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パンドラの恋人  作者: 櫛名田慎吾
第一章
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長谷川綾 その2


 翌日の授業中、僕は右斜め前の長谷川綾の横顔を見ていた。いまの授業は睡眠を誘う現代文の時間、クラスの三分の一くらいは眠たい授業から意識が飛んでいるように見て取れる。


 セミロングの黒髪に綺麗なまつげ、意志の強そうな口元と整った頬のライン、確かに長谷川は美人さんだった。そして斜め後ろからの横顔は、昨日の夜に僕が見た長谷川のそれと同じ。


 長谷川綾――、僕が直接喋ったことがあるのは二度か三度か、はたまた四度か、とにかく二年生の一年間で直接会話をしたのは数えるほどしかない。そしてこの四月に三年になってからは、まだその声を授業中以外で直接聞いたことがなかった。


 ウチのクラスは国立理系の第二コース。隣の第一コースは医学部だの旧帝大だのというところを目指すクラスで、頭の良い付属中上がりが多数を占める。対してウチのクラスは第一コースとは違って、男子なら普通の国立の工学部、女子なら医療系学部を目指している生徒が多く、男女比率は二対一といったところだろうか。それでも隣の第一コースよりは女子も多くて、まあまあまだ普通の高校の雰囲気だった。


 十数人の女子生徒のうちで一番美人なのは確かに長谷川綾。けれど、今年中にウチのクラスから長谷川に特攻するようなヤツは現れないだろうな、と思って斜め後ろから見ていた。なにしろ今年は受験だし、それに理系クラスの男どもは根が真面目だ。特攻して振られてメンタルボロボロになって、高三の受験期を過ごす輩は出てきそうに無かった。


 と、その時、なぜか長谷川が後ろを振り向いた。いきなりのことで視線を逸らす間もなく彼女と目が合う。「なに?」というような表情をして長谷川綾は形のいい眉をひそめた。僕はブルブルと首を振って、何も無いという意を示す。我ながら彼女の視線にビビっているようで少し情けない。


 長谷川は少し首を傾げてから前に向き直る。ホッとした僕は小さなため息をついて教科書のページを繰る。やがて残り十分ほどが経って授業が終わり、昼休みに入った。


 マンガなどでは付き合っている彼女が弁当を作ってくれる、なんていう場面があるけれど、優花がお弁当を作ってきたことなど一度も無い。それどころか同じクラスだった一年の時にも、一緒に昼ご飯を食べたことすら無かった。そこまでベッタリなカップルなんて、一学年に何組あるだろう。そんなことを思って教室を見回すと、なぜか長谷川綾がいぶかしげな目でこちらを見ていた。僕は手に持った弁当箱を思わず落としそうになる。


 長谷川はほんの少しだけ凍ったような微笑を見せて席を立ち、僕の方に近づいてきた。何も悪いことをしていないのに、僕の心臓は鼓動を速める。


「なに? 長谷川」


 近づいてきた長谷川に声を掛けたのは僕の方だった。何か言わないと自分が悪いことをしているように思えたのだ。


「なに? って、高橋くんの方が授業中に私を見てたんだけど、なに?」


「いや、べつに……」


 『なに?』に対して『なに?』と返されると、言うべき言葉が見つからない。まさか長谷川のことを美人だなと思っていたとか、特攻するヤツはいないだろうな、などと考えていたなんて言えるはずもない。僕はなにもその続きを言えずに、机の上に弁当箱を出して昼食の準備を始める。


「高橋くん。昨日、駅前のマクドナルドにいたでしょ?」


 長谷川は何かを確認するように僕に言った。まさか昨日こっちを見られていたとは思わなかった僕は、弁当の入った袋をほどく手が止まる。


「カノジョと一緒に、ね」


 追い打ちをかけるように、長谷川が言葉を続けた。僕はその言葉に観念してため息をつく。


「見てたのかよ」


「目が合ったでしょ」


「それって、ほんの一瞬だろ」


 僕には目が合ったかどうかは分からなかった。けれど暗い外の舗道から明るい店内のほうがよく見えるのは道理で、僕がチラッと見かけたときに長谷川も僕を見つけたのだろうと思った。


「有原さんと仲いいんだね」


 有原というのは優花の名字で、フルネームは有原優花ありはらゆうか。優花本人は学年では割と目立つ女の子なので、長谷川が優花のことを知っていたとしても不思議じゃない。


「悪い?」


「悪いなんて言ってないけど」


 澄ました顔でそういう長谷川は、優花と同い年とは思えない微笑を見せる。切れ長なのに二重になっている印象的な目は、僕の心の中を読んでいるようだった。


「高橋くんがウンザリした顔で外を見てたから、有原さんの話がつまんないんだろうなって思っただけ」


「つまんなくは無かったよ……」


「ふーん。まあべつにいいけど」


 それだけ言って去って行く長谷川の後ろ姿を見ながら、僕はその観察力に舌を巻いていた。確かにあの瞬間僕は多少ウンザリした顔をしていただろう。なにしろ本当につまらない話だったから。それをあの一瞬で見抜く長谷川綾とはいったいナニモノだろう。そしてそれを確認するためだけにわざわざ僕のところに来たのだろうか。


 僕が見送った斜め前で、長谷川は自分の弁当を広げている。ここからは見えにくいけれど、小さなお弁当箱でそれほど中身が詰まっているようには見えなかった。


「俊、氷姫こおりひめとなに話してたの?」


 気がつくと隣には友達の粕谷浩太かすやこうたが弁当を持って立っていた。中学からの友人で、だいたい昼間はこいつと弁当を食べることが多い。粕谷は僕と長谷川綾を何度か見比べて、不思議そうな顔をしていた。


「氷姫って、長谷川のこと?」


 僕は少し声のトーンを落とす。さすがに氷姫なんて呼ばれたら彼女もいい気はしないだろう。


「まあね、でもそんな感じだろ」


 空席になっている前の机にお尻をのせて粕谷は小さく笑う。確かにいまの長谷川の雰囲気は氷姫だった。冷たくて、誰も寄せ付けなくて、秘めた意思が強そうで、そして美人で。


――さらにいえば聡明で……


「で、なに話してたの? 長谷川さんと」


「なんでもないよ、授業中に目が合ったのを、なんで? って言われた」


 べつに僕は隠すつもりは無かったけれど、昨日の出来事を言い出すことが出来ずに粕谷には半分本当のことを言う。


「へえ、それで俊が石になったんだ」


「それじゃメデューサじゃん」


「似たようなもんじゃない?」


 似たようなものと粕谷が笑う、確かにそうかもしれない。氷姫でもメデューサでも、近寄りがたい雰囲気を醸し出しているのは同じだ。


「なあ俊、天気もいいし外で食べないか」


 粕谷が窓の外を指さして言ったので、僕はいまの長谷川綾から少し離れることが出来るならいいかと思って、弁当袋を下げて粕谷の後をついて行くことにした。

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