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トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~  作者: 愛山 雄町
第四章「魔族の国・東の辺境」

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第五十九話「演説」

 三月二日の午後、ルナは漆黒のドレスを身に纏い、闇の大神殿の一室にいた。

 月の御子が降臨したことをルーベルナの民に伝えるため、大神殿の二階にあるバルコニーから演説を行うためだ。彼女の傍らにはレイたちの他に月魔族のヴァルマ・ニスカが控えている。


 既に重大な発表があると午前中に触れが出されており、ルーベルナの市民や巡礼者たちは神殿前に続々と集まってきた。

 ルーベルナの人口はおよそ五千人。これに巡礼者が数百人加わるため、神殿前は人で溢れて返っている。普段は静かな街だが、この時ばかりはどのような発表がなされるのかと、ざわざわという人の声が辺りに響いていた。


 ルーベルナの指導者である月の巫女イーリス・ノルティアがバルコニーに現れた。もっとも後ろの聴衆まで五百(メルト)以上あり、イーリスの姿はほとんど見えていない。それでも民衆たちは一瞬にして静まり平伏する。

 全員の動きが止まったところでイーリスはゆっくりと口を開いた。


「遂に、我らの悲願は達成されました!」


 その声は歓喜に満ち、神殿の前に響く。

 しかし、それは不自然なほど大きな声だった。そのため、すべての聴衆たちの耳に届いている。

 闇の神殿には西側の諸国では使われていない“拡声”の魔法が存在した。それは風属性魔法によって声を風に乗せ、一km(キメル)先まで届かせる魔法だった。

 戦場でも有用な魔法であるが、今まで使われたことはない。それはこの魔法が非常に効率の悪いものであり、呪術師と呼ばれている魔術師たちが多数必要で、今も彼女の後ろには十名以上の神官が魔法を行使し続けている。


 民衆たちは悲願達成と聞き、どのような内容か瞬時に理解した。しかし、イーリスの次の言葉を待つべく、声を上げるものは誰一人いない。

 その静寂の中、イーリスは再び口を開く。喜びを隠し切れないかのように、明るく力強い声だった。


「我らの下に御子様が、月の御子様が降臨されたのです!」


 その言葉が届いた瞬間、怒号というほどではないが、湧き上がるような感歎の声が広がっていく。


「オオ!」


「神よ! 感謝いたします!」


 数秒間続いた声はゆっくりと静まっていく。


「では、御子様にお言葉を頂きます。御子様、よろしくお願いします」


 イーリスがそう言って頭を下げると、民衆たちは更に深く頭を下げる。それは神を迎える姿に他ならなかった。

 その様子を遠目に見ていたルナは困惑する。


「どうしたらいいのかしら」


 神の使いであると言われ続けており、更に鬼人族の都ザレシェでは数百人単位の民衆の前で演説を行っているが、数千人が抱く期待感を前にたじろぐしかなかった。

 そんな彼女にレイは優しく声を掛ける。


「普段通りに話せばいいと思うよ。無理に気負う必要もないし、実際、君の声が聞こえればみんな納得するんだから」


「そうかしら? 神様の使いらしくしないとがっかりするんじゃなくて」


 そういうものの、民衆たちが待っているため、それ以上言葉を交わすことなく、バルコニーに出ていく。


 ゆっくりとした足取りでルナがバルコニーに姿を現すと、イーリスが「こちらへ」と言って、躊躇いがちな彼女に前に出るように促す。


「御子様のお言葉を皆が待っております」と小さく言うと、民衆たちに向けてルナの登場を宣言する。


「月の御子、ルナ様です! お言葉を賜ります!」


 その宣言の後、ルナに「では、御子様、よろしくお願いします」と頭を下げて、後ろに下がる。

 必然的にバルコニーの最前線にただ一人で立つことになり、僅かに気後れする。


(どうしよう……イーリス殿がいてくれると思ったのに……)


 そう思うものの腹を括って話し始めた。


「皆さん、顔を上げてください!」


 その言葉に平伏する民たちが僅かに動く。しかし、神にも等しい月の御子を直視していいのか判断が付かず、横の者の様子を窺うように頭が動いているだけで、一向に顔を上げる様子はなかった。


「私は月の御子と呼ばれていますが、皆さんと同じ、ただの人に過ぎません! ですから、皆さんに私を見ていただき、その上でお話をしたいのです」


 民衆たちも彼女の言葉に勇気をもって顔を上げ始める。

 人々の動きが止まったところで、笑みを浮かべたルナが話し始めた。


「まず、最初にお伝えしたいことがあります。私には“月の御子”であるという自覚はありません。そもそも、月の御子という存在についてよく分かっていないのです」


 その言葉に民衆たちに動揺が走る。しかし、私語を交わす者はなく、衣擦れの音だけが響いていた。


「先ほども言いましたが、私自身は普通の人間だと思っています。神からの明確な啓示もありませんし、特別な力を持っているわけではありません。ですが、私には一つだけ分かっていることがあります。それは今のままでは世界が滅びてしまう、虚無神ヴァニタスによって、この世界が崩壊してしまうということです……」


 月の御子が世界の崩壊という言葉を使ったことに、更に動揺が走り、今度はボソボソという声が神殿の前に広がっていく。

 ルナはそれに構うことなく、言葉を続けていく。


「ヴァニタスの力は強大です。私自身、その力に飲み込まれそうになりました。ですが、決して勝てない敵ではないのです。その証拠が今ここに私がいることです……」


 彼女の言葉は徐々に熱を帯びていく。


「……私たちは一人ではないのです。一人一人の力は弱くとも仲間がいれば、神に対抗することも可能なのです。実際、私は友の献身と、ここにいる神官方の祈りによって、ヴァニタスの力を撥ね退けました。闇の神(ノクティス)をはじめ、神々も私たちを見守ってくれています。私たちは……私たちソキウスに生きる者は、建国の理想どおり、“同志”とならねばならないのです!」


 精霊たちがルナの言葉に力を与えていく。それは闇の精霊だけでなく、光や風など全ての属性の精霊も含まれていた。精霊の力が見えるものにとって、それは虹色に輝く波であり、時折掛かる優しい闇が陰影を与え、神話の世界を思い出させるほど美しい光景だった。

 精霊の力を見ることができるイーリスは、あまりに荘厳で美しい光景に涙を流していた。


(全ての精霊たちが御子様の言葉を運んでいる……神々は今ここにおられる。直接見ることは叶わなくとも、降臨されていることは間違いないわ……)


 イーリス以外にもヴァルマや神官たちも涙を流してこうべを垂れていた。それほどまでに神々の力が満ち溢れていたのだ。

 レイには精霊の姿は見せないものの、ルナが奇跡を行っていると確信していた。


ルナ(月宮さん)が奇跡を起こしている。僕でも分かるほどの……これが本当の月の御子の力なんだ……)


 その間にもルナの演説は続いていた。彼女自身は冷静に話を進めているつもりだが、人々が感動していることに疑問を感じていなかった。彼女も一種のトランス状態に陥っていたのだ。


「今、鬼人族の大軍がこの都を目指して走り続けています。それは私を取り戻すためです……」


 鬼人族の大軍と聞き、民衆たちは驚きを隠せない。月魔族によって情報統制がなされており、鬼人族が迫っていることは民衆に伏せられていたのだ。


「……明日、鬼人族の皆さんに今回のことを包み隠さず説明するつもりです。恐らく私はそのままザレシェに向かうことになるでしょう……」


 そこで民衆たちから更に悲痛な呻き声が漏れる。


「ザレシェに向かった後ですが、更に西側に行くことになります。ですが、それは私がソキウスを見限ったからではありません! これは神々から受けた啓示によるもの、つまり、ヴァニタスとの戦いに必要なことなのです……」


 アシュレイはルナの演説を聴きながら、自らの隣に立つレイのことを考えていた。


(ルナもレイと同じだ。言葉に神々の力を感じる。私は彼に相応しいと言えるのか。ルナの方が相応しいのではないか……もし、昔の想いが再燃したら……私はどうすれば……)


 彼女は彼が日本にいる時にルナに憧れていたという話を聞き、再び彼がその想いを持つのではと不安に感じていたのだ。


「……私は必ず、ここルーベルナに帰ってきます! ヴァニタスとの戦いに勝利した後に!」


 そこで民衆たちが立ち上がった。普段なら絶対にあり得ない光景だが、誰もその異常さに気づいていない。

 そして、口々に「御子様!」と叫びながら、腕を振り上げていた。

 一分ほど興奮状態が続いたが、ルナがゆっくりと両手を広げると、その興奮は徐々に鎮まっていった。民衆たちが再び跪いたところで、彼女は落ち着いた口調で話し始める。


「皆さんにお願いしたいことがあります。それは先ほども言いましたが、ソキウスの建国の理念を思い出してほしいということなのです」


 熱狂が冷めた民衆たちはその言葉の意味を掴みかねる。


闇の神(ノクティス)は生きとし生ける者全てに等しく安らぎを与える神です。そして、ソキウスではすべての種族が手を取り合うと伺いました。ですが、今の状況はどうでしょうか? 虐げられている種族がいるのではないでしょうか?」


 その問い掛けに人族、獣人族の者たちが僅かに首肯している。しかし、月魔族や翼魔族を気にし、大きな反応は示していない。


「この状況はとても危険です。ヴァニタスは人々の信仰心を無くすことで神々の力を奪おうとしています。ノクティスやその他の神々への信頼を失いかねないこの状況は敵であるヴァニタスが作り出したものだと私は考えています」


 民衆も神官たちと同じように大きな衝撃を受けた。絶対的な力を持つ神が力を失うと、神の使いである月の御子が断言したからだ。


「私は先ほど西側に行き、ヴァニタスと対決すると言いました。そこで勝利を得たとしてもそれは一時的な勝利に過ぎないのです。ですが、まだ間に合うのです! 人々が手を取り合う。それこそが世界を破滅から救う唯一の手段なのです……」


 レイはルナの理想論とも言える演説を聞きながら、もし地球なら彼女は聖女と呼ばれる存在になっただろうと考えていた。


(凄いな。僕には絶対にできない演説だ……昔から凄いなと思っていたけど、今日は特にカリスマ性を感じる……)


 ルナの演説は更に五分ほど続いた。

 彼女は思い付くままに話した。その思いは被支配階級である人族や獣人族に、そして、支配階級である月魔族、翼魔族にも届いていた。

 精神魔法に詳しい学術都市ドクトゥスの研究者が見たならば、高度な闇属性魔法に見えたかもしれない。実際、闇の精霊たちがルナの感情を増幅し、過度に共感させていたのだ。雪の衣(ニクスウェスティス)によって守られているレイ以外、厳しい訓練を積んだ獣人奴隷のウノたちですら、ルナの思いに共感している。


「すぐに戦いが終わるわけではありません。我々の理想を西側の人々が理解しないかもしれないのです。ですが、本来進むべき道さえ間違えなければ、我々は必ず勝利します! 私はここではっきりと断言します! この世界に住む全ての人々が手を取り合えば、虚無神ヴァニタスから世界を守ることができると! 皆さん、私に力を貸してください! お願いします!」


 その言葉を最後にルナは大きく頭を下げた。

 一瞬の静寂の後、怒号のような歓声が上がる。

 民衆たちは口々に「御子様のために!」、「ヴァニタスを倒せ!」、「世界に平和を!」と叫んでいた。


 レイはその様子を冷静に見つめていた。


(兵士でもない普通の人たちがこんなに熱狂している。もし、ルナが西側を攻めろと言ったら、この人たちは命を捨てて戦いに行くんだろうな。これが正しいことなんだろうか……)


 彼はこの熱狂に危惧を抱いていた。

 元々宗教的な熱狂に否定的な感情を持っており、それを目の当たりにしたことも原因の一つだが、彼は趣味で読んでいた地球での歴史を思い出し、素朴な民衆が騙されているような気がしていたのだ。


(月宮さんが言っていることは全然間違っていない。全ての人々が手を取り合って世界の危機を救うんだから。誰かを犠牲にするとか、異教徒を殺せという話じゃないんだけど、何となく付いていけない感じがする。どうしてなんだろう……)


 彼は闇の精霊がルナを含め、人々の心を誘導していたことを理解していなかった。もし、彼が雪の衣(ニクスウェスティス)を装備していなければ、彼自身、目の前の熱狂に犯されていただろう。しかし、幸いにして彼に闇の精霊の力は作用していなかった。


(アッシュやステラまで涙を流している。まあ、今回はこの人たちが戦いに赴くわけじゃないから問題はないんだろうけど……どうしても引っ掛かるな……)


 彼がそんなことを考えていると、ルナがバルコニーから戻ってきた。彼女の後ろには涙を流して感動しているイーリスが付き従っている。


「お疲れ様。凄い演説だったね」と彼が言うと、ルナは先ほどまでの神々しさが消え、恥ずかしさのあまり頬を赤くする。


「自分でもビックリしているわ。途中から何をしゃべっているのか分からなくなっていたくらい」


 その言葉にイーリスが跪き、「ノクティスが降臨されたのです」と告げる。


「私にははっきりと感じられました。月の巫女として感じていたノクティスの御力を」


 レイはその言葉に危惧を抱く。再び、ヴァニタスが介入したのかもと思ったためだ。


「本当にノクティスだったのですか」


「以前感じたヴァニタスの荒々しさは微塵もありません。包み込むような優しさの中に神の力を感じました。恐らく、全ての神々がこの闇の神殿に降臨されたのでしょう」


 恍惚としながらそう語る。

 レイ自身、ヴァニタスの冷たさのようなものは感じなかったため、それ以上何も言わなかった。


 神殿の外では未だにルナを称える声が響いていた。それは夜になるまで続いた。

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