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1話「灰色の街にて1」

「——行き先について、いくつか確認をしてもよろしいですか」


白い虚空の中で、オリヴィアは目の前に浮かぶ光の輪郭に向かって問いかけた。


光は答えなかった。正確には、少し間があった。この沈黙の長さで、相手の性格がおおよそ分かる。今回の派遣元は、気長なほうではないらしい。


「手短にな」


低く、性別の判然としない声が返ってきた。前回の神はもう少し愛想があった。その前は、そもそも会話すら成立しなかった。神々にも個性というものがあるのだと、回を重ねるたびに思う。


「その世界には、魔術の体系はありますか」


「ある」


「人間は存在しますか」


「いる」


「私がそこで活動することに、何か制約は」


「報告さえ上げればいい。方法は任せる」


淡泊な返答だった。情報が少ないのはいつものことだ。オリヴィアは小さく頷き——外見上はほとんど表情を変えないまま——手にしたスタッフを握り直した。


先端の二股に挟まれた琥珀色の水晶が、虚空の光をかすかに反射している。その上に嵌められたひし形のエメラルドは、今は沈黙していた。魔力の貯蔵は空。新しい世界で、まず確保しなければならないもの。


「では、もうひとつだけ」


光の輪郭が揺らいだ。急かされている、とオリヴィアは判断した。


「……いえ、やめておきます。行ってまいります」


聞きたかったのは、なぜ自分なのか、ということだった。


だが、これまでの経験上、その問いに答えた神はいない。聞いたところで返ってくるのは沈黙か、論点をずらした言い回しか、あるいは「お前が適任だから」という何の説明にもなっていない一言だけだ。


光が膨れ上がり、足元から世界が崩れた。


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落ちる感覚はなかった。


ただ、白い虚空が色を帯びて、匂いが生まれ、空気が肌に触れた。それだけの変化で、オリヴィアは別の世界に立っていた。


丘の上だった。


眼下に、なだらかな草原が広がっている。遠くに灰色の城壁を持つ街が見えた。空は薄く曇り、風は乾いている。季節でいえば秋の終わりか、冬の始まりか。


オリヴィアは深く息を吸い、口元をわずかに緩めた。


新しい世界の空気は、いつも独特の味がする。


これは——少し、煙の混じった匂いだった。遠くで何かを焼いた名残のような。篝火か、あるいは。


周囲を確認する。人の気配はない。丘の斜面には轍の残る細い道が延びていて、あの灰色の街に続いているようだった。道沿いに荷車が一台、横倒しになっている。荷物は散乱し、しかし人の姿はない。


オリヴィアは荷車に近づき、しゃがんで轍を指先で触れた。土は乾いている。数日は経っているだろう。荷の中身は布製品と、割れた陶器。略奪された形跡はなかった。慌てて荷を捨て、逃げた——ということだろうか。


何から。


立ち上がり、スカートの裾についた枯れ草を払う。ケープの留め具——エメラルドのブローチが新しい世界の光を受けて鈍く輝いた。認識を補完する加護は正常に機能しているようだ。この世界の住人には、自分はおそらく「旅の若い女性」程度に映るはずだった。


まずは、あの街へ向かおう。


--------------------------------------------


街の名前は、門に刻まれた文字から「ラーヴェル」と読めた。


認識補完の加護は言語にも作用する。文字が読め、言葉が通じるのは便利だが、たまに微妙なニュアンスを取りこぼすことがある。それも含めて、慣れるしかない。


門番は二人いた。武装している。剣と——魔術的な紋様が刻まれた腕輪。この世界の魔術の形式のひとつかもしれない。目に留めておく。


「旅の方ですか」


門番の一人が声をかけてきた。警戒はしているが、敵意はない。加護が正常に機能している証拠でもある。


「はい。少し立ち寄らせていただければと思いまして」


「物騒な時期ですよ。ひとり旅は勧めません」


「ご忠告、感謝します」


オリヴィアは軽く頭を下げた。門番はそれ以上追及せず、通してくれた。


街の中に入ると、まず旗が目についた。


建物の壁、窓枠、街灯の柱——至るところに、同じ紋章の旗が掲げられている。剣と冠を組み合わせた意匠。色は青と銀。王家の紋章か、あるいは——。


旗の下に、小さく添えられた文言を読んだ。


『聖勇者グランヴェルドの遺志を継ぐ者、アストリア王国に栄光あれ』


勇者の名を冠した国の旗。この街は、その国の領土ということだ。


通りを歩きながら、オリヴィアは街の空気を読み取ろうとした。人通りはそれなりにあるが、歩く人々の表情は硬い。商店は開いているが棚に隙間が多い。子供の姿がほとんど見えない。大通りの一角には、武装した兵士の一団が立ち話をしていた。


——安定していない。


もう少し情報が必要だ。だが、旅人がいきなり政治的な話題を振れば怪しまれる。まずは自然な接点を見つけなければ。


視界の端に、小さな食堂の看板が映った。木の板に、湯気の立つ鍋の絵が素朴な筆遣いで描かれている。


足が自然にそちらへ向いた。


--------------------------------------------


食堂は狭いが清潔だった。


カウンター席がいくつかと、奥に小さなテーブルが三つ。客は自分を含めて四人。昼時を過ぎているから、この程度なのだろう。


カウンターの向こうで、恰幅のいい女性が鍋をかき混ぜている。


「何にする?」


「おすすめを、お願いします」


「おすすめも何もね、今日はシチューしかないよ。パンはつける?」


「お願いします」


待つ間、店内を観察した。壁に掛かった海辺の風景画。カウンターに置かれた花瓶に、枯れかけた野花が一輪。奥のテーブルでは二人の男が低い声で話し込んでいた。


聞き耳を立てるつもりはなかった。だが、声は自然と耳に入ってくる。


「——アストリアが聖剣を見つけたって話、本当なのか」


「さあな。だが王宮が動いてるのは確かだ。北の国境に兵を増やしてる」


「ヴェルムスタッドが黙ってないだろう。あそこも聖勇者の末裔を名乗ってるんだから」


「末裔だの遺産だの、もう三十年だぞ。いい加減にしてくれよ」


片方の男が、うんざりした声で言った。もう片方は黙って杯を傾けた。


三十年。魔王が倒されてから、それだけの時間が経っている。勇者一行は神格化され、その遺産を巡って国が争っている——旗の文言と合わせれば、輪郭は見えてくる。


オリヴィアの前に、シチューが置かれた。


白い陶器の皿に、とろりとした褐色のシチュー。大きく切られた根菜と、ほろほろに煮込まれた肉。隣に、ほどよく焼き色のついたパンが一切れ添えられている。


一口、掬って口に運んだ。


——おいしい。


塩気がしっかり効いていて、肉の旨味が根菜の芯まで染みている。パンを千切ってシチューに浸すと、褐色の汁をぎゅっと吸い込んで、また違う味わいになった。オリヴィアは表情こそほとんど変わらなかったが、スプーンを動かす速度がわずかに上がっていた。


「おいしいです」


「そうかい」


店主の女性は素っ気なく答えたが、口元がかすかに綻んでいるのが見えた。

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