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パンドラの恋人  作者: 櫛名田慎吾
第六章
34/46

父の逮捕、そしてすべてが変わった日

 △


 それは十月下旬の早朝のこと。前日の夕方に有名企業の社長が突然背任容疑で特捜に逮捕されて世間を騒がせた翌日、金曜日の出来事だった。


 朝の六時すぎ、警視庁の人間が家に来て僕の父親を連れ出した。僕はその時はまだ寝ていたので、部屋に来た母親が何を言っているのかをすぐには理解出来なかった。


「起きて俊、お父さんのところに警察が来たの」


 血の気を失った母親が、ベッドから半身を起こした僕に言う。金切り声を上げるでもなく、取り乱して訳の分からないことを叫ぶでもなく、信じられないような目をして立ち尽くす母。


 寝起きの僕は何を言っているのかと思い、母親と一緒に部屋を出た。上着を着ないと肌寒いな、などと呑気なことを考えていた僕の目の前に現れたのは、全然知らない中年の男性。その向こうではうつむいている父に、二人の男が何事かを言い聞かせているようだった。


 朝からまるで現実感のない出来事に、僕も母親と同じようにただ呆然と立ち尽くす。


「あの、なにがあったんですか? 父さんはなにをしたの?」


 目の前の警察官に問いただすと、その男は「あとで説明できるところは説明します」、と答えて僕と父親の間に立ち塞がる。


 僕は最初、父親が仕事上のトラブルとか、もしかしたら横領などの不正行為で捕まったのだと思った。銀行員の父が捕まる理由など他に考えられなかったのだ。ところが父親の容疑はそんなものではなかった。


「……とにかく逮捕状が出てるからな、表の車の中で確認して読み上げるから。家族の前だといろいろあるだろう?」


 父は年長の警察官になにやら説得され、うなだれたまま二度首を縦に振った。


「ちょっと! ねえ父さん、なにしたの。横領? 不正融資?」


 警察官に囲まれながら無言でパジャマから着替える父は、僕の言葉には何も答えずに「母さんと一緒に弁護士を頼んでくれ」とだけ言う。


「いや、父さん! なんで捕まったのか分からないと弁護士もなにもないだろ! ちょっと警察の人もちゃんと説明してくださいよ」


「ああキミ、わかったわかった、まあ落ち着いて。パトカーで逮捕状の確認をしはじめたら私が説明するから。あまり大声を出すと近所に目立つからな」


 僕の前に立ち塞がった警察官が僕をなだめるように言った後、父は両脇を警官にガッチリとロックされて玄関を出た。一瞬振り返ったその顔は、まだ自分の身に起きていることが信じられない、といったような表情だった。


 やがて家の前に停めてあった車のドアがバタンと閉まる音が聞こえる。白い普通のミニバンの後席に父が乗せられたのだった。


 リビングの窓から見える早朝の景色は、白いミニバンが停まっている以外は普段と変わりはない。近所から誰が出てくることもなく、見た目では警察車両とも判別のつかない車が停まっているだけだ。僕はこの日常のなかに突然現れた非現実的な出来事を、なんども首を振りながら見ているしかなかった。


 △


「じ、児童買春、児童……ポルノ法?」


「ええ、児童買春、児童ポルノ禁止法。正確には、児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律ですね」


 逮捕を確認した警察官は、手元の捜査資料を確認しながら僕たちに父の容疑を告げた。家の中では別の警察官が、父のパソコンや机の中の物などを押収していっている。母は容疑が児童ポルノというところに衝撃を受け、リビングの椅子に座り込んでしまう。


「児童ポルノって、あの……違法なDVDを持ってたり。それから、写真をダウンロードしたり。そんなやつですか?」


 腰が抜けてしまったような母に変わって質問をするのは僕。


「いや、今回の容疑は、まあいわゆる援交です。世間で言う十八歳未満との援助交際というやつですね」


 座り込んだ母の様子を少し気にしながら、警察官は父親が犯した罪を説明する。特に援助交際という単語を出すときには、少し頬と目をゆがませ僕たちに同情をするような顔つきになった。


「父さんが、援交……って。ウソでしょ」


「残念ながら、さっき本人も認めた。事実は事実として警察は対処します」


 警察官がその後の流れを軽く説明する間、母は完全に気の抜けた状態になって虚ろな目をしていた。僕が母の代わりに色々と聞いたのだけれど、検察庁に送致されるまでは家族でも会えないし詳しい話はできないという。そして本人が弁護士を依頼しているので、弁護士をつけるならそれはそれで構わないという話だった。


 窓の外を見ると、いつの間にか白いミニバンは消えていて、二人の警察官が押収した証拠物件を別のワゴンに積み込んで、後ろのハッチをバタンと閉めたところだった。


 △


「俊……、あの人、援交って……」


「母さん、そんなことより弁護士だよ、弁護士!」


 警察が去ってすぐに僕はスマホで弁護士を検索した。本当はパソコンで調べたいけれど、警察に押収されてしまっている。母親はといえば、あまりのショックにまだリビングの椅子から動けない。そんな母の気持ちは痛いほど分かるけれど、とにかく行動を起こさないと始まらないと思った。


「ねえ俊、アナタもう七時半過ぎてるけど学校はいいの?」


 こういう場合も正常性バイアスというのだろうか、母親が僕におかしな事を言う。


「バカ、母さん。学校なんて休んだっていいんだよ。あっ! それより父さんの支店に連絡しておいたほうがいいよ。逮捕されたなんて言えないから、インフルエンザかなにかで高熱が出たって言って」


「そうねえ、じゃあ陽にはなんて言えば」


「え? 兄貴には……」


 陽とは僕の兄。家から離れた銀行の寮に住んでいるのでここにはいない。


 ここで兄貴に言ったところでどうなるだろうと考える。兄貴も自分の銀行を休む、そしてこの実家に帰ってきてからの家族会議。僕たちは色々と兄貴に聞かれるに違いない。なぜ捕まったのか、どういう様子だったのか、警察はなんて言っていたのか。それを全部説明したとして僕たち二人にも分かってもいないことを説明できるはずもない。つまりは先に弁護士に相談して詳しい話を聞いた方がいいような気がする。


「兄貴には弁護士の先生から説明してもらおう。そうじゃないと僕も母さんも何一つ兄貴に説明できないだろ?」


 僕は母親に支店へ連絡を入れるように急がせて、スマホで弁護士の検索を再開する。なにしろ弁護士の知り合いなんて周辺にいる訳がない。いや、父親ならツテをたどれば弁護士の知り合いにたどり着くかもしれないけれど、その父親が捕まっているのでもうどうしようもない。とにかく性犯罪に詳しそうな都内の弁護士事務所のホームページをピックアップしてブックマークする。隣では母親がようやく現実を受け入れ始めたのか、連絡のついた銀行の行員らしき人に「高熱で……」と電話を入れて

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