第五十三話「焦慮」
十二月二十一日の朝。
“荒鷲の巣”亭では、ライアンがパーティリーダーである治癒師のヘーゼルに詰め寄っていた。
「どうしてこのタイミングで、オートン――ペリクリトルの西にある城塞都市――に避難しなくちゃいけないんですか! あのレイがあれほどこの街を出るなって言っていたのを忘れたんですか!」
ライアンはこの街を出てオートンに行くとヘーゼルから聞かされて驚き、やや興奮気味にその理由を問い質した。
それに対し、ヘーゼルはいつものような落ち着いた雰囲気のまま、彼に答えていく。
「さっき聞いた話だと、魔族の斥候が近くまで来たそうじゃない。と言うことは、この街が戦場になるのは二、三日のうちよ。レイも言っていたわよね。この街が戦場になったら、ルナを狙ってくる敵を排除しながら逃げなくてはいけないって。それに昨日、傀儡が見つかったそうじゃない。だから、今がチャンスなのよ」
ライアンはヘーゼルの説明に返す言葉が出てこなかった。だが、この街を出ることは危険だと本能的に感じていた。
「なら、レイに一言言ってから出発しましょうよ。そのくらいの時間はあるんだし……」
歯切れの悪いライアンの言葉にヘーゼルはにこりと笑い、
「もちろん、レイには連絡するわよ。朝食の後に私が説明してくるわ」
ライアンはその言葉を聞き、安堵した。
(少なくともレイがこの話を聞けば、何が最善か教えてくれるだろう。情けない話だが、俺が考えるより、あいつの考えの方が信用できる……)
そして、朝食を終え、ヘーゼルはライアンたちに出発準備を始めるように言って、ギルド総本部に向かった。
ライアンはパーティメンバーである獣人のファンに、今回の出発のことをどう思うか聞いてみた。
「何か、あの慎重なヘーゼルさんが焦っているように見えるんだけど、ファンさんはどう思う?」
「そうだな。ここ最近、あいつはどうしたらいいのかって、ずっと悩んでいたからな。昨日の傀儡が見付かった話と、敵の接近の噂がきっかけになったんだろう。まあ、心配するな。あいつは元々臆病なくらい慎重だ。それにレイがヤバイと思ったら許可はせんだろう」
ファンは心配するライアンの肩を軽く叩き、「心配するのは判るが、リーダーを信じてやれ」と言って、自らの出発準備に向かった。
ライアンは当事者であるルナにも意見を聞きに行こうと思ったが、思い詰めたような顔の彼女を見て、声を掛けそびれてしまった。
午前八時。
ギルド本部からヘーゼルが戻ってきた。
彼女は「レイの許可は貰ったわよ。三十分後に出発するから」と言って自分の部屋に入っていった。
ライアンはレイが許可を出したと聞き、安堵するが、具体的なことを何も教えてくれないことが気になった。
(あのレイが何も手を打たないって言うのが気になる。最低、護衛を増やすとか、注意事項を言ってくるはずなんだが……)
彼はヘーゼルに微かに不信感を持ったが、それ以上どうすることもできず、イライラと出発時間を待っていた。
その時、彼の目に宿の女将ミラの姿が入ってきた。
彼は「ミラさん。頼みがあるんだが」と彼女を呼びとめ、
「伝言を頼まれてくれないか。ギルド本部にいるレイに、“今からオートンの街に向かうが、追加の護衛がいない。何か手を打って欲しい。手を打っているなら、それを直接教えて欲しい”と」
ミラは最初軽い気持ちで請けようと思ったが、彼のいつにない真剣な表情に驚く。
「判ったわ。でも、どうしたの? さっきヘーゼルが行ったんじゃないの?」
「どうも引っ掛かるんだ。すまねぇ。忙しいのは判っているんだが……」
ライアンはそう言って彼女に頭を下げる。
ミラはエプロンをフロントのカウンターに掛け、「判ったわ。すぐに行ってくるから」と言って宿を出て行った。
二十分後、ヘーゼルが準備を終え、ファン、ルナ、ライアンと合流した。
「じゃあ、出発するわよ」
「もう少し待ってくれないか。今、レイに護衛を増やすように伝言を送ったんだ。その結果が出てからでも……」
「あら、私がもう頼んだわよ。彼も何か考えるって言っていたから、途中で合流するんじゃない?」
ライアンはその口ぶりに少し違和感を覚え、「なら、もう少しだけ待てないか」と食い下がる。
ヘーゼルは笑顔を絶やさず、
「オートンは五十kmも先なの。夜になれば、敵の思う壺。暗くなる前に着いてしまいたいの。さあ、早く出発しましょう」
ファンとルナはヘーゼルの声に促され、厩に向かった。
ライアンも渋々その後に続いていく。だが、その表情は苦渋に満ちていた。
(どうもおかしい。何がおかしいのかは判らんが……ヘーゼルさんの言うことは一々もっともなんだが、レイの策を聞かずに出発するのはどうにも引っ掛かる……)
午前八時半。
ライアンたちは宿を出発した。
大通りを西に進み、西門を抜ける。西門から西に続くアウレラ街道には、街を脱出する住民たちが多くいた。だが、その多くは徒歩か荷馬車で、彼らのような騎乗の者はほとんどいなかった。
彼らは避難民たちの間を抜け、西に馬を進めていく。
ライアンの伝言を聞いたレイは、ステラを伴い、宿に戻ってきた。
そして、ルナたちが午前八時半頃出発したと聞き、レイは混乱した。
(何があったんだ? このタイミングで僕に連絡もせずに出発するなんて。それにあの四人だけじゃ危険だってあれほど言ったのに……そんなことを考えている場合じゃない。急いで追いかけないと……)
レイは厩に行き、愛馬を引出してきた。ステラも同様に馬を準備し、更に替え馬まで用意していた。
レイは護衛の獣人を呼び、「今からヘーゼルさんのパーティを追いかけます。馬で飛ばしますから、無理はしないで下さい」と言って、馬に跨った。
西門に続く大通りで馬を駆けさせるわけにもいかず、もどかしい思いをしながら、門を抜けると、既に午前十一時を過ぎていた。
(すでに二時間以上遅れている。今から行っても間に合わないかも……)
その頃、ヘーゼルたちはペリクリトルから十五kmほどのところを順調に西に進んでいた。
そして、馬を休ませるため、街道脇で小休止を取っていた。
ペリクリトルを出発した避難民たちを追い抜いてしまったため、街道にはほとんど人影がなかった。
休憩を終えたヘーゼルたちは再び街道に馬を進めた。
レイはルナたちを追いかけるため、愛馬トラベラーを駆っていた。
カエルムの名馬であるトラベラーは、街道を順調に走っていたが、途中で避難民の集団に巻き込まれ、速度を落とすことになる。
レイは焦る気持ちを抑え、避難民たちをかわしながら、西に進んでいく。
既に二時間以上走っているため、ステラの乗る馬はかなり疲労しており、彼女は替え馬に乗り替えていた。
彼は不安を胸に抱えながら、避難民の集団を抜け、再び馬を走らせた。
(何とか間に合ってくれ! ここまでは何事もなかった。この先も何事もないはずだ……)
午後一時頃、中間地点の村で休憩を取ったヘーゼルたちは、再び街道を西に進んでいた。
今日ペリクリトルを出発した避難民たちを追い抜いており、更に中間の村を今日出発した避難民たちはかなり先行しているため、街道にはひと気がほとんど無かった。
嫌な予感が湧き上がるのをライアンは感じていた。
(これだけ人がいないってことはかなりやばいんじゃないか。レイが何か手を打つと言っても、誰もいないし……それにしても俺の伝言を受取っていないのか。引き返した方がいいような気がしてきた……)
村を出発して二十分ほどすると、小さな丘を何度も越え、周囲には小さな森が目立つようになってきた。
ライアンはヘーゼルに引き返すことを提案した。
「周りに人がいないし、レイが打ったっていう手も判らねぇ。ヘーゼルさん、さっきの村に引き返した方が良くないか? 明日の朝、避難する人と一緒の方がいいような気がするんだが」
ライアンの提案に、ヘーゼルは意外そうな顔をしたあと、笑い始める。
「あら、どうしたの? 珍しくライアンが慎重なんだけど。ペリクリトルには傀儡がいないんだから、私たちが出発したのを魔族は知らないはずよ。それなのに何を心配しているの?」
そして、ファンとルナに向かって、
「さっきの村は防壁もないし、夜に襲われたら厄介なの。だから、少し無理をしてでも城壁のあるオートンに向かってしまいたいの」
ルナはライアンの不安そうな顔を見て、ヘーゼルの様子がいつもと違うように感じていた。
(朝の話は筋が通っていたけど、今のヘーゼルさんの答えはライアンの問いに答えていないわ。聖君が打った手のことに答えていない。そもそも聖君にきちんと連絡したのかしら? 彼は忙しいし、昨夜は敵の斥候を捕まえたって話だった。ヘーゼルさんが本部に行っていたのはほんの三十分ほど。行って帰ってくる時間とそんなに変わりが無いわ。その短い時間で忙しい聖君を捕まえて、対策までしてもらえるのかしら? ライアンの方が正しいように思えてきたわ……)
「ヘーゼルさん、私もライアンに賛成よ。急いで戻った方がいいと思うわ」
ルナがそう言うと、ヘーゼルは呆れたような顔で、
「あと四時間くらいで着くのよ。今ならギリギリ暗くなる前に街には入れるの。こんなところでグズグズしている時間はないわ。ねぇ、私が信用できない?」
ルナはその問いに答えられなかった。
今までヘーゼルの判断が大きく間違ったことはなかったからだ。もちろん、ティセク村――ルナの生まれた村――の調査の時のような不可抗力の危機はあったが、基本的には慎重過ぎると言われるほど安全に配慮していたのだ。そうでなければ、若手のルナとライアンを抱えたパーティは大きな損害を受け、今のメンバーのままではいられなかったはずだ。
「意見は無いようね。なら、出発しましょう」
ヘーゼルは明るくそう言うと、ルナたちも手綱を操り、馬を歩かせ始めた。
ライアンは未だに納得がいかなかった。だが、三年前、彼が冒険者になったばかりの時に、自分を受け入れてくれたヘーゼルに強く言うことが出来なかった。
(何かおかしいんだが……どうしたらいいんだ? ヘーゼルさんは俺にとって恩人だ。俺みてぇな力だけの若造を曲がりなりにも一人前と呼ばれる六級の冒険者にしてくれたんだ。だが、今日のヘーゼルさんはどこかおかしい。いつもの笑顔と少し違う気がするんだ。どこが違うと言われると困るが、間違いなく違う……)
ライアンは自らの本能が警鐘を鳴らし続けていることに気付いていたが、リーダーであり、恩人であるヘーゼルを疑い切れなかった。




