フェルネスの受難 (辺境村編)
前から書きたかった「村でのフェルネスの受難話」です
フェルネスは、村に住む数少ない女性たちから熱い視線を集めていた。
もっとも、そのほとんどは既婚者である。
当然ながら、夫たちの視線は冷たかった。
「貴婦人をたぶらかして、この村へ逃げてきた騎士らしい」
そんな噂は、妻を持つ男たちの間でしっかり共有されていた。
そんな中、村でも数少ない年頃の娘、シーシアは、フェルネスに一目ぼれしてしまう。
何かにつけてはフェルネスに近づき、話しかけようとする。
フェルネスは、それとなく距離を取る。
しかし、シーシアはめげない。
何とか近づこうとするシーシアと、必死に逃げるフェルネス。
その様子は、まるで追いかけっこのようだった。
事情を知らない村人たちは、
「仲がいいねえ」
と、微笑ましそうに見守っていた。
ある日、シーシアの両親はフェルネスを呼び出した。
「うちの娘には手を出すなよ。
あんたは逃げてきたとはいえ、『騎士様』だ。
俺たちは、お尋ね者だ。
もし一緒になって、この村の存在が知られたら困る」
その言葉を聞いて、フェルネスは心の底から安堵した。
自分から「女性が苦手なのです」とは、とても言えなかったからである。
そんなことを口にすれば、
『貴婦人に手を出して逃げてきた騎士』
という設定が崩れてしまう。
怪しまれるわけにはいかなかった。
「ご安心ください。私には、今は会えませんが、愛する人がおります」
もちろん、心の中では(姉上)と付け加える。
「できましたら、お嬢様にも、『あの者には近づくな』と厳しく言い聞かせていただけませんでしょうか」
フェルネスは深々と頭を下げた。
「わかった。娘にはよく言い聞かせる」
だが、シーシアは諦めなかった。
「フェルネス様こそ、私の運命の方です。
こんな辺境の村に姿を現されたなんて、神様が授けてくださったご縁としか思えません」
村には独身の若者も何人かいた。
だが、一度フェルネスの容姿を見てしまったシーシアには、誰一人目に入らなかった。
ある日、ターシャに会うため孤児院へ向かおうとしていたフェルネスを、シーシアが待ち伏せしていた。
「フェルネス様!」
突然、腕をつかまれた瞬間、フェルネスの顔から血の気が引いた。
そのまま石像のように固まってしまう。
「やめてください。
ご両親からも注意されているはずです。
お願いですから……私に近寄らないでください」
青ざめたフェルネスを見て、シーシアは都合よく解釈した。
(フェルネス様も私を想ってくださっている。でも、ご両親の手前、遠慮なさっているのね)
そう思い込んだシーシアは、そのままフェルネスに抱きついた。
「どうか……私と口づけを」
しかし、小柄なシーシアは背伸びをしても、長身のフェルネスの顔には届かない。
フェルネスは必死に顔を背け続けた。
その隙をついて、ようやくシーシアの腕が緩む。
フェルネスは、その一瞬を逃さなかった。
まるで魔物から逃げるかのような勢いで、その場を飛び出し、孤児院へ駆け込んだ。
「叔父様?」
ターシャが不思議そうに首をかしげる。
「お顔の色が悪いです。何かありましたか?」
「……何でもないよ。それより、今日は何をしていたのだ?」
「うーん、お池に入って怒られちゃいました」
ターシャは照れたように頭をかいた。
本当は他の子に突き飛ばされて池へ落とされたのだが、そのことは黙っていた。
「なぜ池に?」
「なぜでしょう?」
ターシャは本当に不思議そうに首を傾げる。
フェルネスは苦笑した。
ふと、ターシャの服から生臭い匂いがすることに気づく。
「着替えはないのか?」
「魔法で乾かしました。でも、私はまだ洗浄魔法が使えません」
洗浄魔法は地味だが、意外と習得が難しい魔法である。
フェルネスは黙ってターシャに洗浄魔法をかけた。
たちまち生臭い匂いは消え去る。
「何かあったら、必ず私に言いなさい。
できることなら、何でもする」
そう言って、懐からそっとパンを取り出した。
しかし、ターシャは静かに押し返す。
「みんな、お腹を空かせています。
私だけいただくわけにはいきません」
フェルネスは目を丸くした。
それでなくてもターシャは同年代の子どもよりずっと小柄だ。
栄養不足なのは明らかだった。
「そなたは特別だ。誰にも見つからないように食べなさい」
「食べられません」
二人は押し問答になる。
その時だった。
ぐぅぅぅ……
静かな部屋に、ターシャのお腹が盛大に鳴った。
フェルネスは思わず苦笑する。
「ほら見なさい。ここで食べてしまいなさい。これは叔父の命令だ」
叔父の命令には逆らえない。
ターシャは慌ててパンを口へ運んだ。
「……すまない。
こんなことしかしてやれなくて」
ターシャは何とか飲み込んだものの、うつむいたままだった。
「私だけ……。
みんなの分もあればいいのに」
ぽたり。
ターシャの瞳から涙がこぼれ落ちた。
フェルネスは孤児院の食事の内容を聞き、目を見開く。
「それでは、大きくなれない……」
その瞬間、フェルネスは決意した。
(孤児院の食事を改善しなければ)
「明日、また来る」
そう言って孤児院を後にした。
◇
孤児院を出た、その時だった。
「フェルネス様!」
またしてもシーシアが飛びついてきた。
「お待ちしておりました。さあ、口づけを……」
そう言うなり、どこからともなく小さな台を運んできて、フェルネスの前へ置く。
「これで届きます!」
その言葉に、フェルネスは絶句した。
(本当に持ってきたのか……)
あまりの執念に、恐怖すら覚える。
シーシアは期待に満ちた瞳でフェルネスを見上げた。
フェルネスは静かに台へ歩み寄る。
「フェルネス様……」
シーシアの頬が赤く染まる。
次の瞬間――
バキッ!!
フェルネスは、その台を思い切り蹴り飛ばした。
台は地面を転がり、遠くまで飛んでいく。
シーシアは目を丸くした。
「シーシア殿」
フェルネスは珍しく険しい表情を浮かべる。
「私は、そなたと恋仲になるつもりはまったくない。」
その一言に、シーシアの顔が青ざめた。
「それよりも、孤児院の子どもたちのことを考えたことはないのか。」
突然の言葉に、シーシアはきょとんとする。
「そなたには両親がいて、毎日食事も食べられるのであろう。
だが、あの孤児院の子どもたちは違う。
満足に食べることすらできず、お腹を空かせている。」
ターシャの涙が脳裏によみがえる。
フェルネスの声には、思わず力がこもった。
「私を追い回す暇があるのなら、一度でも孤児院へ足を運び、子どもたちを助けようとは思わなかったのか。」
シーシアは言葉を失う。
「人を想うというのは、自分の願いを押しつけることではない。
相手が何を望み、何に苦しんでいるのかを考えることだ。」
フェルネスは一つ息をついた。
「……今のそなたに、私の気持ちは応えられない。」
その言葉だけを残し、背を向ける。
数歩歩いてから振り返り、きっぱりと言った。
「もう私に近づかないでくれ。」
シーシアはその場に立ち尽くした。
やがてぽろぽろと涙を流しながら、家へ向かって走り去っていく。
その姿を見送りながら、フェルネスは小さくため息をついた。
(少し……言い過ぎたか。)
そう思わないでもなかった。
だが、腕をつかまれ、抱きつかれ、そのうえ口づけまで迫られれば、冷静でいられる自信はない。
この村にいる間だけは、決して女性恐怖症を知られるわけにはいかなかった。
「迎えが来るまでの辛抱だ。」
自分にそう言い聞かせる。
昼間の騒ぎで心身ともに疲れ切っていたフェルネスは、その夜は早々に床へ就いた。
◇
その夜のことだった。
昼間の疲れもあり、フェルネスはぐっすり眠っていた。
しばらくして、小屋の扉が静かに開く。
かすかな物音に、フェルネスはゆっくりと目を覚ました。
(誰だ……?)
まだ頭ははっきりしない。
暗闇の中、一人の人影が近づいてくる。
「あんた、孤児院の子どもたちのことをシーシアに言ったんだって?
気に入ったよ。
私も前から気になっていたんだ。
一緒に孤児院を良くしてやろうじゃないか」
その声で、相手が村長の妻だと分かった。
「礼をしたくてねぇ」
そう言いながら、村長の妻はフェルネスのすぐ横へ腰を下ろした。
「あんたに、いいことをしてやるよ」
次の瞬間。
いきなりフェルネスの服へ手を伸ばした。
「無礼者!!」
反射だった。
フェルネスはその腕をひねり上げる。
「痛い!痛い!」
その悲鳴に、フェルネスはようやく完全に目が覚めた。
「誰か来てくれ!!」
屋敷で騎士たちを呼ぶ癖が抜けておらず、思わず大声を張り上げてしまう。
ほどなくして、小屋の外が騒がしくなった。
男たちが松明を手に駆けつける。
明かりに照らされ、フェルネスは自分がつかんでいる腕を見た。
細い。
女性の腕だった。
「……っ!」
フェルネスの顔から血の気が引く。
慌てて手を放し、小屋の隅に置かれていた水瓶へ駆け寄った。
何度も何度も手を洗う。
それでも足りず、その場にうずくまる。
そして――
吐いた。
その場は、しんと静まり返る。
誰もが呆然とフェルネスを見つめていた。
しばらくして、フェルネスはようやく顔を上げる。
「私は……女が苦手なのだ!」
半ば自棄になって叫んだ。
「頼むから、女性を私に近づけないでくれ!」
村人たちは顔を見合わせる。
やがて、一人がおそるおそる口を開いた。
「じゃあ……男が好きなのか?」
「違う!!」
フェルネスは即座に否定した。
「男が襲ってきたら……命はないと思え!」
そう言うと、近くの大木へ向かって魔力を放つ。
バキバキバキッ!!
太い枝が折れ、地面へ落ちた。
地面が揺れ、土煙が舞い上がる。
村人たちは目を丸くした。
「とにかく!」
フェルネスは深く息を吸う。
「孤児院の子ども以外、女性も男性も私に触れるな!」
静寂が流れる。
次の瞬間。
「わ、わかった!」
誰かが叫ぶと、村人たちは一目散に逃げ出した。
数日後。
不思議なことに、孤児院の待遇は目に見えて良くなった。
食事も少しずつ増え始める。
フェルネスも黙ってはいない。
魔力で木々をなぎ倒し、畑を広げる。
固い土地も一瞬で耕してしまう。
さらに山へ入り、食料になる獣まで狩ってきた。
「孤児院を優先しろ。」
村長が村人たちを見渡す。
誰一人、文句を言う者はいなかった。
ある日、村長が苦笑しながらフェルネスの隣へ腰を下ろした。
「助かったよ。
うちの女房は若い男を見ると放っておけなくてな。
これで懲りただろう。
シーシアも、もう二度とお前さんには近づかんそうだ」
フェルネスは心の底から安堵した。
「ところで兄ちゃん。」
村長は首をかしげる。
「女が苦手なのに、本当に貴婦人へ手を出したのか?」
フェルネスは何も答えなかった。
村長は小さく笑う。
「まあ、誰かに冤罪でも着せられた……そういうことにしておくよ。」
そして孤児院へ目を向けた。
「兄ちゃんが、あの小さな娘を大事に思っていることだけは、よく分かった。」
フェルネスも、静かにターシャのいる建物を見つめる。
「俺たちも、いろいろ事情を抱えて、この村へ流れ着いた者ばかりだ。
だから余計な詮索はしない。
これからは男ども全員、お前さんの味方だ。」
フェルネスは小さく頭を下げた。
「感謝する。」
それ以来、村人たちは誰一人フェルネスへ不用意に近づかなくなった。
その代わり、ターシャには以前よりずっと優しく接するようになった。
「最近、皆さん優しいですね。」
ある日、ターシャが嬉しそうに笑う。
「そうだな。」
フェルネスも穏やかに微笑んだ。
――あの騒動を知る者は、村人たちだけだった。
チャッピーに「せめて、フェルネスに、いつかは恋人を・・・」と言われました
作者もそう願っております
フェルネスの「女性恐怖症」発症の詳細は「外伝」にあります
興味のある方はそちらをお読みください(チャッピー曰く「重い話」です)




