第五十五話「拉致の影響」
十二月二十一日、午後一時半過ぎ。
月魔族のヴァルマによって、ルナは拉致されてしまった。
レイは攫われていく彼女を河岸で見送るしかなかった。数分後、彼女の姿が見えなくなると、彼は愛馬の首を叩き、「無理をさせてごめん」と言って馬から降りた。
そして、ルナのパーティメンバーであるヘーゼルたちがいた場所に戻っていった。
翼魔に止めを刺したステラが彼に合流し、レイはステラにも「ごめん。置き去りにして」と謝っていた。
ステラはそれに「私は大丈夫です」と首を振った。そして、「どうしてこうなったのでしょう?」と尋ねた。
レイはそれには答えず、曖昧な表情を浮かべながら、獣人の剣術士ファンを治療するヘーゼルのところに行った。
そして、彼らに「間に合いませんでした」と報告した後、
「それにしてもどうして急に出発なんか……」
彼はそこまで言ったところで、ヘーゼルが革鎧を脱いでいることと、この寒空の中、シャツをはだけさせていることに気付き、「もしかして、ヘーゼルさんが……」と絶句した。
ヘーゼルはファンの治療を終えると、目に涙を浮かべてへたり込む。
「ごめんなさい。あんなに警戒するようにって言われていたのに……」
ヘーゼルはそう言った後、嗚咽を漏らし始めた。
ファンの横に横たわっているライアンが、苦しそうな声で、「ヘーゼルさんが魔族の傀儡にされてたんだ……」と呟く。
レイはライアンが重傷を負っていることに初めて気付いた。
治癒師であるヘーゼルが治癒魔法を掛けていたが、彼女の魔法では傷付いた肺の治療まではできなかったのだ。それに気付いたレイは、ライアンに治癒魔法を掛けながら、隣で足をさするファンに話を聞いた。
ファンは悔しさを滲ませながら話し始めた。
彼が話してくれた内容はレイの予想した通りのことだった。
リーダーであるヘーゼルが気付かぬうちに傀儡とされ、その彼女の指示に従って、今朝ペリクリトルを出発した。そして、この場所で魔族に待ち伏せられ、一旦は降伏したが、隙を見て攻撃したところ反撃されたとファンが説明した。
治療を終えたライアンはまだ胸の辺りを触っているが、すぐに立ち上がり、レイの肩を掴みながら「ルナが攫われたんだ! 後を追わないと」と強く主張した。
だが、レイは「無理だ。河を渡る手段がない」と首を横に振る。
ライアンはその言葉に反発し、
「だからって、このまま見棄てるのかよ!」
「今から河を渡る手段を見つけて、向こうの森に入ったとして、どうやって探すんだい? 向こうは空を飛べるんだ。森の中じゃ、絶対に追いつけない」
レイがそう言うと、ライアンは掴んでいた両手に力を入れ、更に何か言おうとした。だが、レイの目にうっすらと悔し涙が浮かび、彼が本当は追いかけたいと思っていることに気付いた。
そして、ライアンは出掛かった言葉を飲み込み、「すまん。言い過ぎた」と頭を下げる。
「お前にあれだけ警告されていたんだ。守れなかった俺が悪かったんだ。すまん、今のは八つ当たりだ……」
レイは「気にしないでいい」と言った後、ショックを受けて泣いているヘーゼルに、「ここは危険です。さっきの村に戻ってください」と言って、彼女を立たせた。
ライアンが「この後どうするんだ、お前は」と尋ねると、レイは数瞬考えた後、「僕はペリクリトルに戻る」と宣言するように答えた。
ライアンはルナをどうやって取り返すか気になり、
「ペリクリトルに帰ってどうするんだ? ルナのことはどうするつもりなんだ」
それに対し、レイは小さく首を振り、
「ルナを助けにいくことは、今は無理なんだ。僕は街を守る。だから、街に戻る」
ライアンはその言葉が信じられず、「嘘だろう? なあ、本心じゃないんだろう」と、再び彼に詰め寄った。
レイはライアンの目をしっかりと見て、
「本心だ。ルナが攫われたことによって、街は更に危険になったんだ。敵は既にすぐ近くにまで来ている。もしかしたら、明日にでも街に攻めてくるかもしれないんだ! そんな時に僕が街を離れるわけには行かないだろう!」
最後の方は感情を露にし、叫ぶような感じでライアンに言い返していた。
その強い口調にライアンは言葉を失い、思わず後ずさってしまった。
レイはここでの用は済んだと、愛馬の手綱を取り、
「ステラの馬が潰れそうなんだ。ルナの乗っていた馬を貸してもらえないか」
そうヘーゼルに頼んだ。ヘーゼルはまだショックから回復していないが、黙々とルナの荷物を自分の馬に乗せ替え、ステラの前に連れていった。
レイはヘーゼルたちに、
「皆さんがペリクリトルに戻るか、ルナを探しに行くか、それとも別の街に避難するかはお任せします」
そう言った後、彼は愛馬に跨り、街道を東に戻っていった。
残されたライアンは自分がどうしたらいいのか判らず、ヘーゼルを見た。だが、彼女も自分が傀儡にされ、仲間であるルナを奪われたことのショックが抜け切っておらず、指示を出せる状態ではなかった。
ファンがヘーゼルに「さっきの村に戻ってから考えよう」と提案し、ライアンにも「魔族だけじゃなく、魔物にも警戒しろよ」と声を掛けて馬に跨った。
ライアンは僅か三十分にも満たない短い時間に起こった出来事が信じられなかった。
(さっきまで俺の横には、確かにルナがいた。それが今は……俺はあいつを守るって決めたんじゃなかったのか! 俺は自分の無力さが恨めしい。力が欲しい。レイのような力が……)
ヘーゼルも馬に乗り、ファンが先導する形で出発した。
ライアンはこれから自分がすべきことを考えながら、馬に揺られていた。
ライアンたちと別れたレイは、愛馬を気遣いながら、街道を東に進んでいた。
そして、馬に揺られながら、ルナを奪われたことにショックを受けていた。
(彼女を守れるとしたら、それは僕だったんだ。僕が街のことにかまけていたから、その隙を突かれたんだ……今更後悔しても遅いっていうのは判っている。でも、もっと何かできたんじゃないかって、どうしても考えてしまう……)
そして、攫われたルナのことを考えていた。
(ルナは魔族の土地、クウァエダムテネブレに連れて行かれるはずだ……護衛の翼魔は残り二体。そして、ルナを運ぶには二体の翼魔が必要だ。どの程度の飛行能力があるのかは判らないけど、あの飛び方で長距離は飛び続けることは無理なはずだ。だとすると、一旦、魔族軍に合流するか、護衛部隊を編成してアクィラ――東の大山脈――を越えるしかない……)
そこでもう一度、魔族の状況を思い出していた。
(魔族は決して一枚岩じゃない。下手に本隊に合流すると、御子であるルナの身柄の奪い合いが起こるかもしれない。もしかしたら、月の御子は月魔族にだけ必要で、鬼人族には必要じゃないのかもしれない。そうなると、本隊に合流するというのはあまりいい選択肢じゃない可能性もある。でも、今は魔族の情報が少なすぎて、判断できない……やっぱり傀儡の魔法で捕虜から情報を引出さないといけないのか……)
レイたちは中間地点の村で小休止を取り、午後三時前頃にペリクリトルに向けて出発しようとしていた。
ステラは今日中にペリクリトルに戻ることに反対だった。この時間から出発すれば二時間ほどで街道は闇に包まれてしまう。それでは夜目の利かないレイが二時間以上暗闇の中を進むことになり、突発的な攻撃を受けたら、対処できないと考えたからだ。
そして、彼女は出発前、そのことをレイに伝えていた。だが、彼は軽口を叩くような口調で「勝手に街を出てきたからね」と言って取り合おうとしない。口調とは裏腹に、彼の表情には後悔と焦慮の色が浮かんでいた。
ステラはそれ以上何も言えなかった。
(この方はルナさんが攫われたことに責任を感じておられるわ。私にはそんな必要はないと思えるんだけど……それに街にも責任を感じておられる。一刻も早く街に戻ってランダル様にお知らせしようと……ルークスの獣人部隊が近くにいれば安心なんだけど……)
「ルークスの獣人部隊の方たちは近くにいるのでしょうか? 確認した方が良いと思います」
レイはその言葉にすっかり彼らのことを忘れていたことに気付いた。そして、自分たちが馬で走る中、彼らは自らの足で走っているだろうと思い、反省する。
そして、彼らに謝罪しようと、「護衛の方はいますか?」と護衛がいるか確認しようとした。
すると、すぐに二人の獣人が現れ、彼の前に片膝をつく。
「本日の護衛、シエテとオチョにございます。何か御用でしょうか?」
レイはまず「勝手に馬を駆けさせてしまい、ご苦労をお掛けしました」と頭を下げ、
「今からペリクリトルに戻ります。お二人も馬に乗ってついてきて欲しいんですが」
シエテは「馬に乗っていては咄嗟の時に護衛ができませぬ。我らは徒歩にてお供させていただきます」と言って固辞した。
レイは大丈夫かと心配したが、更に固辞されたので、彼らが付いてこられるペースで進もうと心に決めた。
出発して二時間後には、辺りは暗闇に包まれていた。ステラは馬を降り、灯りの魔道具を片手にレイの馬を引く。
シエテとオチョもレイの前後を固めるように歩き、四人はゆっくりとしたペースでペリクリトルに向かっていた。
更に三時間後の午後八時、彼らは閉門ギリギリのタイミングで街に滑り込んだ。
レイはステラと護衛の二人に礼をいい、その足でギルド総本部に向かった。
本部にはイライラと歩き回っているアシュレイの姿があった。
彼女は冒険者たちの訓練に行っており、レイがルナたちを追ったと聞いたのは、訓練を終えて帰ってきたときだった。そのため、一旦は彼を追おうと思ったが、すぐに夜になると思い直し、彼が戻ってくることに期待して本部で待っていたのだ。理性によって彼を待つことに決めたが、感情の方は心配でたまらず、そのため、周囲の職員が声を掛けられないほどイライラしていた。
レイを見つけたアシュレイは、まず彼を抱きしめてから、小言を言い始めた。
「せめて私に一言伝言をしてから行って欲しかったぞ。どれだけ心配したと思っているんだ……」
だが、彼の表情を見て、すぐに小言をやめた。彼女はルナを連れ戻すことに失敗したと気付いたのだ。
「ルナはどうした? 一緒ではないのか?」
その問いにレイは首を横に振り、一言、「魔族に攫われた」とだけ口にした。
そして、「ランダルさんと大至急協議しないといけないんだ」と言って、防衛司令のランダル・オグバーンの部屋に向かった。
ランダルはレイが街を出たと聞いたが、彼が無事に戻ってくることは疑っていなかった。だが、レイの表情が固く、かなり焦っているように見えたことで事態が悪いほうに向かっていると直感した。
「どうやら悪い知らせのようだな。まあ、まずは座れ。何か食いものも用意させよう」
ランダルはそう言って、レイたちを椅子に座らせ、食事と飲み物を用意させた。レイは二時頃に軽い食事を取っただけで、ほとんど何も口にしていなかった。だが、ルナのことと、魔族の動きを考えていたため、そのことに気付いていなかった。
レイは食事が出てくる前に静かに口を開いた。
「ルナが攫われました。昨夜の斥候の件と合わせて、敵が早期に攻めてくる可能性がより強くなりました」
レイの言葉にランダルは小さく頷き、
「どこで攫われた。いや、どのくらいの時間で魔族軍の本隊にその情報は伝わると思う?」
ランダルもルナが攫われたことで、魔族軍が動き出すことに疑問の余地はないと考えていた。ただ、いつ動き出すかが問題だった。
今の防衛計画では罠が完成するのに、あと三日は必要だった。そして、魔族軍の本隊は二日以内の場所にいると考えられていた。つまり、今日中に魔族軍本隊に情報が伝われば、罠が完成する前に戦端が開かれることになる。
「場所はここから三十kmほどの西の場所です。魔族はルナを連れてファータス河を渡り、ポルタ山地の裾野の森に逃げ込みました」
ランダルは頭の中で地図を思い描きながら、
「だとすると、今日中に本隊に伝令が飛ぶ可能性があるな。これはかなり危険な状況だな」
レイは「いいえ」とその言葉を否定し、
「恐らく今日中に連絡は行かないと思います。恐らくあと二日は掛かるでしょう……」
レイは街への帰り道、馬に揺られながら、魔族の行動を予想しようと必死に考えていた。
ルナを攫った月魔族には、翼魔は二体しか残っておらず、ルナを連れて飛行すると速度がかなり落ちることにも気づいていた。更にルナを運ぶための交代要員がいないため、一日の移動距離はかなり制限されると予想していた。
「未開の森ですから、魔物も多いでしょうし、ルナを守ることを優先せざるを得ません。そうなれば、あの森を抜けるまでは本隊に連絡をつけることはないでしょう。二体しかいない貴重な翼魔を使うとすれば、かなり安全な場所に行かなくてはならないでしょうから」
ランダルはレイの言葉に頷くが、「奴らにはハーピーもいたが」と疑問を口にした。
レイはそれはないだろうと答えた。
「確かにハーピーもいましたが、彼らの使う魔物使いの術がどの程度の距離まで有効かは判りません。それに知能の低いハーピーでは、森の中に潜む本隊を見つけ、指揮官に伝えることは難しいでしょう」
「ならば、あと四日ほどは猶予があるということか。だが、それを信じて安穏としているわけにもいかん。明日からは哨戒の範囲を少し広げるとしよう」
そこでレイは意を決して、ランダルに話しかけた。
「明日、ラスペード先生と傀儡の魔法を試してみます。うまく行けば、敵の情報が手に入りますから」
ランダルは彼が無理をしているように見えたが、それには何も言わず、
「そうしてもらえると助かる。明日にでも俺の責任で試してもらおうと思っていたのだ。すまんな、お前の意には沿わんのだろうが……」
ランダルの気遣いにレイは少し微笑み、
「僕の信条のせいで多くの人たちに被害が出るなら、僕は自分の信条を曲げます。但し、彼らを逃がしたことにして行う破壊工作はさせません。あくまで情報収集のみです」
ランダルは「それでいい」と大きく頷いた。
話し合いを終え、ランダルはレイを労う。
「今日は疲れただろう。ゆっくり休んでくれ。アシュレイ、ステラ。あとを頼んだぞ。これからが正念場なのだ。こいつがこれ以上無理をしないように見張っていてくれ」
アシュレイとステラは真剣な表情で頷き、レイを連れて宿に戻っていった。
帰り道、アシュレイはルナが攫われた時の状況を聞こうか悩んでいた。
(後でステラに聞いても良いのだが、レイの気持ちも確認しておきたい。だが、あの表情はかなり思い詰めている表情だ……やはり考えるのは苦手だな。だが、聞かずに対応を誤るより、聞いて後悔した方がよい。特にこのような緊迫した状況では……)
アシュレイは思い切って彼に尋ねることにした。
「ルナが攫われた時のことなのだが、どのような状況だったのだ。できれば聞かせて欲しいのだが……」
彼女にしては歯切れの悪い物言いに、レイは彼女の配慮を感じた。そして、無理やり明るい表情を作り、
「大丈夫だよ。もう少し早ければ助けられたんだけど、本当に僅かな差だったんだ……」
彼は歩きながら、その時の状況を話していった。
「すると、ヘーゼルが魔族の罠に嵌って傀儡とされたのが、今回の原因か。ならば、お前に落ち度は無い。その状況で助けられたら、それは奇跡だと私は思うぞ」
そう言いながら、アシュレイはレイの心うちを慮っていた。
(そうは言っても目の前で攫われたのだ。後悔もするだろう。だが、今回のことは決してレイの落ち度ではない。そのことはレイ自身判っているのだろうが……今夜は慰めてやるべきだろうな)
宿である“荒鷲の巣”亭に戻ると、普段陽気な女将のミラが、心配そうな顔で彼らを迎えた。
「ルナたちはどうなったんだい? 大丈夫だったんだよね」
レイが口を開こうとした時、ステラが代わって、それに答えた。
「ルナさんは魔族に攫われてしまいました。ヘーゼルさんたちですが、ファンさんとライアンさんがケガをされましたが、今は大丈夫です」
ミラはルナが攫われたと聞き、がっくりと肩を落とすが、すぐにレイたちを労って宿の奥に入っていった。冒険者相手の宿では、客が命を落として帰ってこないことが時々あるため、悲しくはあるが、それほど引き摺ることはない。それでも数年間泊っていた客であるルナがいなくなったことをミラは悲しみ、それを見せまいと奥に引っ込んだのだ。
レイは部屋に入り、装備を外してベッドに横になった。
(結局救えなかった。月宮さんに“僕を信じて欲しい”、“守って見せる”って言ったのに……ライアンじゃないが、これからどうしたらいいんだろう……)
そしてルナが攫われた後のライアンとの会話を思い出していた。
(街を守るというのは本心だ。僕がやらなくてはいけないし、僕にしかできないこともある。だけど、月宮さんのことを放り出していいんだろうか。彼女は僕の被害者かもしれないんだ。僕が書いた小説の被害者かも……その彼女を魔族の手に渡したまま、放っておくことはできない。でも、今は彼女一人に関わっている状況じゃない……)
思考が堂々巡りを始めた時、ドアをノックする音が聞こえた。
ドアを開けると、外にはアシュレイが立っていた。
「眠れないのではないかと思ってな。久しぶりに二人だけで話をするのもいいのではないかと……」
アシュレイは恥ずかしそうに顔を赤らめると、彼の部屋の中に急いで入っていく。
レイは彼女が自分を慰めに来たと判っていた。
(アッシュは僕が落ち込んでいると思って来てくれたんだな。事実落ち込んでいたけど、そんなに顔に出さないようにしたつもりなんだけどな……)
アシュレイが部屋に入ると、レイは彼女の肩を抱き、「ありがとう」と耳元で囁いた。
アシュレイは思いのほか彼が落ち着いていることに安堵するが、同時に寂しさも感じていた。
(もっと落ち込んでいると思ったのだが、意外に落ち着いているな。前はすぐに落ち込むし、一度落ち込んだら、中々元に戻らなかったものだが……レイも強くなりつつあるのだな。少し寂しい気もするが……)
アシュレイはレイに口付けをし、その夜は自分の部屋に帰らなかった。




