第七話 友だち
第七話 友だち
「ねぇ、優乃。今からあなたのトコ行くわ」
冬美は昼食のハンバーガーを食べながら、思いついたように言った。
昼の一時を過ぎても、ファーストフード店でお昼をとる人は少なくなかった。店内は会社員らしき人に、子供連れの主婦、学生などで席がうまっていた。
優乃たちの学校はお昼過ぎで終わる。第一日目の今日は、担任のお話、これからの授業の注意と自己紹介だった。
二人は授業が終わった後、帰り道の少し外れた場所にあるファーストフード店に入った。窓際の席に並んで座り、安いセットメニューを食べていた。
「今からって、今から?」
優乃は驚いて聞いた。思いつきで来られても困る。部屋の整理も途中だし、あんなボロイ所にあまり人を上げたくなかった。
「私ね、夕方から彼とデートなの。それまでどうやって時間つぶそうかなって思ってたんだけど、優乃のトコ行けばいいって思って。ね、友達でしょ」
友達のゴリ押しだ。
「え、でも」
優乃は言いよどんだ。ホントはここで昨日の打ち上げ会の相談をしたかった。山川も安も隣に住んでいる部屋で話をして、万が一にも聞かれたらどうしていいか分からない。最悪、居心地が悪くなって、出て行く事になるかも知れないのだ。家賃無料の場所をたった一日の事で出て行きたくはなかった。
優乃はいい訳がわりに、思ってもいないことを言った。
「ほら、今日の自己紹介、明日もやるって言ったじゃない。だから、練習しないと。それにあそこの部屋狭いから、荷物の整理しないとまだ入れないの」
「大丈夫よ。私が手伝ってあげる。それとも私が行っちゃ、邪魔なの」
「違うの。でも、ちょっと相談したいことがあって、私の部屋じゃ、ちょっと話にくい…」
だんだん小声になる優乃。冬美に打ち上げ会の事を話したら、怒り出しそうな気がした。
「行きながら聞いてあげるから。部屋に着いたら片付けだけすればいいでしょ。あ、部屋じゃ話しにくいって、またあの男がらみ」
やっぱり怒ってきた。
「何、盗聴でもされた?それとものぞき?最近はカメラが小さくなってるのよ。盗撮されてるの?」
「違う違う。そうじゃないの」
優乃は首を振った。
「昨日、あそこに住んでる人たちと飲みに行ったの」
優乃が話し始めると、いきなり冬美が突っ込んできた。
「何っ、あの男も一緒なの?誰と行ったのよ。まさか女の子は優乃一人って事はないわよね」
「う、うん。大丈夫。女の人は私も入れて三人いたから。男の人は二人だったし」
「あいつもいたんでしょ。もう付き合っちゃダメって言ったのに。人の話聞きなさいよ。あいつは危ないわよ。きっと色んな所に女作ってるのよ。私に色目使ってきたくらいだから。あんなのにひっかかる女の気が知れないわ。それで」
知らないって言うのは恐ろしい。どんどん優乃が話しにくいように追いつめていく。
「それで、私あまり覚えてないんだけど、何か言ったみたいなの」
「覚えてないって何。優乃、変なことされてないでしょうね。何かされたらすぐ警察よ。あぁいうのはすぐつけ上がるし、エスカレートするんだから、甘い顔見せちゃダメなのよ。ホントに大丈夫なの、一緒に行こうか、警察」
冬美もなかなか思い込みが強い。この辺は付き合いの長い優乃も手を焼く所だ。
「それは大丈夫なの。ホントに何もされてないから」
念を押してくる冬美を何とか納得させて、優乃は続けた。
「私ね、一緒に行った二人の女の人に何か悪いこと言っちゃったみたいなの。あなたとは仲良くしたくないとか、何かそんなこと。二人とも悪い人じゃなかったのに、飲んでるうちにそんなこと言っちゃって」
安の話をしたかったのだが、冬美があまりにも安のことを悪く言うので、違う話が出てしまった。
雪と矢守の方は、自分でも多分何とかなると思っていた。
「そりゃ仕方ないじゃない。お酒が入ってたんでしょ。よくある話よ。向こうだってきっと悪いのよ。お互い様でしょ。今度会ったら謝っておきなさい。それでも向こうが嫌味な態度とったら、付き合うのやめればいいわ」
「そうだね。きっと許してくれると思うし、そうする」
「それで、打ち上げ会は楽しかったの?」
冬美がイキナリ話の核心をついてきた。
優乃の心臓の鼓動が激しくなった。ここで楽しくなかったと言ったら、涙が出てきそうだった。
「何、楽しくなかったの?」
優乃が返事をしあぐねていると、冬美は「最初から話してみて」、と急に優しく聞いてきた。
きっと泣きそうな顔してるんだ、と優乃は思った。
「引越しの打ち上げ会だったの。冬美がこの前会った安さんと山川さんの二人と、女の人で雪先生と矢守さんって言う五人で行ったの」
冬美はうんうんと頷いてくれた。
優乃は冬美に話している内に、当日のことをだんだんと思い出してきた。
打ち上げ会で、矢守とうまくいかなかったこと。
山川の話が長かったこと、でもすぐ寝たこと。
安と雪がずっと一緒に飲んでたこと。
「それでね、打ち上げ会が終わって、みんなで帰ったの。安さんったら、私にあれだけ優しくして、気があるようにしてたから、私もいいなって思ってたの。なのに、安さん、私に言ったの。僕には付き合ってる人がいるから、君とは付き合えないって、私、フラれちゃった」
ボロボロボロっと涙がこぼれた。
冬美は、「だから言ったじゃない」とは言わなかった。
「行くわよ」と一言言うと、真剣な顔で優乃の手を引張って店を出た。
電車に乗っても冬美はだまったまま、優乃の手を握ってくれていた。
優乃はこぼれ落ちる涙を、ハンカチで拭いた。
電車を降りると、冬美は優乃の手を引張ってずんずん歩いていった。
「部屋どこ」
で愛の荘に着くと、冬美は短く聞いた。
安の部屋のことだ。
「あそこだけど、あっ」
優乃に全部言わせずに、冬美は優乃の手をぐっと引張ってそこに行った。
ノックをするといきなり戸を開けた。
「ちょっとあんたっ」
冬美の怒った声が、空っぽの部屋に響いた。
もちろん安の姿はない。
「何、あいつ逃げたのっ」
冬美はキッとなって振り返った。
「うぅん、違うの。あのね、みんな昨日引越したの」
優乃は小さくなって答えた。
そして、この前の火事でここを建て替えることが決まったこと。家賃三ヶ月無料でもう一つの、で愛の荘が使えるので、みんながそっちに引越したことを手短に話した。
「言うのが遅くなってごめん」
優乃は謝った。
冬美は分かったと頷くと、「その引越した、で愛の荘ってドコ」、と聞いてきた。
十分後。元祖で愛の荘を前にして、冬美は息を切らしていた。
早足で坂を上ったせいで、うっすら汗までかいてしまった。
夕方からデートなのに、どうしてくれるのよっ。
元祖で愛の荘までの坂は、冬美の怒りの火に油を注いでしまった。
「で、どこ」
強い口調で安の部屋を尋ねる。
「入ってすぐの部屋」
叱られた子供のように優乃は答えた。
冬美は元祖で愛の荘に入り、安の部屋を見つけるなり、ガンガンと強くノックするとバッと戸を開けた。
「ちょっと、あんた。どういうつもりよっ」
冬美の大きな声が、安に叩きつけられた。
部屋で腕立て伏せをしていた安が、何だと顔を上げた。
冬美は優乃を引張って部屋に入ると、バタンと勢いよく戸を閉めた。
「周りの人に迷惑だから、静かに閉めてくれ。そうじゃなくても古い建物なんだ、壊さないようにして欲しいね」
突然怒鳴り込まれる覚えはない。冬美の態度に今度も腹が立った安だが、それでも感情を抑えて立ち上がった。
冬美の胸がドキンと鳴った。
安は短パン姿で、上半身裸だった。
優乃はキャァと小さく声を上げて、冬美の後ろに隠れた。それでもチラチラと安を盗み見る。
トレーニング中だったせいか、うっすらと汗ばんだ肌、細身の体にほどよく筋肉がついていて、腹筋はきれいに割れていた。
ちょっと冬美好みの体型だった。
もちろん冬美はそんな顔はしなかった。そんな姿なんて関係ないとばかりに、強く安を責めた。
「戸、ごめんなさいね」
言葉は謝っているが、口調は全然謝っていない。
「でもね、あんたどういうつもりなの。優乃のこともてあそぶつもり?私ね、他人の恋愛事に口を出すつもりはないけどね、優乃にヒドイ事したら、だまってないんだから。優乃はおとなしい性格だから、何も言わないかも知れないけど、図に乗らないでよ。あんた人のことなんだと思ってるのよ。調子に乗ってんの?」
安には何のことだか分からない。しかし、こう悪意のある言葉をぶつけられると、一言おもいっきりぶつけたくなる。
安は「ふぅ」と大きく息を吐いて、自分を落ち着かせようとした。
女の子に声を荒げても大人気ないと思ったからだ。
しかし、冬美にはその態度がカチンと来た。
「何、その態度。私のことバカにしてるの。人を見下すのもいい加減にしないよっ。こっちが下手に出てればつけ上がって、何様のつもり。優乃、こんな男と付き合わなくって良かったのよ。付き合ってたらバカ見てたわよ。こういう男は女に貢がせたあげく、捨てるのよ。あんたがどういうつもりかは知らないけどね、私は許さないから。もう優乃に手を出さないでね。出したら承知しないから」
「別に手を出すつもりはないよ」
安は出来るだけ冷静に言ったつもりだったが、その声は十分に怒っていた。
冬美はそんな事ではひるまなかった。
「何が手を出すつもりはないよ、なの。あんた女の子から告白されたらすぐ手を出すって顔よ。優乃はね、私の親友なのよ。その優乃が、あんたがちょっと優しそうだから、勇気を出して告白したのよ。それなのにあんた、優乃のことフッたんでしょ。女の子の気持ちも考えないで、ホンットひどい男ね」
安はようやく、冬美が何を怒っているのかが分かった。
昨日の打ち上げ会で、自分が付き合ってる人がいるって言ったのを、優乃はフラれたと勘違いしたのだ。しかし、優乃から告白された覚えもない。まさか、こんな形でとばっちりがくるとは思っても見なかった。
…まったく、高校生のノリじゃないか。
安はあきれた。
それにしても冬美の態度には腹が立った。そうかと言って、女の子に手を上げたりするのは、安は嫌いだった。安は精々、にらみつけるだけで我慢することにした。
「その話か」
安は冬美に言った。
「僕、付き合ってる人いるんだよ。その人と二股かけたくないから断っただけだ。恨みたかったら恨んでくれていいよ」
告白されてもいないのに断るも何もないが、とにかくこの話を終わらせようと安は思った。
安の落ち着いた態度に、冬美はちょっと気押された。
「いいわ。じゃあ、これから優乃に手を出さないでね」
冬美は安に言い捨てると、優乃を連れて外に出た。
今度は戸をちょっと静かに閉めた。
引越した時に使った木陰に座って、冬美は優乃に言った。
「あの人なんなの?もう優乃に手を出さないって約束したから大丈夫。もし今度何かあったら言ってね。相談に乗るし。私が優乃に変わって何でも言ってあげるから。あの人、付き合ってる人いるんだから、もう優乃も諦めなさいよ。ちょっとした気の迷いよ。それに私が話してる間中、あの人、ずっと熱っぽい目で私見てるのよ。二股かけたくないって言ってたけど、やっぱり気が多いんじゃない。昼間っから上半身裸でいるし、変よ」
冬美は安の姿を思い出して、ひそかにドキドキした。あの堂々とした男っぽい態度と、熱っぽい目もちょっとだけ気になった。
「う、うん」
冬美とは反対に、優乃はしょげかえってた。
冬美がもうちょっとうまく言ってくれればいいのに、あんな風に言ったから安さん怒ってるに決まってる。これからどうしよう。今までみたいに話してくれないかも知れない。朝、私が学校に行こうと部屋を出ると、安さんとばったり会うの。私が「おはようございます」って言うと、安さん目も合わせず「おはよう」って言うの。でもそれだけ。私が一人で駅に向かって坂を下りてると、後ろから自転車で安さんが来るの。「優乃ちゃん、駅行くんだろ。後ろ乗れよ」。安さん、ぶっきらぼうに言うの。私、小さく頷いて、後ろに乗って駅に送ってもらう。坂を下りてもう少しで駅って所で、安さん言うの。「優乃ちゃん、この前は冬美ちゃんがいたからあぁ言ったけど、僕、優乃ちゃんの事好きだよ」。私、後ろから安さんの体をキュッって抱きしめて、顔を赤くする…。なんて訳ないのよね。安さん怒ってたみたいだったし。
優乃はため息をついた。
「ねぇ、あの人どんな人」
冬美が興味なさそうに聞いてきた。
「どんな人って、ちょっと変だけど、優しい人かな。私が最初に引越してきた時に、はじめて声をかけてくれた人で、その後も、もう一人の山川さんって人と一緒に荷物を部屋に入れるの手伝ってくれたの。昨日もここに荷物運ぶの、二人で全部やってくれたの。悪い人じゃないって思ってる…」
「ふーん。仕事とか何してるの。今日もこんな時間から部屋にいたけど」
「知らないの。会ってまだ四日目だし」
「そっか。そうよね」
優乃も冬美もそれからしばらくだまっていた。
四月の風は昨日と変わらず、気持ちよかった。
風に揺れる葉の音が、心のもやもやを洗い流してくれるようだった。
「ねぇ、もう大丈夫?」
冬美が優しく言った。
「うん」
優乃も微笑んだ。
くよくよしても仕方がないし、何とかなるような気がしていた。
友達が変なこと言ってごめんなさいって言えば、安は許してくれるような気がした。
「時間にはちょっと早いけど、私、行くわね」
冬美は立ち上がって、パンパンとスカートを払った。
優乃も一緒になって立ち上がった。
「うん、気をつけてね」
「何かあったら、すぐ話してね」
冬美は、また明日ねと手を振った。
優乃もありがとうと手を振った。
冬美が見えなくなった後、優乃はまた木陰に腰を下ろし、日が傾くまで座っていた。葉の爽やかなざわめきが優乃を引き留めていた。
「優乃ちゃん」
坂から上がってきた山川が、優乃を見つけて声をかけた。
「山川さん、お仕事の帰りですか」
優乃も明るく返事をした。
「そうなんだ。今日はちょっと早く上がってね。優乃ちゃん何してたの」
「さっきまでここで友達と話してたんですけど、何か気持ちよくって、友達が帰った後もここに座ってたんです。山川さんも座ってみません」
優乃は笑った。
山川は頷きながら、優乃の隣に座った。
風が二人の髪を撫でていった。
山川がふぅと空を仰いで言った。
「だめだ俺。優乃ちゃんほど気持ちいいって思えないや。感性が鈍いのかも知れない」
「そうかも知れないですね」
横目で山川を見ながら優乃は言った。
「そりゃ、ひどいなぁ」
優乃の方を振り返って、山川は笑った。
「そうですね」
優乃も一緒になって笑った。
「山川さん、昨日のこと、覚えてます?」
優乃の口から、自然と昨日の事が出た。
「ごめんね、昨日すぐ寝ちゃって。飲むと眠たくなっちゃうんだよ」
山川が申し訳なさそうに言った。
「安さんが、付き合ってる人がいるっていったんですけど、山川さん知ってました?」
「あぁ、それ、知ってたよ」
「会ったことあります?」
優乃は何気なく聞いてみた。本当はどんな人かすごく知りたかった。
山川は頭を振った。
「会ったことはないんだ。ただあの安さんが付き合ってるって言うんだから、どんな女なのか興味はあるけどね」
優乃は頷いてから、続けて聞いてみた。
「ところで山川さんは今、誰かと付き合ってるんですか」
「俺?いや。まだ独り身。学校とバイトに忙しくって、なかなか出会いがないって言うのかな」
山川は少し恥ずかしそうだ。
「へぇ、なんだか意外ですね。あ、そろそろ夕飯の買物にいってこなくちゃ」
優乃は立ち上がって言った。
山川としゃべっているうちに、元気が出てきた。
山川も立ち上がった。
「そんな時間か。俺は部屋戻るよ。優乃ちゃん気をつけて」
「はい」
優乃は返事をすると、元気よく坂を降りていった。
山川さん、か。安さんもいいけど、やっぱり山川さんかな。今も私のこと気にして優しくしてくれたし。『優乃ちゃん、大丈夫かい?』『えっ、何のことですか』『いや、昨日と違ってなんだから落ち込んでいるみたいに見えたから』『えっ、そんな事ないですよ』『俺の気のせいだったかな。でもね、これだけは覚えておいて。俺は君を待ってるって』『突然どうしたんですか』『突然?違うよ、君を見た時から思っていたことだよ』
「あっ」
優乃は財布を忘れたことを、突然思い出した。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
次回予告
すっかり近所のスーパーにも慣れた優乃ちゃん
毎日の買い物にも、おじさんたちとの会話が弾みます
そんな優乃ちゃんが今回は手料理を披露
優乃の手料理、マジカルクッキング
女の子の手料理はいつだってマジック
彼の目も心も私に釘付け
ラブリーでマジカルなエッセンスをいっぱい…
妄想マジック?
「はー、ちょっと動けん」
「これってコンロなの?」
「あぁ言うのは生理的に受け付けないな」
次回第八話 優乃の初手料理 前編
料理だけで前後編?