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後編(晩冬~春)

 冬将軍の支配が緩み始めるとともに、街に活気が戻り、閉ざされていた庵も、これから訪れる東風を招き入れる準備を認め始めた頃、私は、ある決意を固めていた。

 自室で仕事の支度を進めていた私のもとへ、桜雅がやってきた。

「師匠……今日もあの依り代どもにお世話を?」

「ええ……暫く、あなたには必要なことなのよ」

 桜雅は私の分け身である、土人形に支えられてここまで来た。柔らかくなった土を操ることは造作もないことだ。

 桜雅はまだ、微熱が残っており、青白い顔貌に、赤色の目を潤ませていた。あの真冬の地獄を乗り越えてくれたとはいえ、まだ本調子には程遠いのは明らかだ。

「……僕のような、幼いとは言えぬ齢の者が、このようなことを申すのも間違っているやも知れませぬが……その、寂しいのです」

 私は彼の様子を痛々しく見つめていた。私を恋しがる表情には、曇りがまるでない。彼の言う、師匠とやらの心は、取り返しが付かぬほど汚れているというのに、どうしてここまで、純粋でいられるのか。

「ごめんなさい……。でも、私ではなく、その人形に任せれば、きっと良くなる。あなたもそう感じておられるでしょう?」

 彼には、人形に医学の専門書を読みこませた、いわば医者の依り代だと言ってある。実際にはそのような事実はなく、あくまで人形は私の考えを模倣しているだけだ。でも、私が距離を置くことで、彼は確実に快方に向かっている。

 それだのに、真実を伝えるのは、何よりの恐怖だった。

 何かを話そうとしたが、激しく咳きこんだ彼に、土人形は優しく手拭いを差し出し、痰を吐き出させていた。

 これが私自身でできれば……と黒い邪念が私を取り巻いた。

「……あなたは、まだ調子が戻っていないけれど、この幾日で相当な回復を見せている。……私は、あなたの親ではなく、街や国でも活躍している占い師。……今日は、行ってくるわ。困ったら土人形に訴えかければ、私が何とかするから。ご安心なさい」

「……はい。……承知いたしました。……」

 咳が落ち着いた桜雅は、涙を零しながら頷いた。

 私はただ、彼から逃げているのではないか。本当に何とか出来るのだろうか。彼は本当に納得しているのか。私の秘密に気付いているのではあるまいか。

 心に(おり)のようなものが溜まる。それから目を背けるように、狭い庵から、都へ向かった。

 都までは土に潜り、猛烈な勢いで泳いで到着した。私が編み出したものの一つで、重さ変化の術を応用した技術だった。地中と言っても、我が周囲を薄い結界で纏っているので、土や泥で汚れることはなく、自在に移動することが可能である。空を飛ぶのが簡便ではあるのだが、人に目撃されにくい、という点を重視した移動手段だ。

 その都は、国内でも有数の城下町だった。その支配者に呼び出され、今年の気候について占うように依頼があったのだ。これが大きな仕事の一つだった。

「……今年は厳冬でしたが、春の訪れは穏やかなものになり、夏も高温ですが多雨。秋の気候も落ち着いており。野分(のわき)の襲来も少ないでしょう。結論、飢饉に見舞われるご心配はありませぬ」

 占いの結果をそのまま伝えると、依頼人は安堵の表情を浮かべた。

「それは何よりですな。私の街でも寒波の影響で、多くの住民が被害を受けておりましたが、災いの序章、というのでないのならば安心しましたぞ。……失礼ながら、良い結果だけを述べておられるのでは……?」

「いいえ。様々な手段を用いて確認いたしましたが、どの占断も結びは一致しております」

 都での仕事は、やはり多忙だった。寒波で閉じ込められていた分、人々の悩みも深く、多くなっていたのである。この依頼人と同様に、気候に不安を覚え、今年の農作物の出来を占いに来る豪農。持病が悪化し、行く末を診断してほしいと願う老人。新春に婚約して夫婦になり、注意点を指摘してほしいと語る若い男女。武人として出世できるか見通しを乞う、血気盛んな若者。

 占術こそ『無我の境地』でなければ実行不可能な営みだと私は考える。我欲や考えの偏りは、正しい占断の妨げとなり、正確な結果を依頼人に共有できないのだ。

 都についてすぐは、桜雅のことが気になり、何度も土人形を介して彼を確認していた。穏やかに眠っている様子ではあったが、仕事を始めるまで、四半刻と経たぬうちから、再び彼の様子を見ていた。

 一度依頼人がやって来ると、圧倒的な集中に入った。桜雅のことは隅に置かれ……否、元々存在しないかの如く、私の心は占い一色に染まったのである。夫と子を喪ったことによる孤独も、こうして乗り切ってきたのだ。

 仕事は日没までだったが、時の経過はまさに矢の如しであった。

 最後の依頼人は将軍であり、家来の中に謀反を企てているものがいないかを教えてほしいと言った。あまり芳しい結果ではなかったが、正直に伝えると、将軍は難しい表情を浮かべながら、私に謝礼を支払った。

「そうだ……日没後に申し訳ありませぬが、もう一つ、依頼が……占っていただけますか」

「……内容にもよりますが、構いません」

 その依頼とは、彼が任されているという仕事についてだった。

「ある妖術師の末裔の貴公子の行方が、分からずになりましてですな。一族にも占い師がおり、その占断によると、何者かに連れ去られている可能性が高い、とのことで……。後日、捜索隊を出したところ、我々の住む世界とは少し次元が違う異世界に囚われているようでした。その犯人を討伐し、彼を救い出すのが拙者の依頼でござる。異形の者との戦いにはなりますが、成功の可能性が高い日や、その可能性をご教示いただきたく……」

 私は何も言わず、もとい、言えずに、その日付や行く末を占った。筮竹(ぜいちく)を握る手が汗ばみ、震えていた。

 結果が出た。まだ解釈には及んでいなかったが、嫌な予感しかしなかった。

 嘘で塗り固めても良い。でも、占い師として三十年生きてきた誇りが、それを妨げ、私は真実を彼に伝えた。

「……犯人は間違いなく、異形の者。この日から一週間後に作戦を行えば、尋ね人は救出され、確実に成功する。……被害は大きいが、犯人の討伐は……」

 思わず声が上ずってしまい、一呼吸置いた。将軍の驚いた顔を見て、私は続けざるを得なかった。

「……これも確実に成功する。備えを十分にすること」

 歓喜に満ちた将軍から、多額の報酬を得た。無意味だ、こんなもの。

「助かりましたぞ。支度さえ整えられれば、作戦は、ほぼ成功と見なしてよろしいでしょうな。……案外、貴女(あなた)が犯人だったりして……」

 将軍は笑みを浮かべながら私に言った。

「ま、まさか、かようなことは……」

 私は、彼の目をまともに見てしまった。口元は微笑を浮かべていながら、その目の奥は深い闇で濁っていた。私が困惑するのを見るや、その表情の皴は一層深く、しかし視線は、私を刺すように射抜いたのである。

「……もう、日没ですので、これ以上のご相談がなければお帰りを……」

「……冗談です。まさか、左様なことが事実であるはずがありませんな」

「ええ、仰る通り……」

 安堵の表情が露骨過ぎただろうか。

「何か隠しておるな」

 彼の表情から、すっと笑顔が消えた。その瞳は、鼠を喰らう蛇の如く、無機質ながら、私を確実に捉えていた。

 殺される。

 私がそう思った瞬間、彼はまた笑みを浮かべた。それは、何かを確信したような表情だった。

「……とんだ失礼を申し上げました。またよろしくお願いいたしますぞ」

 付添人を怒鳴りつけ、殴打さえする彼の背中を見送った。何でも、馬車を出すのが遅れた不手際を叱責しているようだ。

 全身が汗に包まれて、立ち上がれなかった。尋常ではない疲労感で、私はしばらく動けなかった。


 仕事を終えた私は、また桜雅の様子を無性に伺いたくなり、土人形から彼を確認した。

 寝床には誰もいなかった。しかし庵のどこかにいるのは分かった。

 急ぎ帰還する。夜の帳がおり始めていたが、元々日の当たらぬ地中を泳ぐのであれば、昼も夜も関係ない。

 庵に到着した。桜雅が私の自室にいるのを認めたが、向こうも私の気配を察したか、急いで寝床へ飛び込んだようだ。

 何事もないように、私は、桜雅と応対した。将軍に告げたあの結果を、顔に出さぬよう努めていた。

 桜雅の目を見た。怯えとも、恐怖とも、畏怖とつかぬ表情を私に見せた。

 まさか。

 胸騒ぎがして、私は、自室へ駆けた。あの手帳が入っていた机の抽斗を確認したところ、完全に閉じられていたのだ。

 ……やられた。

 彼がこの家に来てから、あの机の抽斗(ひきだし)は、閉める時、わずかに開けるのが習慣になっていた。これにより、彼がこの机を覗いたのかどうか、確認できる仕掛けになると考えたのだ。

 ほんのまじない程度の習慣であったが、まさか役に立ってしまう時が来るとは……。

 私も迂闊であった。手帳であれば肌身離さず管理する、あるいは彼が絶対に開けられない結界に保管するなど方法があったものを。でも、あの二人がまだ生きているようで、あえて錠も仕掛けもない、開放的な場所に安置しておきたかったのだ。

 とうとう、穢れた過去も彼に明らかになり、その命運も決した今、私は、悩みとも形容できぬ、錯綜した想いを常に抱えるようになった。

 私は何を守るのか。

 私は何を成し遂げるのか。

 私にとっての愛とは、何なのか。

 今流しているこの涙に、どのような想いが込められているのか。

 彼の熱はぶり返し、意識を失ってしまった。

 世話役の土人形を介して、私は彼の譫言を聞いた。

「うば……われ……る……。命、が……こぼ……れる……」

 庵は再び、死のような静寂が支配する廃墟と化したのだった。


 約束されていた一週間の大半を、私は桜雅の顔を眺めて過ごしていた。もちろんそれは、例の土人形の視界を借りて。

 私が隔離したことで、彼の呼吸は穏やかになってきているものの、完全なる目覚め―根本的な解決は、やはりこの庵を巣立つことにあると、私は確信していた。

 天候がそうであるように、調子にはやはり波がある。彼が何かに苦しみだすと、私は思わず部屋を訪れようとせずにはいられない。だが、私は、泣き声を殺しながら、土人形に措置を代行させるのだった。

 雪雲のない、新春の満天の夜空の星へ、私は一人で祈る。身勝手なものだと思いながら、願わずには居られなかった。

 ……せめてもう一度。師匠と名を呼んでほしい。この星空にも勝るような輝きを誇る、あの笑顔を向けてほしい。

 これだけたくさんの星があり、もしそれぞれに神が宿るというのならば、一柱くらいは聞きつけてはくれないだろうか。……これらは、本当に、私に不釣り合いな願いなのであろうか。誰が聞いているとも知れぬ問を、ひたすら繰り返していた。

 その一方で、攻めてくるという将軍たちへの対処も、忘れてはいなかった。

 彼らがどのように私に対峙するのか、計りかねていたが、出来る限りの手を打ち、極力誰も無駄な血を、涙を流さない方法を私は模索した。準備期間はあまりに短く、相手は数で押してくる筈だ。それでも、私は怪物ではなく、人間として最後まで生きたい。それを証明できるような終わりを、飾りたかった。

 ある朝、桜雅が目を覚ましていた。熱が少し引いたようだ。私は彼に目も合わせず、枕元に水や食糧を並べたのち、無言で、庵を離れた。もはや、土人形も使わないことにした。妖力を用いて世話をする、ということが、彼の恐怖を想起させはしないか、と懸念したのだ。念のため、かつて、息子が大切にしていた人形の目を介して、彼を見られるようにはしていたけれど。

 都で仕事をしたり、占術の書籍を書院で読み耽るなどして夕刻まで過ごし、庵へ戻った。彼も寝静まったようなので、ちょうど良い頃合いだった。

 静かに彼の部屋に入り、食器や湯呑み、飲み水の桶を回収する。粥は半分ほど食べられていた。

 そういえば、今日はまだ換気をしていないはずだ。いつも土人形に任せていたので忘れていた。すべきだろうか。覚醒させはしないか。

 悩みつつも、恐る恐る戸を開け、風を吹き入れた。四半刻に満たないくらいの短い時間だったが、それでも澱み出していた空気は新鮮になった。桜雅の表情も、どことなく穏やかさが増したように見えた。

 ああ、目覚めさせなくて良かった。安堵が私の注意を散漫にさせたか、片付けようとした食器の扱いが乱暴になり、ガチャリ、と音を立て、彼を目覚めさせてしまった。

 目が合ってしまい、顔を背ける。

「……怖がらないで」

それは彼の声だった。驚きの表情を向ける。

「……大丈夫……ご心労は、理解して、おりますから……」

まともに応答してしまう。

「何を……言っているの?……日記を読んで、怖かったでしょう。……私は化物なのよ。……そんな心労なんて、あるはずが……」

「化物などでは……飢えの、苦しみは……僕も……」

「飢えてなど居ないわ。……なぜなら私はもう、人ではないから。……もう、やめて。無理に話さないで」

「ごめん……なさい……」

「なぜ謝るの。……悪いのは、全て私なのに……」

「悪くなんか……過ちなどでは、ない……」

あの手套をはめ、私は彼の額を触れた。かなり熱が上がっているようなので、あの土人形たちに命じ、世話をさせた。また意識が混濁してしまったようだ。あれは会話ではなく、高熱による譫言だったか。

 心労。過ち。

 その言葉を、暗い自室で、いつまでも反芻していた。

 

 そして、約束の日がやってきた。早朝に、遂に彼らは参上した。

 兵士たちの数は多くはなく、十を少し超えるくらいだったが、一斉に庵の入り口を取り囲んだ。そして頭領と思われる男が、大声で彼を解放し、私に表に出るように訴えた。

 その声には聞き覚えがあった。私は、あの手套を付けたうえで、彼を抱きかかえて庵の門を開けた。

 将軍と目が合った。……先日、占いに現れたあの男だった。

 彼も一瞬の動揺を見せたが、さすがは長く戦場に立っているだけに、平静を取り戻すのも早かった。

 兵士たちは、私に刀や槍を向け、臨戦態勢だった。

 圧倒的な殺意。それは、「山の奥」を跋扈する、魔物たちとは違う感情だった。奴らは私や人を喰おうとしているだけなので、対処法が分かれば怖がりすぎることはない。人間のそれは、却って、得体のしれない不条理を孕んでいるようにも感じられた。

 私は魂を震わせつつ、このように語った。

「私はもう、彼には執着しない。……どうか、このままお引き取りを願います」

 私は彼を将軍たちの前に差し出し、供された茣蓙(ござ)の上に置いた。

 呆然とする将軍たち。恐るべき怪女との前評判が、裏切られた。そんな顔だった。

 私はこのように睨んでいた。第一に、私から切り離されることで、桜雅は無事で済む。そして、最早戦う理由がなくなった訳だから、私が連中に斬られる可能性も消せる。ここに来るまでに苦戦したということであれば、逆に、私が化物どもから護衛することで、脱出の鍵にもなる筈だと。

 一週間の猶予の中で様々なことを考え、準備してきたが、これはその一つだった。

 将軍が私のもとに歩んでくる。その表情は何処までも穏やかだった。

 近づいた彼の目を見る。全身の毛が逆立つのを感じたが、先日のあの『蛇の目』は、今日は窺えなかった。……されど、熟練の戦士の殺意は、かくまで隠しおおせるものであるとは、私は最後まで気が付かなかった。

 突然、帯から熱いものが噴き出した。足の感覚がなくなり、私は前のめりに倒れた。

(……え)

 将軍は居合切りで私の腹を両断したのだ。それは一瞬のことだった。私の警戒を緩めた、ほんのわずかな瞬間を見切った様な、敵ながら鮮やかすぎる御技だった。

「……今わの際に、教えてやろう。俺たちの真の目的を」

 倒れこんだ私に、将軍は冷徹に告げた。

「お前が連れ去ったこの童……こやつはそこまで重要ではない。お前だ。お前を殺すことが、真の目的だ」

 彼の一族が著名な妖術師であることは、私も知っていた。その一族の隆盛の上で、私の存在はいわば「商売敵」だったと男は言った。

 焼けた鉄を押し当てるような、激痛の中、私は悟った。

 そういうことだったのか。

 私は理不尽を感じながらも、どこか納得できた。確かに、国や都も重要視している人物の関係者を、異界へ幽閉するなど、どう捉えても、私は恐るべき術を操る魔女にしか見えなかった筈だ。それに基づけば、私のような存在は討伐されてしかるべきなのかもしれない。

 ボタボタ、と地面に赤い物が夥しく流れていく。

 ああ良かった。私にはこの色の血が巡っていたのだ。……最期まで、肉体は人間で居られた。

 それでも。

 あと少し、それこそ一瞬でも良い。彼のあの、咲き誇るような笑顔を見たかった……。

 私の視界が、霞み始めたその時だった。

「……こやつはどうする?」

 将軍が桜雅を指さして言った。

「どうする……と仰いますと?」

「連れていくかどうか、だ。担いで脱出できるのか?今生き残っている者たちだけならば、あの化物どもは容易く葬れるだろうが……世話に労力を割くと、全滅する可能性があるだろう。……捨て置かないか」

 私は俄かに目覚め、背中に、冷たいものが流れ始めた。

 部下の男の一人は、躊躇しながらも、こういった。

「しかし、この童は、あの一族の末裔でございまする。かような方が亡くなったとすれば、その影響は……」

「いや、問題なかろう。この童は出来損ないと聞いておる」

 違う。

「すでにほかの兄弟の、跡継ぎ候補も大勢いるとお父上は話していた。まあ、この童のことも心配はしておったが……もう死に体なのだろう。やむを得ん」

 違う。お前の言っていることは、全部違う。

 沸々とした感情が、まるで溶けた岩礁のように私の心を燃やしていく。

「で、ですが……」

「……俺に逆らうのか?」

 将軍の顔に怒りが滲み、部下は黙り込むことしかできなかった。

「覚えておけ。……戦場では、役に立たぬ者は消えていく運命なのだと。この童のようになりたくなければ、さらに俺の期待に応え続けるのだな」

「取り消しなさい」

 将軍たちが私の方を一斉に見た。すでに意識を失っていたと思われていたようだ。

 私は体を起こしつつ、言った。孤独になってからというもの、消えかかっていたと思われた怒りの炎が灯るのを、確かに感じた。それは痛みが走り、動けないはずの体を突き動かす原動力となったのだ。

「今の侮辱は聞き捨てならない。この子の才覚は、確かなもの。私のもとで、彼は大きく飛躍した。あなたたちが苦戦したという、あの魑魅魍魎共さえ、この子にかかれば簡単に対処できる。彼は弱くない。役立たずなど持っての他。師匠として許さない。……だから取り消せ」

 将軍はニタニタと笑みを浮かべながら言い放った。

「……まだ訳の分からぬことをほざく力があるのか?……この餓鬼がもうすぐ死ぬのは明白であろう。嘘だと思うのならば、目覚めさせてその力とやらを見せてみよ」

 将軍は横臥している彼の頬を、ベシベシと乱暴に叩く。私の血は沸騰した。

「汚い手で……触るなッ……!」

 指先から、小さな炎が噴き出た。それはあの男に届くはずもないほどの大きさだった。部下たちはそれを見て驚いたが、将軍は見慣れているのか、せせら笑って受け流した。

 私の妖力は、この血と共に、地の底へと流されてしまったようだ。

「ふん、威勢だけは良いアマだ。……おい、この餓鬼は絶対に置いて行くのだぞ」

 部下たちの顔に、困惑がにじみ出ていた。その一人を、将軍は殴りつけた。

「さきほどからお前ら、生意気な態度だな。……腐った考えなど捨てて、俺に従えばそれで良いのだぞ」

 フフッ、と私は笑みを零した。

「……何が可笑しいのだ」

 将軍に聞かれ、私は答えた。

「あなたは、謀反を起こされそうだと私に相談した……その理由が分かった気がするからよ」

 将軍から笑みが消え、目の色が変わるのがはっきり見えた。そしてこう言った。

「……餓鬼を殺せ。……このアマの処遇は変わらぬが、許せぬ。冥途の土産に、地獄を見せてやる」

 私の中で、怒りと痛みが消えた。それ以上の何か、雷霆のごとき衝撃が、私を麻痺させたのである。

 よもや、そこまでするとは。奴らは人間か?……悪鬼は誰だ?本当に、私なのか……?

 桜雅の顔が見えた。誰も気づいていないが、私は分かった。否、私「なら」分かる。その青白い顔に、少しずつ紅色が差し、肌の張りと潤いが甦りだしているのが。

 ……やはり、彼は呼応している。私の流血と、文字通り血を吐くような想いに対して。彼の眠っていた生命力は、今や、師匠を超えるべく、その目覚めを待ちわびているような気がした。

 あだにしてはならぬ。静かな闘志が、私の背を押した。

 腹を裂かれた激痛と、全身を覆う寒気で意識が途絶え始めている中、術を試みるにはどうすればいいか。

 一瞬。一瞬でいい。あの子にも教えた、あの技術だ。

 照覧(しょうらん)せよ、私の愛弟子よ。

 部下の一人が、震える足取りで桜雅の前に立ち、刀を抜いた。そして、それを振り下ろさんとした、その時だった。

 私の右腕の光の刃が瞬時に伸び、部下の胸を貫いていた。

 それは『無我の境地』の真髄だった。その瞬間の私は、彼への怒りも、恐怖も、腹の痛みも、何もなかった。

 刃が抜かれると、部下はバタリ、とその場に倒れた。

「糞が!」

 激昂せる将軍が、私に襲い掛かる。刀を風のような速さで振り下ろし、私は左肩から袈裟斬りにされた。

 だが、私は抗った。飛んだ血を依り代に変え、黒い大蛇として召喚し、将軍に牙を向けさせたのだ。

 将軍は急所を噛まれ、即座に絶命した。瞬時に二人が倒されるという、恐ろしい光景を見て、残りの部下たちはみな逃げ出した。

 残されたのは、桜雅と私、そして二人の屍だけになった。

 私は仰向けに倒れこんだ。汗と血で覆われた顔を風が撫でる。冷たい。

(……いた……ああッ……!)

 空気が弛緩し、抉るような痛みが全身を走った。だがそれも、一時のこと。この量の出血と、臓腑への損害を考えれば、もう、私の余命は半刻とないだろう。

 だが、私は、やり切った。


 桜雅が目を開け、あたりを見回すのが見えた。

 予想通り。私が死の縁にまで弱ったことにより、彼の魂を侵食するものがなくなり、本来の生命力を発揮しだしたのだ。

 私と目が合い、駆け寄ってくる。

 分かっている。それは、私を罵倒、あるいは完全に殺すためであろう。

 人でなし。

 精力を吸い上げる化物。

 妖しい術で、人を誑かす魔女。

 いくら肉体が、己の認識が人であろうとも、彼にとっては私は悪鬼そのものだから。私は観念した。

 さあ、やりなさい。全ての元凶たる私を倒し、運命を拓くのだ。

 瞳を閉じると、涙が零れた。

 しかし、私に伝わったのは、彼の非難でも暴力でもなく、予期せぬ温かい感触だった。私は思わず目を開けた。桜雅は血染めの私の体を抱き、そして滂沱の涙を流し始めたのだ。

「うわああああああ!!厭だ厭だ厭だ!!師匠……どうして……!」

 最初、彼の言っている意味が分からなかった。

「なにを……言って……?」

「お願いです……どうか、死なないで……!」

「え……」

「あなたは……僕を命懸けで助けてくれた。日常を授けてくれた。僕の才覚を引き出してくれた。……どれもこれも、一族からは得られなかったもの……間違いなく、かけがえのない日々でした……」

 私の額には脂汗が滲み、息をするだけで、刺すような痛みが(はらわた)全体を走っていた。彼の涙が、私の頭や顔に落ち、汗や血、泥を洗い流していく。

「……あの手帳の言葉は忘れられません。『同じ過ちを繰り返すまい』……僕には過ちとは思いませぬが、その体質でありながら、あなたは、僕をどうすれば救い出せるのか、葛藤し、四苦八苦しておられた。……僕が一時、熱の霧から抜け、目覚めた日に……色々とお声がけしたのを、覚えていただけていますか」

(......譫言では……なかったのか……!)

怖がらないで。

飢えの苦しみと心労は分かっている。

過ちではない。

あの言葉が甦ると、私の目から、ぼろりと涙が零れ出た。

「……朦朧とする意識の中、僕は見たのです。あの男に怒り、戦おうとされていた。あの目覚めた日と、先ほどのお姿に、僕は、確信いたしました。師匠は化物などではなく、人間なのだと……」

 桜雅は顔を歪め、号泣しながら私に抱きついた。私も知らぬ間に慟哭しながら、彼の手を握った。

 孤独になってからは、初めての温かい抱擁に包まれて、私の涙は、彼の着物に吸われていった。

 春の訪れを告げる、温かい風が二人に吹き抜けてきた。


 私が抱えていた葛藤は、これにて決着がついた。でも、彼の戦いは、まだ終わっておらず、むしろこれからだった。

「師匠……何か、助かる方法はございませぬか」

 桜雅は涙をボロボロと流しながら言った。もう、痛みも、悲しみもなくなり始めていた。私は首を横に振った。

「私はもう……ここまでだから。……お行きなさい。この異界を出て、人生を拓いていくのよ」

「僕を助けた時の術がありましょう。あれを師匠へ使えば……」

「いけません。……何のために、あなたは化物たちと戦う練習をしたの」

「……実はまだ、怖いのです。……だから、このまま、ここに留まるのも……」

「桜雅。……最後の、餞よ。……受けなさい」

 私は、震える掌を、やっとのことで彼に向けた。桜雅は青ざめた。

「師匠!……なりませぬ……!」

「……言ったでしょう。あなたは、私の愛弟子。倒れたら助けると。迷えば道を照らすと。……」

 私のすべてが、掌からの温かい光へと変じて、桜雅に届いた。意識が、肉体から遊離し始め、痛みと悲しみの沼から、引き上げられていく。

 桜雅は、こと切れた私を必死に呼びかける。でもそれは、無駄なことだった。

 微かに肉体に残っていた私の魂は、彼の内奥へとこう告げた。

(進みましょう。もう、何も怖くない。……背中は任せて)

 彼はしばらく泣きじゃくったのち、庵を離れていった。


『外は北の森の奥に繋がっているわ……とにかく進んで』

 桜雅の心の中で、私は案内を続けた。

 しばらく寝込んでいたのが嘘のように、軽快な走りで、木々を掻き分けて走っていく。重み操作の術を応用しているようだ。

 獣道の横から化物が飛び出してきた。

「うわあああ!」

『落ち着いて!』

 桜雅は指から炎を発し、刺客を焼き払った。

 呆然とする桜雅。

「師匠……助太刀くださったのですか」

『いいえ。私は手出しをしていない……そういうことよ。後ろは私が支える。とにかく前を向いて』

「……はい!」

 桜雅の顔に、本来の明るさが戻った。さらに速度を上げ、先へ進む。

 彼は右腕にあの光の刃を握り、襲いかかる獣たちを追い払っていく。冬の沈黙を破った彼らの飢えは、臨界点に達していた。次々に現れては、彼を喰らおうとするが、鮮やかな剣捌きで連中を斬り捨てていく。圧倒的な武勇を目にし、敵は少しずつ恐れを見せ始めた。

 彼の顔に、慣れが生じてきたのを認めたので、私は呼びかけた。

『桜雅……くれぐれも油断せぬよう』

「師匠と鍛えた術を使えば……御茶の子さいさいでございますよ!」

(まずい……)

 奴らとて一筋縄ではない。獲物を狩るために、色々な手段を用いる悪知恵を持っていた。桜雅が正面の敵を難なく倒せるとわかると、今度は死角から襲うことを始めた。

 山道を走る桜雅が、突然転倒した。地中に化物が潜んでいた。人ほどの大きさの、巨大な蟻地獄に足を咬まれたのだ。

 地中から這い出て、彼の首をその鋏で狩ろうとする怪物が正体を現した。指からの炎で何とか撃退するが、足の傷は浅くはないようで、血が滲む左脚を抑え、彼は(うずくま)ってしまう。

『桜雅……!』

 血の匂いを嗅ぎつけ、魑魅魍魎どもが迫ってくる。

 私は彼の血で、包帯状の依り代を作り、出血を止めた。

『今なら、立てるわ!』

 桜雅は痛みに顔を歪めつつ、何とか立ち上がった。

 そして、泣きながらもまた、あの光の刃を敵たちに差し向け、その動きを牽制にかかった。

「ありがとうございます、師匠……あなたは、約束を守ってくださった。……僕を立ち上がらせ、道を示すと。今度は僕の番だ。……生きてこの森を抜け出します!」

『ええ。あなたなら出来るはず……私の愛弟子だから!』

 桜雅は敵の僅かな隙間へ走り込み、包囲を抜けた。

 左右前後、上からも下からも化物が迫る中、桜雅はひたすら北を目指した。

 それは春風に乗っているかのような、疾風怒濤の勢いだった。

 とうとう、外界につながる大樹が見えた。

『見える?あの樹の洞に入ると、外に出られる……』

 桜雅は一直線にその穴へ向かい、覗き込んだ。

「これが……例の……」

 その時だった。その背中に噛みつこうと、狼の化物が、音もなく忍び寄っていた。狡猾なその化物は姿を消し、口を開けるまで目に見えない状態だったのだ。

 私は何かの気配を感じたが、敢えて黙っていた。この状態で彼に声を掛ければ、間違いなく驚きのあまり平静を失うであろう。それが命取りになりかねない。敵が彼を襲撃した瞬間を、私の最後の力……光の刃で貫こうという意図だった。私はこれで完全に力尽きるが、彼が生き延びるのであれば本望だった。

 敵は大樹に登り、彼に牙を剥け出した。そして、姿を現し、彼に噛みつこうとした。

(今だ!)

 その時、信じられぬものを見た。

 私が刃を彼の背中越しに差し向けようとした刹那、彼の右腕から、光の刃が背後へ伸び、狼を貫いたのだ。

(……え)

 狼は大樹から堕ちた。桜雅の顔には、焦りも、恐怖も、何もなかった。

『なぜ……桜雅。何が起こったの……』

「師匠が教えて下さったことですよ。……『無我の境地』です」

 桜雅はあの花のような笑みを私に向けながら言った。それは護られるだけのものではなく、誰かを護りうる力強さを備えていたのだった。

 その瞬間、ふっと全身が軽くなった。

 ああ、もう、思い残すことはない。

 私の意識は天に登って行く。

 見覚えのある、微笑んだ二人がいた。彼らに剥き出しの両手を引かれ、光る階段を登って行ったのだ。どこまでも優しく、温かい旅だった。


 一人の童が、とある山の洞穴から抜け出てきた。麓に村が見える。

 彼は喜び勇んで言った。

「師匠!ここが外の世界でしょうか……。あの村を目指せば良いでしょうか?……師匠?」

 童は辺りを見廻し、誰かを探していた。童の左脚には、布ともつかぬ何か赤いものが、幾重にも巻かれていた。

 やがて、俯くと、大声で泣き出した。号泣がおさまると、彼は麓の村へ歩き出した。

 桜は満開だ。その年は豊作だったという。

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