第48話 〜数字〜
十月の最終週。
月曜日の朝。
恵比寿のオフィスで、山下さんと月次のミーティング。
「会長、十月の数字をまとめました。全体を俯瞰しますと、各事業ともに堅調です」
山下さんが、ファイルを開いた。
「まず、FORECASTです。十月の有料課金者数は、八千百人。先月から百人減ですが、減少幅はほぼ横ばいです。小林さんのコラム配信が定着して、解約率が大幅に改善しています。新規登録者も微増傾向に転じました」
「底が見えてきたか」
「はい。月商は広告含めて約七百八十万。ピーク時からは二割以上減ですが、事業としては安定圏内です。新エンジニアの宮本さんが運用を引き継いだことで、小林さんが研究に専念できるようになったのが大きい」
「小林さんの新しいアルゴリズムは、どこまで進んでる?」
「先週、小林さんと話しました。マルチモーダルモデルの基盤設計が終わったそうです。オッズの変動パターンと天候データの取り込みに着手していて、年内にはプロトタイプのテストまで行きたいとのことでした」
「小林さんが年内って言うなら、年内だろうね」
「はい。あの方は、自分の能力に対して正確です」
*(小林さんは、嘘をつけない人だ。だから、言葉に信頼がある)*
「不動産。十月も全物件稼働。賃料収入は百九十七万。高輪の新テナントも順調に営業しています。特段の問題はありません」
「安定してるね」
「ありがたいことに。不動産は、動かないのが一番いい」
山下さんらしい言い方だった。
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「次に、KY Liveです」
山下さんが、藤原さんから預かった資料を開いた。
「十月の数字は、劇的な伸びです。ギフト連動ミネクラ配信を三回実施して、三回とも同時視聴三千人を超えました。切り抜き動画の累計再生回数が、五百万回を超えています」
「五百万回」
「はい。KY Liveの公式アカウントのフォロワーは、九月末の八百人から、十月末で一万二千人に急増しました」
一ヶ月で一万二千人。
配信事務所としては、異例の立ち上がりだ。
「所属ライバーの個別データです。水野まりさん:フォロワー六千八百人。同時視聴平均八百人。安定した伸びです。水沢アンさん:フォロワー三千二百人。同時視聴平均四百五十人。初月としては高い水準です。佐々木拓也さん:フォロワー四万一千人。ギフト連動ミネクラの効果で、先月から一万八千人増です」
「佐々木さんの伸びがすごいね」
「はい。ゲーム配信とギフト連動の組み合わせが、TikTokのアルゴリズムに刺さっています。藤原さんの企画力が、数字に直結しています」
「企業案件は?」
「水野さんに、コスメブランドのPR案件が一件決まりました。報酬は三十万円。事務所の取り分が三十パーセントで、九万円です。水沢さんにも、飲食店のPR案件の打診が来ていますが、フォロワー数がもう少し増えてからの方が条件が良くなるので、藤原さんが時期を見ています」
「いい判断だ。焦って安い案件を受ける必要はない」
「はい。藤原さんと河村さんのコンビは、かなり機能しています。河村さんは、スカウト候補の四人目にもアプローチを始めているそうです」
*(KY Liveが、形になってきた。数字が、その裏付けだ)*
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「最後に、ナカジマ精工です」
「松田さんから、報告が来ています。大手医療機器メーカーからの試作案件が完了しました。クライアントの評価は、極めて高い。チタン合金の微細加工で、要求精度を上回る仕上がりだったそうです」
「それは嬉しい」
「はい。先方から、継続的な取引の打診が来ています。加えて、松田さんが以前から進めていた超小型インペラの試作が、第三段階に入りました。大学の研究チームとの共同実験で、先月のテストでは動作安定性が前回比で三十パーセント向上しています」
「長期戦だけど、進んでるんだね」
「はい。松田さんは『まだ道の途中です。でも、方向は間違っていない』とおっしゃっていました。技術者らしい言葉です」
*(松田さんは、派手なことは言わない。でも、着実に結果を積み上げる。小林さんと似ている。技術者は、皆、そうなのかもしれない)*
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「全体をまとめます」
山下さんが、一枚のサマリーシートを見せた。
「KY Holdingsの十月末時点の法人口座残高は、約五千三百万円。FORECASTの収益が安定し、不動産も全室稼働。人件費増を吸収して、なお黒字です。KY Liveは投資フェーズですが、ギフト収入と企業案件の増加で、来年には単月黒字が見えてきます。ナカジマ精工は、受注増で収益が改善傾向です」
「いい流れだ」
「はい。会長が年初に仰っていた『全部の事業を、それぞれの担当者に任せて回す』という構造が、機能し始めています。FORECASTは小林さんと宮本さん。不動産は西村さん。KY Liveは藤原さんと河村さん。ナカジマ精工は松田さん。各事業の責任者が、自分の判断で動ける体制になっています」
「俺は、何もしてないね」
「いいえ。会長の仕事は、人を見つけて、場を作って、金を用意することです。それを、会長はずっとやっています」
山下さんが、珍しく、はっきりとした口調で言った。
*(山下さんに、そう言ってもらえるのは、素直に嬉しい)*
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ミーティングが終わった。
午後は予定がない。
恵比寿の街を歩いた。
十月末の東京は、秋が深まっていた。
街路樹が色づき始めて、歩道に落ち葉が舞っている。
コンビニに寄って、コーヒーを買った。
出口で、女性とすれ違った。
三十代くらい。疲れた顔をしていた。
片手にコンビニの袋、片手で小さな子どもの手を引いている。
子どもは三歳くらいか。ぐずっていた。
「ママ、おなかすいた」
「ちょっと待って。もうすぐご飯作るから」
女性の声が、切羽詰まっていた。
コンビニの袋の中身が、少し見えた。
おにぎりが二つ。カップ麺が一つ。
*(……)*
何か言おうとした。
でも、言葉が見つからなかった。
知らない人に、何を言えばいいのかわからなかった。
女性と子どもが、歩いていった。
小さな背中が、人混みの中に消えた。
*(俺は今、何億もの金を動かしている。でも、あの人とあの子には、何もできない)*
*(何もできない、のか?)*
立ち止まった。
コーヒーの紙カップが、手の中で温かかった。
十月の風が、少し冷たかった。
*(……今は、考えるだけにしておこう。でも、忘れるな)*
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夜。
吉野さんの車で、多摩川に向かった。
多摩川競艇場。
ナイター開催。
競艇場は、水の上の世界だ。
ボートのエンジン音が、水面を震わせている。
照明に照らされた水面が、白く光っていた。
指定席に座った。
ビールと、たこ焼きを買った。
時計が温かくなった。
握った。
第九レース。
一号艇がイン逃げで先行。三号艇が差して二着。六号艇がまくり差しで三着。
3連単。1-3-6。
出走表を見た。
一号艇は、A1級の選手。勝率七点台。インコースの成績が特に良い。
三号艇は、B1級だが、展開次第で上位に食い込む選手。
六号艇は、モーターの調子が良い。前検タイムが出走メンバー中最速。
*(一号艇のイン逃げ。堅い軸から、穴を拾う)*
3連単。1-3-6。
五万円。
レースが始まった。
大時計が回って、スタートのタイミングが迫る。
六艇が、一斉にスタートラインに向かって加速した。
一号艇が、インから好スタートを切った。
第一ターンマーク。一号艇が内側から旋回して、先頭に立つ。水しぶきが上がった。
三号艇が、二番手につけた。
六号艇が、外からまくり差しを狙って、大きく舟を外に振った。
バックストレッチ。
一号艇がリードを広げる。
三号艇が追うが、差は縮まらない。
六号艇が、じわじわと三番手に上がってきた。
最終周。
一号艇がそのまま逃げ切った。
三号艇が二着。六号艇が三着。
1-3-6。確定。
払い戻し。
3連単。配当、五十八倍。
五万円が、二百九十万円。
*(堅いレースだったが、一号軸の穴三着で配当がついた)*
水面に映る照明を見ながら、ビールを飲んだ。
ボートのエンジン音が、遠くで唸っていた。
*(今月は、事業の数字が良かった。ギャンブルの数字も、悪くない。でも、さっきの女性と子どもの姿が、まだ、頭から離れない)*
吉野さんの車に乗って、タワーマンションに帰った。
リビングで、スマートフォンを開いた。
何となく、検索した。
「日本 相対的貧困率」。
「シングルマザー 生活保護」。
画面を、しばらく見ていた。
*(……数字は、人の顔をしていない。でも、あの親子は、数字の向こう側にいた人だ)*
スマートフォンを閉じた。
窓の外に、東京の夜景が広がっていた。
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**── 残高メモ(第48話)──**
*全事業月次レビュー。FORECAST底打ち傾向。KY Live急成長(公式フォロワー1.2万、企業案件獲得)。ナカジマ精工の試作品が高評価。多摩川競艇ナイター的中。*
### 個人資金(桐島遊馬)
| 項目 | 金額 |
|:--|--:|
| 前話末時点 | 約19,512.8万円 |
| 多摩川競艇ナイター 3連単(5万→290万) | +約285万円 |
| 競馬・競艇収入(10月中旬〜下旬・片手間分) | +約180万円 |
| ナカジマ精工 追加出資 | ▲1,000万円 |
| 飲食費・交通費等 | ▲約3万円 |
| **桐島遊馬 個人資金** | **約18,974.8万円** |
### 法人資金(KY Holdings)
| 項目 | 金額 |
|:--|--:|
| 前話末時点 | 約4,783.4万円 |
| FORECAST 10月月次売上(底打ち傾向) | +約780万円 |
| 不動産賃料収入(10月・全物件) | +約197万円 |
| オフィス賃料・人件費等(10月分) | ▲約390万円 |
| 新エンジニア宮本 給与(10月分) | ▲約58万円 |
| **KY Holdings 法人口座** | **約5,312.4万円** |
### KY Live
| 項目 | 金額 |
|:--|--:|
| 前話末時点 | 約452.5万円 |
| ギフト収入合計(事務所分10%・水野/水沢/佐々木・10月) | +約12万円 |
| 企業案件収入(水野コスメPR・事務所分30%) | +約9万円 |
| 藤原誠 月額報酬(10月分) | ▲約60万円 |
| 河村マネージャー 月額報酬(10月分) | ▲約40万円 |
| 水野まり 月額サポート(10月分) | ▲約15万円 |
| 水沢アン 月額サポート(10月分) | ▲約15万円 |
| 佐々木拓也 月額サポート(10月分) | ▲約15万円 |
| **KY Live 法人口座** | **約328.5万円** |
*注:KY Liveの月間支出は約145万、収入は約21万。赤字幅は縮小傾向だが投資フェーズ継続。ギフト連動配信の成長とスカウトによる所属ライバー増で、来年前半の単月黒字が目標。*
### ナカジマ精工
| 項目 | 金額 |
|:--|--:|
| 前話末時点 | 約3,505万円 |
| 受注加工売上(10月分) | +約350万円 |
| 大手メーカー試作案件 残金 | +約80万円 |
| 人件費(従業員14名・社保込み) | ▲約350万円 |
| 研究費・材料費 | ▲約50万円 |
| 工場賃料(桐島個人名義物件) | ▲約30万円 |
| 光熱費・設備維持費 | ▲約40万円 |
| 桐島個人より追加出資 | +1,000万円 |
| **ナカジマ精工 口座残高** | **約4,465万円** |
*注:運転資金が3,500万円を割り込んだため、桐島個人から追加出資1,000万円を実施。*
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*【第49話 へ続く】*




