アップデート
10月5日、土曜日。
金吾町に住む凍連冬輝は、その日も早朝ランニングをするべく、庭でストレッチをしていた。
彼のとなりには、同じく念入りにストレッチにおこなう煌白もいる。
煌白はスポーツが好きな18歳の雪女。冬輝の手先妖怪である。
冬輝も煌白も、少し前までは、たがいに嫌われることを恐れて、まともに口も利けなかったが、極導と花子の策略により、いまではいっしょにランニングする仲にまで発展しているのだ。
「お父さま、行ってきます」
ランニングに出かける前、かならず冬輝は父のいる倉庫に声をかけるようにしている。
そしてそれは煌白も同じである。
* * * * *
冬輝の父の名は冬弥。
2年前、つらら女の冷李に全身を凍結され、いまもマイナス20℃に保たれた倉庫で眠っている。
冷李は冬弥の手先だった妖怪。
相棒を凍結したのは彼を救うためであり、その場にいた魔廻り全員が、
「憎むべきは冷李さまではなく、炎群羅です」
と口をそろえて語る。
2年前のある日。
冬弥はほかの魔廻りと協力して、炎群羅に縄をかけようとしていた。
炎群羅は姥ヶ火という老婆の妖怪。
炎をあやつる能力で、あらゆる建物を燃やしてきた連続放火犯だ。
30分にもおよぶ捕物のすえ、ついに冬弥は炎群羅を追い詰めることに成功。
だが一瞬の隙をつかれ、炎群羅に呪いをかけられてしまったのだ。
「あんたはすべてを焼き尽くす炎魔になるんだ!」
その直後に炎蒸羅は血を吐いて絶命。
それと同時に、
「うおおぉ!」
冬弥の背中から紫色の炎が噴きあがった。
「冬弥さま!」
冷李は、すぐに冬弥の背中に冷気をあてた。
しかし、呪いの力はすさまじく、炎を消すことができない。
河童や川男などの手先妖怪も冬弥に水をかけるが、それでも炎は消えない。
「殺してくれ!」
のたうちまわりながら、冬弥がさけんだ。
「冷李さん、炎魔になる前に、ぼくを殺してくれ」
「そんなこと、できません!」
「お願いだ。みんなを――きみを傷つけたくないんだ。だから早く、ぼくを殺してくれ」
そのとき、背中から一段と激しい炎が噴きあがり、冬弥のからだを包んだ。
「わたしがあなたを助けます」
冷李は冬弥に駆け寄った。
そして燃える彼を抱きしめながら、
「さよなら、冬弥さま」
すべての霊力を使い、みずからの命と引き換えに冬弥を凍結。
氷の結界に閉じこめることで、炎魔化を阻止したのだった。
* * * * *
当時、冬輝はまだ10歳。
両親の離婚により、1か月前に母親と別れたばかりなのに、今度は父親を凍結されたことで、彼の心は壊れる寸前だった。
そんな冬輝を救ったのが極導だった。
過去に似たような体験をしたことから、極導は親身になって、冬輝に寄り添った。
あるときはひとりで凍氷連の屋敷に泊まりこみ、夜通しで冬輝の話を聞き、またあるときは、いっしょにゲームをしながら、
「やっぱ冬輝は強いな。おれじゃ、ぜんぜん勝てないよ」
わざと負けて、冬輝を元気づけようとしてくれたこともある。
「あのときはおじいさまや屋敷のみんなが、ぼくを助けようとしてくれました。でも、いちばん、ぼくに寄り添ってくれたのは、まちがいなく兄さんでした」
そう冬輝は煌白に語ったことがある。
このことがきっかけで、冬輝は恩人である極導を、
「兄さん」
と呼ぶようになったのだ。
* * * * *
話を現在にもどそう。
ランニング開始から数十分が経過した。
「冬輝さま、休憩にしましょう」
「はい」
ふたりは、ランニングコースにあるベンチで休むことにした。
自販機で買ったスポーツドリンクで、のどを潤す。
渇いたからだに水分が染みこんでゆくこの感覚を、冬輝は好きになりつつあった。
それから少しして、
「あの、煌白さん」
冬輝は以前から気になっていたことを煌白に訊いてみることにした。
「煌白さんは自分のこと、ぼくの手先って言うけど、手先って言葉、いやじゃないですか?」
それは、ずっと冬輝が気にしていることだった。
「長年、使われてきた呼び方だっていうのはわかってます。けど、ぼくは手先って言葉を使うのに抵抗あります」
いくら魔廻りの家系とはいえ、令和育ちの冬輝は、子分や手下などの意味を持つ手先という言葉を煌白に使いたくないのだ。
「ほんとは兄さんみたいに、ぼくも煌白さんのこと手組って言いたいんです。でも、それはおじいさまに反対されました」
「寒太郎さまに?」
「はい。じつはおじいさまも以前に、手先という呼び方を手組に変えるよう、総導さまに相談したことがあったそうなんです。でも総導さまに反対された」
「なぜ?」
「怪異――とくに妖怪は変化を嫌う者が多いから、慣れ親しんだ呼び方を変えられることに抵抗感を覚える者もいるからだと」
「あ、言われてみれば」
煌白がポンと手をたたいた。
生まれた時代や心に抱えるものにもよるが、妖怪は基本的に変化を嫌う生き物である。
手先として魔廻りと手を取りあってきた妖怪がいる一方で、いまでも自然のなかで暮らしたり、大都会にいながら江戸時代と変わらぬ生活をする者はたくさんいる。
もとが人間の花子――妖怪ではなく幽霊だが――はともかく、動画配信サービスでスポーツ観戦する煌白や、ぽっちゃりメイドカフェに通う蝦蟇七のほうが、妖怪としては異端なのだ。
「それに当時は、破天荒な総導さまのことをこころよく思わない魔廻りもいて、手組という呼び方をバカにする人たちもいたそうです」
総導は今年で70歳を迎えたが、下半身は衰え知らずで、いそがしい合間を縫っては妾を相手に男女のたたかいを繰り広げている。
だから軽蔑とまではいかなくても、まゆをひそめたくなる気持ちは煌白にもわかる。
「総導さまの考えはわかります。けど、やっぱり、手先って呼び方、ぼくは抵抗があります」
少しの時間、ふたりのあいだに沈黙が流れた。
「手先と呼ばれることをいやだと思ったことは一度もありません」
冬輝を安心させるように、煌白がゆっくりと言った。
「むしろ、わたしは手先と呼ばれることに誇りを持っています」
「どうしてですか?」
「幼いころ、かつて手先だったおばあさまに言われたことがあるんです。魔廻りの手先になることは、人間と手を取りあえた証。恥ではなく、むしろ胸を張って誇れることだと」
「胸を張って誇れる……」
「はい。魔廻りの手先をつとめた方の話を何度か聞いたこともありますが、わたしの知るかぎり、手先と呼ばれていやがる妖怪はいませんでした。むしろ、パートナーとかバディとかの横文字を使われることに抵抗をしめしていたぐらいです」
「そうなんだ」
「わたしは冬輝さまの手先であることに誇りを持っています。ですから手先と呼ばれて、いやな気持ちになることは、ぜったいにありません」
「手先か」
冬輝は自分のてのひらを見つめた。
煌白と霊盃をかわした手。
そして熱を出したときに握ってもらった手。
たとえ煌白がいやじゃなくても、やっぱり大切な人を手先とは呼びづらい。
そんな冬輝の気持ちを察したのか、煌白は、
「それでも抵抗があるのなら、手先の意味をアップデートしてはどうでしょうか」
「アップデート?」
「はい。わたしはスポーツが好きなこともあり、根性という言葉が好きです」
「あ、意外に熱血タイプなんですね」
「ですが、古いの時代の、無理して自分を追いこむ意味の根性は嫌いですし、それは自分にも他人にも使いません。わたしが好きなのは意味をアップデートした最新の根性です」
「最新の根性? それって、どんなのですか?」
「アップデートした根性の意味は『自分の心とちゃんと話し合うこと』です」
煌白が自分の胸を指でさした。
「からだや心が苦しいときは、しっかり休んで、べつの機会にその分がんばる。そして、がんばった自分には、ちゃんとご褒美もケアもしてあげる。それらをちゃんと自分の心と話しあって決めるのが、アプデしたわたしの根性です」
「たしかにそれなら、無理してからだと心を壊すこともありませんね」
「はい。根性を出すということは、真剣に自分自身と向き合うこと。このように手先という言葉も、最新の意味にアップデートして使えばよいのではないでしょうか」
「最新の意味にアップデート……そうか!」
煌白の言葉に、心を覆っていた霧が晴れていく。
冬輝はてのひらを見つめながら、
「手を握る? それとも取る? 手を取って……先に行く?」
自分なりに手先の新しい意味を考えはじめた。
そして、考えたあげく、
「手先は手を取りあって、先の時代に進む仲間。共に未来へ向かう相棒。そういう意味にアップデートすればいいんだ」
晴ればれとした顔でベンチから立ちあがった。
「最高のアップデートだと思います」
見守っていた煌白もうれしそうに立ちあがる。
「わたしは冬輝さまと手を取り、未来へ向かう相棒。だから、これからもあなたのそばにいさせてくださいね」
煌白が笑った。
いくらか夏の面影を残す10月の朝日が、いつもよりまぶしい気がした。
(アップデート・完)
ゴクハナの新作エピソードはこれからも投稿していく予定です。




