第十七話「待ち伏せ:中篇」
偵察に来た翼魔を撃ち落したあと、アシュレイら調査隊は、更に森の中を西に進んでいた。
昨日からの疲労が蓄積したままの調査隊は、歩きにくい森の中を敵襲に怯えながら進むため、疲労の度合いがいつも以上に酷い。特に体力的に劣っている魔術師のジニーと、重装備のフランクは歩くのがやっとという状態に陥っていた。
アシュレイは一時間ほど進んだところで、小休止を命じた。
(このまま森の中を進んでも、夜までに疲労で動けなくなるだろう。危険を冒してでも道に戻ったほうがいいかもしれんな)
彼女はレイを呼び、自分の考えを話していく。レイは他のメンバーを見回し、
「そうだね。このままだと森の中で野営することになりそうだし……幸い、敵はこっちを見失っている。道に戻って逆に奇襲を掛けるのも手かもしれないね」
アシュレイは小さく頷き、各パーティのリーダー、アルド、ボリス、ヘーゼルに道に戻ることを提案することにした。
「ソーンブローの街まであと十kmはある。このまま森にいては、明るいうちに街に着くことは不可能だ」
三人が頷くのを確認したアシュレイは本題に入る。
「ここから道に戻る。敵の奇襲を警戒しながら進むが、もし敵を見つけたら、こちらから打って出る」
アルドは仕方がないと言った感じで首肯し、ボリスはまだ考えているのか、態度を明らかにしない。ヘーゼルはこちらから攻撃を掛けることに否定的だった。
「打って出ると言っても、さっき聞いた戦力だけでも、かなりの損害を覚悟しないといけないわ。敵を見つけたら迂回したほうがいいんじゃない?」
「それでは森の中で夜を迎えることになる。もちろん、戦力差が大きければ迂回するが、少なくとも奇襲のチャンスがあるなら、疲れで動けなくなる前に仕掛けたほうがいい」
ボリスがそれに頷き、「俺もこのままじゃジリ貧だと思う」とアシュレイに賛同する。
ヘーゼルは納得しがたいようだったが、道に戻ることには賛成した。
小休止を終えたところで、アシュレイが全員に道に戻ることを伝える。
「ここから道に戻る。敵の待ち伏せを見つけた場合、こちらから打って出る可能性もある。出来るだけ、音を立てるな! それでは出発する!」
道に戻るという言葉に安堵の声が漏れるが、打って出る可能性があると聞き、数人が落胆の表情を見せる。
一時間ほどで道に戻ることができたが、日は既に大きく傾き、午後三時頃になっていた。
残る行程は約十km。敵との戦闘がなくても明るいうちに街に到着出来る可能性はかなり低くなっていた。
ステラとミレーヌを斥候に出し、調査隊本隊は慎重に道を進んでいった。
月魔族のヴァルマは、待ち伏せしていた場所から西に五kmほど移動し、ソーンブローの街の東、約七kmの位置にいた。
彼女はその場所に待機しながら、北に放った翼魔が戻らないことに不安を感じていた。
(なぜ戻らない? あの魔術師に撃ち落されたのかもしれないわね……こちらの戦力は灰色猿が十匹に岩猪が五頭、ハーピーが八匹。偵察に出している翼魔が一体……あの魔術師さえ何とかすれば、充分に全滅させられる戦力はある……)
灰色猿は体長一・五mほどで太い腕と鋭い爪が武器の六級相当の魔物だ。俊敏な動きと木の枝を巧みに使う立体的な動きで、側面や背後に回りこむため、弓術士や魔術師にとっては非常に厄介な敵である。
岩猪はその名の通り岩のような硬い外皮を持つ猪で、動きこそ単調だが、その防御力に物を言わせた強引な突進は非常に危険だ。前面は特に硬く、矢はおろか剣すら弾くため、突進をかわしながら横から攻撃するしか有効なダメージが与えられない。このため、森の中のような動きが制限される場所では、相当な手練でも後れを取る可能性がある。
ヴァルマは岩猪を突進させて隊列を崩し、灰色猿とハーピーで側面や背後から攻撃を掛ける作戦を考えていた。
(あの魔術師の魔法がどれほど強力でも岩猪の突進は簡単には止まらないはず。あとは混戦に持ち込んでしまえば、全滅させることは容易い……)
そう思いつつも、一抹の不安があった。
敵の位置が不明なことと、更に翼魔を失ったことにより索敵能力が半減したことだ。
(森の中に逃げ込まれてしまったのは仕方がないわ。でも、森の中で夜を迎える覚悟でいない限り、いつか必ず道に戻る。時間から逆算して、この辺りで待ち伏せしておけば、もうそろそろここを通るはず……それにしても見失ったのは痛かったわね。こんなことになるなら、誰かを連れてくるんだったわ……)
彼女は使役する魔物たちを森の奥に隠し、自らも道を見張れるギリギリの位置に隠れていた。
(風向きだけが心配だけど、今のところ、こっちが風下。いくら、あの獣人の娘でもこの場所に隠れていれば見つけることは出来ないはず。あとは私が焦らないように気を付けるだけ……)
日が大きく傾いた午後四時頃。
ステラはヴァルマが待ち伏せしている地点に近づいていた。
彼女は森の中で岩猪が歩いた痕跡を見つけており、どこかで待ち伏せしていると確信していた。
(足跡は五頭分。灰色猿の痕跡はほとんどないわ……アシュレイ様やレイ様がおっしゃるように私たちが道を通るのを待ち伏せしているようね。それも森の中に魔物を隠して……これでは敵を先に見つけるのは難しいわ。一度、アシュレイ様たちに報告に行ったほうがいいかも……)
彼女は横にいるエルフのミレーヌに自分の考えを話していく。
「……岩猪の足跡の話と、この先の斥候のやり方について、報告に行ったほうがいいと思います」
ミレーヌもステラの話を聞き、「そうね」と頷く。
「奇襲を掛けられる可能性もあるし、今から一気に暗くなるし……一度戻りましょう」
二人は五百m後方の本隊に向けて戻っていった。
アシュレイはステラが戻ってきたことから、敵を発見したのかと表情を引き締めるが、ステラから敵を先に発見することが難しそうであること、もうすぐ暗くなるため、その後の索敵方法の指示がほしいことを告げられる。
アシュレイは「そうか……」と呟き、レイに意見を求める。
「どう考える? ステラの言うとおり森の中に潜まれれば、こちらが先に見つけることは困難だ」
レイも「そうだね」と頷き、
「奇襲は諦めたほうがいいね。そうなると敵をやり過ごすか……」
「敵をやり過ごすというのも難しそうだぞ。こちらがうまく隠れたつもりでも、狼たちを使われれば、こちらは容易く発見される。それに暗闇の中で戦いになれば、圧倒的にこちらが不利だ」
アシュレイの意見を聞きながら、レイは他のメンバーたちを一人ずつ見ていく。
「僕もそう思う。森で野営するのも論外だ。みんなの疲れ具合を見る限り、野営中に襲われれば、反撃する間もなく、かなりの損害が出るからね。これからの時間帯、夜目の効くステラたちと一緒の方が安全だと思うし……無理をしてでも進んだ方がいい」
レイはステラを十mほど先行させ、その後ろを本隊が進むことを提案する。
アシュレイもステラも頷き、その方針をアシュレイが皆に伝えていた。
「どうやら、敵は森の中に隠れているようだ。斥候を先行させることをやめ、全員で移動する。敵がどこから出てくるか判らぬ。油断するな。それでは出発する」
既にかなり疲労が溜まっているのか、アルドやボリスといった高レベルの冒険者ですら口数が少なくなっていた。
レイはステラに、「一番疲れているのにごめん。ステラに頼むしか……」と頭を下げる。
彼女は「大丈夫です。この程度なら里の訓練の方が厳しかったですから」と笑顔で答える。
レイは現状の戦力と戦術について考えていた。
(まともに動けるのは、僕とアッシュ、ステラの三人。アルドさんとボリスさんですら、動きは鈍くなっているんだろうな。まずは岩猪の突進を止めないとやばそうだ。僕とアッシュ、それに重装備のフランクさん、あとはアルドさんのパーティの槍術士のチェスターさん、ハルバード使いのライアンが前衛だな。灰色猿は上や横から襲ってくる。スピードがあるステラと他の剣術士で対応するしかない。弓術士と魔術師は牽制にしかならない……)
先頭を歩くアシュレイに、レイは自分の考えを説明していく。
「岩猪の突進は僕が魔法で何とかする。アッシュと僕、フランクさん、チェスターさん、ライアンで岩猪を、灰色猿はステラを中心に軽装の剣術士で対応する。弓はスピードが速い灰色猿にも皮が硬い岩猪にも効果が少ないから、牽制に使うくらいのつもりがいいと思う」
アシュレイはレイの案を頭に思い浮かべ、
「魔法で岩猪をどうやって止めるのだ? 前に使った岩の槍では止まらんだろう?」
「昔、モルトンの街の近くで練習した“泥沼”の魔法を使おうと思う。岩猪は小回りが効かないから、それほど大きくなくても泥で足を取られるはず……」
レイは最後に「あんまり自信はないんだけどね」と軽く笑って付け加える。そして、声を潜め、
「それより、灰色猿の方が厳しいと思う。疲れていなければ、アルドさんやボリスさんでも充分に戦えるんだろうけど……恐らく、ステラ以外まともに戦えないと思う。だから岩猪を速攻で倒して、後ろに援護に行かないと……アッシュはどう思う?」
その言葉にアシュレイは表情を曇らせる。
「確かにそうだな。ステラといえども守りきるのは難しいかもしれん。それに……」
アシュレイが珍しく言い辛そうにしている。
「それに?」
「……敵が岩猪と灰色猿だけとは限らん。翼魔が一匹だけとは限らんだろう。敵はこちらの戦力を把握している。特にお前の魔法を警戒しているだろう。それならば……」
アシュレイがそこまで言ったところで、薄暗くなり始めた森の中にステラの警告の叫びが響く。
「敵襲! 前方左手側から岩猪五頭! 樹上に灰色猿多数です!」
ステラの前方には草をなぎ倒して突進する岩猪と、大木の枝を揺らしながら時折姿を見せる灰色猿の姿があった。




