涙の雨。消えない灯。
■ 注意
子を亡くしたヴァレー夫妻のお話です。苦手な方は飛ばしてください。
「仕方のないやつだ……」
「あなた、マルクは……」
「家を出る、とだけ書いてある」
「そんな……」
置手紙を一つ残して、家を飛び出したマルクの足取りは、ヴァレーが雪で閉ざされているうちに消えた。
……かのように思われたけれど、実は二年も経たないうちに、居場所を突き止めていた。
なんてことはない。とある商人が、雇人の身元照会をしたいと手紙を寄越してきたのだ。
ソル王国のダミアン商会、という初めて目にする商会名。
はじめは、何が目的なのかと夫とともに疑った。けれど、ひそかにひとを送って調べると、肩すかしをくらってしまった。
──いえ、結果的にマルクの居場所がわかったのですもの。感謝をしなくては……。けれど、まったくの善意の手紙だとは、思いもよらなかったわ。
ひどく酒に酔ったマルクが、ぽろりとヴァレーの名を商会長にこぼしたらしい。もしや?と思った商会長が機転をきかせてくれたのが、ことの顛末だった。
詰めの甘い息子を喜んで良いものなのか、悲しんで良いものなのか。
夫はさっそく連れ戻すものと思ったけれど、そうはしなかった。
「無理に連れ戻したとて、気持ちがなければいずれまた逃げる。……二度続けば、あやつはヴァレーのすべてから見放されるだろう。そうなれば、心から戻りたいと願うときが来ても、許すことができなくなる」
「あなた……」
不器用なひとだ。一人息子で、唯一の跡取りを失う。そのことが、ヴァレーにとってどれだけの意味を持つのか、外から嫁いできたわたくしにだってわかる。
だからこそ、わたくしにできることは、一人で重責を背負い込む夫に寄り添うこと。ただ、それだけだった。
♢
多少の打算はありつつも、ダミアン商会長はよっぽど気の良い方なのだろう。
時折、息子の様子を手紙で知らせてくれた。
異国の地で、叱られながらも慣れない仕事に励んでいること。
かわいい恋人ができた、と喜んでいたこと。
その恋人と、晴れて二人きりの結婚式を挙げたこと。
──あらあら、まあまあ。結婚だなんて! どんなお嬢さんをお迎えしたのかしら。
わたくしはついぞ二人目の子を授かれなかったけれど、本当はもう一人、娘が欲しかったのだ。
そわそわと気になっているわたくしを尻目に、夫は手紙を一瞥して「ふんっ」と顔を背けるだけ。
でも、夫がソル王国の商人や貴族あてに、いくつか手紙を認めていたことを、わたくしは知っている。
──隠れてそうまでするのなら、ひと言『戻ってこい』とあの子に手紙を出されたら良いのに。
けれど、夫と息子の頑なな距離は縮まることなく、一年また一年とわたくしたちは年老いていく。
ダミアン商会長から届いた初孫の誕生の知らせに、夫と手を取りあって喜び、その成長を楽しみに生きる日々。
いつしか、わたくしは孫や息子夫婦に会いたい、という気持ちが日に日に強くなっていった。
案外、あの子も「許す」と言えば帰ってきてくれるかもしれませんよ、と何度夫に言いかけたことか。
──そう。言えばよかったのだ。後悔をするくらいなら。
わたくしたちは幸いまだまだ元気で、だからこそたくさん時間があると、思い違いをしていたのだ。
ある日、早馬で知らされた、息子の急病。もういくばくも、ないかもしれないと。
その知らせを受け取った夫は、あちこちを奔走し、持てる限りの伝手とお金を使って、やっと一つ上級ヒールポーションを譲り受けてきた。
──一刻も早く、無事に届きますように、何事もなく、あの子の病が治りますように。どうか、どうか。
けれど、祈りが届くことはなく。代わりに届いた訃報に、わたくしたちは悲しみ、打ちひしがれた。
♢
マルクが家を出てから、十数年。
それだけの時間があったのだ。会おうと思えば、会えた。許し許されることも、できたはずだ。また家族として、笑ってともに生きていくことも、できたかもしれない。
後悔に苛まれるわたくしたちを救ったのは、かわいい孫たちの存在と、ダミアン商会長の手紙だった。
「あの子たちから、手紙が届きましたよ」
「ああ」
いそいそと、わたくしの隣に夫が腰掛ける。息子には厳しかったこの人も、孫はかわいいものなのだろう。いつになく、目尻にしわが寄っていた。
──あら、まあ。こんな顔もするなんて……。長く連れ添って、はじめて気づくこともあるものなのね。
亡くなった一人息子の忘れ形見である、孫のルイとリュカ。
ルイから、四季折々に手紙が届くようになって、二年以上が経っていた。
はじめて届いたルイからの手紙に、ハッと淵から目覚めたのを覚えている。
まだ失っていないものがあった。そのことに、わたくしたち夫婦が生きる理由を見出すのは、自然なことだった。
子どもらしさが残る筆跡の手紙を、夫婦二人、顔を付き合わせて、ゆっくりと読む。
この時間がわたくしたち夫婦にとって、どれだけかけがえのない時間であることか。きっとルイは知らないだろう。
「ほほほ。まるで、成長日記のようですわね」
「それだけ、ルイはリュカのことがかわいいのだろう」
いつもは言葉少ない夫と、くすりと笑い合う。ぽつりぽつりと、手紙の感想を語りあった。
しばらくして、もう一通にも目を通す。ダミアン商会長からも、手紙が届いていた。気がつけば、この方とも十数年の付き合いになる。
もし身元照会の手紙をもらわなかったら、息子の足取りもわからず、孫たちの存在も知らないままだったかもしれない。
感慨に浸りながらその手紙を読み進めていくと、わたくしたちは段々とお互いの顔が曇っていくのがわかった。
「あなた……」
「うむ」
そこには、あえてルイが知らせなかったのだろう、孫たちの苦境が事細かに書かれていたのだ。
♢
「……その、初めまして。……おじいちゃん、おばあちゃん」
紆余曲折を経て、はるばるソル王国からヴァレーにやってきた孫たち。緊張した様子のルイをはじめて見たとき、わたくしは驚いてしまった。
──まあまあ、なんてマルクの小さい頃にそっくりなのかしら!
兄弟二人、お揃いの青い瞳には、不安が宿って見えた。わたくしはすぐさま駆け寄って、抱きしめる。この子たちは間違いなく、わたくしたちの孫だ。
ルイもリュカも、まだ子どもらしい薄い体つきをしていた。抱きしめられることに慣れていないのか、ルイが一瞬体をこわばらせたことに気づいたけれど、わたくしは気づかぬふりをする。
一人息子を失ったあの日から、わたくしたち夫婦はもう『いつか』とは思わなくなった。『いつか』では、遅いのだと。
──次は、絶対に手遅れにさせない。もう二度と、大切なものをみすみす失くしたりはしない!
その一心で、ダミアン商会長から孫たちの苦境を知らされた後、すぐにわたくしたちはドニを遣いに出すことを決めた。
それは、正しかったのだろう。
抱きしめたいと願って、ついぞ叶わなかった温かい体温が、いま腕の中にある。わたくしは、今度こそ間に合ったのだと、涙が止まらなかった。
マルクを失った悲しみは、きっと一生癒えることはない。
それでも生きている限り、こうしてまた幸せを見つけることはできる。
たとえ涙の雨が降ろうとも、消えない灯を胸に宿して。あの子が生きたかったであろうこの道を、わたくしたちは生きていく。
■ 補足
・ダミアンさんはスパイ、もとい橋渡し役でした
・マルク一家が異国で何不自由なく生活できていたのは、おじいちゃんが裏から手を回していたおかげ、もあったかもしれません




