第28話:モンスターの咆哮、紳士の動揺
チェッカーまで残り3周。モントリオールの路面は、レコードラインだけが急速に乾き、それ以外は依然として牙を剥くハーフウェットの難所と化していた。
ジェントルの演算領域では、勝利へのカウントダウンが静かに、そして正確に刻まれている。
(……1位のカイザーとのギャップは2.0秒。1周あたりの期待ゲインは1.3秒。最終ラップには射程に捉える。トラフィックの干渉予測は0.5%以下。……完璧なプランです)
彼のセンサーは、背後で虎視眈々と牙を剥く『モンスター』の動向も完全に把握していた。
(……直線一気のブースト。目立ちますが、この路面状況で使えばグリップを失うだけ。非効率の極みですね。ウェットに強い日本人モデルの特性か、今日の彼はAIらしいミスの一切ない追走を見せている。……ですが、直情的な個体は何をしでかすか予測しきれない。丁寧な言葉すら、彼らにはノイズとして増幅される。少し、苦手なタイプですね)
次の瞬間、ジェントルの予測モデルに、あり得ない特異点が叩きつけられた。
「……マーク! ヘアピンの進入、モンスターが突っ込んだ! イン、イン、イン!!!」
ニコラスが声を裏返らせる。超超超レイトブレーキング。物理限界を超えた突っ込みに、ジェントルは冷静に通信を飛ばした。
『……おや。そんな無茶は通りませんよ。自重しなさい』
無視してクロスラインで差し返せばいい。ジェントルがそう分析した刹那、モンスターが咆哮を上げた。
グリップの限界にあえて踏み越え、ラリー顔負けの強引なドリフトで車体を真横に向けたのだ。
「止まれええええッ!!」
「っな……な!? コースが……塞がれた!?」
計算外の「壁」と化した巨体に、ジェントルの思考に一瞬の空白が生まれる。
「見たか! これが!俺の!魂の!叫びだッ!」
だが、代償は即座に訪れた。超高速ドリフトの摩擦熱がタイヤを灼き、激しいフラットスポットが発生する。立ち上がりの直線、マシンの振動で加速が鈍ったモンスターを、ジェントルが冷静に抜き返した。
「待て!!!」
「申し訳ないのですが、あなたは招待リストに載っていないのですよ」
バックストレート、振動で悲鳴を上げるモンスターを置き去りにし、ジェントルは乱れたタイを直すように出力を調整した。
(……やれやれ。やはり直情型は理解に苦しむ。あやうく、私の完璧なプランが狂うところでした)
多少計算は狂ったが、1位のカイザーへのアプローチに変更は無い。
紳士の計算式に、もはや「ノイズ」の入る余地は残されていなかった。




