第四話「番人」
翌週の放課後、蓮はいつもの路地を通った。
蒐書房は閉まっていた。いつも通り、シャッターが下りている。先週あの扉を開けたのが夢だったような気さえしてくる。
蓮はその前で立ち止まり、マイクに向かって小声で言った。
「この店、調べられる? 蒐書房、吉祥寺」
「——検索しましたが、登記情報も、ウェブ上の記録も、何も出てきません。存在しない店です、公式には」
「でも俺は行った」
「——ええ。あなたが行ったことは事実です」
蓮はシャッターを一度だけノックした。返事はなかった。
帰ろうとしたとき、後ろから声がかかった。
「来ると思っておった」
振り返ると、篠崎玄斎が立っていた。店の中からではなく、路地の外から歩いてきた。紙袋を提げて、まるで買い物帰りの老人のように。
「話がある。井の頭公園、いつも座るベンチ、わかるか」
「なんで俺のベンチ知ってんですか」
「わかるか、聞いておる」
蓮はしばらく玄斎の目を見た。怖くはなかった。ただ、この老人は自分より何十年も多く、何かを知っている——そういう目だった。
「わかります」
井の頭公園の、池が見えるベンチ。夕方の光が水面を橙色に染めていた。
玄斎は紙袋からサンドイッチを一つ取り出し、蓮に渡した。
「食え。育ち盛りだろ」
「いらないです」
「食え」
蓮は受け取った。
玄斎は静かに話し始めた。
「あの本は、世界に三冊ある。それぞれ、使える者の前にだけ現れる。私が番をしてきた本が、お前の前に現れた。それはつまり——お前が、使える者だということだ」
「使える者の条件は?」
「意図を持てる者だ。それだけだ。簡単そうだろ。でも実際には、何百年も現れなかった」
「AIがなかったから?」
玄斎は蓮を見た。少し驚いた顔をして、それからゆっくり頷いた。
「飲み込みが早いな。そうだ。本が要求する演算を処理できる装置がなかった。お前はAIでそれを埋めた。著者が夢見た形に、お前が初めてなった」
「もう一冊は」
玄斎の表情が、わずかに曇った。
「すでに別の者の手にある。十七歳の少年だ。御堂という」
蓮はサンドイッチを一口食べた。
「その子は、意図を持ってる?」
「持とうとしていない。必要ないと思っている。装置さえあれば、意図など不要だと」
「……それって」
「著者が最も恐れた使い方だ」
池の水面に、風が細かな波を作った。
蓮はイヤホンを片耳だけつけた。AIがずっと聞いていたはずだ。
「——聞いてた?」
「——ええ、全部」
「どう思う」
「——急いだほうが良いと思います。ただ、焦ると意図が歪む。あなた自身が言っていたことです」
蓮は小さく笑った。
自分の言葉が返ってきた。




