第4話 5歳児、修行する―2
あー、疲れたー。
ほんとあのおじいちゃん元気すぎでしょ……。
あ、どうもみなさんこんばんは。
優花です。
先程ようやく護身術のお稽古から帰ってきました。
いや、もうほんと泣きたいわ。
……え?
お稽古の内容?
そうだね。
まずは“護身術とは何か”っていう講義から始まったよ。
おじいちゃん曰く、“護身術とは、無事に敵から逃げ帰るための技術”らしい。
で、そのために最も必要なのは持久力らしく、私はさっきまでずっとそこら辺を走り回されてました。
明日は午前中にまた走り込みから入って、受け身の練習をするらしい。
5歳児の体にこの特訓は厳しすぎるよ……。
私は道着を脱ぐと、洗濯籠に放り込んでそそくさと浴室へと向かう。
簀の子の上をとててててと駆けていき、大きな観音開きの扉を開ける。
すると、その中からモクモクと湯気が立ち上り、湯気が晴れればそこには大浴場と言っても差し支えのない、広々としたお風呂があった。
「やっぱり金持ちは違うなぁ」
シャワーが5つくらい並んでるし。
これってもう“おんせん”とかいうやつじゃないのか?
私はそのうちの一つに駆け寄ると、脱衣所から持ってきたタオルを置いて、髪を洗い始めた。
(すごい、これ家のシャンプーと全然違う……!)
いや、商品が違うのだからそれは当たり前のことなんだけど……。
なんと言えばいいかな。
指通りが良いというか、何というか。
とにかく、性能が違う。
5歳にしてそれなりに髪も長い私は、いつも洗うのに手こずってしまう。
おかげでお母さんに洗ってもらう始末。
……え?
前世ではどうだったのかって?
ショートヘアだったよ。
肩口くらいでバッサリ切って、あとはうなじで縛ってた。
だから長髪は初体験なのだ。
まあ、そろそろ慣れてきた具合だけど。
「でも、水吸って重くなるのはどうにかならないものかな……」
そんなことをぼやきながら、洗い終わった髪をアップにして、体洗いに移行する。
小さな体を持ってきたタオルで優しく洗い、シャワーのお湯で流すと、私はいざと背後に佇む大きな湯船に近づいた。
「はぁ〜……。
お風呂ってこんなに気持ちよかったんだなぁ……」
広々とした湯船に浸かりながら、私はほぅとため息をついた。
家のお風呂とは格が違う。
何というか、お湯からして違う気がする。
……よく見ればなんか浮いてるし。
何だろ、これ。
たぶん、これのせいで浮く力が強くなってるんだろうけど……。
「これが、おんせんか……」
私はにまにまと笑みを浮かべると、それから逆上せて女中さんが助けに来るまでずっと湯船に浸っていた。
⚪⚫○●⚪⚫○●
「うぅ〜、クラクラする〜」
女中さんに助けてもらった後。
私は冷えた空瓶を片手に、脱衣所前のベンチに座っていた。
隣におじいちゃんが腰掛ける。
「どうや、俺ん家の風呂は?」
「うん、凄かった。
家の中におんせんあるみたいだった」
私は冷たい瓶をおでこに当てながら壁にもたれ掛かると、率直に感じたことを彼に話した。
するとおじいちゃんは笑いながら、そうかそうかと相槌を打った。
「優花は温泉行ったことあるんか?」
「無いよ。
テレビで見ただけ」
「んじゃ、今日が初温泉ってわけやな!」
ガハハハ、と豪快に笑って見せるおじいちゃん。
本当に元気な人だ。
そんなに元気なら、きっと向こうの世界にいたとしても十分生き抜いていけるだろうな。
私はおじいちゃんに相槌を打つと、昼間のお稽古の疲れが出てきたのか、眠くなってきた眼を擦ると、瓶をベンチの横の回収箱に入れてその場から立ち上がる。
「お、もう眠くなってきたか」
「うん」
「よし、じゃあ今日はもうおやすみ」
おじいちゃんはそう言うと、近くに待機していた女中さんに私を託して、自分はもう一本牛乳を取りに向かった。
「おやすみ、おじいちゃん」
「おう、また明日な」
短い挨拶を交わした私達は、その場を後にするのだった。
⚪⚫○●⚪⚫○●
翌日のお稽古も大変だった。
受け身を習ったは良いのだけど、全くうまくできない。
特に難しいのが前受け身。
どうやっても頭が揺れる。
「ちょっと気持ち悪い……」
車酔いに似た気持ち悪さが、私に無理を訴えかける。
おじいちゃんはそれを聞くと、しばらくの休憩を挟むことを提案した。
道場を出て、芝生の敷かれた日向に寝転がった。
ちょうど芝生は傾斜になっていて、底から広いグラウンドを見ることができる。
……いったい、この家はどれだけ広いのか。
そんなことを漠然と考えていると、グラウンドの中に一人、ものすごい勢いで木刀を振るう男性がいた。
その動きは、素人の私から見ても並々ならぬ技量のほどが伺える。
技量だけじゃない。
剣速も凄まじい。
あそこまでの技の持ち主なら、きっとBランク冒険者にでも匹敵するだろう。
ちなみに、Bランクは上から三番目のクラスで、国内に数人しかいないほどの強者のことだ。
Aランクは国に一人いるかいないかのレベルで、Bランクの冒険者に対して圧勝するクラスの技量を持ち、Sランクに至っては伝説レベルの強さを持つと言われている。
彼の技量は、それほどのものだったのだ。
彼は木刀を腰の鞘に納刀すると、今度は居合の構えをとった。
それからまた素振りを始めて――気がつけば私は、彼の動きに見とれてしまっていた。
やがて、すべての型を終えたのか。
最後に長い息を吐くと、こちらへと顔を向けた。
「……っ!」
サァ、と柔らかい風が吹いて、青年の前髪を揺らす。
闇のように深い黒髪。
引き込まれそうな程に鮮やかな同色の瞳。
端正な顔立ち。
高い身長。
開いた胸元の胸筋が、頬を伝う汗の雫とともに得も言われぬ色気を放つ。
どちらかといえば、クール系に属するイケメンがそこにいた。
ふと、脳内を生前読んだフィクションストーリーの一部が掠める。
その内容は、所謂ハーレムモノと言うやつで、ヒロインの少女を巡って複数のイケメンが争い――という類のものだ。
(いやいやいや、ないないない)
一瞬、そんな予感がしたけど、流石に現実的ではないと妄想を拒否する。
しかしその後に、現実的ではないの体現者たる私が何を言うのかと、さらに妄想を加速させて。
その日は彼のことが頭から抜けなくなってしまった優花だった。
⚪⚫○●⚪⚫○●
それから時間が経ち、あれから何も起こらないままお父さんがお迎えにやってきた。
頭の中で悶々としたものを抱えながらも、私は表情を作っておじいちゃんにサヨナラをする。
大丈夫。
また来週ここに来れるんだから。
きっとまだチャンスはあるはず!
でも、あんなにカッコいい人なんだし、彼女さんくらいきっと居るよね……。
いや、まだ決まったわけじゃないし!
いつか絶対聞き出してやろう!
そうだそうだ!
それがいい!
私は鼻息荒くそう心の内で決意を固めると、不思議そうにしているお父さんを無視して、後部座席で妄想に耽るのだった。