第1話 掃除をしてください
探索者になって三か月。
そのうち一週間を、俺――佐倉直人は謹慎して過ごしていた。
理由は簡単だ。
ダンジョンを一個、消したからである。
「……掃除してただけなんだけどな」
自宅のテーブルに置かれた探索者証を眺めながら、俺はため息をついた。
正確には、謹慎処分ではない。
《多摩第一ダンジョン消失事案に伴う探索活動一時停止措置》。
探索者協会から届いた通知には、そんな長ったらしい名前が書かれていた。
要するに、
『調査が終わるまでダンジョンに入らないでください』
ということである。
中継ドローンの記録には、事故の最初から最後まで残っている。
床が崩れて未登録区域へ落ちたこと。
救助を求めながら出口を探したこと。
最後に、黒く濁ったダンジョンの核らしきものへ《浄化》を使ったこと。
俺がダンジョンを壊そうとしていたわけではない。
そこは協会にも伝わっているはずだ。
それでも。
「ダンジョン一個消した探索者って、経歴としてどうなんだろうな……」
しかも俺は戦闘系探索者ですらない。
持っているスキルは、生活系の《浄化》一つ。
普段の仕事といえば、初心者ダンジョンに落ちているポーション瓶を拾ったり、スライムの粘液や壁の血痕を掃除したり。
つまり清掃員だ。
清掃員が仕事中にダンジョンを消した。
文章にすると余計に意味が分からない。
そのとき、スマートフォンが鳴った。
「ん?」
表示された番号を見て姿勢を正す。
探索者協会だった。
「はい、佐倉です」
『探索者番号D―二七四一、佐倉直人さんでお間違いありませんか?』
「はい」
『多摩第一ダンジョンの件について、調査結果がまとまりました。明日、協会本部までお越しいただけますでしょうか』
「分かりました」
一瞬だけ迷う。
「あの」
『はい』
「俺、怒られます?」
電話の向こうが少し静かになった。
『……調査結果については、明日担当者よりご説明いたします』
「その間が怖いんですけど」
『明日、お待ちしております』
切られた。
「…………」
やっぱり怖い。
◇
「結論から申し上げますと、佐倉さんに重大な過失は認められませんでした」
「よかった……」
翌日。
探索者協会本部の会議室で、俺は心の底から息を吐いた。
向かいにいるのは四十代くらいの男性職員。
机の上には、かなり分厚いファイルが置かれている。
「中継ドローンの活動記録や管理センターとの通信記録を確認しました。未登録区域への侵入は事故によるもの。以降の行動についても、遭難状態から脱出するために必要な範囲だったと判断されています」
「はい」
「ダンジョン核への《浄化》についても、故意の破壊行為には当たらないと結論づけました」
「本当によかった……」
もし、
『ダンジョン一個分を弁償してください』
なんて言われたらどうしようかと思っていた。
ダンジョンの値段なんて知らないけど、たぶん俺が一生掃除しても払えない。
「では、探索者活動も再開できるんですよね?」
「その予定です」
「予定?」
嫌な言葉だった。
職員はファイルを閉じた。
「その前に、佐倉さんの《浄化》について安全性を確認する必要があります」
「安全性」
「今回の事故で、《浄化》がダンジョンそのものへ作用する可能性が確認されました」
「……俺の生活系スキルですよね?」
「登録上は」
「登録上は?」
そこを濁さないでほしい。
「通常の探索活動へ復帰していただく前に、一度、協会管理下で《浄化》の作用を確認したいと考えています」
「それって、お願いですか?」
「協力をお願いする形になります」
「断ったら?」
「安全性が確認できていない状態ですので、活動再開については改めて審査することになります」
「…………」
俺は職員を見る。
「それ、お願いって言います?」
「手続き上は協力依頼です」
「実質強制じゃないですか」
「ご理解いただけると助かります」
「便利な言葉ですね、それ」
普通の清掃仕事に戻りたければ、まず協会の検証に付き合え。
そういうことらしい。
「それで」
俺はため息をついた。
「何をすればいいんですか」
職員が別の資料を取り出した。
表紙には、ダンジョンの平面図。
「佐倉さん」
「はい」
「ダンジョンを一つ、掃除してください」
「…………」
資料を見る。
職員を見る。
もう一度資料を見る。
「ダンジョンの掃除ですよね?」
「はい」
「壁とか床とか?」
「道中では、それもお願いします」
「道中では?」
「最終的には、ダンジョンそのものを」
「嫌です」
「先ほどご説明した通り――」
「強制でしたね」
「協力依頼です」
「もうどっちでもいいです」
諦めて資料を手に取った。
《青梅第二ダンジョン》。
東京都西部に存在する初心者向けダンジョン。
開放から十二年。
全五階層。
これまで駆け出し探索者の訓練場所として利用されてきたが、ここ一年ほど活動が低下しているらしい。
「モンスターや宝箱の生成が減り、内部魔力濃度も低下しています。最深部までの攻略経路もほぼ確定したため、近いうちに協会主導で攻略する予定でした」
「だったら普通にやればいいじゃないですか」
「そこで、多摩第一の件です」
「……ですよね」
職員が資料をめくる。
見覚えのある映像。
黒く濁った巨大な結晶。
俺の右手。
白い光。
そして――消失。
「多摩第一では、佐倉さんの《浄化》が核へ作用した直後にダンジョンが消失しています。それが《浄化》そのものの作用なのか、あの核に何らかの異常があったためなのかは、まだ分かっていません」
「それを青梅第二で確かめる?」
「はい。青梅第二はもともと攻略予定です。もし《浄化》によって安全に停止できるのであれば、今後の攻略方法そのものが変わる可能性があります」
そう言われると、試したい理由は分かる。
分かるけど。
「俺、戦えませんよ?」
「ですから護衛をつけます」
資料が切り替わる。
「中級探索者三名が同行します。全員、護衛任務の経験があります」
前衛。
魔導士。
斥候。
三人分の顔写真と簡単な経歴が並んでいる。
「さらに中継ドローンを増員し、管理センターから常時監視します」
「俺の単独行動は?」
「禁止です」
「しませんよ」
前回で十分懲りた。
「《浄化》についても、協会から指示のある箇所以外では使用しないでください」
「指定された場所だけ使えばいいんですね?」
「はい」
「核も、そちらから指示があるまで触らない」
「その通りです」
「分かりました」
ここはきっちり確認しておく。
今度何か起きても、
『佐倉さんが勝手にやりました』
とは絶対に言わせない。
「全部、中継ドローンに残りますよね?」
「もちろんです」
「ならいいです」
よくはないけど。
◇
二日後。
「本当に来ることになるとは……」
俺は《青梅第二ダンジョン》の入口に立っていた。
入口前には規制用の柵。
その中央に、大きな案内板が置かれている。
《本日、協会検証作業のため一般探索者立入禁止》
「今日ここに誰も入れないの、俺のせいですよね」
『正確には、協会検証作業による一時的な入場規制です』
頭上の中継ドローンが答えた。
「その検証するの俺ですよね?」
『はい』
「じゃあ俺のせいじゃないですか」
『回答対象外です』
「そこ逃げるんだ」
今回は、普段同行している一機だけではない。
協会側が用意した二機を合わせて、中継ドローンは三機。
監視されている感がすごい。
「佐倉さん」
後ろから声をかけられた。
「準備できた?」
「はい」
大柄な男が、今日の護衛チームのリーダー。
真壁修司さん。
前衛担当で、盾と片手剣を装備している。
「戦闘になったら俺たちが処理する。佐倉さんは後ろにいてくれればいい」
「ありがとうございます」
むしろそうさせてほしい。
隣にいる女性が森川千尋さん。
魔導士で、今回は戦闘だけでなく、ダンジョン内の魔力測定も担当する。
「佐倉君も、変に手伝おうとしなくていいからね」
「《浄化》しかありませんから、手伝おうにも」
「なら大丈夫」
ありがたい。
三人目。
短剣を腰に下げた青年が相田健斗さん。
斥候役だ。
相田さんは俺を上から下まで見て、
「ダンジョン消した人って聞いて、もっと強そうな人想像してた」
「俺も自分がダンジョン消すとは思ってませんでした」
「ああ、そりゃそうか」
話が早い人だった。
「じゃあ行こう」
真壁さんを先頭に、俺たちは青梅第二へ入った。
最初に感じたのは。
「……暗いですね」
多摩第一より、明らかに照明が弱い。
壁に設置された照明魔石は点灯している。
ただ、どれもぼんやりしていた。
「資料でも光量低下が出てた」
真壁さんが周囲を見回す。
今日は一般探索者の立ち入りが停止されているため、当然ながら他の探索者はいない。
静かな通路に、俺たちの足音だけが響く。
それにしても。
モンスターまでいない。
しばらく進んでも、何の気配もなかった。
『第一検証地点まで十五メートルです』
中継ドローンが告げる。
立ち止まった先。
壁に黒い汚れがあった。
前回の黒い染みを思い出して、少しだけ身構える。
森川さんが測定器を向けた。
「異常反応なし。通常範囲の魔力残滓ね」
「普通の掃除でいいんですよね?」
『対象箇所への《浄化》を許可します』
「はい」
右手を向ける。
「《浄化》」
淡い白色の光。
黒ずみが綺麗に消えた。
全員が壁を見る。
「…………」
「…………」
「…………」
何も起きない。
「ほら」
俺は言った。
「普通ですよ」
自分でも分かるくらい安心していた。
二つ目の検証地点は地下二階。
通路脇を流れる細い水路だった。
「これは汚いな」
水は濁っている。
底には黒っぽい泥が溜まり、流れも悪い。
『対象箇所への《浄化》を許可します』
「《浄化》」
光が水路をなぞる。
濁っていた水が見る見る澄んでいく。
「へえ」
相田さんが覗き込んだ。
「普通に便利だな、そのスキル」
「掃除には」
そこで。
「……待って」
森川さんが顔を上げた。
「どうしました?」
「照明」
俺たちも上を見る。
「明るくなった?」
確かに。
さっきまで弱々しかった照明魔石が、少しだけ明るく見える。
森川さんが測定器を向ける。
「出力が上がってる。わずかだけど」
真壁さんが中継ドローンを見る。
「センター、そっちでも分かるか?」
『変化を確認しています。現時点で危険反応なし。検証を継続してください』
「続けるんですか」
『予定通り進行してください』
まあ。
照明が明るくなっただけだ。
悪いことではない。
そこから先にも、協会から指示された箇所がいくつかあった。
古い血痕。
乾いたスライムの粘液。
壁際に残った黒ずみ。
『対象箇所への《浄化》を許可します』
「《浄化》」
少し進んで。
『対象箇所への《浄化》を許可します』
「《浄化》」
また進む。
やっていること自体は、普段の仕事と変わらない。
ただ、掃除するたびに三人の探索者と三機のドローンから見つめられるのは落ち着かなかった。
何か所目かの清掃を終え、先へ進んでいたとき。
『前方、モンスター反応一』
三人がすぐに動いた。
俺は言われた通り後ろへ下がる。
曲がり角から現れたのは、一体のスライムだった。
多摩第一でも何度も見た低級モンスター。
真壁さんが一撃で倒す。
相田さんが消えていくスライムを見ながら言った。
「資料じゃ、この辺も出現率がかなり落ちてるんだよな?」
「そう聞いてる」
真壁さんが答える。
「まあ、一体なら偶然の範囲だろ」
俺もそう思うことにした。
そのまま進む。
数分後。
『物体生成反応を検出』
「今度は何?」
全員が足を止めた。
ドローンのライトが通路脇を照らす。
何もなかった石床。
そこへ淡い粒子が集まっていく。
「……え?」
光が形を作る。
箱。
小さな木製の箱。
粒子が完全に消えたあと。
そこには、確かに宝箱が置かれていた。
「マジか」
相田さんが近づく。
ただし、すぐには触らない。
箱の周囲を一周する。
床。
側面。
蓋の隙間。
しゃがみ込み、慎重に確認してから、
「仕掛けは見当たらない。開けても大丈夫そうだ」
「最近はほとんど生成されてないんだよな?」
真壁さんが中継ドローンへ確認する。
『青梅第二ダンジョンにおける直近の宝箱生成記録と照合中です』
「すごいな」
相田さんは素直に嬉しそうだった。
その横で。
「……タイミングが良すぎない?」
森川さんは笑っていなかった。
測定器へ目を落としたまま、宝箱と俺が掃除してきた方向を交互に見る。
「照明が戻って、モンスターが出て、今度は宝箱」
真壁さんも少しだけ表情を固くした。
「まだ断定はできない。センターの判断を待とう」
「…………」
俺は宝箱を見る。
「俺が出したわけじゃないですよ?」
三人とも答えない。
「ないですよ?」
今度は少し強めに聞いた。
やっぱり誰も答えなかった。
そこからさらに進む。
協会から指示があるたびに《浄化》を使った。
壁。
床。
汚れ。
どれも俺が普段掃除しているものばかり。
それなのに。
気づけば、入ったときより明らかに通路が明るい。
弱々しかった照明魔石が、奥までしっかり道を照らしている。
「…………」
なんとなく、右手を見た。
何も変わっていない。
いつもの手だ。
いつもの《浄化》だ。
そのはずだった。
ゴゴゴゴゴゴ――。
「……ん?」
足元が震えた。
「地震?」
「止まって」
真壁さんが片手を上げる。
全員がその場で止まった。
音は前から聞こえている。
目の前。
何もなかった石壁。
その中央に亀裂が走った。
「え?」
壁がゆっくり左右へ沈み込んでいく。
大量の埃が舞った。
その向こうに現れたのは。
暗い通路。
誰もすぐには口を開かなかった。
相田さんが地図端末を確認する。
「……ない」
「何が?」
「この道。地図にない」
中継ドローンが前方へ走査光を飛ばした。
『周辺構造を登録地図と照合します』
数秒。
『該当経路なし』
俺は、その言葉に嫌な記憶しかなかった。
『未登録経路を確認しました』
「…………」
真壁さんは黙って通路を見ている。
森川さんも測定器を握ったまま動かない。
さっきまで喜んでいた相田さんからも、今度は声が出なかった。
三機のドローンだけが、新しく現れた暗闇を照らしている。
俺はゆっくり右手を下ろした。
「……これ」
誰に聞くでもなく言う。
「元気になってません?」
誰も答えなかった。




