三人称 揺れる
天文16(1547)年9月3日、尾張の織田信秀は2万を越すほどの大軍を率いて美濃への侵攻を開始する。
この兵力は三河方面への抑えの兵を除く織田家の全戦力であり、信秀のこの戦で美濃を盗るという決意の表れでもあった。
「守護の土岐様や平手の工作もあり、迎え撃つ斎藤方の兵力は5千にも満たないほどにまで削れました。この戦力差であれば、利政めは間違いなく籠城戦を選択するでしょう」
信秀の参謀である弟、信康の言葉に信秀は深く頷いた。
「うむ。稲葉山の城を力攻めで落とすことが困難な以上、我らもそれに付き合うしかあるまい」
「はい。しかし長期戦になれば、遠征軍である我らは兵糧不足に陥ることは避けられません」
「承知の上だ。だからこそ籠城戦でも短期の決着を目指すために……敵の内部崩壊を促す」
その頃、稲葉山城内にて……斎藤利政は息子達に今回の戦の方針を話していた。
「此度の戦は籠城戦だ。お前達は余計なことを考えず、この城に籠るだけでいい」
「……ははっ!」
「承知致しました、父上」
「……よし、分かったら散れい。もう織田の軍勢はすぐ側まで来ておるぞ」
利政は必要最小限の説明のみをして、息子達を解散させる。
長男の新九郎は利政の部屋を出てすぐに、叔父である長井道利とともにどこかへと姿を消していった。
一方、三男の喜平次はそんな兄と長井の姿を訝しんでいた。
「……近頃、長井殿の動きが不穏ですな。注視しておいた方がいいでしょう」
「……今はそれよりも先にすべきことがあるだろう。今の敵は織田だぞ」
身内に怪訝な目を向ける喜平次をたしなめる次男の孫四郎だが、喜平次はすぐさまそれに反論する。
「甘い、兄上は甘いですぞ。本当に敵は外にのみいるとお思いか?」
「……いや、そんなことは……」
「兄上も分かっているでしょう。我らの内部はあまりにも脆い。少し敵につつかれただけで崩壊しかねないほどだ。そんな露骨な弱点を、敵が見過ごすわけがないでしょう?」
「分かっている。……しかし、身内が裏切るなどとは……」
「あの男は身内ではありません。斎藤を乗っ取らんと企む、土岐の人間です」
喜平次は、兄である孫四郎をも威圧する剣幕を見せ、新九郎への憎悪を露にする。
彼は心の底から新九郎を兄だとは思っておらず、土岐家の人間だと思い込んでいるのだ。
「……そもそも、兄上が土岐の人間だというのは事実なのか? 確かな根拠のない風説ではないのか!?」
しかし、孫四郎も黙ってはいない。彼はあくまでも、兄である新九郎を信じようとしているのだ。
「……他でもない父上が、仰っておりました。新九郎は自分の子ではなく、土岐頼芸の子だと!」
「……なっ……そんな、父上自らが!?」
「ええそうです! 父上がそう言ったのならば間違いない! あの男は土岐の子! つまり我々の敵なのです!」
父親である利政が自ら、新九郎は自分の子ではないと言った。
その喜平次の言葉に孫四郎は一瞬狼狽えたが、すぐにそれに疑問を抱いて反論した。
「……いや。だとしたらなぜ父上は、敵の子である兄上を野放しにし、後継者として扱っているのだ? 自分の子でないならば、手元には置かず養子である正義殿のように遠方で……」
「きっと父上には、何か考えがあるのです! あえて奴を野放しにして、尻尾を出したところで……」
なおも新九郎を敵視する喜平次を意にも介さず、孫四郎は踵を返して利政のもとに戻ろうとする。
「……父上に確認してくる。自分の目と耳で確かめなければ、私は納得できん」
真実を確かめるべく、喜平次に背を向けて孫四郎が歩みを進めようとした……その時だった。
「皆、織田の軍勢が迫って来たぞーッ!!!」
「持ち場につけ! 此度はこの稲葉山での籠城戦となるぞ!」
「なっ……織田がもう……クソッ。仕方ない、戦が優先だ!」
織田軍が稲葉山城下に接近しているという報を聞き、孫四郎は足早に自分の持ち場へと移動する。
そんな孫四郎の背中を見つめる喜平次は、父譲りの鋭利な視線を彼に向けていた。
「……兄上、あなたは甘すぎる。あなたの立場で情に絆されてしまえば、先に待つのは敗北のみですぞ……」
舌打ちをしながら、喜平次は孫四郎の後を追うのであった。




