第五十八話「女王の威厳」
月の御子ルナは月魔族の神官、翼魔族の呪術師たちの前で演説を行った。それは自分と共にこの世界の敵、虚無神と戦ってほしいというものだった。
その演説に神官たちは歓喜の声をもって応えた。
しかし、ルナに誘われて入ってきた人物に、神官たちは驚愕する。
その人物は純白の鎧を身に纏い、ところどころに光の神、ルキドゥスを髣髴とさせる紋章があったためだ。
「この方はレイ・アークライト。皆さんがもっともよく知る呼び方では“白の魔術師”ですね。レイ、自己紹介でもする?」
親しげにそう言うと、彼ははにかみながら「そうだね。一応しておこうか」と彼女と同じように親しげな口調で答えた。
「紹介に預かりました、レイ・アークライトです。ルナとは同郷で、彼女を助けるために私はここにきました」
彼の挨拶を受けても神官たちは言葉を失ったままだった。
「私が皆さんのお仲間と戦ったことは事実です。ですが、それはあなた方に含むところがあったわけではありません。今までのことを水に流してくださいとは言いません。ですが、彼女を守るため、ヴァニタスの侵攻を防ぐために、共に戦わねばならないと思っています」
神官たちはその言葉を受けても懐疑的な視線を変えなかった。
「レイ殿は御子様同様、神々が遣わした方です。私たちは過去の遺恨に拘ることなく、強大な敵に立ち向かわなければなりません」
イーリスはそう言い、神官たちをしっかりと見据える。
「納得できない者もいるでしょう。ですが、今は御子様とこのイーリス・ノルティアを信じてほしいのです」
そう言って頭を下げる。ソキウスの女王、月の巫女である彼女が頭を下げたことに神官たちは慌てる。
頭を下げ続けるイーリスに代わり、ルナが女王の威厳をもって神官たちに命じる。
「今は時間がありません。私を信じられない者はこの場から立ち去りなさい。立ち去っても罰を与えることはありません。ですが、私を信じられないということは、敵に付け入る隙を与えることになるのです。僅かでも私に不信感を抱いているなら、すぐにこの場から立ち去りなさい」
誰一人立ち去る者はなかった。
彼女の言葉は強かったものの、冷徹さよりも慈愛が感じられた。神官たちはルナがノクティスの使いであると、改めて感じたのだ。そして、彼らの気持ちは固まった。
月魔族の女性神官の一人がゆっくりと立ち上がり、恭しく頭を下げる。
「我らは御子様に絶対の忠誠を捧げます。御子様が白の魔術師レイ殿が盟友であるとおっしゃられるなら、我らは過去の遺恨を水に流します」
神官、呪術師全員が一斉に頭を下げて同意を示す。
「分かりました。では、今後のことを話し合いましょう。イーリス殿、この先はお任せします」
ルナがそう言って座ると、イーリスが「承りました」と言って立ち上がる。
「では会議を進めます。知っての通り、鬼人族たちは昼夜を問わず走り続けています……」
レイたちと事前に協議した内容を説明していく。
ほとんどの出席者は状況を把握していたが、ルナが鬼人族の下に向かうというところでざわめきがおきる。
「……御子様、レイ殿、そして、私が鬼人族を説得します。もちろん、危険は承知の上です。ですが、私は楽観しています。御子様のお言葉に耳を傾けぬソキウスの民はいない、そう確信しているからです」
その自信に溢れた表情はかつての月の巫女そのままで、女王の威厳に満ち溢れていた。
当初は動揺した神官たちだったが、ルナとイーリスが自信を見せていることに徐々に冷静さを取り戻していく。
「……鬼人族との会見はロウニ峠の南側がよいと思っていますが、僅かでも懸念があれば遠慮なく申し出るように。ことは御子様の安全に関わるのです」
そう言って神官と呪術師たちを一人ずつ見ていく。
翼魔族の呪術師がおずおずと手を上げた。
「我々はどうすればよいのでしょうか? 御子様たちをお守りするため、近くで待機するということでしょうか?」
イーリスに代わり、レイがその問いに答える。
「大事なことは鬼人族に話を聞いてもらうことです。見える範囲に皆さんがいれば策略を疑われてしまいます。ですから、皆さんはここルーベルナにいてください」
それではいざという時にルナを助けられないという意見が出る。その意見にルナが毅然とした態度で答えた。
「私が説得してみせます。彼らを説得できなければ、我々に未来はないのです。すべての人々が世界を守るために連帯する。それこそがヴァニタスに対抗する唯一の手段。ですから、私は必ず鬼人族の方々を説得してみせます……」
ルナの言葉に神官たちは引き込まれていく。
「……そのために私はザレシェに行くことになるでしょう……」
そこで神官たちの間にざわめきが起きる。しかし、ルナはそれに構わず話を進めていく。
「月の御子は闇の大神殿にあってこそという意見があることは知っています。ですが、それは今ではありません。世界の崩壊を防ぎ、未来を取り戻したら、私は必ず帰ってきます。詳しくは申し上げられませんが、ザレシェに行った後、一度西側に戻る必要があります。これは神の啓示を受けたためです……」
再び動揺した神官たちだったが、月の御子が神の啓示を受けたと断言したため、落ち着きを取り戻していく。
「……皆さんにお願いがあります」
ルナはそこで一度言葉を切り、神官一人ひとりにゆっくりと目を合わせていく。
「闇の神殿は安寧を齎す神、ノクティスをまつるところです。ですから、全ての人々に安寧を齎すように心掛けてください。ノクティスは特定の種族だけを優遇するようなことはなさりません。鬼人族、人族、獣人族……全ての人に平等に安らぎを与える神なのです。あなた方はその神に仕える神官。ですから、率先してそれを示してください」
真摯な言葉だったが、神官たちは困惑していた。
彼女が言っている意味は理解できるが、それをどう実践していいのか、今までの自分たちの行動に誤りがあったのかと疑問が尽きないためだ。
「お願いすることは簡単なことです。全ての種族を蔑むことなく、敬意を持って接すればよいのです。それさえ心掛けておけば、過ちを犯すことはないでしょう」
「具体的にはどうすればよいのでしょうか?」と神官たちに代わり、ヴァルマが質問する。
ルナはヴァルマに小さく頷くと、穏やかな笑みを浮かべてそれに答える。
「同志という意識を常に持っていればよいと思います。例えば、相手の気持ちを無視して強制する、つまり、奴隷のように扱うことはソキウスの建国の意思に反していますし、ノクティスの御心にも沿いません。仕事上、命令をすることはもちろん問題ありません。ですが、相手が人であるということを念頭においてほしいのです」
彼女はザレシェでの経験から妖魔族と鬼人族が特権階級であり、人族や獣人族が被支配階級として虐げられていると感じていた。そして、本能的にそれがヴァニタスの計略の一環だと気づいていた。
「人々の間に不信の種を蒔く。最初は小さな種かもしれません。ですが、それがヴァニタスの計略なのです。神々の力を削ぐためのヴァニタスの罠。私はそう考えています」
レイは堂々と人権の重要性を説くルナに畏敬の念を抱く。
(凄いな。特権階級の人にその意識を無くせって堂々と言っている……確かに神々の力が信仰から得られるとしたら、種族間の不信を大きくして信者同士を争わせればいい。そう考えるとルークスの光神教もヴァニタスに操られているのかもしれないな……)
この時、レイには感じられなかったが、闇の精霊たちがルナの言葉に力を与えていた。それは女王としての威厳と母のような慈愛で、イーリスやヴァルマ、神官たちだけでなく、アシュレイとステラもその影響を受けていた。
そのため、ルナの言葉に涙を流す者まで現れていた。
「闇の神殿は御子様のお言葉に従い、全ての種族と手を取り合って参ります」
イーリスがそう宣言すると、ルナは満足げに頷く。
その後、実務的な話を進めていく。ヴァルマが状況を報告していく。
「鬼人族は先行する部隊と本隊とを分けています。先行する者たちは明日三月三日の夜にはルーベルナに到着するはずです。ロウニ峠で彼らを待つのであれば、明日の午前中に馬車で出発しても充分に間に合います」
「では、今日中に準備を終えれば充分ということね。御子様には今日一日、お休みいただく時間ができると……御子様に同行する者が必要です。我々や鬼人族は目立ち過ぎますから、人族か獣人族から選ばねばなりません。誰か適切な者を知らないかしら?」
イーリスの問いに神官たちは顔を見合わせる。
ヴァルマが代表して答える。
「御子様をお守りできるだけの技量を持つ者となると難しいようです」
イーリスが思案顔になったところでヴァルマが決然と立ち上がる。
「私が翼を切り落として同行いたします! 翼がなければ人族と見分けはつきません。ですから……」
「あなた……そこまで」とイーリスが絶句する。
ヴァルマの言葉にイーリス以外の神官たちも驚愕の表情を浮かべている。月魔族や翼魔族にとって、翼は自らの存在を示す重要なもので、それを自ら切り落とすと言ったことが信じられなかったのだ。
「私は御子様に命を捧げると誓いました。ならば、翼がなくとも何ら問題はありません」
清々しいほど平然と言い切った。しかし、レイは彼女の同行に否定的だった。
(確かに翼を切り落とせば、普通の人族と見分けはつかない。でも、オーブを調べればすぐにばれてしまう。それに彼女はライアンに顔を見られているし、ルナに対する態度が異常なほど恭しい。僕のように騎士の格好ならそんなに違和感はないけど、ルナが冒険者として舞い戻るなら目立ちすぎる……)
彼は決意をみせたヴァルマに悪いと思いながらも、そのことを指摘した。
ヴァルマはそれに反論しようと口を開きかけたが、それより先にルナが割って入った。
「レイの言うことはもっともだと思います。ヴァルマの忠誠はありがたいのだけど、自分の身体を傷つける必要は感じません。護衛ということであれば、レイたちで充分なのですから」
絶望の荒野を越えてきたレイたちの実力を考えると、その指摘に反論できなかった。
高揚していたヴァルマだったが、ルナにそう言われて消沈する。
「ヴァルマ殿の決意は分かった。だが、月魔族は翼があってこそだ。今後のことを考えれば、早計なことをするべきではないと思う」
アシュレイの一言にレイも頷く。
「僕も同じ意見です。彼女が戻った後も油断はできないんです。ソキウスという国が分裂しないように彼女をサポートしてくれる人材の力を無為に落とすことは無いと思います」
「分かりました」とヴァルマが納得すると、再びイーリスの話が始まった。
「同行する者の人選は早急に。明日の馬車の準備とザレシェまでの移動に必要な物資の調達も抜かりなく。このくらいでいいかしら、レイ殿?」
「そうですね。準備の方はそれで大丈夫だと思いますが、ルーベルナの方たちに月の御子の到着と、再び旅に出ることを伝えておいた方がいいかもしれませんね。月の御子が現れたという話を聞けばみんな喜ぶんじゃないでしょうか」
レイの意見にステラが頷いている。レイが「意見があるなら発言していいから」と促すと、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「ルーベルナに来ている方たちは巫女であるイーリス殿の姿を見られるだけで感激していました。それなら、月の御子のことを伝えれば、もっと熱狂的に歓迎してくれるのではないかと思います」
ステラは自分がルーベルナに潜入した際に感じたことを説明した。
「そうだね。今後の鬼人族とのこともあるし、一度ここで顔を見せておいた方がいいと思う。ルナはどう思う?」
レイはそう言ってルナに話を振る。
しかし、彼女はすぐに首肯しなかった。ザレシェでは月魔族に対抗するために、鬼人族の支持を取り付ける必要があり、民衆の前に立ったが、今はそれほど逼迫した状況ではない。そのため、ザレシェでのように堂々と話ができるか不安が過ぎったのだ。
「どうしても必要かしら? 恥ずかしいんだけど」
先ほどの堂々とした雰囲気が消え、普通の少女に戻ったような感じさえあった。
「ぜひとも、民衆たちにお姿を」
「御子様の降臨は我らの悲願。民たちも皆、ご尊顔を拝することを望んでおります」
神官たちからそんな声が上がる。
「バルコニーに出て手を振るだけでいいから。後はイーリス殿が上手くやってくれるはず。それにこれはいい機会だと思う」
「いい機会?」
「そう。月の御子がどんな人物なのか見せておいた方がいい。イメージだけが先行すると後で大変なことになるから」
「それは“白の軍師殿”の意見かしら?」とルナが頬を緩めながら確認する。
「そう思ってくれてもいいよ。僕はミリース谷の詩のお陰で大変な目に合ったんだ。だから、実物を見せておくべきだ。それにルナならみんな納得してくれると思うよ」
そうして、ルナが民衆の前に立つことが決まった。




