1.リディアside ①
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「別れよう、リディア。
元々、この結婚は間違いだった。
お互いの……いや、私達三人のためにも、なかったことにしよう。
私の署名は、もう記入してある。
リディア、後は君の署名だけだ。
君が署名を書き終えたら、私が責任を持って今日中に離縁届を提出してくる。早い方がいいだろう?」
あぁ……、遂に恐れていたことが現実になるのね。
ねぇ、フレディ、それはあなたの本心なの?
なら、どうして視線を合わせてくれないの? 私の目を見て。
昔からそう、あなたは嘘をつく時には、視線を逸らすもの。真面目だから、嘘が言えないのよね。
「間違い……?」
「あぁ、そうだろう?」
結婚してから一度も使われたことのない夫婦の寝室で、夫フレデリック・アシュモフ伯爵は、妻であるリディアに対して、離縁を迫っていた。
夫婦の営みがないことは、邸中の使用人一同周知のことだった。
それが、本日、寝室には「誰も近づけるな」という主の言伝が下ったのだ。
勘違いして、浮き足だつ使用人達。
リディアも、淡い期待に胸を膨らませていた。
「大事な話がある」と寝室に呼び出されたのだもの。 そういうことなのよね。
フレディの迷惑にならないように、予備知識を蓄えた方がいいのかしら。
そういった本を読んだのは、随分昔。淑女教育の一環として、恥ずかしいけれど義務的に読んだ。
ここの図書室にもあると思うけれど、やっぱり恥ずかしい。
「奥様、本日は念入りにマッサージと入浴のお手伝いをさせていただきますっ。本当に、良かったです。旦那様は、奥様を大切にしすぎるあまりに、奥手すぎるのです。全て、お任せください奥様」
「ジェーン、念入りにって……。ジェーンも知っているでしょう?私達のこと」
変に期待してはいけない。だって、私達は結婚式も挙げていない。
「奥様、気づいていらっしゃらないのですか? 旦那様は、奥様のこと大切に思っていらっしゃいます。私共は、お二人の距離がもっと近づくといいなと思っております。でも、もうその心配も今日までですね。とっておきのドレスを用意しておりますので、楽しみにしてくださいね」
「フレディが? そうだと嬉しいわ。いつもありがとう、ジェーン、よろしくね」
専属の侍女であるジェーンは、年齢が近いこともあり話しやすい。訳ありの私にも、気さくに接してくれる。
「色白の奥様には、やはり清楚な白……、いいえ、攻めた感じの黒……、やっばり可愛らしい奥様には淡いピンクが似合います」
「ジェーン、そ、そ、その下着を着るの?
透けすぎじゃない?
それに、布の面積がおかしいわっ」
気合いが入りすぎていると思われたくない。 恥ずかしすぎる。
「奥様はご存知ないかもしれませんが、今の流行デザインなんですよ。これで、いちころです!」
「いちころって、違うの、べ、べ、別にそういうことではなくて……」
「奥様、大丈夫ですから、さぁ、こちらへ」
満面の笑みを浮かべるジェーンに、押し切られるようにして、着替えさせられた。
こんなのを着るの……?
このナイトドレスは、着ている意味があるのかしら。
下着丸見え状態のような気がしなくもないけれど……。
それでも、あなたに触れてもらえるのなら、どんな格好でも、厭わない。
この日の為に、ジェーンが一生懸命選んで準備してくれたのだもの。
恥ずかしいから着たくないとは言えないわ。
仕上げに、魅惑的な香水をほんのりとつける。
甘い香りに包まれると、急に現実に引き戻される。
「ジェーン、やっぱりこんな格好は無理!」
「大丈夫です!奥様の魅力に旦那様もメロメロ間違いなしです!さぁ、奥様勇気を出してください」
ガッツポーズをしたジェーンによって、そっと背中を押されて寝室へと立ち入った。
フレディに誘われたのだと思うと、嬉しくて。
それなのに……。
開口一番、離縁宣言を突きつけるの?
どうして、今頃になってそんなことを言うの?
こんなにも、私はあなたのことが……。
「フレディ、私の目を見て。本当に間違いだと思っているの? 」
「ぅな⁉︎ 」
ひとしきり伝え終えたフレデリックは、おもむろに顔を上げると奇声を発する。ガツンと机に足をぶつけながら、騒がしく立ち去った。
「フレディ?」
部屋に取り残されたリディアは、一人茫然と立ち尽くすことしかできない。
話す場所をここに選んだのは、人払いのためだったのね。
ここならば、誰かに立ち聞きをされることもないから。
激しく言い合いをしたとしても……。
「何?フ、フレディ?」
「少しの間だけじっとしていてほしい」
激しく息切れをしながら戻ってきたフレデリックは、リディアにガウンを羽織らせる。ぐるぐる巻きにするように、しっかりとかっちりと、紐を固く結んでから元の席へと座る。
机に肘をつき顔を埋めたフレデリックは、終始顔を赤らめて呟いている。
「あれでは、ほぼ裸じゃないか、ばっちり見てしまった……かわ……何を言っている落ち着け!すまないアーサー……」
王宮で文官を務めているだけあって、どんな時でも決して動揺を見せずに淡々と仕事をこなすフレデリック。そのせいで20代なのに30代に見られることが多い。落ち着いた身のこなし、大人びた貫禄。肩幅も広く、文官であるにも関わらず鍛えられた肉体は周囲の目を惹きつける。
そんなフレデリックが動揺をしていることに、リディアは怪訝に思う。
そして、はたとそこで自身があられのない格好をしていたことに思い至る。
「こ!こ、これは、フレディ、ごめんなさい、私、そんなつもりではなくて、これは……い、いつも、こういう格好をしているの!」
何を言っているの私……。
「そ、そうなのか? そういう格好は……襲われても文句は言えない。誤解を招くから、やめるように。すごく、いい……いや、違う、そうではなく、と、とにかく……私は何を言ってるんだ……」
リディアは、夜の営みを期待していたことを誤魔化すように、とんでないことを口走って後悔する。
いつもこんな格好って、何を言っているのかしら。そんなの、単なる痴女じゃない。
そんなに見苦しかったのかしら。あのフレディが取り乱すなんて。
リディアは、胸元が隠れているのを確認するように、手を当ててガウンを握り締める。 ガウンからは、ほんのりとフレデリックの匂いがした。
「フレディ──」
「リディア、私のことは、今後はフレデリックと呼んだほうがいい。アーサーが勘違いするといけない! 私達が、愛し合っていると……。
私達は、アーサーを裏切ってはいないのだから。
勿論、きちんと、私の口からもアーサーには説明する。リディア、君は心配しなくてもいい。
私達は、白い結婚なのだから。アーサーも理解してくれる。」
「アーサーが……?」
「あぁ、リディアも新聞をみただろう?
アーサーが帰ってくる。7年だ。
無事で良かった。リディアも……本当は待っていたのだろう?
私は、君の気持ちを大切にしたい。
もう、私の役目は終わった。君を自由にしたい。アーサーの元に……戻るといい。」
「自由に……?」
忘れたくても忘れることのできない過去の過ちが蘇る。
フレディ、あなたは私を束縛していると思っていたの? 自由にしたいって、私は……。
どうして分かってくれないの?
ねぇ、ほんの少しでいいからこっちを見て。
どうして、そんなに苦しそうな顔をしているの?
どんなに手を伸ばして触れようとしても、あなたはいつも私の手を取ってはくれない。




