表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本庄青介と冥王の問題  作者: 三宮勉
第一話
9/16

9

 青介の部屋は葵の魔術のせいで外からの音がまったく聞こえない。それでも青介は何かを感じ布団の中から手を伸ばし、携帯で時間をチェックした。時刻は午前二時。妹達ももちろん紫鳳もそれぞれ自室で寝ているはず。彼はパジャマのまま階段を下りた。

 紫鳳が使っている部屋を小さくノックする。

「高崎さん…起きてますか?」

 返事はない。ただ起きないだけという可能性ももちろんあるが、彼は嫌な予感がしてそのドアを開けてしまった。

 ベッドは綺麗に整えられ誰も寝ていない。彼が慌ててスイッチを入れると無人の部屋が照らし出される。まるで初めから誰もいなかったようにがらんとしていた。ただベッドの上に一つだけ置かれた絵馬が彼女がここにいた証拠になっていた。

 青介は急いで自室に戻り葵に電話を掛けた。呼び出し音が鳴る前に回線がつながる。

「葵さん?」

「どうした小僧。紫鳳が暴走でもしたか?」

「高崎さんがいないんです」

「はぁ?……トイレでもいっとるんじゃないか?」

「部屋にいなくて、それであの首から下げてるやつが一個だけ残してあるんです」

「な?小僧、ちょっとそれ写メで送れ」

 電話を切り紫鳳の部屋に戻って絵馬の写メを葵に送ると、間髪入れずに着信がある。

「小僧、ワシのところに向けて穴を開けろ」

「え?無理ですよ。僕、葵さんがどこにいるか分からないですし」

「帝都じゃ、帝都」

「この街の外まではまだ届かないですよ」

「がー…くそっ…三十分でそっちに行くから待っておれ。小僧、お前はそれまで他に何か残してあるものがないか探しとけ」

 そこで通話が切れた。青介は取りあえず言われた通りに家探しを開始するが、出てきたのは枕元に会った携帯だけだった。荷物は綺麗に片づけられ探す場所がほとんどない。時間を持て余し、彼は取りあえずすぐ動けるように普段着に着替えた。

 もうすぐ三十分になろうかというところで、青介が一つ思い出したことがある。帝都からここまでの移動時間だ。どんなに速い交通機関を使っても二時間はかかったはずだ。きっとそれを超えるような魔術でも使ってくるのだろうかと考えていたら、すぐに回答が耳に届いた。

 深夜だというのにあたりに響き渡る大爆音。真昼かと見まがうほどに照らされた庭。青介が慌てて玄関から飛び出ると家のすぐ前にヘリが静止している。十メートルほどの高さがあったが、葵は生身で飛び降りてきた。

 少女は青介の前を素通りすると家の中に飛び込んでいく。紫鳳の部屋に向かったことは想像に難くない。青介もすぐに後を追うと、葵はベッドの上の絵馬を苦々しく見つめていた。

「これだけは発信機の役目をしておるんじゃ…はずしても封印には問題ない…」

 絵馬を鷲掴みにし、小刻みに震えている。

「紫鳳に入れ知恵した奴がおる…小僧、心当たりはないか?」

 ぐるりと振り向いた少女の目は蒼くギラついていた。八つ当たりともいえる、その殺気にも似た波動が彼に向けられた。その瞬間、少女と少年の間に古ぼけた御守りが割って入り、バチッと光ってその場にぽとりと落ちる。

 あっけにとられる青介をよそに、葵は御守りを拾い上げると、それを彼の前に突き付けてドスの利いた声で尋ねた。

「こいつをどこで手に入れた」

「せ…先生から持ってなさいって言われて…」

「先生?学校のか?」

 葵は一瞬考えて青介の手をぐいっと引っ張り部屋を出る。

「そやつの家に…いや、学校へ向かうぞ。紫鳳をどうにかしようと思うたら、それなりにデカい陣が必要なはずじゃからな」

 葵はさも当然といった調子で青介を御姫様だっこすると、軽く跳躍して上空のヘリに乗り込んだ。すぐさまドアが閉まり、青介にはきつい加速度でヘリは闇夜を突き抜ける。


「お前らはここで待機。ワシと小僧とで行ってくる」

 ヘリの中は暗く闇色のアーマーを着込んだ彼らの正確な人数は青介には見て取れなかった。彼らが手だけで葵に返事をすると、少女はまた青介を抱きかかえ今度は飛び降りる。またおかしな魔術を使っているのだろう。ヘリに飛ばされた時よりも衝撃は少なかった。

 しかしそんなことに感心している余裕は少年にはない。事の詳細はまるで分らないのに、葵の焦り具合だけが少年にも伝わる。とにかく紫鳳を探さなければという思いだけが先に走る。

 葵の予想では最初はグラウンドにいるのではないかとのことだった。しかし今そこにいるのは葵と青介だけ。ヘリのライトがあたりを照らすが、あとは校庭を囲むように生えた樹が影を伸ばしているだけだ。

 そこで彼らは次に広い体育館に向かって走っている。

「さすがに鍵がかかっておる……なっ!」

 そのままでは開かないとみて、葵は鉄製の扉を横に蹴り飛ばした。聞いたこともないような轟音と共に扉が中にすっ飛んでゆく。

 そして彼女はそこにいた。

「思ったより早かったわね、葵さん。まだ発信機どこかに付いていたかしら」

 紫鳳はいつも通りの濃紺のスーツを着ていた。その裾をめくったりして内側を確認している。ただ首からは何もぶら下がっていない。

「小僧が気づいて、連絡してくれたんじゃ」

「そ…」

 青介は子犬みたいに紫鳳を見上げていた。けれど彼女はいつものようには微笑んではくれなかった。少し呆れた風に彼を一瞥するとくるりと踵を返して体育館の奥に進む。すぐさま葵は彼女を追おうとしたが見えない壁が少女を押し戻した。

「紫鳳ッ!」

 葵が空間に拳を叩きつけるとガンッと金属にぶつかった様な音が返ってくる。何度も何度も叩くが見えない壁はゆるぎなく、紫鳳の足も止まらない。

「葵さん、高崎さんは何をしようとしているの?」

「あやつ、魔界に行こうとしておる」

「?」

「もう会えない所に逃げようとしとるんじゃ!」

 若干キレ気味に説明すると、葵は袖から一本の鎖鎌を出した。鎖を持って鎌を振り飛ばすと、凍りついたように鎖が一本の棒状に固定された。それが一瞬震えたかと思うと、鎖の隙間から薄桃色の細い触手が無数に生え金属部分を覆い尽くす。わらわらと湧きあがるそれは鎌にまで昇り刃を覆い、さらに覆い形状を五倍以上大きくした。結果的にそれは内臓のように脈動する一本のデスサイズになり、葵がそれをぐるぐると振り回す。

「小僧、耳ぃ塞いでおれ!」

 葵は遠心力を付けたその鎌で見えない壁を切り付けた。ギャリギャリとチェーンソーののような轟音を響かせながら、赤黒い火花を散らすが刃は一点から動かない。しばらく力を込めていた葵だったが弾かれるように後ろに飛んだ。

「小僧、小さくていい。穴開けあけられるか」

 青介はこくりと頷いて、葵が指したところに指を突き立てた。その指は難なく空間に刺さり、力を込めると三センチほどの亀裂を作る。

「上出来じゃ」

 その隙間目掛けて葵が再びデスサイズを振るう。衝撃に少年が吹き飛ばされるが、もはや自分の身などどうでもよかった。次第に遠くなる紫鳳の背中の方が彼にとっては恐怖であった。

 亀裂に刺さった刃は、今度は少しずつ動く。

「んぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ…」

 葵は額に血管を浮かべ歯を食いしばりデスサイズを振りぬこうとする。そしてある一点を越えた時、ビキッと言う音とともに透明な破片が当たりに散った。

 やったと少年が拳を握りしめると、葵の叫びがそれを咎める。

「まだじゃ、次ッ!」

 葵が空間を叩くと、そこにはまだ壁があった。少年が慌ててまた亀裂を作り、葵がまたそこにデスサイズを振り下ろす。

「無駄よ。二五六層あるらしいから、間に合わないわ」

 いつの間にか紫鳳は歩みを止めてパイプ椅子に腰かけていた。ちょうど体育館の中央あたり。そして彼女のすぐ後ろには神主姿の男が一人。こちらに背を向けて胡坐をかいている。体格的に鴻巣だと、青介にはすぐに分かった。

「先生、どうしてこんな…」

 しかし鴻巣は青介の声には反応しない。彼は神経の最期の一本まで紫鳳を魔界に送るための術に費やしている。

「ええい、埒が明かん。小僧、一メートル…いや、五十センチ。一瞬でいいから直接結界の内側まで穴を開けろ。あとはワシがねじ込む」

 葵自身無茶を言っている自覚はあった。通常で三センチがやっと。踏ん張っても伸びしろには限度があるだろう。

 けれど少年は力強く頷いた。できる自信があったわけではない。やらなければならないことだと分かっていただけだ。

 いつものように人差し指で空間に穴を開ける。力を籠めできた亀裂に、中指薬指小指を詰め込み足を踏み込み全体重を使って右側に引っ張る。

「んぐぐ…ぐ…」

 顔を真っ赤にしても指もう一本分の隙間しかできない。そして彼はそこに左手の指もつっこんだ。両開きの扉を開けるように、引くというより外側に押し付ける。プラスチックが割れるような音がして、空間に縦向きの亀裂が走る。しかしそれは上下合わせても二十センチに満たない。

 結界の内側、紫鳳の少し手前にも同じように亀裂が入っているが、ヒビはそこから一向に伸びない。青介はずっとフルパワーで力んでいるが、もとはただの少年だ。特別な訓練をしていないその能力は五分と持つまい。彼の力が緩めば、穴は塞がる。二度目はもう術の完成までには絶対に間に合わない。

「小僧、ちぃと痛いが我慢せいよ」

 葵の両手の平にパチパチと白い火花が生まれる。少女はその両手の平で少年の頭を挟み込んだ。とたんに少年の身体が跳ねる。いきなり流し込まれた力に全身が悲鳴を上げそうになるが、少年はそれを意地だけで抑えた。そしてそのこぼれ出るほどの力で両腕を無理やり動かす。

 それでも亀裂は三十センチほどしかない。

「葵さん。折角見つけた貴重な能力者なんでしょう。こんなところですり減らしたら、ダメだよ」

「黙っとれ。今やらなんだら、小僧もワシもずっと後悔する。…んっふっふ。ちぃと待っておれよ。今すぐそっちにいってしばき倒してやるからのぉ…」

 薄く笑う葵の額からは滝のように汗が流れている。それを冷ややかな目で見ていた紫鳳の輪郭が不意にぼやけた。

「陣が起動したみたい」

 愕然とする二人をよそに、紫鳳は軽く呟いた。

「わあああああああああああああああああああああああああああ」

 葵からの伝聞でなく、自分の感覚として紫鳳が消えることを目の当たりにした少年は無意識に叫んでいた。無意識のうちに働く身体のセーフティロックが外れ、肉体と精神が暴走する。咆哮はその副産物だ。

 亀裂が一気に広がる。その穴目掛けて、葵は少年を蹴り飛ばし自分も飛び込む。

 結界の中に入った二人は、そのまま紫鳳に向かって飛びかかる。彼女はそれに対して、右手でゆらりと虚空を撫でる。突如黒く細い枝のような触手が床から何本も吹き出し、柵のように二人の行く手を遮った。

 葵がそれをデスサイズで刈り取るが、次から次へと生え、少女を押し戻す。

「高崎さん!」

 柵に捕まり青介が叫ぶ。

「なんで…どうして…」

「私が冥王だからよ。私はいるべき場所へ帰るの」

 凛として答える彼女は後ろが透けて見えるほど、あいまいになっていた。

「ほんの数日だったけど、楽しかったわ。ありがとう」

「そんなお別れみたいなこと言わないでください…」

 少年は顔をぐしゃぐしゃにして大粒の涙を垂れ流していた。

「ごめんね。今のキミのその悲しみも食べてあげたいんだけど、何が起こるか分からないから止めておくわ。だから、私のことは自分で忘れて」

「いやです…いやです…」

 青介が力を込めても触手の柵はビクともしない。

「ワシは諦めんぞ。例え今、お前が魔界に行こうとも、小僧の能力なら追いかけられる。すぐに行くから待っておれ」

 触手を切り裂きながら葵が吠える。

「ダメよ。もう青介君を巻き込まないで」

 もう表情も読み取れないほどに彼女の姿は希薄になっている。

「ああ、それと。もう私いなくなるんだから、ちゃんと青介君のお父さんを呼び戻し…」

 そして彼女は声も姿も完全に消えた。


 ぽつんと置かれたパイプ椅子。その少し後ろに胡坐をかいていた男が立ち上がり振り向いた。

 青介にはそれが自分の担任だということを暫く忘れていた。格好がいつものスーツでなく袴姿だったというのもあるが、一番は表情だ。いつもの余裕のある笑みは完全に消え、敵意すら感じる険しい表情をしていた。しかしその視線は青介には向いていない。少年の少し後ろ、デスサイズを構えた巫女服姿の少女に向いている。

 触手が消え対象がなくなったので、少女はデスサイズを元の鎖鎌に戻すと裾にしまった。そしてそのままとことこと鴻巣のところまで歩いて行く。

「やってくれたのう、若僧」

「貴様こそ、よくも俺の生徒に手を出してくれたな」

 睨み合う二人。青介は葵の側に立った。

「先生、どうして?」

「お前のためだ、本庄」

 青介を見下ろすその表情はいつもの柔らかさに戻っている。

「自分がいてはお前が幸せになれないとな。なにせ彼女は魔王だ。現世にいる以上、必ず誰かに迷惑をかける。最初は殺してくれと頼まれたのだがな。さすがに神を殺すなど大それたこと、俺にはできん。だから魔界に戻ることを提案した」

「はん。半端な善意で残酷なことをしおって」

「なんだと?」

 鴻巣は汚物でも見るような眼で葵を見下ろす。

「うら若き乙女を一人寂しく魔界送りにするなんぞ、とても人を指導する立場の者の所業とは思えんな」

「だが魔王だ」

 お互い苦虫を噛み潰したような表情で睨み合う。先に視線を逸らせたのは葵の方だ。マグマのように湧き上がる怒りを目の前の男にぶつけたところで、目的を果たせないことがわかりきっているからだ。

「小僧…帰るぞ…」

 鴻巣に背を向けて歩き出す葵に青介が付いて行こうとすると、その肩に大きな掌が力強く乗せられた。

「本庄、あの女に着いて行くな。何のために彼女が身を退いたか考えるんだ」

 振り向いた青介は大粒の涙を流しっぱなしだった。ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、少年は教師の腕を振り払い、少女の後を追う。

 葵はそのまま帰るつもりだったのだが、よく考えてみれば行く手を遮る結界は健在だ。後ろを振り返れば少年は背を丸めてめそめそと鳴いている。今の彼に先ほどのようにブチ切れろというのは無理な話だ。鴻巣に結界を解かせるのが一番早いのだろうが、それを頼むのは彼女のプライド的にありえない。

さて、どうしたものかと考えていたら、一瞬世界が揺らいだ。

「ところで、お前のような半端な魔術師に魔王に干渉できるほどの魔力があるようにはみえんが、もしかして紫鳳の魔力を借りて術を?」

「ああ。術の作成と展開だけは俺が。魔力そのものは彼女の物を使わせてもらったが。それがどうかしたか?」

 予想どうりの回答に葵は思わずにやりとした。そしてまた世界が小さく揺れる。

「小僧、伏せろ!」

 葵が青介を庇うように彼に抱きつき地面に転がると同時に激しい縦揺れが彼らを襲った。

「ぐうあああああああああああああああああああああああああああああああ」

 震源は鴻巣。彼の身体がゆっくりと浮上していく。もがき苦しむその腕に黒い枯れ木のような触手が絡みついていた。それは一気に増殖し彼の身体を黒く塗りつぶし、伸長していく。呆然とする青介の前でそれは黒い大樹に成長した。

 大樹は葉のついていない枝を揺らしながら結界を伝う様に伸びていく。気が付けば青介の真上にも枝が張り巡らされている。

「さてと…あれが本調子を出すまでしばらく時間がありそうじゃな」

 独り言のようにつぶやくと、葵は首に掛かっている数珠を外し続いて袴を脱ぎ、白衣もほおり投げてしまった。慌てて青介は自分の目を掌で覆った。

「安心せぇ…ちゃんと着とるから。ただ結界の端、ギリギリまで下がっておれ。ちぃと荒っぽいことになるからのう」

 葵はその凹凸の少ないラインを明確に現してしまう、ピッタリとした黒いボディスーツを着ていた。金属のような光沢をもっているが、彼女がゆらりと腕を振るうとシワ一つなくその肌に吸い付いている柔らかさをもっている。そして全身にびっしりと幾何学模様が描かれ、それが脈打つように緑色に光る。

「葵さん…何が起こっているんですか?」

 青介は葵に押し倒されたきり地べたに転んだままだ。立とうにも腰が抜けていた。震える声で尋ねる青介に葵は振り向いていたずらっ子みたいな笑みを浮かべた。

「紫鳳が駄々をこねておるんで、ちょいと一発ひっぱたいてくるんじゃよ」

「え?」

「お前の担任が術の魔力は紫鳳からひっぱってきたと言っておったじゃろう。肝心の紫鳳が心のどこかで行きたくないと思ってしまったんじゃろうな。それで術が失敗、暴走しておるわけじゃ」

「………」

 青介は葵の言っていることを理解した。少年が泣きそうな笑顔を浮かべると、葵はその頭をぽんぽんと優しく撫でた。

「それじゃあ、ちょいと連れ戻してくるから、お前は離れておれ」

 青介が腰の抜けたまま匍匐前進の要領で結界ぎりぎりまで移動すると、葵がぶつぶつと何かを唱え始めた。

 言葉と呼ぶにはあまりに異質な音が葵の口から紡ぎだされるたびに、ボディスーツに描かれている幾何学模様が一つずつ一つずつ光を失っていく。それと比例して彼女の周りの空気が暗く濁っていく。ゆらりゆらりと黒煙のように立ち上るそれは彼女の身体に絡みつき次第に濃度を増していく。

 ボディースーツが黒一色に染め上げられた直後葵は大樹に向かって飛び出した。彗星のように黒い尾を引く彼女の手にはいつの間にか脈動するデスサイズが握られている。

 デスサイズが青白い炎を伴って大樹に食い込む。金属を切り裂くような叫び声が結界全体にこだまする。大樹がぐらりと揺らぐが、それは倒れるのではなく敵に叩きつけるために枝の塊をしならせているからだった。棍棒のように振り下ろされるその塊を葵はデスサイズで両断しようと横薙ぎにした。しかし刃は塊の中ほどで止まり、少女はデスサイズごと激突した。弾き飛ばされ、結界にぶつかりそのまま落下する。

「葵さん!」

「…うははははははははははははははははは」

 心配する青介の叫びなど聞こえていない。彼女はなにもなかったようにすぐさま起き上がると、突然笑い出した。

「お痛がすぎるのぉ!」

 瑠璃色の左目をギラギラと輝かせデスサイズに先ほどの三倍はあろうかという炎を纏い、襲い来る枝を焼き切っていく。

 それから何回葵が切り付けたか、何回大樹が枝を叩きつけてきたか。時に葵が吹き飛ばされ、時に大樹が燃え裂けるが二つはその度に何事もなかったように復活し、またそれぞれに襲い掛かる。

 青介はそれを呆然と見ていた。

 不意に少年の後ろからコンコンとノックする音が聞こえる。振り向くとそこに葵と同じ瑠璃色の瞳をした女性がしゃがんでいた。闇色のアーマーから先ほどヘリにいたうちの一人だと分かる。

「急造品だけどとりあえず一個できたから…」

 ぼそぼそと独り言のように喋る彼女の手には紫鳳がいつも首から下げていた絵馬が握られている。

 彼女はちょいちょいと人差し指で空間に陣を描くとそこに絵馬を押し込んだ。ころんとそれが青介の手の中に落ちる。

「よろしく…」

 そう言って愛想の欠片もない顔をして片手を振り、少年を促した。

 青介が駆け寄るよりも先に、葵が少年の隣に舞い降りてきた。

「なんじゃ?」

 言うよりも先に絵馬を差し出すと、少女は苦々しい顔をしてそれを少年の腕からもぎ取った。

「せっかく興が乗ってきたというのに…」

 葵が幹にデスサイズを叩きつける。そしてできた裂け目に絵馬を放り込んだ。雷鳴のような唸り声をあげて大樹がもがき、裂け目から閉じた目が浮かび上がってきた。

「あれが核じゃな」

 苦しみ震える大樹は葵を迎撃することを忘れている。その隙に葵は大樹に飛びかかる。眼が空く前に、瞼の上からデスサイズを突き刺すとバキリと大きな音がして大樹が粉々に砕け散った。

 粉雪のようにゆっくりと振る黒い欠片の中、青介は紫鳳の姿を見つけた。

 降り積もった黒い木片の上に彼女はどさりと落ちる。

 青介はもつれる足を何とか制御しながら彼女の元へ駆け寄った。

 彼女が消えたのはほんの数分前の出来事のはずだった。しかし少年には千日を超えた過去のことのように思える。

 そっと抱き寄せるも、彼女の顔面は生気なくその双眸は静かに閉じられたままぴくりとも動かない。慌ててその冷たい身体を激しく揺さぶると、後ろからスコンと何か硬いもので頭を叩かれた。

 振り向くと右手に煙管をぶらぶらと揺らしている葵がいる。少年の縋るような眼を無視して、彼女は煙管を咥えると着ている最中だった白衣に袖を通す。

「おちつけ。紫鳳の身体はもともと生きていないと聞いておらんかったか?」

 少年は何度か話には聞いていたが、半分信じていなかった。だからこそ、今この状態の彼女が非常に危険な状態にあるとしか思えなかった。

「でも…これ…どうしたら…」

「古来より眠り姫の目を醒ますのは王子様の接吻と相場が決まっておろう」

 悪意のある笑みを浮かべて葵が言うも、少年にはそれの真偽を疑う余裕はない。

 キスしろと言われたって、心の準備がいる。それ以前にこんな寝込みを襲うような真似して許されるわけがない。もちろん自分は拒む理由なんてない。彼女を助けるのなら唇どころかなんだって差し出してもいいと思っている。けれど、その恋人同士でもないのに唇を奪うことには非常に抵抗がある。しかしこれは人命救助だ。やらなければ、いけないことのはず。

 おろおろしながらもゆっくりと動かない彼女に唇を近づけていく。

「いや、冗談じゃよ」

 少女が笑うのと彼女の身体がビクンと跳ね上がるは同時だった。

「あ…ああ…あああああああああああああああああ…」

 声というより肺を押しつぶして出た音を喉から吐き出しながら紫鳳の身体が仰け反る。あっけにとられる少年の腕の中、彼女の胸を中心に黒い欠片が渦を巻き立ち上る。しかしよく見ればそれは逆だった。空中に漂っていた欠片が彼女の身体の中に入り込もうとしているのだ。

「いかん…麗、縄だ!」

 葵が結界の外に向けて叫ぶと、すぐに少女の目の前に小さな陣が浮かび上がりそこから縄の束が押し出される。

 葵が縄を蜘蛛の巣のように展開し、竜巻にまで成長した渦に投げつける。

「ぐぬぬ…」

 形を持たぬはずのその暴風を縄はしっかりと包み込む。しかしその余波はあたりを吹き飛ばし続け、結界の中はさながらミキサーのようになっていた。

 さっきまで笑っていた葵がまた険しい表情をしている。なにか大変なことになっていると少年にも分かる。

 少年は彼女の動かぬ身体を護るようにしっかりと抱きしめていた。今の少年にはそれしかできることがなかった。少年には葵のような力も知識もない。今何が起こっているのか全く想像すらできない。彼女の冷たい感触が少年を責めているような気がする。少年は自分の無力に涙した。

「小僧!」

 葵に呼ばれるも少年は振り向けない。振り向いたところでこの暴風の中では目を開けることもできなかっただろうが。

「状況を簡単に説明する」

 少年は動かないが葵はかまわず叫んだ。

「紫鳳から溢れていた魔力が浄化されずに戻ろうとしておる。これだけの規模がこの速度でとなると、器である紫鳳のほうがもたん」

 少年は彼女をきつく抱きしめたまま微かに震えている。ただそれは臆病風に吹かれているからではなく、少年の激情が行き場をなくしているだけだと、葵は知っていた。

「お前が紫鳳を救え!」

 少年の震えが止まる。

「手順は簡単じゃ。お前の力で魔力の抜ける穴を作れ。魔界へじゃ。難しいことは考えなくてよい。ただ開けただけなら、お前の穴は向こう側に通じておる」

 少年は彼女の身体をそっと離して立ち上がる。彼女に背を向けると少年はすぐさま空間に指を突き立てた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ