鬼として
つまりはこうだ。
人間と鬼の世界。元々そこに境はなかった。最初そんな区別はなかった。どちらも同じ種族だと思って過ごしてきた。
だがやがて、鬼と呼ばれる存在は体に異変が生じた。角が生え、身体は大きくなり、赤味を帯びだした。そこで初めて、お互いが違う存在なのだという事を知った。
最初はそれでも共存関係にあった。互いにずっと同じ暮らしを共有してきたのだ。見た目は違えど、区別など必要ないとされてきた。
しかし、代を重ねるごとにその均衡が崩れ始めた。見た目の違いははっきりとした区別としての力を増し、両者に明確な壁を造った。
互いの暮らしが少しずつ遠ざかっていった。遠ざかると心無い言葉が生み出された。それは主に、区別するなら「人間」側から「鬼」に向けられたものだった。
鬼の威圧的な見た目、それだけで人間は鬼という存在に悪質な付加価値を与えた。両者の壁はみるみるうちに分厚くなった。壁はやがて、争いに発展しかねない程に増築されていった。
争いを食い止めたのは歴史だった。かつて共存してきたという、繋げてきた歴史が二つの種族を守る礎となった。
結果として、壁はなくならなかった。だが争う必要はない事を歴史が教えた。
そして代りに協定が生まれた。
人間の島と、鬼の島。それぞれの世界に別れた。物理的な距離は互いの安心につながった。
しかし、問題が生じた。人間の島には、鬼の血がまだ受け継がれていた。人間と思って育てていたら、角が生えだし、肌の色が変わり始めた。
人間の間に、鬼はしばし生まれた。
鬼は鬼の元に返す。人はそれを筋と考えた。人の島には鬼は置けない。鬼は鬼で、人の島に鬼がいる環境を不憫に、そして不安に感じた。
互いの想いが成立した。鬼の兆候が表れた者は、鬼の島に引き渡す。
元々はただそれだけの話だった。だがどうも実際に悪さを働いた鬼が別の世界に存在していた。その話が流布してしまったせいで、引き渡しがいつしか鬼退治というしきたりに変化してしまった。
人の島と鬼の島の均衡を保つための寓話。
歴史が守った者と、正しく伝えきれなかった歴史に挟まれた結果がこれだ。
鬼の島の者達が、人間である俺に気さくに優しく語りかけてくれた理由はその為だった。
「辛いか?」
すっかり鬼になった介平さんが心配そうに声をかけてくれる。いずれ俺も鬼の姿になる。
不安が無いと言えば嘘になる。
しかし、どのみち戻れない。戻ろうとも思えない。今の話を聞いている限り、酷いのは人間の方じゃないか。今まで向こうで暮らしていたとはいえ、そんな所に戻る想像はあまり心地良く感じられなかった。それに、こっちの暮らしもそう変わらない。というか、むしろこっちの方が居心地がいい気がする。
「いえ、そんなに」
ちょっと無理したかもしれないが、本音だ。
「退治してもいいぜ。出来るなら」
そうやって笑える鬼は素敵だなと思った。
悲しい歴史を踏み台にして、彼らは彼らの幸せをちゃんと築いたのだ。
後はこれ以上、歴史が捻じ曲がらない事を祈るとしよう。
「やめときます」
お茶もうまい事だし。