一分遅れの返却済みは、誰の朝を第三棚へ置きましたか
王宮広場の本火台では、祝灯式の飾り火がまだ白く息をしていた。
けれどサラが見ていたのは火ではない。旧点火台帳の右下、王宮翻訳室第三棚の返却済み欄に押された時刻だった。
「二十一時十二分」
点火予定の二十一時十一分より、一分遅い。
ユリウスは勝ったように顎を上げた。
「遅れていても、返却済みは返却済みだ。保守印写し保管箱は第三棚へ戻った。これ以上、式典を止める理由はない」
「違います」
サラは台帳を閉じなかった。
「一分遅れたなら、その一分のあいだ、誰の朝が棚に置かれたままだったのかを先に読みます」
最初に前へ出たのはカヤだった。外套の裾に霜をつけ、両手で小さな冷却皿を抱えている。皿の上には、夜明け二回目と書かれた薬瓶札が一枚。
「西区慈療院のミナさんの薬です。第三棚で返却済みなら、瓶名確認は朝の開庫まで待て、と言われました。でも、二十一時十一分の本火で冷却皿が抜かれたら、夜明けには名前が読めなくなります」
サラは冷却皿を本火台の横ではなく、旧工房へ伸びる返灯の下へ置いた。
「返却済みは、棚へ戻ったという意味ではありません。ミナさんが夜明けに自分の薬瓶を読める状態まで届いて、初めて返却です」
青い保留札に、カヤが自分の字で書く。
『薬瓶名確認未了。冷却皿一枚、生活側へ保留』
ユリウスが舌打ちする前に、トマが寝台灯札を二枚差し出した。ロウ。マリナ。どちらも宿舎点呼口の札だ。
「第三棚で返却済みなら、宿舎の寝台灯も消灯可能にされます。ロウは戻りました。でも、マリナはまだ自分の足で点呼口をくぐっていません」
「私が書きます」
小さな声がした。マリナだった。袖を握りしめたまま、それでもトマの後ろに隠れず、一歩だけ灯の前へ出る。
「私の寝台灯を、棚の返却済みにしないでください。帰ったら、私が自分で消します」
サラは、保守印写しの欄へ指を置いた。
「保守権限とは、誰が消してよいかの権限ではありません。誰の足元を最後まで点ける責任か、です」
マリナの字は震えていた。それでも青札の下に、本人帰着まで消灯不可、と残った。
南パン窯のルドは、焦げ目のついた木片を修理机の上に置いた。
「本火台に余火が戻らなければ、朝粥パンを三人分やわらかく切れません。けれど第三棚返却済みなら、パン窯横灯は式典残火へ戻せと」
「パン窯横灯は、飾り火の残りではありません」
サラは旧工房の壊れた修理机を拭いた。そこに冷却皿、寝台灯札、パン窯の木片を並べる。
「ここを、仮保守窓口にします。第三棚へ戻ったかではなく、薬、寝床、朝粥がそれぞれの人の朝へ届くまで、返却済みにしません」
リリアが、ずっと抱えていた箱の前へ出た。
以前なら、彼女は妹の名で押された印を見ただけで泣きそうになっていた。今は違った。青札を一枚取り、旧工房の入口へ貼る。
『読めない写しは、受け取りません。リリア』
「わたしは、保守責任者ではありません。でも、読めないものを受け取ったことにはしません」
それだけでよかった。
サラは小さくうなずいた。旧工房は、過去の工房ではなくなった。薬瓶の名が読めるまで、寝台灯が本人の足元に戻るまで、パンが朝に届くまで、誰かが「受け取っていない」と書ける場所になった。
ユリウスの顔から、ようやく式典用の笑みが消える。
「そんな仮窓口に、王宮の返却済みを止める権限など――」
「では、この欄は誰の権限ですか」
サラは第三棚返却済みの下に隠れていた細い追記を示した。
代理受領欄。
伯爵家管理印と王宮翻訳室第三棚印のあいだに、一行だけ、生活側確認者名を通らない署名欄が挟まっている。
そこには、人の名前ではなく、こう書かれていた。
『祝灯式代理受領・第七一号』
サラは青札をもう一枚取り、まだ何も書かずに欄の端へ置いた。
「次に読むのは、誰が受け取ったかではありません。その代理受領が、誰の朝を通らずに完了へ運んだのかです」




