見習い天使に転生した私、冷血公爵様の恋を叶えないと消滅するようです #4
天使に転生してから、人間とは変わったことがいくつもある。
その中でも一番大きいのは、何も食べなくても、全く寝なくても生きていけるということだと私は思っている。
人間から転生してすぐの天使は食事や睡眠をとる傾向にあると聞いていた。私もそのうちのひとりだ。
人間だった頃の感覚が染みついているというより、私は忘れたくないという気持ちが大きい。
私はもう人間ではないから、あのひとが奇跡的に同じ世界に転生していたとしても、私の声は彼には届かない。
そう頭では分かっていても、未練が断ち切れないのだろうと、他人事のように思う。
「…………一睡もできなかった」
エリオットに「絶対に入らないで」と言われていた部屋に勝手に足を踏み入れた翌日。
空が明るんできても眠ることはできずに、ベッドにただただ寝転がることしかできなかった。
ここ数ヶ月のあいだにすっかり見慣れた天井にてのひらを翳す。てのひらのすぐ向こうにある天井が透けて見えた。
どういうタイミングで、どうやって消滅してしまうのかは聞かされていなかったけれど、きっと段々と透明になってこの世に存在しないことになるのだろう。
意識も空気に溶けてしまうのかな。眠っているあいだに消えられたらいいな。
のそのそとベッドから這い出て、寝間着から部屋着用のドレスに着替える。
ひとりで着替えることは未だにできない私がこうやって楽に着替えられるのは、天使パワー様々だ。
コンコン、と控えめなノック音が部屋に響く。
こんな早朝に珍しい。一体誰だろうか。
掃除の時間が変わったのであれば、エリオットかアイザックから事前に連絡をもらえるだろう。
ドアの向こうのひとには聞こえない可能性が高いと思いながらも「はい……?」と小さく返す。
「朝早くからごめんね。今、部屋に入っても?」
「あ……はい」
訪ねてきたのはエリオットだった。こんな早朝に顔を合わせるのは初めてのことだ。
「今日はこれからどうしても外せない用事があって、明日まで帰れないんだ。いつものお茶のかわりに、一緒にブレックファーストを摂らない?」
「それは、エリオットさんがよければ……」
「よかった」
にこ、と笑いかけられる。
彼に返した笑みはひくりと引きつってしまっていただろう。
公爵令嬢としてあるまじき失態だ。……元、だけれど。
「ここで食べたほうが気楽だろうから、準備させるね」
「はい……」
今日、エリオットとどんな顔をして会おうかと考えていたが、まだ答えは出ていなかった。心の準備ができていない。
いつも彼とお茶をするときに使用しているテーブルよりも広いものが用意されて、あっという間に二人分のブレックファーストが並んだ。
ほかほかと温かそうな湯気がたっている。どれもこれも美味しそうだ。
もしかしたら、このブレックファーストが私の最後の晩餐になるかもしれない。
まだ透けているのはてのひらくらいのようだったので、エリオットにはバレていないだろう。
長期間お世話になったので、手紙を残していくのではなく直接告げたほうがいいだろうか。
それもまだ、答えが出ていない。
エリオットと一緒に時間を重ねていくに連れて、彼に対して口に出せない気持ちが増えた。言ってはいけないことも増えた。感情が全然追いついていない。
私の感情はぜんぶ、昨日、あの部屋に取り残されたままだ。
シン、と静まり返った部屋に「さあ、温かいうちに食べよう」と着席を促すエリオットの声が響く。
いつの間にか使用人たちはひとりもいなくなっていた。
もうないはずの心臓がじくじくと痛む。
はあ、と深呼吸をひとつしてから、彼の向かいの席に腰掛けた。
「……君に、聞きたいことがある」
いつになく真剣な声音にどき、とした。
昨日、あの部屋に足を踏み入れたのがバレてしまったかもしれない。
カラカラに乾く喉から「……なんですか?」と絞り出した声は、笑えるくらい小さかった。
「君は、ダイヤモンドリリーの花が好きなの?」
「え?ええ、はい」
「……そう」
「…………あの」
「うん?」
「私からも、聞いていいですか」
「何かな」
「エリオットさんも、ダイヤモンドリリーが好きなんですか?」
一瞬、面食らった表情を浮かべたあと、エリオットは目を伏せた。
「……なんで?」
「ごめんなさい。だめだって言われていたのに、私、昨日、見てしまったの」
「……ああ」
私のその言葉でエリオットはすべて察してくれたらしい。
「好きか嫌いかで言うと僕は嫌いだよ。彼女を思い出すからね」
「……」
「ダイヤモンドリリーは、彼女が生前に好きだった花なんだ」
「……ごめんなさい、私、知らなくて」
「君が謝ることじゃないよ、隠していてごめんね」
「でも」
「僕の心の中の一番弱い部分だったから、知られたくなかったんだ。君の命を奪う人間なのに、卑怯だよね」
「……それは」
「ねえ、君の名前を聞いてもいい?」
「……え?」
唐突に投げかけられた言葉に、そういえば彼に自分の名前を名乗ったことがなかったことに気がついた。
彼は私のことを「天使様」と呼ぶので名乗らなくても不便はなかったし、聞かれなかったから言わなかっただけだ。
名乗ってはいけないという決まりは特にない。
「いずれ別れがくると知っているから、あまり親しくなりたくなくて聞いてなかったんだけど……もう、知人くらいには仲良くなったと僕は思っているからね。それに、君の墓石に刻む名を知りたい」
「……そんな、気にしなくていいです。時が来たら、文字通り消滅するだろうからきっと何も残らないですよ」
「こうやって一緒に過ごした時間の記憶は確かに残るし、君の命日に値する日に、懺悔することは許してほしい」
僕のエゴでごめんね、と言うエリオットにごくり、と唾を飲み込む。
彼は迷惑でしかなかったであろう私に対して、こんなにも誠実だ。私もちゃんと伝えなくてはあまりにも不誠実だろう。
「名乗るのはもちろん構わないんですけど、その前に伝えておきたいことがあって」
「……なあに?」
「たぶん私、今日か明日に消えると思います」
「…………そう」
膝の上に揃えて置いていたてのひらを目の前に翳す。
エリオットの顔が透けて見えた。
天井に翳したときよりも、透明になっている範囲が広くなっているように感じる。もしかしたら、私が思ったよりも早く消滅のときが来てしまうのかもしれない。
「今までありがとうございました」
「こちらこそ。本当にごめんね」
「私こそ、重責を負わせてしまってすみませんでした」
ぺこり、と頭を下げる。
やさしい彼はきっと、私の命を奪ったことをこの先ずっと後悔するのだろう。
非常に悪いことをしてしまった。何度謝っても足りないが、きっとエリオットはそれを望んではいない。
「……私の名前はシャーロット。家名はもうないです。長いので、もし呼んでくれるのであればロッティーと」
私が全てを言い終わる前に、エリオットが椅子から立ち上がった。
立ち上がった拍子に指先が触れてしまったのか、ガシャンと大きな音が鳴る。ナイフとフォークが床に落下するのがスローモーションのように見えた。
「…………君が、君だったんだね。ロッティー」
エリオットに名前を呼ばれた瞬間、ぶわりと風が巻き起こった。欠け落ちた記憶に掛かっていたモヤが晴れていく。
唯一覚えていたあのひとの記憶。
私の名前を呼ぶ声の響きは、ほかでもない、かつて愛した恋人のものと同じだった。
「…………エル?」
「うん」
「エル、よね?」
「うん、そうだよ。君のエルだ」
「わたし、私……エルになんてひどいことを」
「ひどくなんかないさ。今の今まで君は、転生する前の僕に関する記憶をなくしていたんだろう?」
「でも……」
「僕だって、転生したってことは君に告げていなかったし……もしかして、と思ったのは昨日なんだ。まさか、こんな奇跡が起こるだなんて思ってなかった」
行儀が悪いのは重々承知ながら、がた、と音をたてて立ち上がってエリオットに駆け寄る。
両手を広げたエリオットは私の身体を包み込むようにぎゅっと抱きしめてくれた。
触れ合っているのに温度を感じることはできなくて、泣きそうになる。
うれしいのに、こんなにもうれしいのに苦しい。
「ああ、たった今、僕の恋は成就したのに、きっともう君には会えなくなってしまうんだね。でもこれで、君が消えることはないだろうから……よかった」
「……エル」
「ずっとずっと、君だけを愛してるよ」
「……知ってる。散々惚気を聞いたわ」
「本人に対して惚気けていただなんて、ちょっと恥ずかしいね」
ふふ、と笑うエリオットはあのときのままだ。
なんで私はこんなに大切なことを忘れていたんだろう。名前も声も全部全部、あのときのままだったのに。
照れるように笑うエリオットが可愛くて、その頬にキスをする。
温度も触れている感覚もないだろうけれど、愛しくて愛しくて、どうしてもしたくなってしまった。
「ロッティー、キスならこっちにしてくれない?」
「……ええ、もちろん」
エリオットのくちびるに触れる。ああ、身体が消えてなくなってしまう前でよかった。
「……そうだ、これ」
ポケットの中にしまっていたリボンを取り出してエリオットに手渡す。
昨晩のあいだに天使の祝福をかけておいたのだ。彼の未来に私は一緒にいられないから、私の代わりに彼を手助けしてほしい。
「天使の祝福がかけられているから、きっとあなたの役にたってくれるわ」
「ありがとう。君だと思って大切にする」
「エル、泣かないで」
「……君には、また会えたら格好いいところだけ見せたいと思っていたんだけどな」
「公爵として活躍していたのを見ていたわ。すごく格好よかった」
ぱあ、と身体が光る。もうタイムリミットが来たらしい。
試練を無事達成できたから、神様のところに戻るのだろう。
「……エル、誰よりも愛してる」
「僕もだよ、ロッティー。君に会えてよかった」
エリオットの涙を拭えないと分かっていても、思わず伸ばした指先が消えていくのが見えた。
ああ、これで最期なんだ。
でも、私はこの思い出を抱えて生きていける。この胸の痛みを私はこの先一生忘れないだろう。
目を閉じると、意識がゆっくりと溶けていくのを感じた。
◇ ◆ ◇
目を開けると、転生したときに訪れた空間に立っていた。
立っている、と表現していいのだろうか。上下左右の感覚があまりない。
「シャーロット、よく頑張りましたね」
「神様……」
神様の姿形を見ることはできないのだけれど、天使になったからなのか、そこに確かに存在しているのだと分かる。
「見事十名の人間の恋愛を成就させたあなたの、願い事を何でもひとつ叶えます」
「……ありがとうございます」
大切な恋人の記憶を取り戻すことができた私の願い事はすでに決まっている。
元々は、彼のことをすべて思い出すことを目標としていたのだ。
「彼の……エリオットの、私に関する記憶をすべて消すことはできますか?天使として関わったことも、前世の記憶もすべて」
エリオットには、これ以上つらい思いをしてほしくない。
私が全部覚えておくから、私以外の誰かと、今度こそ幸せになってほしい。私の一番の願いだ。
「もちろん可能ですが……本当に、それがあなたの一番の願いですか?」
「……え」
「私はあなたの願いを、何でも叶えることができる。チャンスは一度きり」
「…………あの」
声が震える。
こんなこと、過ぎた願いではないだろうか。私が望んでも、許されるのだろうか。
「本当に、なんでもいいのでしょうか」
「ええ。神に二言はありません。さあ、あなたの願いは?」
「…………」
じわじわと涙が泉のようにわきあがってくるせいで目の前が歪む。
意を決して口を開いた。
「もう一度、人間になりたい。エルの隣で、エルと一緒に歳を取っていきたいです」
「分かりました。……あなたはとても優秀だから、天使として一緒にいてくれたら嬉しかったのだけど」
なんてね、と話す声はやさしい。
神様は常に私のことを見守ってくれていたのを感じていた。無礼かもしれないけれど、第二の親のような気持ちだ。
「目を閉じて。今度こそ目一杯、幸せになりなさい」
「ありがとう、ございます」
目を閉じた拍子に大粒の涙がぼろ、とこぼれた。
そこで再び、私の意識は溶け落ちる。
◇ ◆ ◇
「……ティー。ロッティー!」
名前を呼びながら身体を揺すられて、意識が覚醒する。ゆっくりとまぶたをあけて、私を呼ぶ声の主の名前を呟く。
「…………える?」
「ああそうだ、エルだよ。ああ、ロッティー、君に触れられる」
「っえ……わ、」
がば、と勢いよく抱きしめられた。エルの体温が布越しにじわじわと伝わってくる。
「ここ……エルのお屋敷?」
「そうだよ。消えてしまった君が、再び僕の前に現れてくれたんだ」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられる力は強かったけれど、すこしも嫌じゃなかった。
ゆっくりとエルの背に腕を回して、きゅっと抱きしめ返す。
「私、神様にお願いしたの」
「……うん」
「エルの隣で、エルと一緒に歳を取っていきたいですって」
「ロッティー……」
そっと身体を離される。
エリオットの顔は涙でぐちゃぐちゃだった。きっと私も、同じような顔をしているのだろう。
「……花束も、指輪も、何もなくて全然決まらないけど、でも」
エリオットは私の両手を握って、大きな深呼吸をする。
「シャーロット。君が誰よりも、ずっと大好きなんだ。僕と結婚してください」
ずっとずっと、何よりも誰よりも彼の口から聞きたかった言葉に涙が止まらない。
「もちろんよ。エルのこと、誰よりもしあわせにする」と返した言葉は全然スマートに言えなくてつっかえてしまったけれど、エリオットには確かに届いた。
ふたりしてぐちゃぐちゃな顔をしているけれど、ここには私たちしかいないからいいだろう。
新しくできた、かけがえのない思い出のひとつだ。
触れ合わせたくちびるから伝わる体温に、思わず私もエリオットも泣いてしまったのは、私たちだけの秘密だ。
そうして、冷血公爵様は初恋の元天使様と一緒に、それはもう大層しあわせに暮らしましたとさ。
了
ふたりの恋を見届けてくださり、ありがとうございました。
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