第2話 5歳児、誘拐される―2
びゅうびゅうと耳元を風が抜ける。
風圧がすごすぎて目も開けられない中で、体を襲う高速感に、私は恐怖に怯えていた。
「うわぁーっ!?」
「うるせぇ静かにしろッ!」
高速移動するゴーレムの操縦者が、鬱陶しげに私の頭を叩く。
乗ったことはないけど、テレビとかでたまに見るジェットコースターとかいう乗り物も、乗ったらきっとこんな感じなんだろう。
しばらくすると、そのゴーレムの動きが止まり、私は荷物のように脇に抱えられながら、見知らぬアパートの中に放り込まれた。
「ふんぎゃっ!?」
文字通り放り込まれた私は、床に転がって変なうめき声をあげた。
(くっそう……こいつめ!
私を攫うだなんて何考えてるんだよ!)
私はキッ、と睨みつけながら立ち上がる。
しかし誘拐犯の男はどこ吹く風という態度でこちらへと近づいてきた。
「おい、ガキ。
お前、かーちゃんの連絡先とかわかるか?」
「もしかしてお金?」
「話が早くて助かるぜ」
ククク、と下卑た笑みでこちらを見下ろしてくる男。
まったく、呆れた奴だ。
向こうの世界にも似たようなやつがいたけど、こういう犯罪者ってのはどの世界も変わらないものなのかね?
私は早金のように鳴る心臓を耳元に聞きながら、そんな評価を下した。
「それなら、働いて稼ぐ方が得策だと思うのだけど?」
冷や汗の伝う肌の感触、背中を震わせる、ゾクゾクとした恐怖を抑え込んで、私は勝ち気な瞳で抵抗する。
怖くない、といえば嘘になる。
だけど向こうじゃもっと怖いのなんて数え切れないほど沢山いた。
ここは良くも悪くも平和すぎだ。
「それができれば苦労しねぇよ!」
「……ッ!?」
ドン!と、壁を殴りつけながら、男が怒鳴る。
思わずビクリと肩が震えてしまった。
「もう何回お祈りメールが来たと思う!?
47回だぞ!?
わかるか!?
バイトで食いつなごうにもそもそも面接で落とされるわ、おふくろからも仕送り止められるわ……ッ!
はぁ……。
いいよな……ガキは。
そうやっていい子ぶってれば衣食住には困らないもんな!?」
どうやら私は、火に油を注いでしまったらしい。
言っていることは、知らない単語があってよくわからないけど、どうやら仕事につけそうにないからと言うことで、最終手段に出たらしいということは、なんとなく伝わってきた。
「……なんか、ごめんなさい」
「謝るなよ。
調子狂うだろ」
なんとなく悪いことを言ってしまった気がしたので素直に誤ったら断られた。
……何だよこいつ、面倒くさいんだけど。
「はぁ……」
私はため息をつくと、立っているのも何なので、適当なところに腰掛けることにした。
なんだかなぁ。
こんなやつに怖がってた自分がバカらしく思えてきたんだけど。
「ねぇ、自首したら?
そんな状態で前科なんてついたら、余計にお仕事なくすよ?
……まあ、もう手遅れだけど」
私は、誘拐犯が床に投げ捨てたカバンを拾って、ごそごそと中身を弄りながらそう提案する。
ちなみに自首・前科という言葉は、この国の騎士団みたいな立ち位置の組織とサイコパスな犯罪者が出てくるアニメで最近覚えた。
「いや、自主はしねぇ。
もうここまで来たら自棄だ。
お前を人質に身代金巻き上げてとっととずらかる」
「うわ……」
クズすぎて思わず変な声出ちゃったよ。
男はそう言うと、私からカバンを取り上げて、その中からお金を抜き取った。
ついでに何かのカードも引き抜いているのが見えた。
身代金だけでは飽き足らず、引ったくったカバンからもお金を盗むとか。
そんなクズ男の所業を引いた目で睨む。
「それで、お前家の番号とか……わかるわけねぇか」
彼はそう呟くと、何か手がかりになりそうなものはないかと、私の身につけているものを観察し始めた。
そして、しばらくもしないうちに、彼の視点は私のある一つのところに留まった。
「なあ、お前。
ちょっとその名札貸してみ?」
なるほど、そう来たか。
確かにこの名札には、名前の他に血液型や連絡先、住所なんてものが記載されている。
つまり、個人情報の宝庫ってわけだ。
これは、もし交通事故とかにあって病院とかに送られたりするときに活用されるものだが……。
そんなもの、緊急事態でもないのに赤の他人、それも誘拐犯になんて見せるわけには行かない。
私はにじり寄ってくる男から離れるように、その場から後ずさる。
しかし悲しいかな。
歩幅は完全に大人である彼のほうが広い。
その気になれば私なんていつでも捕まえられてしまう。
窓から逃げようにもここは二階。
前世から持ってきた魔力なら、この程度の落下ダメージを抑える程度の防殻は張れるだろうが、魔法のない世界でそんなことをすれば悪目立ちしてしまう。
最悪、科学とやらの研究対象として捕まえられかねない。
……とかなんとか、お父さんの書斎にあった書きかけの原稿に書いてた。
そうなるくらいなら、まだ小回りの効くこの体で逃げ回り、股間を蹴ってうずくまっている間に逃げ去る方がマシな選択と言える。
たぶん、これがベターだ。
そんな風に考えていると、どこかからかパトカーのサイレンが聞こえてきた。
「うえ!?
も、もう嗅ぎつけてきやがったのか!?」
男は狼狽えながら窓に顔を近づけ、外の様子を確認した。
下から、ガチャガチャと何かが擦れ合う音が聞こえる。
たぶん、この世界の騎士団にあたる治安維持組織のけーさつとやらの装備が、ほかの装備とぶつかっている音なのだろう。
「クソっ、こうなったらこいつを人質に……!」
それを確認した誘拐犯は、先程の宣言どおり自首する気は無いようで、自ら出向くのではなく、逆に私を人質にとって逃げる作戦に切り替えたようだ。
ほんとクズいな、こいつ。
……だけどどうする?
さっき怒って本気で壁を殴ったりしたときの様子を見るに、完全に筋力ではこちらが負けている。
まず全力で逃げに徹しても勝ち目は薄い。
当たり前だ、子供と大人という肉体構造上のアドバンテージが相手にはある。
おまけに相手は男性と来た。
前世の基準で当てはめてみれば、万全の状態の私とホブ・ゴブリンくらいの戦力差に相当するレベルだ。
一般の魔法使いに当てはめれば、オークくらいだろうか?
包丁くらいの凶器なら防殻で受け止めきれないことはないだろうが、それくらいの差はあると考えていい。
……なら、私の思いつく限りでできることはただ一つ!
誘拐犯の男は舌打ちをすると、背中を向けて台所へと向かった。
ワンルームのアパートの一室。
台所まで数歩もない距離だが、それはこちらからしてみても同じことが言える。
私は、男がこちらに背を向けた瞬間を狙って奇襲を仕掛けた。
「ふん……ッ!」
「うぐがぁっ!?」
魔力を脚部に巡らせて、簡易式の脚力強化の魔法とも言えない魔法を使い、数歩の距離を一瞬で詰める。
そして、それと同時に高い背中に飛びついて、今度は同じように腕力を強化、首を締め上げる。
狙うのは頸動脈。
気管支を締めるには力が足りなさすぎるし、技量もない。
脈を締めるだけなら、簡単にできる。
「な……に……くそっ……ガキ……ィ!」
男が苦しそうに藻掻く。
腕をブンブン振り回して、私に打撃を与える。
「……っ!」
痛い。
しかしここで緩めれば確実にこちらが殺られる。
だから何が何でも離すわけにはいかない。
そんな状況がどれだけ続いたのか。
割と短かったかもしれないけど、私の中で加速された時間が、その数秒を数分に感じさせた。
やがて、部屋の中の異変に気がついたけーさつの部隊が、アパートの部屋へ突入してきた。
⚪⚫○●⚪⚫○●
そこから先は、私も良くは覚えていなかった。
きっと興奮していたせいで、記憶が曖昧になっているのだろう。
いろいろけーさつの人に質問されてた気もするけど、よく覚えてないや。
ただ、お母さんがものすごく泣いていたこととか、お父さんが顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていたことだけは、何となく覚えてた。
たぶん、子供体力のせいで疲れて寝てしまったんだろう。
気がついたら、私はいつものおふとぅんに包まれていた。
真横にお母さんとお父さんの顔があったのはちょっとびっくりしたけど。
……でも、それはそれで、悪くないかな。
なんて。