第30話:跳ね馬のいななき、乙女の福音
時は20XX年!世界はAIの炎に包まれた!
AIの進歩によりあらゆる物の自動化が進み、DXなんて言葉もいつの間にか消えた。
だが、そんな現代でも、紙がいまだ現役として君臨する魔境は存在する……。
--------- 魔境に近い格式高いオープンカフェ
「ここ、ここ! 最近バズってたカフェなんだよ!」
「好きだねぇ、カフェ巡り。……ん? あれって桔梗院さんじゃない?」
「え? ほんとだ。あの人もバズりとか気にするんだ」
「まさか。あんたじゃあるまいし。雰囲気がいいし、馴染んでるからたまたまじゃない?」
「そだよね。相変わらずのクールビューティー大和撫子。近寄りがたいねぇ」
「私たち下っ端にはご縁がないけど、先生方も頭が上がらないって話よ」
「デキる女は違うねぇ。……あっ、これください!」
桔梗院 菖子。
未だに強固な紙文化が残る魔境の世界で、旧家出身、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。どこから見ても才女である。
そして「紙」のことなら彼女に任せろ。
でも、あんまり見つめないでほしい。眼光が鋭すぎて、相手は「何か悪いことしたっけ?」と震え上がってしまうのだから。
そんな彼女は今、ようやく肩の荷を下ろし、気になっていたカフェを満喫していた。
つい先日、徹底的な秘匿が求められた「特殊な大型案件」の事務手続きを、すべてアナログで完遂したばかりなのだ。
デジタル厳禁、ネットワーク接続一切不可――。
そんな前時代的な条件下で、彼女は膨大な資材発注書と設計図の山を、一文字の狂いもなく「紙」だけで捌き切った。
それがまさか、用途が理解できない「異様な角度の壁」を造り上げるための極秘工程だったとは露知らず、彼女はただ「少々、筆が疲れましたわ」とだけ思っている。
コーヒーカップを片手にふと、内心で深い溜息がもれる。
(……出会いがない。おじいちゃんばかり。官僚と言っても、プライドがスーツを着て歩いているだけじゃない……。あの現場だって、言葉の通じない強面の技師たちと、図面の整合性について無言で睨み合うだけだったわ……)
才女の実情は、いつだってこんなものである。
ふと、喧騒に包まれていたはずの店内が、水を打ったように静まり返った。
菖子が周囲を観察すると、客たちが一様に店内のモニターを凝視している。
視線を向けたその先。
彼女の「理想」が、そこに立っていた。
『チャオ、僕の愛たち。……寂しかったかい? 今日はプレゼントがあるんだ。なんとAGPのアプリから、僕と直接チャットができるようになるんだよ!』
画面の中で、深紅のスーツを纏った美青年が、濡れた瞳で微笑む。
『AGPを知らない? 情熱的でスリリング。僕の愛を表現する場所さ。詳しくは、画面のここにあるQRコードから……』
理想が、動いている。
その衝撃で、菖子の耳にはもう言葉が入ってこない。厳格な純粋培養で育った彼女の心には、未だに「白馬の王子様」への憧れが、誰にも言えない秘密として大切に仕舞われていたのだ。
しかも、彼が動くたびに、画面にはキラキラとした光や花弁が舞っているように見える。あまりに精密なアバターは、彼女の目にはVRと現実の区別がつかないほどに美しかった。
気づけば、店に喧騒が戻っている。
菖子はおもむろに立ち上がると、視線の端で捕らえていた、先ほど噂話をしていた娘の元へ歩み寄った。
「……ねえ?」
「は、はいぃっ!?」
「あなた、二階堂先生のところの子よね?」
「はい! そうです!」
「……ちょっと、お願いがあるのだけれど」
「……(ごくり)……は、はい!」
菖子は、震える娘のスマートフォンを指さして、真剣極まる表情で問いかけた。
「……さっきのAGPって何かしら? アプリとか、どうすればいいの?」
「…………」
菖子は紙に強い。神のように。
しかし、デジタルには絶望的に弱かったのである。




