忍── 其ノ弐 「トゥウィンクル☆シスターズ」
私が財布を煮凍利さんの前に出すと、煮凍利さんは土下座の体勢からケロッと立ち上がった。
そのまま、財布を奪い取り、コンビニまでダッシュで走って行く。
今日出会った女子高生の財布を奪うように取り、酒を買うために全力疾走。
中年の執念というものには、見苦しいものがあるな。
しばらくして、コンビニから煮凍利さんがでてきた。
大量の酒が入った袋を片手に。
煮凍利さんはもう用はない、と言いたげな表情で、私に財布を返してくれた。
確か、元々中には三千円ぐらい入って──
「っない!?」
財布の中には十円玉二つと、五円玉一つ。
それ以外、入っていない。
私の、お札は......?
「な、中のお金、全部使ったんですか! どこに全部使う馬鹿がいるんですか!」
「ここにいる。お前がいくらまで使ってもいいと制限を決めていなかったから、全て使ったまでだ」
あんた本当に馬鹿だよ!
もうバレてもいいから、煮凍利さんを切ってやろうかと、竹刀袋に手をかけると、
「おいおい、そう怖い顔をするな。俺も傾の金を使ったまま踏み倒そうとは思っていない。今、偶然金がないだけで、すぐに返す」
本当なのか?
そう言われても素直に信じられないな、この人。
日頃の行いというか、今日一日の行いなのだが。
「よし、美術館に急ぐぞ。事件は会議室で起きてるんじゃないからな」
レジ袋から取り出した缶ビールを片手に、スタラタと歩いていく。
別にここ会議室じゃねーし。
美術館に着くと、その周りに多くのパトカーや警察官がいた。
巴市美術館──甘利田さんが完璧な自分から変わった場所。
ここの美術館に警察官が集まっている理由は明白。
巴市美術館では先日、強盗事件が起きたのだ。
盗まれた物は、斬血・剪定刀と呼ばれる刀。
こんな平和な街で強盗なんて物騒だなぁ、と思いながらも、私はこの事件の犯人を知っているのだ。
今回特別に教えてあげよう。
この事件の犯人は──何を隠そうこの私なのである。
私が斬血・剪定刀ことチグロちゃんを盗み出したのだ。
これにはまぁ致し方ない理由があるので許して欲しい。
てへぺろっ。
警察がいるところにわざわざ行くなんて、飛んで火に入る夏の虫のようなものだが、幸い世間的にはチグロちゃんを盗んだ犯人は鼠娘という人物だと言われている。
申し訳ない、鼠娘。
というか、鼠娘は一体何者なんだ?
煮凍利さんは鼠娘の正体を本当の女の子だと思い、街ゆく女性に声をかけていた。
しかし、弥生さんは鼠娘はあくまでコードネームであり、実際はなにかの犯罪組織なのではと言っていた。
私が、煮凍利さんに鼠娘について話を聞こうとすると、
「これはこれは、太仂さんやないですか。今日も幸せそうな顔してはりますのぉ。なぁ、ゼンちゃん」
「あれ? 煮凍利先輩、前会った時とは違う女の子を連れてるー。ねぇ、アンちゃん」
シアンとマゼンタ、とても奇抜な髪色をした二人の婦警さんが、私たち(いや、煮凍利さん)に声をかけてきた。
どこを見たら幸せそうに見えるんだと言うほど、死んだ顔をしている煮凍利さんは、二人に向かって、
「こんな所に何の用だ、獅子堂に樽前。俺は鼠娘探しで忙しいんだ。事件に遊び感覚で首を突っ込むのはやめて欲しい話だが」
「遊び感覚ちゃうわ! こっちは、鼠娘対策にここにおんねん。せっかく、太仂さん見つけたから声かけてあげたのに。なぁ、ゼンちゃん」
「ほんとそーだよ。それに今の状況、警察やめて探偵やって、事件現場に来てる煮凍利さんの方が遊び感覚で首突っ込んでる方ですよー。ねぇ、アンちゃん」
ゼンちゃん、アンちゃん──お互いをそう呼び合う二人の女性警察官。
アンちゃんと呼ばれている方の女性は、鮮やかなシアン色のロングヘアに、普通の女性よりかなりノッポな身長。
ゼンちゃんと呼ばれている方の女性は、鮮やかなマゼンタ色のショートヘアに、普通の女性よりも低めな身長。
シアンにマゼンタ。
ロングヘアにショートヘア。
高身長に低身長。
対になっている凸凹コンビ。
「傾、こいつら二人は俺の──」
「ちょい待ちや! 名乗りは私らからするって決めてんねん。だから眼鏡の嬢ちゃん、早く私らに──誰だお前は! って聞いてや。なぁ、ゼンちゃん」
「そうそう。誰かから説明されるでもなく、自分から名前を言うでもなく、誰かに聞かれて名乗りを上げる。これが私らが求めているもの。ねぇ、アンちゃん」
名乗りをあげるのがかっこいいのは相手が自発的に名前を聞いてきた時だけで、自分から名前を聞いてくれって促すのはかっこ悪いのではないだろうか。
それに私は、漫画やアニメによくあるキャラクターのカッコイイ名乗りシーンなどにいちいち興奮するほどの幼稚な頭はしていないのだ。
だが、言われたし、一応言っておこう。
「──誰だ、お前は!」
「誰だ誰だと聞くものよ! 両耳揃えて、聞き晒せ!」
「事件あるとこ我等あり! 我等あるとこ事件あり!」
「超新跋扈の獅子堂 杏子!」
「理路猛進の樽前 染子」
「私ら二人揃って、トゥウィンクル☆シスターズ!!」
「ツイン来ーる☆トゥウィンクル!!」
普通の価値観を持っている人間の感想としては、ダサい、が正しい感想だろう。
だから私も言わせてもらおう。
年上の人に対して失礼かもしれないが、私の価値観は私が決めるものであり、年上だからと言って贔屓はしたくないからな──
「カッコイイッーーーー!!」
私の価値観はガキであった。
短いながらも言葉がカッコイイ。
超新跋扈? 理路猛進?
カッコイイ!!
「せやろせやろ! センスいいなぁ眼鏡の嬢ちゃん。なぁ、ゼンちゃん」
「ほんとほんとー。私たちこのセリフめっちゃ頑張って考えたもんねー。ねぇ、アンちゃん」
私の背中をバシバシと叩く獅子堂さん。
この人二人とも、煮凍利さんと仲良さげに話していたけれど、一体どのような関係なのだろうか。
「ん? 太仂さんとの関係? それはな、部下と上司、みたいな関係や。上司って言っても元、やけどな。なぁゼンちゃん」
「煮凍利先輩は三年前までは、探偵じゃなくて刑事を仕事にしていて、私たちの直属の上司だったんだよー。ねぇ、アンちゃん」
煮凍利さんが、元刑事......。
あの人が、三年前までは刑事として、犯罪者を懲らしめ、街の平和を守っていたなんて、信じられない話だな。
今や、初対面の女子高生に金をねだり、酒を買うような人間になってしまったとは、言わないようにしておこう。
「それで、太仂さんは眼鏡の嬢ちゃん連れて、なんの用でここに? それに二人はなんの関係なん? なぁゼンちゃん」
「制服着てるってことは未成年ってことだよね。怪しい......一応手錠かけとく? ねぇ、アンちゃん」
「やめろ。こいつは傾柊明。まぁなんだ──俺の臨時助手だ。俺たちは鼠娘について調べにここまで来た」
瓶に入った酒を口に流し込みながら、煮凍利さんは言う。
酒瓶をラッパ飲みするなんて、ここまで行くと常軌を逸している。
「いい飲みっぷりのとこ悪いですけど、正直鼠娘に対しては、私ら警察もあんま手を出せへんのです」
「手を出せない? それはどういうことだ?」
「鼠娘が確実に起こしたとされる事件がないんですよねー。斬血・剪定刀の窃盗事件も犯人が鼠娘だという確証がないしー」
獅子堂さんと樽前さんは、お互いに名前呼び合わなくても喋れるんだな。
なら、最初からゼンちゃんアンちゃんって最後につける必要あったか?
下手なキャラ付けはキャラを扱いにくくするだけだから、早めに取っておいて正解だ。
なんだか、これから鼠娘の話になりそうな気がしてきた。
マズイな、私は鼠娘について何も知らない。
このまま、鼠娘の話に入られると、ついていけなくなってしまう。
聞いておくか?
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だと言う言葉もあるからな。
一応聞いておこう。
「あ、あの......私、鼠娘についてほとんど知らなくて......教えてくれませんか......?」
「これに関しては俺からも是非教えて欲しいものだ。俺も鼠娘についてはニュースの情報しか知らないからな。現職の警察であるお前たちしか知りえない情報を教えて欲しい」
煮凍利さんがそう言うと、獅子堂さんと樽前さんは互いを見合い、苦い顔をしたが、
「うーん、本来なら無関係の一般人には事件についての情報を伝えたらあかんねんけど──私らの名乗り台詞をカッコイイって言ってくれた傾ちゃんのお願いなら仕方なく聞いたるわ。なぁ、ゼンちゃん」
「そうそう、ほんとは口外禁止なんだけどねー。傾ちゃんだから言うんだよ。煮凍利先輩は傾ちゃんに感謝しなよー。ねぇ、アンちゃん」
なんだか、かなり好かれてしまっている。
私はただ思ったことを口に出しただけなんだけどなぁ。
まぁ、まぁ貰えるもんはなんでも貰っておいた方がいいからな、棚ぼた棚ぼた。
「ちなみに、傾ちゃんは鼠娘事件についてどれぐらい知っとるん?」
「いや......それが、ほとんど何も知らなくて。鼠娘──って名前も今日知りまして」
「そうかぁ、なら鼠娘について最初から教えて上げんとなぁ」
獅子堂さんは履いている支給のスカート(今でもまだあるんだな)のポケットからスマホを取りだして。
「鼠娘事件。その発端は三週間前、四月三十日。鹿目市で開かれたある芸術家の個展に予告状が届いたことから始まった事件なんや」
獅子堂さんが見せてくれたスマホの画面にその時、個展に置かれた鼠娘の予告状が写ってあった。
絵画の横に刺さった一枚の予告状。
──四月三十日、今宵の月が堕ちる頃に絵画『四十世紀少女の黙示録』を頂きに参上いたす、怪盗鼠娘──
予告状には筆で達筆に書かれてあった。
「口調だったり、筆で書いてあったり、アルセーヌ・ルパンやモリアーティみたいなザ・怪盗のイメージとはかなり違いますね」
「そうだよねー、石川五右衛門とか鼠小僧の方がイメージは近いかもねー。まぁ、鼠娘って名前も鼠小僧から取ってるだろうけど」
「それで、四十世紀少女の黙示録って名前の絵画は盗まれたんですか? 」
「それが──盗まれへんかったんや。その日の晩、私らトゥウィンクル☆シスターズも出動して、警察総出で鼠娘が絵画を盗まへんか監視してたけど、鼠娘は姿も表せへんかったわ」
ええ感じにいってる男とのデート断ってまで出勤したのに。
と、地面を踏み鳴らす獅子堂さん。
怪盗が予告状を出しておいて盗まないどころか、事件現場に姿も出さないなんて。
アリなのか、こんなこと。
「それで私ら警察も、頭のおかしい奴の悪質なイタズラかなんかやと考えてたその一週間後──」
「また新しく、鼠娘からの予告状が来たんだよー。確かここ巴市の隣にある、百江市だったけー? そこに住むある富豪の枕元に予告状は置かれてあったんだって」
獅子堂さんがスマホをスクロールして出てきたのは、鼠娘の二件目の予告状。
──今宵から四日後、暁が街を照らす時、貴方の持つ『乙事主の泣き黒子』を頂きに参上いたす、怪盗鼠娘──
「それで、乙事主の泣き黒子は──」
「これも──盗まれへんかった。でも、重要なんはここやあらへんねや。二件目の事件、予告状は富豪が寝ていた寝室、その枕元に置かれてたんやけど、富豪の寝室には窓は一個もなかった、と。つまり鼠娘は一度何らかの方法で富豪の家に入り込んでいる。それが何を意味するかは──」
「盗めたのに、敢えて盗まなかった」
枕元に予告状を置くには、何らかの方法で寝室に侵入しなくてはならない。
同じく、寝室に侵入するには屋敷に侵入しなくてはならない。
屋敷に侵入できる力があるのなら、わざわざ予告状を出すなんて遠回りをせずに、屋敷に入った時に盗んでしまえばいいのに──
それをしない。
それは何故なのか。
盗まない理由があるのだろうか。
「鼠娘は何が目的なのか、そこが一番分からないだよねー。予告状を出して盗むのを忘れたおマヌケさん、それとも予告状を出すだけのただの狂気的な愉快犯、はたまた鼠娘という存在に警察の注意を集めて、裏で何かを企んでいる奴か」
確か弥生さんも、鼠娘は裏で何かを企んでいる犯罪組織の仮の名前だと言っていたな。
「そんなことを考えてた時、事件は起きたんや。三日前、ここの美術館から『斬血・剪定刀』っていう刀が盗まれた事件。でもこの事件には、鼠娘からの予告状は届いてなかったんや」
「鼠娘の本当の目的は斬血・剪定刀を盗むことで、今まで二回の予告状は、警察の目を緩ませる為にやっていたという可能性は?」
「警察内にこの考えも浮かんだんだけどねー。でも、斬血・剪定刀を盗んだ犯人が鼠娘じゃないって結論付けれる物が、ここにあるんだよ──」
煮凍利さんの発言で、上手くチグロちゃん(斬血・剪定刀)を盗んだ犯人を鼠娘に置き換えられないかと思ったが、無理みたいだった。
チグロちゃんを盗んだ犯人を鼠娘ではないと結論付けれる物、として樽前さんが出したのは、一枚の文書だった。
「ゼンちゃんが持ってるこれ、何かわかる?」
「樽前が持っている紙、それはもしや鼠娘からの予告状か?」
「大正解やなぁ、太仂さん。これは二日前に私らの元に届いた鼠娘からの予告状。私とゼンちゃんが鼠娘捜索の一陣張ってるから私らに送り付けてきたんやろけど、私らが鼠娘事件に深く関わってるっことを知ってるってことは、少なくとも事件現場近くまでは来ていっちゅー話や」
樽前さんが持ってる鼠娘からの予告状を開くと、
──五日後の、日出処時に巴市立博物館に置かれた『青蝦蟇の大壷』を頂きに参上いたす、怪盗鼠娘──
「この『青蝦蟇の大壷』は巴市美術館の常設展示品のひとつらしくて、もし鼠娘が斬血・剪定刀を盗んだ犯人なら同時にこれも盗めばいい話だからねー。だから、私たちは鼠娘が斬血・剪定刀を盗んだ犯人じゃないって思うんだよー」
「それで、今回狙われた青蝦蟇の大壷はどんな代物なんだ」
「私らが知ってるのは、この持ち主が、ヴァニタスマトリクス社の若社長である杜若さんやって話しか知らんなぁ」
やばい、ヴァニタスマトリクス社も杜若さんも何も知らない。
鼠娘についても知らなかったり、もっとニュースとか見た方がいいのかなぁ?
「杜若此岸。若くして巨大企業であるヴァニタスマトリクス社の社長になったその優秀さは業界でも非常に高く評価されているが、ヴァニタスマトリクス社には多くの黒い噂が──」
「阿呆抜かせっ! 今本人ここに来てんねん!」
獅子堂さんが煮凍利さんにフルスイングで拳を振り下ろした時、私の後ろから一人の男の人の声が。
「何やら人が集まっていると思ったら、貴方たちか、獅子堂さんに樽前さん」
「かッ、杜若さんッ! このおっさんが変な事言っていてすんません! そんなことないってわかってますので!」
獅子堂さんに頭を押され、何度も頭を下げさせられる煮凍利さん。
さっき見たな、このシーン。
「別に何も聞こえていなかったから、謝らなくていいさ」
杜若さんは私と煮凍利さんの間、私の左隣にやってきた、深い紫色のシャツに身を包んだ冷徹で聡明そうな顔立ちの男性。
彼こそが、杜若 此岸であった。




