黎昏
家に帰ると、家族のものではない見慣れた靴があった。パパの会社の取引先の偉い人、ユリークさんが来てるみたい。その通り、リビングでパパとユリークさんが麻雀している。麻雀って四人でするものなのに参加者は二人。変な人だと、つくづく思う。そこに僕と弟が入ればいいんだろうけど、ルールなんて知らないし、そもそも弟は参加なんてしてくれない。だって僕と弟は、仲が悪いから。
なんで仲が悪くなったとか、そういう理由みたいなのはないけど、なんとなく他人程度の線引きで過ごしている。たまにつっかかって殴り合いして、それくらいしかないかなぁ、関わりは…。いや、ユリークさんが間に入ると、三人で遊ぶことがあった。一緒にゲームしてくれるし、ホントーに偉い人?って感じ。その時は僕も弟も、暴言をぶつけ合って、邪魔しあって、リスキルの果てにリアル大乱闘になって、兄弟を出来ているみたい。ママはやばくなったら止めるけど、ニコニコ見てるし、ユリークさんは無表情…これはいつもどおりか。だから弟と仲良くしたって、仲良くしなくたって意味はない。それなら学校のほうが楽しい。ずーっと学校の昼休みだったらいいのに。
リビングや部屋、家の中にいたら窮屈な気がして外に出る。他の家と比べたら広い庭は、僕にとって好都合だった。
「この辺で…よし、『ヴァイムハイム』」
足元に生えた苗木、それはどんどん伸びていって大樹になった。不自然に開いた葉と葉の間には木製の小屋が形作られ、木の上から目の前へストーンっとハシゴが降ろされる。僕の能力、『ヴァイムハイム』。広い空間さえあれば、どこにでもツリーハウスを創造できる。
木の上は心地が良い。木漏れ日のまだら模様、葉を抜ける風、切り取られた窓を射す太陽…。
…
「テンくん、テンくん。自分、そろそろ帰るよ。」
あ、ユリークさん…。
空は赤、黄色、オレンジとグラデーションを描いていて、僕はさっきまで寝ていたことに気づく。
「起きた。そろそろ夜ご飯だって、よし子さん…君のママが呼んでる。」
「ありがとうございます、気を付けて帰ってくださいねー」
短く「うん。」とだけ残してユリークさんは帰っていった。僕もさっさとハシゴを降りて、ツリーをしまう。この、空の色は好き。たそがれどき…っていう時間。お家に帰る時間。学校も好きなんだけど、こうやって一人で帰る。その孤独感も、ちょっと好き。今日のお夕飯は何だっけ、朝ママに聞かれたなー。そしたら僕の前にレンレンが答えるもんだから、僕のリクエストは明後日になっちゃったし。
あ!一番星。ママに教えてあげなくちゃ、「一番星が見えたよ!」って。
◇◇◇◇◇
テンテン、ウザいって。もう少し年相応を身につければいいのに。いつまでたっても「ママ、ママ」ってガキみたい。…とか思うけど、馬鹿みたいに騒いで、教室ぶっ壊して、せんせーに怒られる。それが、フツー? レンのクラスにも、そんな馬鹿はいるけど、一緒になって騒ごうだなんて思わない。家に帰るまでのカウントダウンをしに学校に行ってるまでだ。家に帰ったら、あたりまえにママがいる。そして、たまにユリークさんがいて、パパと麻雀してる。二人だからつまんなそう。レンが入ってもいいけど、逆にやりづらくなるだろうし、二人の話に入れる自信もないから、無視して部屋へ戻る。レンのオアシスだ。今日の午後は溜まったレコードの消化に使おう。
『レコード』、レンの能力。説明はむずかしいから端折ってあげる。簡単にいうと、レンと話した人、その人とも話した人…って感じで多数のことを生配信みたいに見れる。だけど、知らない人なんか見たって興味ないから、そーゆうレコードは消していかないと。緊急配信とかいって、レコードに保存されている人の死に際が勝手に流れるんだ。それを、見たくない。
「あら、もう寝るの?早いね」
ママ。今は全然二十時、確かに早い時間だった。
「うん、眠いから。」
今日はやけに眠い。昼に体力使い切ったのかもしれないね。
部屋の壁際にベッド、真横の窓は闇に覆われている。
…
朝の四時前に目が覚めた。窓の外はまだ暗く、だけど少し青みがかって。自然と起きられたから眠くなんてないし、二度寝の気も起こさなかった。寝っ転がりながら窓を開けて、空をみる。目に見える内に、深い青から、水色、白みがかった色へと変わっていく。
黎明。夜明けの少し前の、静かな朝。もう少しすると、遠くでスズメが鳴きはじめ、遅れてカラスも起きてくる。その頃には太陽の白が増し、明るくなってくる。幻想的で、世界に自分だけのような朝。今日が始まった。あと数十分で日が昇る。それまでの短い爽快を、全身で感じるんだ。オールして、そのまま朝を迎えたときとは違う感覚。美しく、風情的で、夏の日長でこその黎明。”つとめて”や”あけぼの”ではない。この、雪でも降りそうな青さが好きだ。この世界に黄色が混じり、本格的な始動。この始まりの合図は、レンにとって今日の終わりも意味した。
また「今日」が終わるよ。また「今日」が始まるよ。そうしたら、レンは今日を生き抜かないと。今日の終わりの冷涼を感じるために。
「おはよう、今日もカウントダウン開始、」
辺りは光に包まれた。青い夜明けじゃなくて、黄色い夜明け。黎明、薄明、暁…東雲時。こんな叙情的な言い方は好きだ。特に、夜明けの。
そんなこと言ったって、結局七時までまだあるし。
はぁ…二度寝しよ。
◇◇◇◇
今日、ユリークさんがいつもと違った。あ、髪を切ったんだ。
前までのユリークさんは、天然パーマでくるくるの髪を、後ろで三つ編みにしていた。だけど横の方の髪は散らかっていたから、正面から見ても三つ編みには気づかない。だから髪が短くなっていても、あんまり違和感がなかった。
「あれ、ユリークさん髪切った?」
レンレンも気づいたみたい。僕もそれに便乗して、「似合ってる!」って声をかけた。そしたら「うん、ありがと。」だって。
ユリークさんは一〇〇年くらい髪切ってないって言ってたのに、なんで切っちゃったんだろう。まぁ、イメチェンとか気分とかでしかないと思うけど。理由を聞こうと口を開いた瞬間、レンレンが先に質問した。…なんでもかんでも先を越されてムカつく。勝ってるのなんて年齢くらいだ。
レンレンの質問に、ユリークさんは答えた。
「髪の毛…うん、三つ編みに、もう未練ないから。」
僕もレンレンも意味が分からなかったから、「ふーん」とだけ返した。説明してもらってもわかんないだろうし。
三つ編みの話題もそこそこに、今日は何する? って切り替わる。ま、いつも通り遊ぶだけ…って思っていたら、面を食らった。いつも僕たちに任せてるのに、今日は外に行こうだって。
「髪切ったら性格も変わったの?」
レンレンが言う。
ちょっと失礼だよ、ってレンレンを叩いたら、叩き返してきた。お前が悪いだろ。
ミニ喧嘩に発展しそうになったけど、ユリークさんが割って入った。
「お散歩にでよう、天気もいいし」
僕もレンレンも、お散歩するなんて柄じゃないけど、ユリークさんが言うなら行く気になった。どこに行くの、って話をしながら、外へ出る。「行きたい場所でいいよ。」なんてユリークさんは言うけど、何となく、行き先の決まってそうな足取りだった。レンレンも同じことを思ったのか、どうでも良かったのかは分からないけど、「ユリークさんはどこ行きたいの」って返す。
「行きたい場所…」
僕の方を見て呟く。「テンくんは行きたいとこないの?」ってことだろう。ユリークさんは無口だけど、何を思ってるのかはだいたい分かるようになってきた。
ユリークさんが決めていいよ、と言えば、少し考え込んで、「レモン畑」と答えた。
どうやら、ユリークさんが昔、奥さんと息子さんとよく一緒に行っていたところみたい。
駅からバスに乗って終点まで行く。すると、そこはもう山で、菜の花がたくさん咲いていた。そのまま少し山を登れば、黄色く色づいたレモン畑が見えてきた。
そのレモン畑は、摘み取り体験やカフェなんかもやっていて、中々大きめの農場で、もう百五十年もやっているらしい。つい最近まで居た先代魔王は悪いヒトだと思っていたけど、レモンに関してだけは良いヒトだと、働いてる人の話で知った。この人のお祖父ちゃんのお祖父ちゃんが、土地を全部レモン畑にされたんだって。…いや、先代魔王悪いヒトじゃない?
カフェでレモネードとか、レモンケーキとか食べてから、レモン狩りにも挑戦した。一人六個までだったから、レンレンと合計量が重かった人が勝ちって競った。そしたら、まさかのユリークさんが一位で、次遊ぶ時は負けないから! って宣戦布告しといた。
フレンドリーな農場主と雑談したり、その息子と飼い犬と遊んだりして、気がつけば帰る時間だった。
帰りのバスの中、レモンを抱えて揺られていると眠気が襲ってくる。ユリークさんの両側で、二人とも眠ってしまった…。
…終着駅で起こされて、もう今日が終わりか、と悲しくなる。だけど、きっと明日も、明後日もあるはずだから、期待を抱いて帰路へつく。ユリークさんの家は南口の方面で、僕たちは逆だから、ここでお別れだ。
「「ユリークさん、またね!」」
意図せず、声が重なってしまった。
「バイバイ。」
いつもだったら、「うん。」で終わってたのに、今日は違った。まぁユリークさんも気分くらい変わるだろう、って気にしなかった。
ユリークさんの後ろ姿。三つ編みがないから違和感があるけど、これもそのうち慣れるだろう。
綺麗な夕焼けの下を、ゆっくり二人で帰っていく。特に交わす言葉もないけど、今日の満足感は共有している気がする。
◇◇◇◇
今日は大雨警報がでている。だけど、まだ雨は降っていないし、なんなら晴れてる。朝、家の誰もが起きないうちに家をでた。昨日が最後だけど、最後の言葉が「おやすみ」で良かった?…まぁ、割と合ってるか。
二月十一日…自分の誕生日。そんな日に何をしているんだろう。だけど、一五〇年も生きていればお祝いなんてのも飽きが来る。実際、ベニクラゲの一族である自分たち家族は、誕生日なんてあまり気にしていない。本当に、何で行きているんだろう。何で死なないんだろう。何で生まれたんだろう。
人間であるレイカが、五十年程度で死んでしまうのは分かっていた。自分の母も、祖母も、曾祖母も、そうだったから。
『取り残されるのは哀しいから、家族は作らないほうが良い』
そんなこと分かっていた。自分の曽祖父も、祖父も、父も、息子も、孫も、分かっていた。
自分としても、何十年も前から分かっていたけど、受け入れて、諦めたと思っていたけど。なんだか急に、もういい気がした。キリよく終わろうって思った。ニンゲンは急に生きる気が切れるらしい、確かにそうかもね。
この前、テンくんとレンくんと、レモン畑に行った。その後も個人で、色んなところに行って、それは、走馬灯を見ているようだった。
どれだけ生を悔やんでも、自分には良い思い出しかなかった。
———ユリーク。自分は今日、どこに行くの?
海、海に行きたい。レイカとグローダ…自分の嫁と、息子と、昔行った海。自分も、息子も泳ぎたくなかったから、灯台から眺めて終わったっけ。そこに行こう。車で一時間半くらいだったから、歩いて…一日、いや、半日くらいか。黎明から、黄昏って感じ。
雲行きが怪しくなってきた。まだ半分も歩いていないけれど。
小雨が降ってきた。そろそろ傘を差さないと。
土砂降りだ。雷も鳴ってきた。傘を差すのは危ないと思って、傘を投げ捨てた。
服も、髪も、背負っていたバッグも、全てが濡れるのに時間はかからなかった。一瞬で体は重くなったが、なぜだか、面白い。笑いが止まらない。あーあ、楽しいな。疲れたな。あとどれくらいだろ。たまたま聞いた世間話では、この雨はなかなか止まないらしい。それは好都合だ。
歩いた。道じゃなかったかもしれないところも、知らない地名も、歩いた。
着いた、遠かった。案外行けるものなんだ、遠くって。丁度よく森に穴が空き、高台から海を見下ろせる。まだ雨降りだから、海も大荒れだ。冷たそう。
記憶と同じ場所だけど、記憶と違う顔をしている。この海は、もっと穏やかだったはず。ああ、だけど三回くらいしか来てないっけ。
レイカと一緒に来たんだ、最初。三つ編みはお揃いだった。二回目は、グローダも一緒。最後に来たのは、グローダと、二人。レイカの遺骨を撒きに来た。
そろそろ腰を下ろしたい。ずっと歩いてきたんだ。もう日没だ。
バッグの中は浸水していた。ま、これに用はないしいいや。ビニールに入れていた錠剤は溶けていなかったので、雨水と一緒に飲み込んだ。
そして、薬が効く直前に飛び込んだ。広い、広い、海へ。
◇◇◇◇
緊急配信。ああもう、うるさいな。何?誰が死んだのさ。興味ない、って…あ、え、
レンの能力が鳴り響く。この音はレンにしか聞こえないらしいけど。
今日も明日も人は死ぬんだから、もう興味ないなんて、思っていたから。今回だけ、今回だけは、信じられなかった。
レンは一目散に走った、テンテンの部屋へ。夜になるとか、兄が嫌いだとか、そんなこと言ってる暇ないから、そこにいてよ、テンテン。どうしよう、どうしよう、テンテン、どうすればいいの。
ノックもなしにドアを開けた。案の定、テンテンは怪訝な顔をして、文句でも言おうと口を開く。その前にレンが叫んだ。
「ユリークさんが、ユリークさんが、海の中で…!」
テンテンも、レンの必死さに気づいたらしい。外は大雨。いや、そんなことに構えるか。レンはテンテンに手を引かれて、走り出した。ユリークさんの家へ、ユリークさんの大変を伝えに。
申し訳程度に傘を持って家を飛び出し、駆け出した。赤信号を、田んぼを、街中を、人の家を、駆け抜けて。ユリークさんはよくレンたちの家に来るけど、レンたちがユリークさんの家に行ったことはあんまりない。だけど、迷ってたら駄目だ、ユリークさんが死んじゃう。いや、レンが見たってことは、死んだんだろうけど。だけど、だけどぉ…だけどぉ!
「レンレン、着いた、ユリークさん、家、」
流石のテンテンも、ノンストップ猛ダッシュは疲れたらしい。レンも、疲れたし、雨の中走ったから、びしょびしょ。チャイムを鳴らそうと思ったら、先に誰か出てきた。あ、確か…ユリークさんの息子さん。
「こんな雨の中、どうしたの?」
あの、ユリークさんが、ユリークさんが…。声に出ていなかったみたい。二人とも、吃逆と涙しか出なくて、困らせたかも。そしたら、息子さん———そう、グローダさんは、中へ入れてくれた。
そっからは、もう一瞬で時は過ぎた。
———ユリークさんは死んじゃったって。ユリークさんの代わりに、社長に戻ったカタックさんが言っていた。ユリークさんの次は、息子さんじゃないの? って聞いてしまった。お父さんに戻ることって、あんまりないと思ったから。そしたらカタックさんは、悲しそうでもない、よくわかんない表情で誤魔化した。その意味が、レンも、テンテンも分かってしまったから、申し訳なく思った。
そして、また日常が変わったのは、カタックさんは、本当に大事な話でしか、会社を訪れないこと。ユリークさんがしょっちゅうレンたちの家に来ていたのは、仕事とかじゃなくて、遊びに来てくれていたんだね。
「ユリークさんのお墓、遠い。」
車の中で、レンレンが言った。ホントにそうだよ。車で一時間半なんて酷い。僕たちは後部座席で海を眺めていた。後少し。灯台が見えてきた! 山の上に立つ、はくあの灯台。
別に、一人や二人欠けても、世界は変わらないけど。あなたが欠けたら、僕は、悲しいよ。
石とか土とかに話しかけたって、どうせ故人には届いていない。だけど。
僕らが見下ろした海は、きれいに凪いでいた。




