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19,襲撃


 ……不吉の前兆とは、妙に眼につくものだ。


 まず、朝から天気が悪かった。

 嫌な色の雲が空を押し込んで、閉塞感を覚えるほどに低くなっていた。


 風も強くて、森のざわめきが妙に落ち着かない。


 加えて、極めつけに……、


「……バカな」


 モーニングティーを嗜む最中。

 ミリーは少しだけ眉を顰めた。

 表層は冷静に努めたが、内心は大きく動揺。

 証拠に、その手に持ったティーカップの内部、黄金の水面には波紋が立つ。


「多少細工を加えたとは言え、不朽建材ウグドラ製だぞ……?」


 ミリーが動揺している原因は、まさしくそのティーカップ。


 これはゼレウスが作っていたウグドラ製の雑なウッドコップが元になっている。

 それをミリーが変質変形の魔術で加工して、ティーカップに仕立てた。

 見てくれや触り心地は陶器めいているが、ウグドラ製なのだ。


 経年で朽ちる事無く、火にも腐食にも強い。

 耐衝撃性、耐斬撃性など総合的な耐久力も一級品。


 そのウグドラのティーカップが……、


「欠けている……?」


 ほんのちょっぴり。

 まず肉眼では捉えられない程度。

 だがしかし、ミリーの貴族的に鍛えられた口は、わずかな口当たりの変化からそれを悟った。


「マナは白、望むは慧眼」


 ミリーは自らの肉体に白い魔力光で魔術を施す。

 視覚強化。単純な視力上昇に加えて、己が意識を向けた要素を強調して捉える事ができる概念視力を獲得する術式だ。


「……やはりだ」


 ダニの糞程度の大きさだが、カップのふちが僅かに欠けている。

 昨日までは無かった。昨日もこのカップで飲んだから間違いない。


「……………………」


 前触れなく食器が欠損するのは、古くから不吉の前兆だとされている。

 並の食器でもそれだのに、ウグドラ製の食器が欠損するだなんて大事なら……。


 ――ゼレウスは今、朝食の調達中……。


 つまり現状、何か事が起きれば自力で対処しなければだ。


 ――何が起き得る?


 例えば、この小屋の周囲に魔獣が侵入してくる?


 この小屋と周囲の草原は、魔獣除けの神術によって守られている。

 しかし、人智では測りえない神術とは言えど、だ。

 数千、下手すれば数万年前に行使されたままメンテナンスなどされていないもの。

 いくら神々の恩寵と言えど、僅かな不調やひずみが生じる事は有り得るかも知れない。


 ――何ができる?


 トロル一体くらいなら、どうにか倒せる事は実証済みだ。

 しかし、それ以上である場合はどうする?

 陣設魔術の攻撃型を使えればあるいは……だが、まだまだあれは使い物にならない。


 となると、


「やれやれ。こんなにも早く使う事になるとはね……」


 ミリーはカップをソーサーに戻して、自分のベッドへ。

 ベッドの下に手を突っ込んで取り出したのは、上品な装飾がされた赤い巾着袋。


 中に入っているのは、猛毒だ。


 エメラルドカイランと呼ばれる高級食材の外葉を粉上にしたもの。

 ゼレウスが先日「これ綺麗だし、何かに使えねぇかな?」と持って帰ってきた、


 エメラルドカイランの外葉は翡翠の宝玉のように美しいが、猛毒を含む。

 更に非常に堅牢で頑強。大昔は毒盾として利用されていた。

 そんな代物を完璧な粉末状に削ってしまう邪神の力には脱帽ものである。


 まぁ、ゼレウスに人智が通じないのは今更。

 呆れる気にもなれない。


 ともかく、これは大きな武器になる。

 ミリーは有り難く頂戴した。


 魔獣の跋扈する地域に分布する植物が、自衛のために獲得した猛毒。

 当然、魔獣にも通用するだろう。


 この猛毒粉塵を風の魔術に混ぜて飛ばせば、対個体でも対群でも魔獣相手に優位を取れる。


 使わずに済む平穏な日々の継続が理想的だが。

 理想的な妄想中に殺されてはたまらない。


 ミリーは常に、自衛手段の確保・更新に尽力している。

 ……それでも、どうしようもなく巨大な力で、抵抗も虚しく押し潰されてしまう事はあるが。


(下手だろうが上手だろうが、銃は撃たねば当たらない。虚しくなるかどうか以前の問題として、抵抗を放棄するのは愚策だ)


 次の機会が確実に用意されているのであれば、「次を見据えて潔く撤退」と言うのも作戦のひとつに挙げられる。

 しかし、魔獣にスポーツマンシップを求めて、まともなレスポンスがもらえるだろうか。


 現状に有り得る危機への対応として、徹底的な抵抗以外は有り得ない。


 ミリーが着々と準備をしていると、不意に、小屋のドアが開いた。


「む。なんだ、意外と早かったね」


 魔獣が礼儀正しくドアを開けるはずがない。

 ゼレウスが帰ってきたのだろう、とミリーは安堵しかけて――眼を剥いた。


 小屋に入ってきたのは、ゼレウスではなかった。


 ゼレウスと似たようなフード付きの黒いマントを羽織っているが、彼のものと違って新しいし、ボタンなどの装飾も凝っている。

 貴族が好んで着用するようなシックでモダンなおしゃれ外套だ。


 何より、小さい。

 並の大男より大柄なゼレウスとは似ても似つかない。

 ミリーともそんなに差が無さそうなほどに小柄だ。


「……何者だい?」


 誰だ、と問うよりも、まずは人間かどうかから問うべきだろう。

 ここは特逸級の危険区域、その奥地だ。

 まともな生き物が単身で到達できる場所ではない。


「あなたが、ミリー・ポッパーですね?」


 黒マントの小さな何者かが、存外にも丁寧な言葉で問い返してきた。

 声色は少年のそれ。フードの奥で爛々としている白い瞳は獣のそれだが。


「……肯定はしよう。しかし、質問に質問で返すのは不適切だぞ。対話として破綻する」


 ――何故、私の名を知っている?


 疑問ではあるが……質問に質問を返してきた奴に更に質問をするのもバカらしいので、ひとまずは回答した。


 それに、少し考えてみれば心当たりがない訳でもない。


「自覚はあったが、私はつくづく嫌われ者らしいね」


 ミリーを貶めた連中の刺客。

 そう考えるのが妥当だろう。


 まさか、こんな場所に刺客を派遣するだなんて。

 それも、生きているかどうかも定かではないだろうに。

 ……それでも、念には念を入れて、か。

 そこまで執拗に命を狙われるほどに嫌われていたとは。


 ウイッジリー卿の助言をもう少し早く実にできていれば……と溜息が出そうになる。


 まぁ、今はそんな場合ではないだろう。

 下等連中のナンセンスな執念に呆れるより先に、思考を働かせる。


「察するに、君は冒険者稼業と言う所かい?」


 特逸級危険区域に乗り込む暗殺者がいるとは思えない。

 そこまでの実力を有しているのなら、暗殺なんかで生計を立てる理由が無い。


 であればこの小柄な黒マントは、危険区域へ乗り込む事そのものが生業である可能性が高い。

 実力ある冒険者を暗殺者に仕立てあげた、と考えるのが妥当。


「聡明な御令嬢と聞いていましたが、先ほどから見当はずれですね」

「……なに?」

「僕は間違っても冒険者だなんて夢見がちな人種ではありません。そして、僕がここに来たのは、むしろあなたが好かれているからですよ」

「はぁ? おい、意味がわからな――」


 ミリーの発言中に、小柄な黒マントは動いた。

 タンッと軽快に、天井に頭を擦るくらい跳躍して、ミリーに襲い掛かる。


 徒手空拳――いや、手首、肉の内側に刃物を仕込んでいる。

 小柄な黒マントの手首、肉を裂いて派手に血を散らしながら、隠し刃が噴出する!


 ……その暗器の隠し方は、おそらく、相手に精神的嫌悪感を抱かせる目的もあるだろう。

 人間は自他を問わず、肉体の欠損に対して本能的に多少なりの忌避反応が出る。


 軟弱な相手なら、手首の肉を食い破って刃物が噴出する様を見ただけで動きが完全停止するだろう。


 ミリーも「ナンセンスなやりくちだね」と不快感は抱いた。

 だが、それが動きに影響するほど、素直な人間ではない。


「マナは赤、望むは火球」


 黒マントが降りかかるよりも早く、赤い魔文を虚空に刻み終える。


「づぁ!?」


 魔文から噴き出した炎の塊が、黒マントを飲み込み、その全身を焼きながら天井に叩きつける。

 黒マントはしばらく天井に張り付いていたが、やがてボトッと落下。

 それからぴくりとも動かない。


「おや。存外、大した事がないんだね」


 冒険者ではないと言っていたが、ここまで来れるような手練れ。

 そう簡単には制圧できないだろうと次の魔術を準備していたのだが……。


 まぁ、簡単に済むのなら僥倖だ。素直に喜ぼう。


「……さて、どうしようか」


 一応、加減はした。

 死んではいないだろう。


 命を狙ってくる以上、生かしておくのは危険だが……。


 ミリーの出身国を含め、大体の国では「相手に殺意があったとしても、防衛行動で相手を死に至らしめる事は認め難い」としている。

 正当防衛行動と認定される事もあるが、稀な話だ。

 大体は過剰防衛行動として咎められる事になる。

 現に、ミリーはこうして余裕を以て刺客をあしらった。

 これでトドメを刺すのは、「相手の命を軽視して、己の保身を優先した」と言われてもまぁ理解の範疇。


 追放されたとは言え、貴族の出身として犯罪者になる事は受け入れ難い。


(両手両足の腱を吹き飛ばしておくか)


 その辺りが落としどころだろう。

 黒マントの今後の生活を考えると多少の躊躇いはあるが、そこは仕方が無い。

 自分を殺しにきた相手に、そこまで気遣いをしてやるのもバカバカしい。


 既に血の飛沫があちらこちらに散っているが、これ以上は避けたい。掃除が面倒だ。

 と言う訳でミリーは己に腕力強化の魔術をかけ、黒マントを引きずって小屋を出る。


 相変わらず、空は嫌な色の雲に蹂躙されている。

 いつ雷雨になってもおかしくはない。


 手早く済ませよう、とミリーが黒マントに視線を向けると、


「――!」


 いない。

 ミリーが掴んでいるのは、マントだけだ。


「話通り、魔術の腕は超一流と言った感じですね。命をろうとしない辺り、聞いていたほど冷酷無慈悲ではないようですが」

「なッ……」


 少年の声は、小屋の上から。


 いつの間にか、黒マントはマントを脱ぎ棄てて小屋の屋根に登っていた。


 その姿は声色通りの少年。

 陽光のような金色の髪を短く切り揃え、上品な服を着こなすさまは気品を感じる。

 しかし、その白濁とした瞳から溢れる隠しきれない野蛮さが、すべてを帳消しにしていた。


「……バカな……!?」


 ミリーは目を疑う。

 今の声、あのイカれた瞳。

 つい先ほど、火球で打ちのめした黒マントの中身はあの少年で間違い無い。


 だが……少年には、傷ひとつ無い。

 火傷のひとつも無く……何より、手首にも傷が無い。

 確かに、少年はミリーの目の前で、手首の肉を裂いて隠し刃を取り出していたはずだのに。

 その袖には確かに赤い血染みが付着している、白昼夢でもないだろう。


「良いでしょう、ミリー・ポッパー。悪運だけの雑魚悪党なのだろうと決めつけていましたが、認識を改めます。あなたは雑に掃除できるようなゴミカスではなく、ちゃんと戦って殺すべき悪だと認識しました」


 少年の胸が裂け、腹まで広がり、中から巨大な鉄塊がごとりと落ちた。

 それは、折り畳み式の大鎌。


「!」


 そして……少年の裂けた胸と腹が、閉じていく。

 服に裂け目と血染みだけを残して、傷が消えていく。


「……本当に何者だい、君は……!」

「僕は正義の使者、ヴァンドゥ・ダクター。端的に言って正義の不死身ですので。悪しからず御了承ください」


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