絶望的な大成功~万国最高芸術祭の「光と影」~
1792年。九月一日。
パリが目を覚ました。
いや、パリは昨夜眠らなかった。
万国最高芸術祭の開幕前夜、セーヌ川の両岸には夜通し人々が集まっていた。チュイルリー庭園のコンサートホールからはケルビーニが指揮するオーケストラのリハーサルの音が深夜まで漏れ聞こえ、オペラ座の楽屋口からは衣装を運ぶ助手たちが出入りし、旧アカデミーの展示室ではダヴィドが最後の照明調整を行っていた。ノートルダム大聖堂の尖塔には夜明け前からトリコロールの巨大な旗が掲げられ、夜風に翻っていた。
そして、朝が来た。
九月の朝日がパリの石畳を金色に染めた。セーヌ川が光を映し、ポン・ヌフの橋脚が長い影を落とし、チュイルリー庭園の並木道が朝霧の中に浮かび上がる。
ポン・ヌフの大砲が三発の空砲を放った。轟音はパリの空に響き渡り、万国最高芸術祭が開幕を告げた。
* * *
最初の音はラ・マルセイエーズだった。
コンサートホールの巨大な扉が開かれ、ケルビーニの指揮する百人のオーケストラと二百人の合唱団が、労働と進歩のアンセムとなったあの旋律をパリの空に向けて放った。
進め、市民よ 隊列を組め 進め、進め 労働の汗で 我らの畑を潤せ
チュイルリー庭園を埋め尽くした数万の市民が声を合わせた。パン屋の主人が。鍛冶屋の親方が。洗濯女のマリーが。印刷工の少年が。そして、彼らの隣に立つ旧貴族の夫人たちが。新しい麻のドレスを着た侯爵夫人たちが。
全員が同じ歌を歌った。
同じメロディ。同じ歌詞。同じ拍子。身分の違いが旋律の中で溶けていく。オペラ座の休憩時間に始まった融解は、この瞬間に数万人規模で完成した。
歌が終わったとき、拍手ではなく沈黙があった。
数万人の沈黙。
それは祈りに近かった。信仰のない祈り。神ではなく自分たち自身に向けた祈り。我々はここにいる。我々は一つだ。我々はフランスだ。
ロベスピエールはコンサートホールのバルコニーの最奥に立っていた。いつもの位置。闇に溶ける位置。数万人の沈黙を上から見下ろしていた。
この沈黙の重さをロベスピエールは知っていた。
もう一つの未来で、最高存在の祭典の後に同じような沈黙があった。だが、あの沈黙は恐怖の沈黙だった。ギロチンの影に怯える民衆の、強制された沈黙。
今日の沈黙は違う。
これは自発的な沈黙だ。強制されていない。命じられていない。数万人が自分の意志で同じ瞬間に黙った。
設計された感動。だが、感動そのものは本物だった。
* * *
開幕式の後、パリは祝祭の渦に飲み込まれた。
コンサートホールではハイドンの新作交響曲が初演された。六十歳の巨匠はパリのために書き下ろした一曲をケルビーニの指揮で披露した。第一楽章の冒頭弦楽器の静かなトレモロの上にオーボエのソロが浮かび上がる。パリの朝霧を音にしたような、透明で柔らかい旋律。客席の最前列でベートーヴェンが食い入るように聴いていた。
オペラ座では三日間連続でモーツァルトの作品が上演された。『魔笛』。『皇帝ティートの慈悲』。そして『フィガロの結婚』。三作品のうち最も客席を沸かせたのは『フィガロ』だった。貴族を出し抜く召使いの物語。かつてのフランスでは上演禁止に近い扱いを受けたこのオペラが、今や貴族と市民が同じ客席で笑いながら観ている。アルマヴィーヴァ伯爵がフィガロに出し抜かれる場面で、バルコニー席の旧伯爵夫人が声を上げて笑った。自分自身の階級が笑われているのに。それが何を意味するのか、彼女は考えなかった。ただ面白かったのだ。
旧アカデミーの展示室には開場時間前から行列ができた。ヴィジェ=ルブランの冒頭作品の前で足を止め、ゴヤの暗い目に射抜かれ、ターナーの光に溶かされ、カウフマンの美徳に頷き、そして最後の壁面で、あの風刺画の前に立つ。
『自由を数えた男たち』。
特別賞を受賞したこの風刺画は、祭典期間中の展示室で、最も人だかりのできる作品になった。人々はこの絵の前で立ち止まり、議論し、笑い、首を傾げた。共和国の指導者を正面から批判する絵が共和国自身から賞を受けている。その事実自体が一つの芸術作品のように人々の知性を刺激した。
* * *
だが、万国最高芸術祭の真の観客はパリの市民ではなかった。
ヨーロッパ中から招待された王室代表団と政府高官たち。彼らこそがロベスピエールがこの祭典で最も見せたい相手だった。
招待状はタレーランの名前でヨーロッパの全主要国に送られていた。「フランス共和国は万国最高芸術祭の開催を記念し、友好国の代表団をお招きいたします」。丁重で外交的な文面。だがその行間には「来て見よ。そして震えよ」という冷たいメッセージが透けていた。
オーストリアからはレオポルト二世の名代として宮廷顧問官と文化大臣が来た。プロイセンからはフリードリヒ・ヴィルヘルム二世の秘書官が。スペインからはカルロス四世の文化顧問が。ロシアからはエカチェリーナ二世の信任状を持つ外交官が。そしてイギリスからはロンドンの有力貴族が個人の資格で訪れた。
当初、彼らは芸術を楽しむつもりで来た。
音楽を聴き、絵画を鑑賞し、オペラを観て、パリの美食を楽しみ、帰国後に「フランスの芸術祭は見事だった」と報告する。それだけの文化的な訪問。
だが、パリに三日滞在した後、彼らの顔色が変わった。
* * *
オーストリアの宮廷顧問官はコンサートホールの建築に目を奪われた。
千五百人収容のホールが、わずか四か月で建設されている。全国統一規格の木材。精密に計算された音響設計。ラヴォアジエの化学チームが開発した防火塗料が壁面に塗られ、ガス灯が客席を均一に照らしている。ウィーンのブルク劇場が五年かけて改築した規模の建築を、パリは四か月で完成させた。
「これは建物の話ではない」
宮廷顧問官は隣に座ったプロイセンの秘書官に小声で囁いた。
「これはシステムの話だ。あの建物を四か月で建てるためには、全国から規格化された木材を集める物流網が必要だ。それだけではない。精密な設計を可能にする度量衡の統一、新素材を開発する科学研究機関、それらすべてに投資する資金を生み出す経済システム、すべてが必要だ。あの建物は、それらすべての結晶だ」
プロイセンの秘書官は顔を蒼白にして頷いた。
「我がプロイセンが、あの規模のホールを四か月で建てようとしたら不可能です。木材の規格が統一されていない。度量衡が地域ごとに異なる。科学研究への体系的な投資がない。あの建物はプロイセンには建てられない」
「オーストリアにも建てられない」
「スペインも同じくだ」
「どの国にも建てられない。フランス以外には」
高官たちはハイドンの交響曲を聴きながら、音楽ではなく、その音楽を鳴り響かせている国家のインフラの恐ろしさについて考えていた。
スペインの文化顧問は絵画展でゴヤの作品を見た。自国の宮廷画家がパリで新作を発表している。トリコロールの旗を描いた作品は、マドリードでは決して描かれなかっただろう、希望の色彩を帯びていた。ゴヤの目がスペインではなくフランスで輝いている。この事実がスペインの文化顧問の胃を締めつけた。
「我々は画家を失うのかもしれない」
文化顧問は帰国後の報告書にそう書くことになるだろう。「フランスは武力ではなく、芸術で我が国の文化資本を奪おうとしている。ゴヤがパリに留まれば、スペイン宮廷は最高の画家を失う。そしてゴヤだけではない。ヨーロッパ中の芸術家がパリに引き寄せられている」
ロシアの外交官はオペラ座で『フィガロの結婚』を観た。貴族を笑い飛ばすオペラを、貴族と市民が一緒に観て笑っている。エカチェリーナ二世の宮廷では想像もできない光景だった。ロシアの農奴が貴族を笑う芝居を観て笑う?ありえない。ありえないことがここでは起きている。
外交官はモスクワへの書簡にこう書いた。「フランスの芸術祭は単なる娯楽ではありません。これはフランスの社会秩序そのもののデモンストレーションです。彼らは身分を超えた共存を、娯楽の形で世界に示しています。この共存が可能であることを目撃した各国の民衆が、自国でも同じことを求め始めたとき、我々はどう対処すればよいのでしょうか」
* * *
招待客の中に一人の若い男がいた。
ザクセン=コーブルク=ゴータ公国のフランツ・フリードリヒ・アントン。四十二歳。小さなドイツ公国の君主。政治的には無力に近いが、血統はヨーロッパの名門に連なり、各国の王室と縁戚関係を持っている。
フランツは芸術祭の三日目にパリに到着した。
小国の君主であるフランツへの接遇は大国の代表団に比べれば簡素だった。だが、フランツはそれを気にしなかった。彼が見たかったのは接遇ではなく、パリそのものだった。
フランツはコンサートホールでハイドンの交響曲を聴いた。オペラ座で『魔笛』を観た。展示室でゴヤの絵を見た。だが彼の目が最も長く留まったのはパリの街そのものだった。
ナポレオンが整備した街路。統一規格の車輪が走る石畳。ラヴォアジエの改良ガス灯が照らす夜の通り。フラン建ての価格表が掲げられた市場。度量衡が統一されたことで、パリのどの店でも同じ単位で商品が量り売りされている。すべてがシステマティックで効率的で美しかった。
フランツはセーヌ川の橋の上に立ちパリの全景を眺めた。
夕日が沈んでいく。ノートルダムの尖塔がシルエットになり、チュイルリー庭園のコンサートホールの屋根にトリコロールが翻り、オペラ座の窓からオレンジ色の光が漏れている。街のあちこちから音楽が聞こえてくる。クラリネットの音色。ヴァイオリンの旋律。遠くで誰かがラ・マルセイエーズを歌っている。
美しかった。
圧倒的に美しかった。
そして、恐ろしかった。
フランツは小国の君主としてヨーロッパの力学を肌で感じていた。大国の間に挟まれた小国は大国の機嫌を読み、大国の隙間で生き延びる。その生存本能がフランツに告げていた。
この国は止められない。
武力では止められない。タレーランの外交術がそれを封じた。経済制裁では止められない。ロンドンとアムステルダムがフラン圏に組み込まれた。文化的な対抗もできない。ゴヤとハイドンとベートーヴェンがパリに集まっている。
だが。
フランツの目に特権階級としての意地が、小さな、しかし硬い炎が灯った。
もし。
もし、いつか自分の血脈がこれを超える規模のものを開催できたら。
芸術だけではない。産業を。技術を。科学を。世界中の知恵と工夫を。すべてを一か所に集め、展示し、世界に示す。フランスが芸術で見せたものを、もっと大きなスケールで、もっと実用的な形で。
世界中の産業と知恵を集める巨大な博覧会。
フランツはまだその構想に名前をつけられなかった。「万国博覧会」という言葉はまだ存在しない。だが、種子はこの夕暮れのセーヌ川の橋の上でザクセンの小君主の心に確かに蒔かれた。
五十九年後の1851年。フランツの孫アルバート公がロンドンのハイドパークに建てられた水晶宮で、第一回万国博覧会を開催することになる。その博覧会には世界中から六百万人の来場者が集まり、産業革命の成果がガラスと鉄の殿堂に展示される。
その種子が今、パリの夕日の中で芽を出した。
フランツは橋を離れ、宿舎に向かった。小さな歩幅で。だが、その頭の中では巨大な構想がゆっくりと回転し始めていた。
* * *
祭典の最終日。九月七日。
チュイルリー庭園で閉幕式が行われた。
ケルビーニが作曲した祭典のための序曲が演奏された。ハイドンが客席の中央で立ち上がり拍手した。ベートーヴェンは柱の影で腕を組んだまま微動だにしなかった。だが、その目だけが燃えていた。いつかこの規模を超える音楽を書いてやると。あの灰色の瞳がそう誓っていた。
ダヴィドが壇上に上がり絵画展の総括を述べた。出展作品百二十点。来場者延べ四万人。パリの人口の十五分の一が一週間で展示室を訪れた計算になる。
オペラ座の総支配人が上演データを報告した。七日間で十四公演。延べ観客数一万八千人。満席率は百パーセント。立ち見席の入場券は毎朝発売開始から三十分で売り切れた。
数字が並ぶ。帳簿の数字が。あの風刺画が示した通り、この祭典もまた、最終的には数字で総括される。
だが、数字の裏側に数字では測れないものが確かに存在していた。
洗濯女マリーの涙。侯爵夫人とのオペラの会話。ゴヤの「希望」。ターナーの光。ベートーヴェンの燃える目。それらは帳簿に載らない。中央準備基金の統計にも現れない。だが、それらがなければ、この祭典はただの見本市に過ぎなかっただろう。
閉幕式の最後にラファイエットが壇上に立った。
「市民諸君。万国最高芸術祭は今日をもって閉幕する。だが、芸術は閉幕しない」
ラファイエットの声がチュイルリー庭園に響いた。
「この一週間で我々は世界に示した。フランスが何であるかを。自由と平等と博愛の国が何を生み出せるかを。音楽を。絵画を。オペラを。そして笑いを。涙を。感動を。武器ではなく美で世界を圧倒する国。それがフランスだ」
拍手が起きた。数万人の拍手。チュイルリー庭園のプラタナスの葉が震えセーヌ川の水面が波立ちノートルダムの鐘楼から鳩の群れが飛び立った。
ロベスピエールはバルコニーの闇の中からその光景を見下ろしていた。
* * *
祭典が閉幕した夜、ロベスピエールは一人で執務室にいた。
机の上には祭典の収支報告書が置かれている。投じた予算に対し入場料収入、宿泊・飲食による経済波及効果、フラン建て取引の増加量、すべてが黒字だった。芸術祭は経済的にも成功していた。
だが、ロベスピエールが見ているのは収支報告書ではなかった。
窓の外を見ていた。
祭典が終わったパリの夜。ガス灯が通りを照らし、帰途につく市民たちの足取りが軽かった。酔っているのではない。幸福なのだ。一週間の間、彼らは音楽を聴き、絵を見て、オペラを観て、笑い、泣き、侯爵夫人とモーツァルトについて語り合った。彼らの忠誠心は今、最高潮に達している。
パンとサーカス。
古代ローマの格言がロベスピエールの脳裏をよぎった。
民衆にパンと娯楽を与えれば民衆は従順になる。ロベスピエールはまさにそれをやった。フランでパンを安くし、芸術祭で娯楽を与えた。結果は完璧だった。民衆の忠誠心は最高潮。反乱の気配はゼロ。懺悔室のデータも不満の兆候を示していない。
完璧な支配。
だが、その完璧さがロベスピエールを不安にさせていた。
完璧すぎる。
バグがない。亀裂がない。不満がない。それ自体が異常ではないか。
人間のシステムにバグがないことはあり得ない。ラヴォアジエの質量保存の法則が示す通り、エネルギーは消えない。不満というエネルギーは表面から消えたように見えて、どこかに蓄積されているはずだ。懺悔室のデータに現れないなら、懺悔室では拾えない場所に蓄積されている。
どこに?
ロベスピエールは考えた。
あの風刺画家マラトのような「完全管理された平和」に物足りなさを感じる若い世代。パンは安い。道路は整備されている。オペラは楽しい。それでも何かが足りないと感じる人間。息が詰まるような安定に窒息しそうになる人間。
自由の女神が指し示す方向を帳簿の数字ではなく、本物の自由を求める人間。
彼らの不満は懺悔室には届かない。なぜなら彼らの不満は罪ではないからだ。不満は告白する種類のものではない。不満は絵を描くことで、歌を歌うことで、物語を書くことで表現される。芸術として表現される。
そしてロベスピエールは芸術祭を開いたばかりだ。芸術の力を知っている。芸術が人の心を動かすことを知っている。もしその力がシステムへの反逆に向けられたら?
マラトの風刺画は賞を与えて飼い馴らした。だが次のマラトは?その次のマラトは?「許容された反逆」の中に許容しきれないものが育つ可能性はゼロではない。
ロベスピエールは蝋燭の炎を見つめた。
完璧なシステムの設計者は、完璧であること自体を恐れる。なぜなら完璧は静止だからだ。静止は死だからだ。生きているシステムには必ずバグがある。バグがないということはシステムが死んでいるか、バグが検知できない場所に隠れているかどちらかだ。
ロベスピエールは窓の外を見た。
パリの夜。ガス灯の光。帰途につく市民の幸福な足取り。
この幸福の下に何が眠っているのか。
ロベスピエールにはまだわからなかった。
だが一つだけわかっていることがあった。
どれほど完璧に見えるシステムも、必ずどこかで壊れる。
問題は、いつ、どこで、どのように壊れるか。
それを知る方法は一つしかない。
待つことだ。
システムが動き続ける限りバグはいつか必ず姿を現す。
ロベスピエールは蝋燭を吹き消した。
暗闇の中でパリの街のガス灯だけが窓の外で静かに燃えていた。
明るく。
そして不気味に。




