始── 其ノ壱 「未知との遭遇」
高校二年生。それは実に難儀な時期だと私は思う。新しい友達関係や学校行事などにより引き起こされる高校一年生の時の楽観さと、迫り来る大学受験や複雑と化す定期考査などにより引き起こされる高校三年生の時の悲観さが混ざり合い、自分自身が子供なのか大人なのかも分からなくなってしまう年頃だ。
そんな難儀な高校二年生の生活が始まって早一ヶ月程たった、五月の第二月曜日の放課後。この私、傾柊明は真面目に自習をするでも、友達と談笑するでもなく、人が誰一人立ち寄らない路地裏にて、暴漢に襲われている。
はぁ、こんなはずじゃなかった。今日は図書室で読書に耽っていたら、下校が遅くなってしまい、駆け足気味に帰宅していたのだ。
そして、普段なら通らない道に急ぐあまり、今日は通ってしまった。
近道である路地裏を、薄汚れた路地裏を、以下にも危険な路地裏を。
路地裏の半分ほどまで行った頃、いきなり背後から何者かの手によって、私の口と鼻は塞がれた。
私は本能的に逃げようと体を捩ったが、脚を絡められ、全身をガッチリとホールドされて、身動きを取ることすらままならない。
そして今に至るという訳だ......。
何が近道だ、私のバカ。
もしも、デロリアンで過去に戻れるなら、過去の私にドロップキックでもお見舞いして、無理やりにでも道を変えさせただろう。
しかし現実の私は口を力強く押さえつけれられて、叫び声をあげるどころか、呼吸もマトモにできない。
今の私に出来るのは、首筋にかかる暴漢の荒い鼻息の周期を考えるぐらいだ。
......アア......なんだか、そんな冗談も言えなくなる程、頭が......ク、クラクラしてきた......。
「......っん!......んぐぅぅ......!? 」
暴漢は私の口を抑えている手とは反対の手を使い、私の尻を強く掴んだ。
叫び声をあげようが、それは全て暴漢の手の中に吸い込まれてしまった。
いや、痛い、痛い。いくら何でも此奴の力が強すぎる。私の尻の肉を握り潰さんとばかりに力をかけてくる。
うう、なんで私なんだ。私みたいな地味陰キャなんかよりもっと可愛い子はいるだろうに...。
段々、喉が詰まるような感覚が強くなってきたし、身体が徐々に動かなくなってきた...。
アア......視界もバチバチとボヤけ......て......きた......私はこの男に......今から何されるんだろうか──────
カツ、カツ、カツ、カツ、カツ、カツ、
静寂の路地裏に金属音のような足音が響く。
路地の入口に人影。
私はボヤつく視界でその人影にピントを合わせた。
その男は全身を西洋風の真っ赤な板金鎧で包み、頭は赤い鹿か竜の頭蓋骨を模した様なような被り物を着け、眼窩からは黄色の双眸がギロリと光る。
「そこのお前、その少女を離せ。 さもないと、後悔することになるぞ!」
鎧の男が言葉を発すると、彼のつけている被り物の口が同じように言葉に合わせて動いた。被り物じゃなくて本当の頭なのか? それは。
邪魔をされ怒ったのか暴漢は、私を路地の壁に突き飛ばした。もう少しぐらいは丁重に扱って欲しい...。
「ハァ...... ハァ...... ハァ...... スゥゥゥゥ...... ハァ......」
水を得た魚のように酸素を肺に送る。
或程度、呼吸が整ってきた所で、突き飛ばされた拍子に床に落ちた眼鏡に傷がついていないことを確認し、かけた。
うつらうつらとしながら、今まで私を捕らえていた暴漢の姿を確認すると、その姿は人では無かった。人の形はしていたが、人ではない。
口は耳元まで裂け、目は焦点が定まらず、背中全体に大きな棘が複数生えている、まさに化け物という言葉が相応しい姿だった。
「......グギャアアア......!!」
化け物は咆哮を上げ、鎧の男に襲い掛かる。
鎧の男は迫ってくる化け物を見ながらも、至って冷静な態度で、自身の右肩から右腕の装甲を取り外した。
すると、中は皮と肉により構成された腕ではなく、鉄と鋼で出来た機械の腕だった。
その腕は、ただの機械の腕ではなく、刃物のように鋭利な腕である。
鎧の男は、刃の様な金属質の爪を立て、襲いかかる化け物の腹をその犀利な爪で切り裂いた。
私の視界は化け物の腹から噴き出す血飛沫の赫で染まる。
「ガギャッ......!! グァッグ......!!ギャアル......!」
化け物は呻き声にもならない声を上げ、蹲って自身が作った血溜まりの上でバシャバシャと蠢く。
鎧の男はそんな事に構わず、背を屈め姿勢を低くし、追撃に準備をする。
その姿は、世界大会に出場した陸上選手の如く、獲物を狙う肉食獣の如く、獰猛で洗練されていた。
「グルルルルル」
化け物が立ち上がり、反撃しようとした瞬間、その瞬間。
路地裏に鎌鼬が通ったかのような旋風が吹いた。
汚い煙埃が散り去った後、視界に映ったのは、腰辺りで綺麗に上下に分断された化け物の下半身のみだった。
目線を下半身の後ろに移すと、残りの上半身を踏みつける鎧の男が。
この男が斬ったのか?目で追う事すら出来なかったスピードで......。
すると、化け物の身体は徐々に煙のように消えていき、男の足が地面に落ちる音だけが路地に響いた。
私は何が何だか理解が出来ない。いきなり化け物に襲われ、謎の男に助けられ、化け物は塵になって消えていった。
「......ここで見た事、起きた事は全て忘れろ。」
男はこの自身の身体の如く、冷たく鋭利な口調でそう言い放つと、腕の装甲の置いてある路地の入口へと歩いていく。
ただ彼の背中を見ることしか私には出来ない。
それでいいのか?私。化け物に捕まっていた所を助けてもらったのに。それなのに私は彼の名前も知らず、感謝も出来ずに、言われた通りにこの事を忘れようと日常を生き、受験をし、社会に出て、何年、何十年と生き、いずれは彼の姿も、この事すら忘れて死んでいくのか?
そんなことは、嫌だ。
人間は土壇場になると、考えるより先に体が動くらしい。
私は無意識のままに地面を這いつくばりながらも、男の手を握った──。
「あああああああっ!!」
馬鹿か私は。いくら酸欠で脳が回ってなかったとしてもだ。さっき見た事だろ、この男の手の鋭さは。
掌からは勢い良く血が迸っている。
「だ、大丈夫か!?」
男はさっきまでの冷徹な態度とは売って変わり、アタフタしながら私に声をかけた。
「い、痛い......」
痛すぎて、涙が流れてしまった。今の私にピッタリな言葉がある。それは、愚女。
痛みに悶えながら恐る恐る掌を確認すると、綺麗にパックリと割れていた。こんな大怪我したのは、中学生の時に車に轢かれた以来だ。
「水と、何か傷を圧迫するような物は持ってないか? 」
「それなら......カバンの中に、水とハンドタオルがあります......」
男は急いで腕の装甲を付け、私のカバンから水とハンドタオルを取り出す。
「手をこっちに差し出してくれ」
「はっ、はいッ!」
私が男の前に掌を差し出すと、男はペットボトルの水を掌にかけた。
劈くような痛みが稲妻のように全身を駆け回り、唇を強く噛み、耐える。
それから男は手際よくハンドタオルを傷に巻くように押し付ける。圧迫止血と言うやつだ。
「ふぅ 応急処置であるが一応はこれで安心だ」
その男の口調はさっきまでとは違う、とても人間らしい温かみがあった。
「あ、ありがとう......ございます......」
「あぁ、別に大丈夫だ。 しかしお前、どうして俺の手を握ったんだ? 」
そんなの、そんなの、理由はひとつしかない。
「それは......貴方に感謝がしたかったからです。化け物から私を救ってくれたことに」
そう言うと男は何か驚いた様な顔で、
「あぁ、あぁ、そうか、そう......なのか、いや、ならそれでいいんだが......」
「お前、名前はなんて言うんだ?」
「私の名前は、傾柊明です」
男は私の名を小さく何度も繰り返した後、男は一拍置き、口を開く。
「俺の名前は......戦刃通剣だ」
その男 戦刃通 剣との出会いによって、私の人生は大きく変わった。




