中央祝灯式準備室は、未返却灯三十五口を飾りの一覧にできません
中央祝灯式の準備室は、昼でも夜のように明るかった。
天井から吊られた銀の輪に、まだ火の入っていない飾り灯が何十も下がっている。机の上には赤い布、金の房、王家の紋章を刻んだ式次第。
そして、そのいちばん端に、薄い灰色の一覧が置かれていた。
『生活灯仮借用 三十五口。中央祝灯式予備火へ転用済み』
サラは、一覧の題だけを見て手を止めた。
「転用済みではありません。まだ、誰の夜から借りたかを返していません」
「また細かいことを」
ユリウスが、式次第の束を抱えて振り返る。礼服の袖には、まだ乾いていない封蝋の赤が付いていた。
「三灯は戻しただろう。熱冷ましの瓶も届いた。残りは式が終わってから戻せばいい。王都の名誉がかかっている」
そのとき、準備室の外で小さな泣き声がした。
扉番が止めるより早く、濡れた外套の母親が、子どもの手を引いて敷居の前に立った。子どもの靴には北門の泥がついている。
「すみません。角灯が消えて、薬を取りに行った帰り道が見えなくて」
母親は胸に小瓶を抱えていた。瓶の口には、西区慈療院の青い紐が結ばれている。
その後ろから、慈療院の下働きの少女が顔を出した。名札の紐がほどけかけて、指先が赤い。
「朝粥のパンが、まだ届きません。パン窯の横灯が一口消えて、窯番さんが火加減を見られないって」
最後に、粉の匂いをまとったパン窯係が、帽子を取って頭を下げた。
「式の飾りに文句はありません。ただ、夜明けまでに三十人分の粥へ入れるパンを焼く灯だけ、返してほしいんです」
ユリウスの眉が上がった。
「準備室へ民を入れるな。これは王家の式だ」
「だからこそ、王家の式で誰の朝を借りたかを読ませます」
サラは灰色の一覧を、赤い布の上ではなく、扉の近くの低い台へ移した。母親も、少女も、パン窯係も読める高さだった。
「ノエル、声に出してください。飾り番号ではなく、返す先を」
記録係のノエルは一瞬だけ喉を詰まらせ、それから自分の筆箱を開いた。
「一口目。北門水路角灯。帰宅者確認、母子一組。返却条件、家の戸口まで」
母親が、瓶を抱く腕に力を込めた。
「二口目。西区慈療院裏口灯。下働き交代者名、ミナさんの薬棚の次回交換を確認する者」
下働きの少女が、自分の名札をまっすぐに直した。
「三口目。南パン窯横灯。朝粥用パン三十食。窯温確認者、窯番ルド」
パン窯係が「ルドです」と小さく言い、台の端に指を置いた。
サラは細鍵を取り出した。昨夜、北門の石段を照らした鍵だ。鍵の腹には、三十五という数字ではなく、一口ずつ違う点検箱の番号が刻まれている。
「全部を同時には戻せません。けれど、生活手順の順に戻せます。帰れない人、薬を冷やす棚、朝粥を焼く火。この順です」
「式の本火が弱くなる」
「余灯で飾る式より、薬瓶を持った子が家へ帰る夜が先です」
リリアが、準備室の奥から一歩進み出た。
彼女はいつもの花文字の便箋を持っていなかった。代わりに、借用一覧の写しを両手で持っている。そこには、リリアの花文字に似せた丸い署名が三つ並んでいた。
「これ、私の字ではありません」
声は震えていた。けれど、逃げなかった。
「私は、パン窯横灯を借りていいなんて読んでいません。北門の母子が帰れないことも、慈療院の朝粥のことも、聞いていません」
リリアは一覧の横に、自分の字で一行を書いた。
『リリア本人未読。借用先の生活影響未確認。花文字似署名を本人署名として扱わない』
サラはうなずき、細鍵を三度だけ回した。
準備室の飾り灯が三つ、ふっと暗くなる。
代わりに、窓の外で北門の角灯が細く戻った。母親が子どもの手を握り直し、扉番が「戸口まで送ります」と槍を下ろす。
中庭の奥では、慈療院裏口の小さな灯が青く点いた。下働きの少女が名札を握りしめて走り出す。
さらに遠く、南のパン窯から、最初の火の色が上がった。粉と湯気の匂いが、冷えた空気に混じる。
「三十食、焼けます」
パン窯係ルドは、帽子を胸に当てた。
それは、王都全体を照らす勝利ではなかった。
けれど、薬を飲んだ子が家へ帰り、夜明けの粥にパンが入るための三口だった。
ユリウスは唇を噛み、灰色の一覧を奪おうと手を伸ばした。
サラは青い保留札を一覧の角へ置く。
「未返却灯三十二口。飾りではなく、まだ帰っていない生活です。閉じません」
その青札の下から、もう一枚の紙片が滑り出た。
『祝灯式本火、旧保守印箱より起動予定。王宮翻訳室確認済み』
サラの指が止まった。
旧保守印箱は、まだ誰にも受け取られていない。
それなのに、王都の本火だけが、もう受け取ったことになっていた。




