第十九話「生還」
アシュレイは突然、魔物が引き揚げたことが理解できなかった。
(なぜだ? 我々にはもう打つ手がなかった。レイの魔力も切れ、どのパーティも限界だった。あと一押しされれば、我々は全滅していた……)
彼女は首を横に振り、
(今はそんなことを考えている暇はない。今のうちに撤退しなければ……)
「ケガで動けないものはいるか! すぐに出発するぞ! 獣人、エルフ以外は灯りの魔道具を用意しろ!」
呆然としていた冒険者たちも彼女の声に我に返る。
出発の準備を始めるが、全員の動きは疲労のため重く、アシュレイの叱咤の声で何とか動いていた。
ステラは他の者たちが座り込む中、魔物から魔晶石を回収していた。そうしながら、今回の魔物の攻撃についての手掛かりがないか、探していたのだ。
(魔物が共同して襲ってくる。魔物使いなら、何らかの痕跡があるはず……)
彼女の持つ知識では、魔物使いは特殊な魔道具――奴隷の首輪のようなもの――を使うと聞いており、それに当たるものがないか探していたのだ。
だが、すべての魔物を見ていくが、それらしい魔道具はない。
そのことをアシュレイとレイに告げると、
「僕は全然詳しくないんだけど、魔物を使役する方法って魔道具だけなのかい?」
レイの問いにステラが首を振る。
「いいえ、魔道具も闇属性魔法を利用しているそうですので、闇属性の魔術師なら使役できるかもしれません。私が里で習った話では、魔族の一部にそういった技を使う者がいるというものでした」
アシュレイは今回の敵の不可解な撤退と、何か関係あるのか考えてみるが、何も思いつかない。
「闇属性の魔術師が背後にいるということだな。洞窟の魔法陣と合わせてドクトゥス――学術都市――で調べてみるしか無さそうだな」
レイもステラも少ない情報でこれ以上考えても無駄だと頷いている。
出発準備が整ったが、周囲は既に暗闇に包まれていた。
「あと七、八kmだ! 遅くとも三時間で街に到着できる。急ぎすぎて警戒を怠るな! それでは出発する!」
彼女の合図で調査隊は出発した。
レイには灯りの魔道具で照らされた森の木々が恐ろしく見え、強く槍を握る。
彼はモルトンの街近くの森で、ヒドラと戦った後のことを思い出していた。
(アッシュを背負って森の中を歩いた時には、恐ろしいとか思う余裕がなかったけど、やっぱり不気味だよな。敵がいるのが判っているから、余計にそう思うのかもしれないけど……)
そして、周囲を警戒しながら、敵がなぜ引き揚げたのか考えていた。
(何が原因かは判らないけど、僕たちが全滅するというタイミングで動きが変わった気がする。誰かが僕たちを助けるために、魔物使いの魔術師を攻撃したっていうのが一番あり得そうだな。あの状況なら、さすがのステラも他の気配に気付けないだろうし……)
そう結論付けようとした時、疑問が頭をもたげてくる。
(今の状況で闇属性の魔術師といえば、魔族の魔術師が一番しっくりくる。もし、僕たちを助けてくれた人が魔族と敵対しているのなら、僕たちの前に顔を出さないのはなぜなんだろう? それに戦闘らしい気配はなかったし、魔物の混乱もすぐに収まった気がする……上からの命令が届いた? 僕たちを殺すなという命令が……だとしたら、なぜ僕たちを助ける必要がある?)
彼は更に思考を進めていく。
(僕たちの中に殺してはいけない人物がいる。それを攻撃してきた魔術師は知らなかった。だから上の人が……上の人じゃなくても、その魔術師本人が気付いたとしたら……少なくとも僕たち三人じゃない。僕たちは魔族と何度も戦っているし、僕の魔法は目立つから、あの状況で突然気付くことはあり得ない。だとしたら、誰が……)
彼は周囲を見渡す振りをしながら、調査隊の面々の顔を見ていく。灯りの魔道具で照らされた顔は皆疲れ果て、幽鬼のような生気のない顔に見える。
(あの時のことを思い出せ。何かがその前と違ったはずだ……そうだ! ルナだ! 彼女のヘルメットが落ちていた。あの印象的な黒髪が解けていたし、顔もしっかりと見えたはずだ……ルナ、闇属性、魔族……どうしても引っ掛かる。何かが……)
レイは頭を一度振り、その思いをかき消す。
(駄目だ。どうしても考え込んでしまう。今は生きて帰ることだけに集中しなければ……)
一時間ほど歩き、一度小休止を行う。
時計が無いため、正確な時刻は判らないが、アシュレイは既に午後六時を過ぎている頃だと思っていた。
(ソーンブローの門が閉まるのは午後八時だ。あと二時間。今のペースならギリギリだが、これ以上ペースを上げるわけにはいかない。私ですら限界が近いのだ。フランク――ボリスのパーティの重装備の剣術士――、ジニー――アルドのパーティの魔術師――、ファン――ヘーゼルのパーティの剣術士――は、気力で歩いているだけだろう……)
小休止を終え、再び森の中の荒れた道を歩き始める。
暗闇を恐れながら道を進んでいくが、魔物の気配はなく、徐々に警戒が緩んでいく。
ステラは魔物の気配は感じないが、行きにも感じた視線に気付く。
(あの視線だわ。また、どこかから見ている……)
彼女はすぐ後ろを歩くアシュレイに
「あの視線です。場所は判りませんが、警戒を」
アシュレイはその言葉にビクッとしたように反応し、周囲を見回す。
そして、全員に向かって、
「見張られているぞ! 周囲の警戒を怠るな! アルド、ミレーヌ! 後ろにも気を配ってくれ!」
彼女の声に力ない返事が返ってくる。
レイはこの状況で敵に襲われると、反撃することなく全滅するのではないかと思い始めていた。
(拙いな。みんなの気力がなくなっている。当に限界は超えているんだろうけど、ここで襲われたら……さっきの僕の考えが正しければ、無暗に襲ってくることはないと思うけど、向こうの考えが判らないからな……)
ステラは視線の位置を確認するため、周囲の気配を探っていく。
(かなり遠くのような気がする。それに魔物の気配は感じないわ……)
彼女は疲れた表情を見せず、隊列の先頭で見張りを続けていく。
ヘーゼルのパーティの弓術士ルナは、魔物が襲ってくるのではと不安になるたびに、ステラと共に先頭を歩くアシュレイを見ていた。
(アシュレイさんたちを見ていると安心できるわ。この状況でどうしてあんなに自信を持っていられるんだろう? やはり血なのかしら)
そして、視線をやや後ろに下げると、レイの後姿が目に入ってくる。
(レイっていう人はどういう人なんだろう? 私でも知っている超有名人、ハミッシュ・マーカットの一人娘の恋人。あのドクトゥスの魔術学院を出ているジニーさんが驚くほどの魔術師。槍の腕も超一流。それなのにステラさんが暴言を吐いた時に土下座ができる……そういえば、こっちに来て初めて土下座を見たわ。まあ、日本でもテレビでしか見たことは無いけど……もう一つ気になるのは、私を見る目。色目を使っているわけじゃないみたいだけど、なぜか目が合う。どこかで会ったことがある? それはないか。あんな二枚目なら覚えているはずだもんね……)
小休止から一時間半、前方にソーンブローの街の灯りが見えてきた。
アシュレイは「もう少しだ! だが気を抜くな!」と全員を鼓舞し、ステラとエルフのミレーヌの位置を入れ替える。
「ステラ、後ろに回ってくれ。ミレーヌ、ステラと替わってくれ」
後方の警戒は獣人のアルドとミレーヌが行っていたが、この状況では二人の注意が散漫になると考え、冷静なステラを最後尾に回した。
ステラも自分たちを監視していた視線が三十分ほど前から消えたことに少しだけ安堵していた。それでも体に染み付いた“里”の教えのため、充分な警戒は続けている。
(アシュレイ様のご判断は正しいわ。このタイミングが一番危険。でも、この人たちに警戒を強める余裕は無いわ)
更に二十分歩き、ようやく森を抜け、閉門ギリギリの午後八時直前にソーンブローの門をくぐった。
門をくぐった途端、アシュレイとステラ以外の全員が崩れ落ちるように座り込む。
特に体力の無い魔術師のジニーは唇が紫色になるほど疲労しており、目の焦点があっていない。
それを見た門番が、近くにいるアルドに「何があったんだ?」と聞くが、彼は疲労のため口を開くことすら出来なかった。
替わりにアシュレイが、
「ティセク村周辺の調査を行っていたが、かなり強力な魔物に襲われたのだ。まあ、街の近くにはいなかったから、それほど警戒する必要はないと思うが、一応警戒しておいたほうがいいぞ」
その言葉に門番は思わず、門の方を見てしまった。彼の視線の先には閉じられた門しかなかったが、魔物の影が見えるような気がしていた。
アシュレイはアルド、ボリス、ヘーゼルの各リーダーを集め、明日の予定を伝える。
「明日の朝、ペリクリトルに向けて出発する。今日はゆっくり休んでくれ」
その言葉にボリスが異議を唱える。
「この疲れ具合じゃ、明日は動けねぇぞ。せめて明日一日は休養日に当ててくれねぇか」
アルドとヘーゼルもその言葉に頷く。
「判った。私たちだけで出発する。ボリス、お前が指揮を執って明後日に出立してくれ」
三人のリーダーがホッとしたような顔で頷くが、横からレイが異議を唱える。
「駄目だ。全員で移動しないと敵に襲われる。みんなが明日の出発が無理というなら、僕たちも明後日に変更すべきだ」
アシュレイはレイの言葉の意図が判らず、
「今回の情報はすぐにでもランダル殿に伝えるべきだろう。特に魔法陣の情報は重要だ」
レイは彼女の意見に同意するように頷くが、突然話題を変える。
「アッシュ、なんで僕たちが全滅しなかったか判るかい?」
彼女は話が急に変わったことを不審に思うが、
「いや、敵に何か事情があったんだと思うのだが……お前には見当がついているのか?」
彼は大きく頷くが、「ここで話す内容じゃないから後で話す」と口を噤む。
アシュレイは納得できなかったが、
「……判った。お前がそう言うのなら確かな理由があるのだろう。それでは明日一日は休養に当てる。明日の夜、もう一度予定を確認しよう」
リーダーたちが頷き、解散しようとするが、レイが三人を止め、「明日は街から出ないようにして下さい。お願いします」と頭を下げる。
アルドが「大丈夫だ。明日はみんな爆睡してるさ。元気なのはお前たちくらいなもんだ」と言って笑う。そして、各パーティは足を引き摺るようにそれぞれの宿に向かっていった。
レイたちも馬を預けてある宿に向かう。
その途中、アシュレイが先ほどの話を聞いてきた。
「どういう意味なのだ? 我々が生き残ったのは、敵の気まぐれだと思ったのだが?」
レイは自分が考えた仮説を説明していく。
「あの魔物たちには奴隷の首輪のような魔道具がなかった。ということは闇属性魔法が使える魔術師が黒幕だ。闇属性といえば……」
アシュレイが「魔族か」と口に出す。
「正解。確定じゃないけど、このタイミングでこの場所なら、魔族というキーワードが一番シックリ来る。次になぜ攻撃をやめたかだけど、これについては良く判らない。でも、いくつか考えられることがある……推論に推論を重ねたから、全く自信は無いんだけどね」
レイは一度言葉を切り、頬を掻く。
「一つ目は敵の敵が現れた。二つ目は敵の上司か同僚が何らかの理由で止めに入った。三つ目は敵が僕たちの何かに気付き、攻撃をやめた」
アシュレイは小さく頷き、先を促す。
「一つ目は考えにくい。敵の敵がいたとすれば、魔物の混乱が一瞬で納まるのは不自然だ。それにその第三者が僕たちに一切接触してこないのも理由の一つだね。二つ目と三つ目は正直よく判らない。どちらにしても僕たちを全滅させてはいけない理由があったことになる」
アシュレイは「全滅させてはならない理由? 全く判らぬな」と首を傾げる。
「考えられるのは、誰か重要な人物がいた。例えば、敵の内通者とか、重要な情報を持っているとか……若しくは、今後協力させたい人物がいたとか……」
アシュレイは「内通者だと?」といってレイに向き直る。
彼は笑いながら、手を振り、
「多分それは無いよ。内通者がいたなら、その人物を除いて全滅させればいい。内通者自身がうまく立ち回れば混乱することもないしね。二つ目の情報を持っているというのは良く判らない。僕は三つ目の今後協力を頼みたい人物を見つけたというのが、一番ありえそうな気がするんだ」
「どういう意味だ?」
「もし、敵の魔術師が協力させたい人物と知らずに攻撃を掛けてきたとするね。その時、急にその人物だと判ったら、まずは攻撃をやめさせる。そして、その後も攻撃は出来ない。その人物を攻撃しないとしてもね。それは……」
アシュレイが判ったというように「その者以外を殺した場合、その者が協力を拒むか」と続ける。
「その通り。苦楽を共にしたパーティメンバーを殺されて、協力しろと言われても“はい”とは普通頷けない。それなら、この場は逃がしておいて、あとで接触を図ったほうが建設的だよね」
「そうだな。そこまで考えたのなら、誰がその者か見当がついているのだろう?」
レイは小さく頷き、
「あの時、ルナのヘルメットが外れていた。あの特徴的な黒髪が解けていたし、顔もしっかりと見えたはず。僕にはどのタイミングでヘルメットが外れたのか判らないけどね」
ステラが「あの」と声を掛け、話に入ってきた。
「ルナさんのヘルメットが外れたのは、灰色猿の攻撃がやむ直前です」
アシュレイがレイを見ながら、「決まりか?」と聞く。
「そうだね。タイミングといい、僕が魔族の侵攻と同じくらい気になる人物だから、その可能性はかなり高いと思う。それに彼女はティセク村の唯一の生き残りだと言っていたよね。オークが組織的に攻撃してきたってことは……前回も魔族が絡んでいる可能性が高い」
「確かにな。十八年前、八年前の二度ともオークやオーガが絡んでいる。チュロックのことを考えれば、魔族がオークを操って、彼女のいる村を襲ったと考えてもおかしくはない」
レイはそれに頷き、「八年前に村を全滅させたっていうのが気になるけどね」と付け加える。そして、更に話を進めていく。
「そうなると、街道で彼女を攫う可能性が出てくる」
「だが、ルナ本人が拒めば攫いようがないと思うが?」
「こう言っては何だけど、僕たちがいなければ生き残った灰色猿とハーピーが襲ってきただけでもかなりの危機だよね。それに追加の翼魔なんかがいたら……“仲間の命を助けたくば、言うことを聞け”っていう可能性がある」
アシュレイはようやく得心したのか、
「なるほど、我々がいれば相当な戦力が必要になるな。だから、我々だけで先行するのをやめた。そういうわけだな」
レイは「そういうこと」と笑顔で頷く。
アシュレイは彼の顔を見ながら、
(確かにレイの言うことが一番もっともらしいが、本当にそれだけなのだろうか? ルナと関わることが不安で仕方がない。何か悪いことが起こりそうな予感がするのだ……)
ステラはレイの仮説を聞きながら、尊敬の眼差しで彼を見ていた。
(本当に凄いわ。ほとんど頭の中で考えたとは思えない。そんな方が私のために膝をついて謝罪してくれた。私はその価値に相応しいのかしら……)




