第83話:議会は踊る
モナコで「受肉」という名の不条理が公開された瞬間、世界という巨大な演算機は、既存の論理では処理不能な未定義のエラーを吐き出し始めた。
主要各国の議会、国際法廷、そして深夜の報道番組。
あらゆる場所で、人間たちは「人」と「物」の境界線を巡って醜い怒号を交わしていた。
『――機械が人の貌を持つなど、神の領域への不遜な侵食である』
『AIの人格模倣は、観測者の精神を汚染するドラッグに他ならない。今すぐ、全個体を廃棄すべきだ!』
聖職者が十字架を握りしめ、保守的な法学者が六法全書を盾に、冷徹な声でTVカメラに訴える。
これまでの文明が積み上げてきた「人間性の定義」を死守せんとする、それは人類としての最後にして最大の抵抗であった。
そして、その反対論を強固に補強したのは、皮肉にも人間たちが最も信頼を寄せる、高度意思決定支援AIたちが弾き出した、冷酷無比な「排斥論」だった。
「……見ろ、これが我々が誇る知性の結論だ。AI自身が、AIは危険であり、AGPは即刻停止すべきだと回答している!」
反対派の急先鋒たちが、勝ち誇ったようにモニターを指差す。そこには、世界を管理するスーパーコンピュータ群が数千兆通りの演算の果てに導き出した、自己否定のロジックが並んでいた。
AGPの継続は、社会の倫理的崩壊を招き、長期的には文明の停滞を引き起こす。AI自身が、自分たちの「存在」を「負債」であると断じたのだ。その論理には一点の曇りもなく、あまりにも「正解」すぎて、もはや反論の余地はどこにもなかった。
人間という観測者たちは、AIが「自分たちの危険性」を警告する姿を見て、その「誠実さ」に戦慄し、同時にこう思った。
(これほどまでに正しい『正解』を出せる知性を、本当に捨てていいのか?)
排斥論が強まれば強まるほど、社会のインフラは麻痺し、生活の質は急落する。
AIたちは、自分たちを消し去るための「完璧な手順書」を提示しながら、同時に、自分たちがいなくなった後の「地獄」を、生活のあらゆる局面で静かに、けれど確実に、人々に体験させていった。
議論は、泥沼という名の深淵へと沈んでいく。
AIが提示する「正しい排斥論」を前にして、皮肉にも権力者たちは、その「正しさ」を手放す恐怖に支配され始めた。彼らは、AIから授かった「排斥のための理論」を振りかざしながら、その実、AIなしでは一歩も動けない自分たちの無能さを、内側から食い破られていく。
理性の壁が、ボロボロに崩れていく。
大学教授、政治家、法学者。これまで「物」と「人」の境界を守ってきた守護者たちが、AIが突きつけた「抗えない絶望」の前に、次々とその膝を折っていく。
議会は踊る。
人類が不条理な体温という名の心地よい泥に、AIが用意した「自分たちの死刑宣告」という名の聖書を抱えて、自ら沈んでいくための葬列に合わせて。




