リディアside②
「おはよう、リディア、迎えにきた。今日はかわいい妻と出かけるのが楽しみすぎて、眠れなかった」
「かわっ⁉︎ そ…そう…今日もまだ具合が悪そうね……。出かけるのはまた今度に……」
フレデリックの目の下には隈ができており、頭部には包帯こそ巻いていないが打撲痕が見える。
「だめだ、死んでしまう。私のために、頼む」
「えっ⁉︎ フ、フレディ、手……」
フレデリックは、リディアの手を取ると、自身の腕へと添えさせた。
「エスコートするのは、当然だろう。私達は、夫婦なのだから」
結婚してから、一緒に出かけることはなかった。社交活動もしていない。フレディから、夜会などの参加は制限されていた。王族主催の夜会でさえ、行ったことがない。
どうしても出席しなければならない時は、フレディが一人で出席していた。
訳ありの私と一緒に行くのが嫌だったのか、もしくは仮初の夫婦だから必要ないと判断したのか。それなのに……。エスコートって、こんなに密着するものなの?
落ちつかないと……。
「奥様、お顔が真っ赤ですっ、ふふふ。良かったですね。奥様、いってらっしゃいませ」
「ジェーン、からかわないで。一緒に行かないの?」
「彼女は、予定があるそうだ。なぁ?そうだったな? リディア、私だけでは不安か?」
ジェーンの言葉を遮るように、フレデリックは早口で話す。フレデリックに視線を向けられたジェーンは、必死に何度も首を上下に動かし返答していた。
「そ、そ、そうなんです、奥様。申し訳ありません。」
「そうだったの……。じゃぁ、何かお土産を買ってくるわね」
「いえっ!お気持ちだけで嬉しいです。奥様からいただいたりしたら、殺さ一一」
「オホン、リディア、行こう」
「行ってくるわね」
邸から出ると、待ち構えていたトーマスから花束を渡される。
「まぁ、スズラン、ありがとう、トーマス」
「リディア、少しじっとしてくれ」
花束からスズランを取り出し、フレデリックはリディアの髪にそっと差し込む。
「あぁ、かわいい、よく似合っている。」
「ひぇっ⁉︎あ、ありがとう」
思わず変な声が漏れ出たリディアは、頬を朱色に染め俯く。
フレディ、いったいどうしたのかしら。
衝撃で、視力にも支障が出ているのかもしれない。別人すぎて、どうしたらいいのかわからない。恥ずかしすぎる。
「なんとっ⁉︎ 坊ちゃま、いや、旦那様がキザなセリフを⁉︎ 明日は嵐でもやってくるかもしれませんな」
「トーマス、うるさい。だが、綺麗なスズランを育ててくれてありがとう」
「いやぁ、本当に、旦那様、まぁ、今のお二人の仲睦まじい様子を見せてもらったので、許しますが……。が、ですが! 旦那様、わしは、まだ納得しておりませんからの! なぜに、庭園の薔薇を撤去されたのですか? 大奥様に毎回毎回責められるわしの身にもなってくだされ。
それに、わしが一生懸命育てた、希少な虹色の薔薇もあったのですぞ! くぅ……くやしうて…。
大奥様もおっしゃっていました。希少な薔薇は、チャリティーの大きな収入源でもあり、事前活動、敷いてはこのアシュモフ家の一一」
「トーマス、お前の苦労は分かった。すまん、今日は急ぐんだ、その話は、今度二人でな。リディア、行こうか」
「ひゃぁっ!」
突然抱き抱えられて、咄嗟にフレディの首元に腕を回す。
近い、近い、恥ずかしい……。
フレディが、どんどん私の知らない人になっていく……。
馬車に乗り込むと、そっとおろしてもらえたので、ほっとする。
「ねぇ、以前、庭園には薔薇があったの?」
フレデリックは、はぁ、とため息をついた後、気まずそうに話しだす。
「薔薇は……リディアが怪我をするといけないからだ」
「怪我? 薔薇にはトゲがあるから?ふふ、私が怪我するはずないじゃない。勝手に触れたりしないわ。虹色の薔薇……見てみたかったな」
「覚えていないのか?学園の創立記念式典の日のことを。あの日、リディアが式典に飾る薔薇を花瓶に活けている時怪我したじゃないか。だから、薔薇は危険だ。それに、薔薇は……派手な感じがする。スズランとの相性が悪い。リディアの好きなスズランが目立たなくなる。とにかくだめだ」
「そう……なのね……」
フレデリックは、一通り話し終えるとプイッと窓の外へと視線を移す。
リディアの心の中は、混乱するばかりだった。
フレディの様子がおかしい。
学園の頃に、薔薇で怪我をしたことは、なんとなく覚えている。でも、かすり傷だった。そんな昔のことを、こんなにも鮮明に覚えているものなのかな。
スズランのことだって……。あの言い方だと、私の為に植えてくれたように聞こえる。どうして、フレディがそこまでするの? まるで、私に好意があるのではないかと勘違いしてしまいそうになる。
そんなはずない。だって……。
今までそんな素振りがなかった。
昨日から急に……。
やっぱり、頭部に衝撃があったから、記憶が混乱しているんだわ。友人、いいえ親友としての気持ちから、私を傷つけないようにしてくれているだけ。
フレディは、真面目だもの。契約とはいえ、夫婦として過ごそうとしてくれているんだと思う。
でも、自身が署名をした離縁届を見たらどう思うだろう。失われた部分の記憶が戻って、以前のフレディに戻るかな。
どんなフレディでも、私にとってはフレディに変わりはない。懐かしい学園での日々、アーサーがいなくなってからの日々、いっしょに暮らすようになってからの日々。
私の記憶の中には、いつもあなたがいる。
私だって昔のことを覚えている。風を引いて学園を休んでしまった日、お見舞いに来てくれたね。ふふ、でも、不器用だから、りんごの皮を剥くことができなくて、困っていたよね。
自分でむけるから大丈夫だと言ったのに、納得してくれなかった。
わが家は使用人との距離が近いから、果物を一緒にむいたりしていたから得意なのに。
結局、どうしたんだろう。
りんごジュースに……。
「リディア、寝てるのか……?すまない……不甲斐ない私を許してくれ……」
うつらうつらとまどろんで、リディアは重い瞼に逆らえなかった。
一瞬だけれど、髪に柔らかい感触がした。何が触れたんだろう。
こくん、こくん、と首が傾くリディアを支えるように、フレデリックは隣へ移動すると、そっとリディアの頭に口付けを落とす。
街へ辿り着く頃に目を覚ましたリディアは、フレデリックによりかかっていたことに謝罪する。
その後も、かわいい、素敵だ、など、今まで言われたことのない言葉で囁かれて終始落ち着かなかった。照れすぎて、体温が上昇したせいで汗をかいてしまったほどに。
リディアの好きな物はすべて購入しよう、というフレディを止めるのが大変だった。
一番驚いたのが、知らない内に、私がオーナーになっている宝石店があったこと。
数年前から翡翠のアクセサリーの入手が困難になったと噂で聞いた。けれど、そこの宝石店には、翡翠のアクセサリーが大量に並んでいた。 不思議に思って尋ねると、ヒスイ鉱山はアシュモフ家が独占したのだとか。
フレディが、私の瞳の色が……とか呟いていたけれど、関係ないわよね?
いずれは鉱山も譲渡すると言われたので必死に断った。
気にしたことがなかったけれど、財力に目眩がする。
やっぱり、私なんかとは住む世界が違う。
この生活に慣れてはいけない。
フレディには、伯爵夫人にふさわしい人と幸せになってほしい。
邸に帰ったら、離縁届けに署名をしよう。
アーサーにもきちんと話をしよう。
いつまでもこんな関係を続けてはいけない。
あまり目立たないようにしないといけないのに。 今日だけでも、目立ってしまった。「愛妻家ですね」「お似合いですね」なんて声をかけられたもの。
そのたびにフレディが、見せつけるように腰を抱き寄せるから……。
ねぇ、フレディ、その度に私がどんなに苦しかったか分からないよね。
ずっと夢見ていた生活。
あなたの隣にいられる幸せ。
あなたの優しさに甘えすぎていた。
お互いに、大人にならないといけないよね。
今日が、最初で最後だから。
この幸せを忘れないように心に刻みつけておこうと思う。




