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「腕は確実に折れてるな。折れてるというか潰されているというか……」


 莉都の怪我の具合を見て、槇がため息まじりに容態を口にする。不穏な言葉に、莉都ではなく若様が過敏に反応した。


「治る? 治るよね? 治らないと困る。というか治して。世界中から医師を呼んだってかまわないから」

「若、落ち着いて。ちゃんと医師には連絡しておきます。治るのに時間は要するでしょうが、なんとかなるでしょう」

「……よかったぁ」


 そして、莉都以上に安堵している。

 怪我をした張本人はというと、安定に若様に抱きつかれている状態に飽きて、疲れた顔をしていた。


「若、そろそろ弓森から離れてください。若が抱きついたままだと治療がしづらくてかないません」


 そうは言いつつも、槇はテキパキと莉都の打撲痕に湿布を貼り、傷口を消毒している。頬にはひと際大きな湿布が貼られて、少しだけ莉都の目はスースーしていた。


「京介が戻ってくるのが早いから、莉都とあまり抱き合えてないんだよ。お願い、許して」


 すっかり若様は調子を取り戻している。まだ少しテンションは低いが、むしろいつもこれくらいのテンションでちょうどいい具合だ。


「若……。一応、あなたを狙う輩がすぐそこにいる空間ですので、気を抜かないでください」


 周囲には、莉都と槇で縛りあげた覆面の男たちが10人。覆面、といっても、すでに顔は暴かれている。

 彼らの監視もかねて、莉都たちはあえてこの場を離れず、ここに居座っていた。


「あと2人いると言ったな、弓森。目星はついているのか」

「1人は私のこと知ってたみたいでわざわざ顔さらしてくれましたから、まだこの会場にいるならすぐに捕まえられます。ただ、あと1人は……」


 三節棍の男の顔は分からない。莉都は「どうやって見つけるか」と思案する。けれど槇は、莉都の前半の発言が気にかかったみたいだ。


「知っていたってことは、3番街の頃の知り合いか?」

「知り合いっていうか、たぶん昔こてんぱんに潰したやつだと思います。顔の傷に見覚えあるし、私のこと恨んでるっぽかったんで」

「……それでこんなにやられたのか」


 田崎に比べると、莉都の怪我はかなり酷い。莉都の戦闘能力を危険視したにしても、田崎の数倍は殴った痕がある。過去の鬱憤を晴らした、と言われれば納得できるくらいのやられようだ。これで平然としていることが吃驚なくらいに。

 槇の指摘に莉都が目をそらすと、代わりに若様が反応した。


「捕まえたら……10倍で返してね、京介」

「了解いたしました」


 槇は若様の命令に異を唱えることなく、すんなり了承する。莉都と田崎、両方がやられ、なおかつ若様を狙った輩。槇が容赦する必要はもとよりない。


「しかし、そうだな。……その男ともう一人の男がまだともに会場に残っているなら捜しやすいところだが……」

「もしかしたらそいつらがお先に連絡とって、全員やられてる~って分かって退散しとる可能性もあるやんなあ」


 聞き慣れた方言が莉都たちの耳に届く。治療を終えて、如月と田崎がこちらの部屋に合流した。

 如月の言う通り、彼らがこの会場から早々に退散している可能性はある。


「そうなら3番街を荒らしに行けばいいだけですよ」

「簡単に言うな、弓森。あの場所になんの躊躇もなく飛び込んでいけるのは、お前くらいだぞ」


 槇ですら足を踏み入れることを拒むほどの難所だ。けれども莉都でなくとも、あの場所に能天気にやってきた人物がいる。


「ここのバカ若様もだいぶ躊躇ない感じで私に会いに来ましたけどね」

「莉都をもらいに行くためだから、そりゃあ躊躇もしないよ」


 若様はさも当然のことのようにして告げてくる。それに対して突っ込む暇はないため、莉都も槇もその発言は完全にする―した。当然、若様は「ひどいなぁ」などとぼやいている。


「でもたぶん、私に顔をさらした男なら、まだ会場にいると思いますよ。顔もバレてるのに、若様まで取り逃すなんて無駄もいいところですから」

「そうだね。そこでのびている人たちが、僕たちがここに来たことを連絡するような時間は与えなかったつもりだしね」


 莉都の意見に若様も賛成する。

 若様が頷けば、それが総意。槇が素早く会場を捜索する作戦を考える。


「とりあえず、弓森は顔に傷があるというその男を捜せ」

「言われなくとも」

「三節棍を使うという男のほうは……さすがに棍を持ち歩いてはいないだろうからな」


 もう一人の男を捜す手段について槇が頭をひねらせる。

 莉都ももう一人の男の特徴を一生懸命思い出していた。体格も特徴的ではなかったし、服も全身黒――それも会場では着替えているだろう。

 めぼしい特徴――そこで、莉都はハッと目を見開いた。


「あいつ、棍が滑るからか、手袋してなくて……手の甲に、こんな感じで二連のほくろがありました」


 莉都は自分の身体にまとわりつく若様の手を指して、相当ヶ所を指し示す。

 そうはいっても、手を頼りに会場を歩くわけにはいかない。大事にすれば、混乱に紛れて男たちが逃げ出す恐れがある。

 どうしたものかと槇が顎に手を当てると、田崎が「すみません」と小さな声で手を挙げた。


「俺……その男、たぶん顔分かります」


 田崎が静かに告げる。すぐにはその意味が理解できず、数秒の沈黙がその場を包んだ。

 沈黙を破ったのは、うるさく声をあげる如月だった。


「え、なんで!? シュウくんの知り合いに、二連のほくろあるやつおるん!? でもさすがにそいつが同一人物やて決めるん早すぎるって!」

「い、いえ……そうじゃなくって。この屋敷に入る前に見たんです」


 田崎はそう答えながら、ちらりと莉都に視線を向けた。


「莉都さんが、胸に緑色のバッジをつけた人を数えろって言ったので数えてたんですけど、その中に一人ハンカチで汗を拭いている男がいて、その男の手に二連のほくろがありました」


 田崎は「間違いないです」と付け加える。

 まさか自分のお願いがこんなところで掘り起こされるなど思いもよらず、莉都は「ほぁ」と奇妙な声をもらしてしまう。


「弓森、なんでそないな変なこと頼んだん。なんか予想してたん」

「私がそんなところに頭回せると思いますか? 適当にお願いしただけですよ」


 莉都がそう答えると、如月は「たしかに~」などとのんきに返す。

 けれど若様だけはそんな莉都をよしよしするみたいに頭を撫でてきた。


「でもそんなささいなこと、よく覚えていたな、田崎」


 槇が感心したように告げると、田崎は少しだけ嬉しそうに頬を緩めた。


「俺、人より少しだけ記憶力はよくて……天ヶ崎家の使用人になれたのも、結構それが大きいんです」


 田崎も訓練されてそれなりに強い人間ではあるが、戦闘能力は他の使用人に比べれば劣るところがある。それも当然で、もとより彼は頭脳派として迎え入れられた人間だったのだ。


「その特技、よく覚えておく。……そうと決まれば、全員捕まえるぞ」


 槇はそう宣言して、それぞれの配置を口にした。




★★★




「ちくしょう。天ヶ崎の坊ちゃんは、いったいどこだ……? 会場が広くて一向に見つかりやしない」


 顔の半分を前髪で隠した男が、小さな声で呟く。

 早急に坊ちゃんを捕らえ、依頼主に引き渡さなければ報酬が減らされてしまう。しかしながら、その依頼主様も同じ会場内にいるわけで――。


「もっと協力してくれればいいのによぉ。ったく自分は高みの見物ってか。お偉い様はいいよなぁ」


 お偉い依頼主様がしてくれたことと言えば、彼らがこの高貴な邸に足を踏み入れる手はずを取ってくれたことと、彼らに綺麗な正装を与えてくれたことだけ。

 依頼主に対する不満はあれど、報酬の額を考えれば、その不満も吹き飛ぶというもの。

 加えて、今回はもっといい報酬がもらえそうだった。


「まさか、弓森が天ヶ崎家に仕えてるとはなぁ。……俺様の顔に傷をつけた恨み、殺したって償えねぇぞ」


 これが終われば、捕らえた弓森莉都を3番街へと連れ帰り、死んだ方がマシと思えるくらいの仕打ちをしてやる。そんなことを男は幸せな頭で考えていた。


 その肩を、捕まれるまでは――。


「……っ」

「きみのお探しの人は、ここにいるよ」


 透き通る、けれど独特な、甘く痺れるような声。

 それは、さきほど少しだけ耳にした天ヶ崎朔優の声で間違いない。

 男はすぐさま振り返る。どうして天ヶ崎家の若様が、その男にわざわざ声をかけてきたのか、深く考えることもせずに――。


「……っ、お前、なんで! あいつらは――」

「お仲間なら、仲良く全員のびてますよ」


 振り向けば、笑顔を見せない、昔よりも少しだけ表情の穏やかになった『メスザル』がいる。

 昔より短くなった髪は、まるで彼女を自由に羽ばたかせたかのよう。

 男は知っていた。

 彼女に自らが敵う術は、彼女に対して百万人の大男を連れ添うか、彼女の手足を拘束するか、それくらいしかないことを。

 拘束から解かれた彼女に自分が敵うわけがないと。


「ひっ、ぐあああっ」


 男が避けようとしたときには、すでに莉都の足が男の顔に触れていた。

 そのまま頬骨を折る勢いで、莉都は男の頬を蹴り飛ばす。

 男がその場にズザザッと倒れ込めば、会場は一瞬にして静まり返った。


「うわあああああっ」


 莉都たちより右前方では、別の悲鳴が響く。おそらく如月と田崎が二連ぼくろの男を見つけたのだろう。

 うまく男を捕らえたみたいだ。


「お仲間のもう一人も捕まったみたいですね」


 莉都は冷静に事実を伝えながら、男の手足を縄で縛りあげる。

 すると、男はギリリリッと唇を噛み、苦言を吐いた。


「似合わねぇ、敬語なんて使いやがって……! てめぇは、汚ぇ言葉を無感情に吐くような! クソみてぇな女だっただろうが!」


 静まり返った会場内に、男の声は鮮明に届く。

 この会場にいるすべての人間に、莉都の本性を伝えようとしていた。


「今さら、天ヶ崎の名を借りて、過去を返上しようってか!? むりむり! てめぇはいつまでたっても! 最下層の泥まみれの腐った人間なんだよ!」


 莉都はそんな暴言を聞きながら、男の縄をしっかりと絞める。もうどうあがいても動くことができないようにきつく縛って、男をその場に転がした。


 言い返す言葉はない。

 それが莉都にとっての事実だった。


「……莉都」


 若様の声が、後でする。

 けれど、莉都の耳についたインカムには同時に槇の声が流れていた。


『動いた。弓森の左30メートル先、如月たちから右斜め前方10メートル先にいる、那須浜家のご子息だ』


 会場の二階。すべてを見下ろせる立ち位置から全体を見て、槇が告げる。

 依頼主を暴き、槇はその位置を正確に伝えてくる。

 伝えれれた距離なら、如月たちのほうが近い。けれども、動き出すのは莉都のほうが早かった。


 場にそぐわない裸足で、誰よりも軽快に、少し破れた膝丈のドレスの裾すら気にすることなく、莉都が会場を駆ける。


 黒のドレスが会場を舞う。

 人間離れしたジャンプ力――けれども彼女は普通の過程で生まれた、本当に普通の女の子。

 その異常な身体能力を生まれ持ったせいで、喧嘩をすることしかできない、女の子。


 飛び上がる莉都を誰も天使だなんて思わない。

 思うとしたら、堕天使がいいところ。

 綺麗とは程遠い――けれど、それでも若様の目にはしっかり留まる。


 莉都が追いかけていると気づいたのか、静かに逃げていた依頼主が猛ダッシュをはじめた。

 けれど莉都にターゲットにされたからには、彼に逃げ道はない。


 莉都が依頼主に飛びかかったところで、若様は自分の前方に転がる男に声をかけた。


「莉都は、出会ったころから、変わらない。僕にはずっと、孤高に輝くヒーローにしか見えないよ」


 君がなんと言おうとね、と付け加えて、若様は男に近づいた。

 莉都が動けないように縛り上げたとしても、若様を狙う男。近づくのは危険だというのに、若様はその危険を顧みない。

 周囲で野次馬になっているお偉方も、ざわついている。けれどその騒ぎすら、若様にとってはどうでもいいこと。


「僕の莉都を痛めつけてくれた分のお返しは、もういらないって叫びたくなるほど用意してあげるよ」


 誰にも見せたことのないような、真っ黒な笑みを浮かべて、若様は男の耳にささやいた。


更新が長引いてすみません!

次で最終話です!

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