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第五話 三日目 引越し編

第五話 三日目 引越し編



 山川と安が、で愛の荘に戻り、優乃が木陰で休んでいると、一階の隅の部屋の窓からこちらを見ている女の人に気が付いた。優乃と目が合ったので「こんにちは」と声をかけると、女の人も「こんにちは」と返してくれた。女の人はすぐに外に出てきた。


 「こんにちは」


 あらためて女の人が挨拶をしてきた。ロングでカールした髪、身長は優乃より高い、つまり並といった所だろうか、一六〇センチほど。化粧映えのする顔だが、決して水商売っぽくない。それでいて優乃にはない色気を感じさせた。


 う…、負けそう。でも胸では勝ってるモン。


 心の中で精一杯強がって見せ、優乃も挨拶を交わした。


 「こんにちは」


 「今度引越してきた人かな。雪先生のアシスタントさん?」


 「はいっ。いいえ、違います」


 どっちなのか分からない。女の人が困った顔をしたので、優乃は気が付いた。


 「あの、引越してくるんですけど、雪先生のアシスタントではないんです」


 「そうなんだ。ごめんね、紛らわしい聞き方しちゃって」


 「いえ、こちらこそすみません」


 「私、あそこに住んでる矢守 恵花(けいか)。よろしくね」


 ニッコリ笑う。


 なんだかいい人っぽいな。味方になってくれそう。


 「私、神藤優乃です。よろしくお願いします」


 「じんどうって言うんだ。変わった名字ね」


 矢守は興味深そうな顔をした。


 「はい。よく言われます」


 「何て書くの」


 「神様のカミに、藤の花のフジです」


 「へぇー」


 「あの矢守さんのお仕事って、OLなんですか?」


 平日のこんな時間にOLがいる訳はないが、優乃は当たり障りのない様に聞いてみた。


 「あら、そう見える?うーん、ちょっと違うの。前は少しだけやってたんだけど、今は私、雪先生と同じで絵描きなのよ」


 「うわー、すごいですね。今度見せて下さいよ」


 優乃はびっくりした。縁のない存在だと思っていたマンガ家と、引越してすぐ二人も知り合いになれるとは思わなかった。


 「んー、いいけど私、男性向けよ」


 「そうなんですか、雪先生と違うんですね」


 男性向けと聞いて優乃はちょっとドキドキした。


 「んまぁね。雪先生は今度は連載決まったみたいだけど、私は時々声がかかるくらいかな」


 「声がかかったりするなんてすごいです。二人ともプロなんですね」


 「私はまだまだ。雪先生の方がプロよ。だから今回もこっちに来なくてもいいんじゃないって言ったら、まだこの先どうなるか分からないから、ヘタにいいとこ住みたくないって。もしかしたら締め切りに追われた時に、私に手伝って欲しいからかも知れないけどね。ハハハハ」


 妙に乾いた笑いをした後、矢守は優乃に聞いてきた。


 「ところで優乃ちゃんは何してるの、仕事」


 「私、お芝居の専門学校に行ってるんです、というか行くんです」


 「へぇ、そんなのあるんだ。どんなことするの?あ、座らない?」


 二人挨拶をしてからずっと立ちっぱなしだった。優乃はそうですねと笑って、矢守とぺたり、腰を下ろした。


 「行ってみないと何をするか分からないんですけど、多分まず基本的な発声練習とか、感情の出し方とかするんじゃないですか。私高校の時、演劇部にいたんですよ。その時は毎日発声練習とかしてました」


 「発声練習って大きい声出す練習?あーとか、いーとか」


 優乃にとってマンガの世界が分からないように、矢守にとっても芝居の世界は全くの別世界なのだろう。


 普通そうだよね、と思いながら優乃は矢守に説明した。


 「うーんと、例えば発声練習ですと、『あえいうえおあお』って聞いたことないですか。大きく口を開けて一言一言はっきり発声するんですよ」


 「へぇ。あいうえいおあお?」


 「近いですね。『あえいうえおあお』です。何でこの順なのかは知らないんですけどね。多分口の形とか関係してるんだと思います。で、これに合わせて腹式呼吸、うーんと、お腹から声を出すようにするんです」


 そう言って優乃はやって見せた。


 矢守は体の小さい優乃から意外なほど大きな声が出て、驚いたようだった。


 「すごいんだね、神藤さん」


 「優乃でいいですよ。神藤さんなんてあまり呼ばれたことないんで、ちょっと恥ずかしいです」


 「そっか。じゃ優乃ちゃん」


 「はい」


 「口の形とかって、直されたりするの」


 「そうですね、『あ』ならもっと大きく開けてとか、『い』なら横に強く引っ張ってとか、『う』だと口を突き出してとかは言われますよ。口は大きく、はっきりが基本ですね」


 「そうなんだ、口を開けてか…」


 「何かありました?」


 「うん、何でもないの。こっちのこと」


 と言いながら、矢守は続けた。


 「さっき言ったけど、私男性向けのマンガ描いてるでしょ。最終的にヤることは同じなんだから、ネタに詰まってくるのよ。そうすると後はシチュエーションでどう描くかになってくるのよね。それでモノをくわえさせる時に、お口の形の練習ってありかなーって。あっ、ごめんね。お芝居とかバカにしてるんじゃなくって、一つのシチュエーションとして使えそうだなって思って…。そうね、お口の練習から下の方の練習ってつなげていけそう…」


 思わず赤面してしまうことを、真剣に話す矢守。アイデアがふくらんできたのか、一人ぶつぶつ言い始める。


 所々それらしい単語が聞こえてくる。優乃は聞こえないフリをして、矢守から視線を外した。


 やだ。矢守さんが言うと、お口って言う言葉もやらしく聞こえてきちゃう。マンガ家さんって気にならないのかな。自分で描いてるから、意識しなくなるのかも。


 妙な空気が流れる中、どうしようと優乃が黙っていると


 ギ

 ガ

 ガラ

 ガ

 ガ


 と音と一緒に大八車が見えてきた。


 「優乃ちゃん、お待たせー」と山川が大八車の後ろから声をかけてきた。


 「やっぱり坂は二次曲線だね」


 「反比例ですっ」


 優乃が笑って返した。こんな変なやり取りも、さっきの妙な空気よりはずっといい。


 「おっ、矢守じゃん」


 山川が矢守を見つけて声をかけた。


 「優乃ちゃんの話し相手してくれてたんだ」


 「そうよ。感謝しなさい」


 矢守が立ち上がって、胸を張る。


 「もう紹介しなくてもいいかな」


 「はい」


 優乃が答えた。


 「何話してたの」、と山川が木陰に座りながら聞いた。


 今回はさすがに真剣に押してきたらしい。山川のTシャツがうっすらと濡れている。山川は熱いのか袖をぐいっとまくり上げた。


 ぐっと引き締まった二の腕が汗に濡れている。


 あ…、私、こんな腕でぎゅってされたらクラッてきちゃいそう。


 優乃のいつもの妄想だったが、近くに矢守がいるお陰で暴走はしなかった。


 「こいつはエロ魔人だから、気をつけてね」


 と、安が言いながら木陰に来た。


 安はあまり汗をかかない体質なのだろうか。大八車を引っ張ってきた筈なのに、山川と汗の量があまり変わらない。


 「エロ魔人って何よ。私は普通よ。エロ描いてるけど」


 矢守が笑った。


 「ね」


 安が優乃に言いながら、隣に座った。


 「どうせまた、エロエロな話でもしてたんじゃないか」


 山川も冷やかす。


 「何よ。そんなことないよねー」


 矢守が優乃に同意を求めてきた。


 「はい、そうですよ。矢守先生のお話とか、お芝居の話してただけですよ」


 優乃はそう答えだ、ホントはちょっとそうなんですと答えたかった。


 「お芝居って何の話?」


 山川が興味ありげに聞いた。


 そう言えば安は少しは経験がありそうだったが、山川は何も知らなさそうだった。


 「えーっとですね」


 優乃は言葉を選んだ。


 「基本です。発声の基本。お腹から声を出すんですよって」


 「そうよ。変な話なんてしてないんだから。発声ってお口の形が大切で、大きく開けてパクッて出来るくらいに…」


 「パクッて何だ、パクッて」


 すかさず安が突っ込んだ。


 「矢守が言うと、何でもやらしくなるな。お口の形って言うか?口の形でいいだろ」


 山川も突っ込んだ。


 「じゃあ、口の形でいいわよ。こうやって口の形をあーんって」


 「それがやらしいんだ」


 今度は二人から突っ込まれた。


 「それなら何て言えばいいのよ」


 「もうしゃべるな。しゃべると全部やらしく聞こえるから」


 山川が冷たく言う。


 「ひどーい。安さーん、なぐさめて」


 安にしなだれかかる矢守。


 安はダメだと言うなり、身をかわした。


 「もう、冷たいんだから」


 と、わざとらしくすねる矢守。


 「そろそろ下ろして、次行こうか」と、二人は矢守を無視して立ち上がった。


 「皆さん、仲いいんですね」


 優乃は矢守にそう言った。ちょっぴり妬けた。


 「そう?そうかもね」


 二人で他愛もない会話をしている間に、山川と安は荷物を下ろして、また荷物番よろしくと戻っていった。もちろん、大八車の上に山川が乗って。


 「私もちょっと戻るね。何かあったらあの角の部屋にいるから呼んでね」


 矢守も優乃にそう言うと、部屋に戻っていった。きっとお口の話を描くのだろう。


 優乃は木陰に大の字になった。


 矢守さんはちょっとやらしい人みたいだけど、仲良くやっていけそう。でも、さっき安さんにもたれかかろうとしたよね。安さんが逃げたからいいけど、逃げなかったらどうするつもりだったんだろう。べたべたしたのかな。でも安さんにはその気なさそうだったもんね。そうは言っても安さんも男だし、ずっとあんなアプローチされたら、そのうちに落ちちゃうかも。「おまえには負けたよ」「負けた人は勝った人にキスするのよ」「一回だけなら」「一回だけじゃダメ」「何回」「いっぱい」そして二人の唇は近づいて…、だめだめっ、そんなの許さないんだから。やっぱり矢守さんは敵ね。油断できないわ。でも悪い人じゃなさそうだったしなぁ。そう言えば、山川さんってやっぱり体育会系だったな。Tシャツの袖まくり上げた時、ちょっとドキッてしちゃった。私に見せつけたのかなぁ。矢守さんとはただの友達関係みたいだったから、やっぱり私によね。山川さんったら、そんなに私にアピールしたいのかな。話し出すと長いのがちょっと困るけど、今度聞いてあげよ。「優乃ちゃん、俺の話をこんなに真剣に聞いてくれるのは、君だけだよ」「そんなことないですよ」「いや、前から言おうと思ってたんだけど、優乃ちゃん今一人だよね」「えっ、待って。そんな心の準備が」「心の準備ってことは、俺の気持ち分かってくれてるんだ」「山川さんって強引なんですね」「優乃ちゃんにはこれぐらいしないとダメかなって思って。でもこんなことするのは君だけだよ」。山川さんの指が私の頬にそっと触れるの。「いいかな?」「待って。まだ」って言いながら私、目を閉じてる…、キャーッ、だめだめっ。まだ早いわっ。


 そんな妄想を走らせているうちに、気持ちのいい風に誘われて、優乃は軽く眠ってしまった。途中、「優乃ちゃん、もう一回分あったから、取りに戻るね。次は雪先生も連れてくるからね」と言う言葉を聞いたようだったが、そのままぐっすり眠ってしまった。



 「優乃ちゃん、起きて」


 聞き慣れない女の人の声に、優乃はあわてて飛び起きた。


 「はいっ」


 「荷物これから部屋に入れるから部屋に行ってて。優乃ちゃんの部屋は、一階の入って二番目の部屋。一緒に行こうか」


 まだ寝ぼけ(まなこ)の優乃を、雪は部屋に連れて行った。


 元祖で愛の荘は、側面東側に入り口があった。入ると真っ直ぐの土間があり、左手側に部屋の戸が順番に四つある。入ってすぐ脇には階段があり二階に続いている。今時見ない、本当に昔の造りだった。


 雪の説明によれば、手前から奥に向かって安、優乃、山川、矢守。二階は手前の三つに誰か住んでいて、雪は一番奥に住むという。


 優乃を部屋に案内すると、また後でね、と雪は二階に上っていった。


 すぐに山川が荷物を持ってきた。


 「どこに置こう」


 二日前やったことをもう一度やる。まるでデジャヴだ。間取りは、で愛の荘と同じ1K。水回りやガスの設備が少し古い感じを受ける。畳は日に焼けて黄色くなっているが、ボロボロではない。意外と状態はいい。最近になって誰かが掃除してくれたようで、ホコリはなく小ぎれいになっていた。


 優乃がそこにお願いしますと言うと、山川は荷物を置いていった。


 一時間も過ぎると荷物はすっかり優乃の部屋に入った。前よりもずっと早い。


 「ガスも電気も水道もみんな通ってるから。冷蔵庫と洗濯機は一番最後に持ってくるからね。これ、お昼ご飯。俺と安さんは戻って食べるから、何かあったら矢守か雪先生に言って」


 山川はそう言うとスナックパンと牛乳パックを置いていった。


 「…」


 荷物を運んでくれたお礼を言うのも忘れて、目が点になる優乃。


 どうして、スナックパンと牛乳パックなんだろ。山川さんも安さんも、これしか食べないのかな。もしかしたら夕食もこれかも…。



 荷物の整理と明日からの学校の準備をしているうちに、午後はあっという間に過ぎていった。


 一時間に一回のペースで優乃の隣の部屋で、荷物を運び入れる音がした。最初に山川の部屋、次に安の部屋の順だった。


 午後五時も過ぎ日も暮れようとする頃、優乃の部屋の戸が鳴った。


 コンコン


 「優乃ちゃんいる」


 はいと出て行くと山川と安が、冷蔵庫を持ってきていた。


 「これはどこに置こう」


 二人でよいしょと運び込む。優乃の指定した場所に冷蔵庫を入れる。


 安の腕が震えていた。今日いっぱい大八車を引いて、疲れたのだろう。山川も疲れているのだろうが、きっと安の方が疲れているんだと優乃は思った。


 疲れているせいか、二人とも表情が硬い。


 「あ、あの、お昼ご飯ありがとうございました」


 黙々と手伝ってくれる二人に、優乃は何だか悲しくなって声をかけた。


 「いいよ。あんなものでごめんね」


 安がにっこりと微笑む。


 「今度は違うもの買ってくるね。それから後で裏に来て。洗濯機そこにおいてあるから」


 山川も笑顔で言った。


 きゅんっと優乃は胸が苦しくなった。


 どうして、二人はこんなに優しくしてくれるの。二人ともこんなに疲れているのに、そんな素振りも見せないで私のために手伝ってくれる。雪先生のはお金をもらうから手伝ってるかも知れないけど、私二人に何もあげられない。私自分で言いたくないけど、やっぱり二人とも私のこと狙ってるんだ。私の可愛さがそうさせるんだ。これは罪、罪なことなの?


 自分に酔いしれる優乃を放っておいて二人は出て行った。


 しばらくしてハッと気付くと、宝塚よろしく、ポーズを決めている自分に優乃は気が付いた。


 カーッと顔が赤くなる。二人に見られたかと思うと恥ずかしくて死んでしまいそうだった。


 「優乃ちゃーん、裏に来てー」


 外から声がした。


 「はーい」と返事をして、優乃はあわてて外に出た。


 裏に行ってみると、夕日に照らし出された洗濯機が五台。全自動が二台、二槽式が三台あった。


 どうしてこんなに。


 水道口は二つ。二つとも最初からあったに違いない二槽式につながれている。新しく持ってきた三台の分はない。


 「あのこれ…」


 優乃が声をかけた。


 「うん、これね。二台は最初からここにあった奴。で、優乃ちゃんと雪先生の全自動が二台と僕の二槽式の一台は新しく持ってきた訳だから、その分の蛇口がないんだ。どうしようかなぁって」


 安が言った。


 「どうしようかなって、ここにしか置けないんでしょ。だったら使う時に、ホースをつけ替えるしかないじゃない」


 一緒にいた雪がはっきりと言う。


 確かにその通りではある。


 「まぁ、そうですよね」


 山川も相づちを打つ。


 「うん、それしかないよな。そう言うことで優乃ちゃん、よろしく」


 安が仕方がない様子で言った。


 「そうですね」


 無駄に多い洗濯機を見つめて、優乃は頷いた。



★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★



次回予告



 ボロい所だったとは言え、引越しも無事終了


 優乃ちゃんにもやっと新生活…


 でもその前に、優乃と矢守が対立か


 男をめぐる女の戦い始まり?



 矢守さん、初対面だからってこればかりは遠慮しませんよ


 何言ってるの?男は魅力ある女に惹かれてしまうものなの。

 この私のように。ね、雪先生?


 恵ちゃん、言っててむなしくない?



 そんな訳で、次回予告ですよ



 「あー、はいはい」



 「私と結婚してるんじゃなかったの?」



 「山川も不憫ね~」



 次回第六話 三日目夜 宴会編



 新生活の始まり


 そう言えば、部屋掃除してくれたの誰?

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