第1話 黄昏に啼く因果の獣、あるいはカラスネットの王女騎士
「見て颯!推しの限定アクスタを自引きするこの強運!今日の私は神がかってるわ!」
「はいはいおめでとう。西宮北口からここまで坂道を延々と登らされた俺の足の家庭裁判所を開きたい気分だよ・・・」
夕暮れがせまる兵庫県西宮市。阪急甲陽園駅へと続く静かな坂道。実家が由緒正しい神社であるにもかかわらず、その神聖な血筋を1ミリも継承せず、推し活とコスプレに全霊を捧げる限界オタク。それが幼馴染の七條慈姑だ。
俺、拝郷颯は、彼女が抱えるアニメイトの特大ショッパーの重さに付き合わされ、深いため息をついていた。
「あ、ちょっと静かな路地裏通って駅に向か・・・」
慈姑が高級住宅街の入り組んだ薄暗い路地へ足を向けた、その瞬間だった。
(キィィィィィィィィンンンンッッッ!!!)
脳の奥を直接引っ掻くような高周波が響き、傾斜のあるアスファルトが禍々しい青色に明滅する。直径3メートルほどの巨大な幾何学模様。
それはどう見ても、アニメやゲームで見慣れた「魔法陣」そのものだった。
「うわっ、プロジェクションマッピング!?さすが西宮、お洒落!」「バカ、これ足が浮いて・・・おい、地面がないぞ!?引っ張られてる!」
「きゃああっ!?待って、今夜の押しアニメ最速上映の録画ボタンまだ押してないぃぃ!スマホの電波死んだぁぁぁ!?」今まさに次元を超えようという歴史的瞬間に、最速上映の録画失敗を察知してこの世の終わりのような絶叫をあげる慈姑。周囲の空間がぐにゃりと歪み、俺たちは大荷物と未録画の絶望を抱えたまま、次元の裂け目へと真っ逆さまに自由落下した・・・。 ・・・と、思った次の瞬間。
「ッハァァァァァーーーーーーーーッ!!!」裂けた空間の中心から、凄まじい風圧と共に「何か」が飛び出してきた。
ドガシャァァァン!!!
西宮の閑静な住宅街の片隅。よりによって今日が回収日だったらしい家庭用ゴミ集積所の【カラスよけの黄色いネット】に、何かが派手な音を立てて突っ込んだ。「はぁ・・・・・はぁ・・・・・大成功だ・・・。時空の障壁を越え、ついにたどり着いた・・・・!」
金髪のポニーテールを揺らす、息をのむほど美しい少女。青と銀を基調とした、意匠の細かい美しい鎧を身に纏っている。
・・・のだが、いかんせんカラスよけの黄色いネットが頭から完全に絡まり、背中のマントには「魚の骨のイラストが描かれた生ゴミの袋」が絶妙なバランスで引っかかっていた。少女はネットに絡まって身動きが取れない状態のまま、鋭い眼光(ただし頭の上には生ゴミの袋)で俺たちを捉え、胸に手を当てて厳かに宣言した。
「異界の英傑よ、我が名はアルトラリア・フォウ・レーンディア!我が世界イグニアスの危機を救うため、伝説の勇者様をお迎えに上がりました!さあ、我が手を取り、共にレーンディア王国へ・・・」
(パシャ、パシャシャシャシャ!)
「なっ、何だこの光る板は!?呪術の魔導具か!?」
「はいチーズ!自撮り失礼!ねぇお姉さん、どこのサークル?ゴミ箱ハプニング系コスプレ?斬新だね!」
絶句する美少女の顔の横にスマホを突き付け、超至近距離でシャッターを連写する慈姑。
「慈姑、ストップ。これ、コスプレの血糊じゃない。本物の、鉄の匂いがする・・・」「・・・・・え?」
「いかにも・・・・。世界は今魔王軍の脅威に晒されており・・・・くっ、追手の手下が、もうこの空間の裂け目を追ってきているだと・・・・!?」
アルトラリアの言葉を証明するように、彼女が飛び出してきた時空の裂け目が「ドン!!!」と凄まじい爆音と共にさらに押し広げられた。爆煙の中から現れたのは、身長2メートルを遥かに超える、豚の頭を持った巨漢の魔族、オークジェネラルだった。ここが西宮の高級住宅街だということなどお構いなしに、巨大なバトルアックスを構えて咆哮する。
「ブモォォォオオ!チョロチョロと逃げおって王女め、ここが貴様の墓場だ!ついでにそこの貧弱な人間どもも肉塊にしてくれるわ!」
「うるっっっっさいわアホンダラァァァ!!!」
俺は恐怖を置き去りにして、オークジェネラルの顔面に指を突き付けて怒鳴り散らした。
「声が大きいんだよ豚男!!ここがどこだと思ってんだ!兵庫県西宮市の閑静な住宅街だぞ!?夕方のこの時間にそんな大声で『肉塊にしてくれるわ』とか叫んだら、一瞬でパトカーがすっ飛んでくるだろ!!近所迷惑を考えろ近所迷惑を!!」
「ブモッ!?に、人間ごときが俺の咆哮に怯まず、自治体の苦情を・・・・・!?」
あまりの怒気とあまりにもファンタジー世界にないローカルな正論に、オークジェネラルがガチで気圧されて半歩引いた。
「くっ、ここまで次元跳躍で魔力が枯渇していては・・・・!異界の英傑よ、ここは私が食い止めるので、どうかお逃げ・・・・・・」黄色いネットに絡まったまま身を挺しようとするアルトラリアの決死の覚悟は、隣から響いた別の絶叫にかき消された。
「それよりも私の録画がァァァ!!この豚ァ!私の推しの最速上映の電波を返しなさいよォォォ!!」もはや恐怖ではなく「録画を逃したオタクの怨念」で顔を歪めた慈姑が両手を突き出す。その瞬間、彼女の固有能力『異界の物質招来』が覚醒。脳裏に、【三宮のアニメイト近くにあるドン・キホーテ】の光景が鮮明にフラッシュバックした。
空間がパキンと割れ、慈姑の右手に『それ』が握られる。「くたばれェェェェクソ豚ァァァァァ!!!」
プシューーーーーーーーーーッ!!!
「プギャアアアアアアアアアア!?目が、目がぁぁぁぁぁ!!!」慈姑が招来してブチまけたのは、防犯のための『業務用ハバネロ催涙スプレー』だった。顔面の粘膜という粘膜に凝縮されたカプサイシンを浴びたオークジェネラルは、巨体を激しく震わせ、自慢のバトルアックスを放り出してのたうち回る。
「な、何という一撃・・・・!!詠唱も魔力回路の駆動もなしに、上位魔族の視界を完全に奪う暗黒魔法だと・・・・・!?」
ガタガタと震えながら戦慄するアルトラリア。いや、ただの三宮で買える防犯グッズです。あと、頭の生ゴミ袋を外して下さい。
「ブモォォォオオ!!!許さんぞ虫ケラどもがぁ!」
狂乱したオークジェネラルが、目潰し状態のまま拳を振り回す。その一撃が、風切り音を立てて俺の頭上に迫る。
「ひっ・・・・」死の恐怖。その瞬間、俺の脳内に冷徹なシステム音声のようなテキストが流れてきた。【個体名:拝郷颯。固有能力『因果の改変』を認識。世界のプロトコルを書き換えます】(・・・・これ、俺が『原因』と『結果』を好きにイジれるってことか!?)冷や汗を流しながら、俺は迫り来る拳を凝視した。本来なら、【オークジェネラルが拳を全力で振り下ろした(原因)】から、【俺の頭がひしゃげる(結果)】。これが世界の絶対的な因果だ。
「ふざけんな、死んでたまるか・・・・!因果を書き換える!目標、あいつの足元!」
俺の思考と同時に、世界のコードが書き換わる。書き換えた因果はこうだ・・・・・【オークジェネラルが拳を全力で振り下ろした(原因)】、ゆえに・・・【その勢いのまま坂道でバランスを崩し、右足の小指が、路地裏の隅の方にある『角が尖った不自然な電柱の土台に強打した(結果)』】。
「ブモォォォオオーーッ!?!?!?」
突然、オークジェネラルが自分の右足を抱えてピョンピョンと飛び跳ねた。急な坂道で片足立ちになった巨体は無様に揺れ、言葉にならない絶叫が西宮の高級住宅街に木霊する。
「な、何が起きたのですか・・・・!?呪術・・・いやこれはもはや暗黒魔法・・・?触れもせず、一瞬で敵の自由を奪う精神崩壊の類か・・・・!」
アルトラリアはもはや敬意を通り越して恐怖の眼差しを俺に向けている。いや、坂道の電柱に小指ぶつけただけだから・・・。
「颯!今よ、トドメ刺しなさい!これ使って!」「おお、ナイス慈姑!」
慈姑が空間から引っ張り出し、俺に放り投げてきたのは、ずっしりと重い金属の塊。
・・・いや、待て。これ、さっきアニメイトで慈姑が
「聖地巡礼の記念!」とか言って謎の勢いで衝動買いした『高級レプリカ模造刀(実物大)』じゃねぇか。
「これ刃が付いてねぇよ!ただの文鎮の親玉だろ!」
「贅沢言わない!一万六千五百円もしたんだから、元取りなさいよ!」
迫りくるオークジェネラル。俺は模造刀を両手で構え、ヤケクソで虚空に向かってブンと一振りした。当然、ただの空振りだ。当たるわけがない。だが、俺にはこのチート能力がある。
【ただのレプリカ模造刀を素振りした(原因)】→【その軌道上の空間が数万気圧の衝撃波に、変換され、敵を粉砕する(結果)】。
バキンッ!!!
ガラスが割れるような乾いた音が響いた瞬間、目に見えない次元の圧搾機がオークジェネラルを叩いた。
「ブボォッ!?」
巨漢のオークジェネラルが、まるで大型トラックに撥ねられたように真後ろへと吹き飛ぶ。そのまま高級住宅街のコンクリート壁を派手にブチ抜き、裏の邸宅のガレージに停まっていた高級車のフロントガラスをも粉砕して気絶した。
「・・・なぁ慈姑。西宮の、このへんの、立派なガレージに停まってる高級車ってさ、弁償代いくらくらいすると思う?」
「やめて颯。それ以上言ったら私、ショックで本当に神社の後継ぎ修業に入らないきゃいけなくなる」
遠くから、ウゥゥゥという不穏なサイレンの音が近づいてくる。俺たちはようやくカラスネットから頭を引っこ抜いた王女騎士の手を引き、アニメイトのショッパーを抱えて、甲陽園の坂道を猛ダッシュで駆け下りた。




