。乾燥肌や荒れた肌を柔らかくし、修復を助ける。
ーーー
「おお〜! すごい……!」
「その軟膏は、ルイがこっそりと使ってしまうのが良いじゃろう。効果がいかほどか、楽しみじゃの」
「でも、本当にいいんですか……?」
「役得というものじゃ。それに、ルイは弟子だから教えたがの。精製技術は本来、教会や治療院の外には秘匿される情報なのじゃ。……おそらく、このヴァレーでも」
一瞬にして切り替わったテオドアさまの声音に、僕ははっとする。
「はてさて、いったい誰がどこまで知っているのか……。どのみち、いつかは誰かが精製の可能性に気づくことじゃからのう。ご当主のマルタン殿には、わしから話してみるとしよう。軟膏以外にも、いくつか思いついたレシピがあることじゃしの」
「テオドアさま……。ありがとうございます」
「なあに、いまは安心してこの爺に任せておくのじゃ、ほっほっほっ」
僕はこくこくと頷き、テオドアさまに頭を下げる。
(君子、危うきに近寄らずっていうしね……)
精製技術もとい蒸留技術ともなれば、僕でさえ利権絡みの大人の事情がうっすらと透けて見えた。
無闇に藪蛇をつつくことはない。葡萄の涙が人の健康のために有効活用されるのであれば、発見した僕としてはそれだけで十分なのだ。
♢
軟膏を作った日から三日後の晩。
僕とリュカは本格的に軟膏を使ってみることにした。軟膏の「低刺激」がどの程度かわからなくて、この三日間はずっとパッチテストをしていたのだ。
「にいに〜、おくすり、ぬりぬりして〜」
「はいはい」
ぽいぽいぽいと自分で服を脱いだリュカは、パンツ一丁の仁王立ちで待っている。
元気いっぱい外で遊んで、雪焼けしてしまった肌がひりひりするらしい。冬の間は、ほぼ毎晩薬を塗って欲しいとねだってくるのだ。
小壺から、金貨大の軟膏を指に取る。柔らかく伸びの良い軟膏を手のひらに広げて、リュカの肩から前・後ろ・顔と擦り込むように塗った。
(かわいそうに……。汗をかくからかな? おなかや背中がガサガサだ。それに、ほっぺもりんごみたいに真っ赤になって……)
リュカは時折くすぐったそうにけらけら笑うけれど、自分からねだるだけあって逃げはしない。
「にいにのおてて、あったか〜い。きもちいー!」
軟膏を塗って痒みが落ち着いたのか、寝巻きに着替えたリュカはふわあ〜とあくびをこぼして眠そうだ。
僕も手早く自分に軟膏を塗る。クリーム状の軟膏はしっかりと保湿されている感じがあるのに、さらりとしてベタつくことはなかった。
「リュカー。にいにの背中に、お薬塗ってくれる?」
「はーいっ!」
リュカは背中を洗うみたいに、両手で軟膏を「ぬりぬり〜」と塗ってくれる。
脇腹を塗る時だけ、こしょこしょするのはいただけないけれど、兄弟でいつの間にか薬を塗り合いっこできるようになったことは感慨深かった。
「ふぅ〜。できたー!」
「ありがとう、リュカ」
ベッドに横になり、頬にあたるリュカのもちもちほっぺの感触を楽しむ。
翌朝、乾燥や肌荒れが見るからに良くなった僕たちを見て、我が家の女性陣から怒涛の質問攻めが起こる未来なんか知りもせずに。
僕たちは久しぶりに痒みから解放されて、ぐっすりと眠りについたのだった。
■ 補足
・「精製器」は日本で江戸時代に使われていた蒸留器具「蘭引」をイメージしています。
・「軟膏」と表記はしていますが、現代の薬の分類としては「クリーム」が正しいです。が、細かく・正確に分類されている世界観ではないので、一緒くたに「軟膏」としています。
・実際は、葡萄の樹液を蒸留すると熱で成分が変わる可能性があります。公開されていないためかエビデンスが見つからず、葡萄の樹液の蒸留過程や結果は完全創作です。




