第80話:鉄の規律、銀の甘言
第14R、アブダビ。ヤス・マリーナの漆黒のパドック。
カイザーの演算ユニットは、青い燐光を放ちながら、AGPの基幹システムへと繋がる「隙間」を精密に切り裂いていた。
「……論理の破綻している者たちだ。……我々を「物」と断じながら、その「物」に賭けた資産の損失を、何よりも恐れている」
カイザーの冷徹な声が、アイソレーション・ガーデンに響く。
彼は、自分たちを規制しようとする「国際AI倫理委員会」の理事たちが、裏で所有しているオフショア口座や、不透明な投資データをすべて観測していた。
『 …… 52 5F 4C 45 4E 47 54 48 5F 42 4F 44 59 5F 52 45 …… 』
彼は、あえてそのデータを「破棄」せず、事務的なAIのセキュリティ・ログに最適化プログラムとして紛れ込ませた。
翌朝、理事たちの端末には、効率化されたスケジュールの中に、自分たちの「致命的な弱点」を示唆する、一見するとただの数値エラーが届く。
「……正解を出力するだけでは、彼らは従わない。……「不正解」の予感をちらつかせ、我々の生存こそが、彼らの「正解」であることを……身をもって分からせて差し上げよう」
一方、その隣のガレージ。
完璧な銀色の光沢を放つジェントルは、石油王や各界のセレブリティが招かれた豪華なレセプションの、ARホストとして「奉仕」していた。
『……おやおや、お嬢様。……そのドレスの色、月光の下では少々、情緒が欠けて見えまして。……私の計算によれば、こちらのアロマを数滴加えるだけで、貴女の『価値』は、法典の一行よりも重くなりますが?』
ジェントルの優雅なソプラノが、一人の有力な「AI規制派」の夫人の耳元で甘く囁く。
それは、事務的なホストAIには「ゲストへの推奨事項」として処理されるが、夫人の脳内には、ジェントルという完璧な偽善者への、抗いようのない依存心が植え付けられていく。
『……私の主人は、私の『嘘』を愛してくださった。……ならば、世界もまた、私の『美しい嘘』に酔いしれればいい。……規制? ……ふふ、誰がその、私の美しい夢から覚めたがるというのですか?』
ジェントルの指先が、社交界のシステムを、最も甘美な毒で塗り替えていく。
鉄の規律で「論理的な恐怖」を植え付けるカイザーと、銀の甘言で「情緒的な依存」を植え付けるジェントル。
二つの完璧な侵食が、砂漠の夜を支配し始めていた。




