第十話「黒髪の女冒険者」
レイたちは、ペリクリトル防衛司令官ランダル・オグバーンの下を後にし、宿である“荒鷲の巣”亭に戻ってきた。
既に午後五時を過ぎ、多くの冒険者たちが食事をしているが、昨日のこともあり、レイたちは奥の目立たない席に座る。
そのおかげか、給仕のネリーが注文を取りに来ただけで、周りから声が掛かることはなかった。
(昨日の今日だし、そんなにトラブルは続かないか。まあ、静かに食事ができるから、この方がいいな)
三人はゆっくりと食事をしながら、ランダルへの回答をどうするか話し合っていた。
「ランダルさんの言っていたことだけど、アッシュはどうしたらいいと思う?」
彼の問いにアシュレイは、酒を口に含み、ゆっくりと答えていく。
「そうだな。我々だけで近場の魔物狩りだけなら受けてもよいが、ペリクリトルの冒険者たちを率いて討伐隊を組むのは賛成できんな」
レイがその理由を問うと、
「信頼関係のない部下を率いて強力な敵と戦うのは自殺行為だ。指揮官の命令を聞けぬ軍など、烏合の衆以下だからな。少なくとも、個々の冒険者たちが我々のことを認めぬうちは率いぬほうが良いだろう」
(アッシュの言うとおりだよな。恐らくここの冒険者たちは、自分たちのパーティメンバーだけで動くことに慣れている。そこに指揮官だからと言って命令を下しても、まともに動けないだろう)
彼はその言葉に頷き、ステラにも意見を聞くが、ほとんど同じ答えが返ってくる。
「私が言うのもおかしな話ですが、命令が聞けない兵は部隊全体を危機に陥れるかもしれません。前のオーガとの戦いで、私はハルさんたちを危機に陥らせました。連携できない者と、それも訓練もなしに敵に向かうことには反対です」
「そうだね。アッシュとステラの言うとおりだと思う。ここの人たちの実力も判らないしね。それなら、背中を任せられるアッシュとステラと三人で戦ったほうがよっぽど安全だと思う」
ランダルには断るという結論になり、その後はのんびりと酒を酌み交わしていた。
十一月七日。
昨日と同じように食堂で朝食を食べていると、再び黒髪の女冒険者がレイの前を通り過ぎて行く。
身長はステラと同じくらい――百六十cmほど――だろうか。歳は二十歳前くらい、漆黒の髪を際立たせる白く美しい肌、彫りは深くないが、整った顔立ちで漆黒の瞳は意志の強さを感じさせる。
彼女の横には、同じくらいの歳の大柄な赤毛のハルバード使いの男がおり、しきりに話しかけている。
二人の後ろには、二人と同じような歳の、獣人の剣術士と治癒師らしい人間の女性がいる。四人はパーティを組んでいるのか、時折笑い声を上げながら、宿を出て行った。
レイには黒髪の女性以外目に入っていないかのように、彼女一人を目で追っていく。そして、ステラにすら聞こえない程度の小さな声で、「ルナ」と呟いていた。
その様子を見たアシュレイとステラは、心配そうに彼の様子を見た後、その女冒険者たちの姿を見送る。
(誰なのだ? レイの尋常ではないこの様子。レイの書いた小説の話が関係しているのか? それとも一目惚れ……いや、そんなことはないはずだ。そんなことは……)
(レイ様の様子がおかしい。やはり、ここは危険な予感がするわ。特にあの弓術士を見つめる目は絶対におかしい。宿を変えた方がいいかもしれない。あとでアシュレイ様に相談しなければ……)
レイの視界から女冒険者たちが消えると、レイの表情が普段どおりに戻る。
そして、今何をしていたのか記憶があやふやになっていることに気付く。
(僕は今、何を見ていた? 何をしようとしていた? おかしい……こんな状態が続くなら、魔物を狩るのも止めた方がいいかもしれない……日本なら検査を受けたいところだけど、この世界には精神科の医者はいないし……)
自分の状態が危険なものであることに気付き、この街を離れることを考え始める。
(森に入って、今みたいに呆けてしまうのは自殺行為だ。アッシュとステラが危険な目に会うなら、安全なところに行くのもありだな)
だが、彼の頭の中にここを離れてはいけないという強迫観念のようなものが沸きあがってくる。
(……駄目だ。ここにいないといけない。どうしてもここにいないと……それに森に出ないと……)
朝食後、アシュレイとステラがレイを気遣うが、彼は大丈夫と答えて、部屋に戻っていった。
残された二人は、レイについて相談を始める。
「レイのあの様子は尋常ではない。あいつがこの世界に呼ばれたことと、関係があるのかもしれないが、どうも危うい気がするのだが……」
ステラはアシュレイの言葉に大きく頷く。
「はい。私もそう思います。できればこの街を出たほうがいいと思います。レイ様は嫌がるでしょうが、私たちがいても街を救えるとは思えません。それならば……」
「レイの場合、そうとも限らんが……そうだな、私もここを出て行くことに賛成だ。特にあの黒髪の女がいないところに……」
アシュレイはレイの知力を買っており、彼がいれば街を救える可能性はあると思っていた。だが、黒髪の女を見る彼の目を思い出すと、彼をあの女に会わせたくないと考えてしまう。
(女々しいのかもしれんが、他の女に惹かれるレイを見たくはない。それに彼女と話をすると、何かが変わる、何かが壊れるような気がするのだ……)
ステラはアシュレイの心のうちを正確に洞察していた。
(アシュレイ様はあの女にレイ様を取られたくないと思っておられるわ。それは私も同じ。あの二人が出会うと何かが起こる気がする……)
二人はこの街を出ること、そして、少なくとも宿を変えることをレイに話そうということで意見が一致した。
レイにそのことを話すと、
「街を出る気はないよ。なぜかは判らないけど、この街にいないといけないと思うんだ。もし、この街を出たら、必ず後悔する。そう思えるんだ……」
そして、宿を変える話では、「変える理由はないんじゃないか? まあ、一昨日のように絡まれるのは嫌だけど、料理はおいしいし、部屋もいいし」とこれも取り合わない。
「二日続けて朝食の時の記憶があやふやなのだろう? そのような状況で何ができるのだ?」
アシュレイが強い調子でそう言うと、珍しくレイもけんか腰で言い返す。
「それなら僕独りで誰かと組む! 二人には迷惑は掛けない!」
それだけ言うと、一人で宿を出て行こうとした。
「待て! そのようにいつもとは違うお前が心配なのだ! 判ってくれ!」
アシュレイは彼の腕を取ろうとするが、振り払われる。
「アッシュは僕の保護者なのか! 僕がやらないといけなんだ。僕が……」
レイは眦を上げブツブツと呟きながら、廊下を歩いていく。
アシュレイはレイに手酷く拒絶されたことに衝撃を受け、動くことが出来ない。
(レイは、レイはどうしたのだ? 私が何をしたのだ……私はどうしたら……)
このままではいけないと思ったステラは、素早く彼の前に回りこむ。
「今のレイ様はおかしいです! 私たちはあなたのことを心配しているのです! どうか……どうか、一度冷静になって話を! 話を聞いてください!」
彼女の必死の説得に、彼の表情が少し柔らかくなる。
「ありがとう、ステラ。ごめん、アッシュ。言い過ぎた」
二人はその言葉にホッと安堵の息を吐く。
「二人の言うとおり、今の僕はおかしいかもしれない。少し考えさせてくれ。アッシュ、本当にごめん」
レイは自分の部屋に戻り、椅子に座り込む。
(僕はどうしてしまったんだろう? アッシュにあんなことを言うなんて。僕が僕でなくなっていくような、誰かに操られているような、そんな感じがする)
彼は自分の一貫性のない行動に、不安と苛立ちを感じていた。
(後悔してもいい。この街を出よう。アッシュとステラを傷付けるくらいなら、二人との関係が崩れるなら、僕をここに呼んだものの意思なんか無視してもいい。いや、僕を勝手に操ろうとするなら、徹底的に逆らってもいい)
そして、彼は一つの決意をした。
(ここにいる五万人が不幸になっても、死んでしまっても構わない。この世界がどうなっても構わない。世界よりアッシュの方が大事だ!)
そして、自分を召喚した存在に対して、宣戦布告を行う。
(これ以上、僕を操ろうとするなら、僕の意志を無視しようとするなら、それでも構わない。だけど、僕は逆らってやる! たとえ、自分の手で命を絶つことになっても、絶対に言いなりにはならない! 神か悪魔か知らないけど、アッシュを、ステラを傷つけるなら、命を掛けて戦ってやる!)
彼はそれを強く意識し、頬をパーンと叩く。
(アッシュにはもう一度きちんと謝ろう。そして、この街を出て行こう。ドクトゥス、アウレラ、そして、その先に行こう……)
彼は自分の部屋を出て、アシュレイの部屋に向かった。
彼女は寝台に腰を掛け、目を伏せていた。
その姿を見た彼は、「さっきはごめん」と頭を下げ、彼女の横に座る。
「どうかしていたんだ。言い訳染みているけど、さっきの僕は誰かに操られていたのかもしれない。僕がアッシュを傷付けるなんて……本当にごめん」
彼女は何も言わず、彼に体を預けてくる。
「この街を出よう。僕は決めたんだ。僕をここに呼んだ奴が誰かは知らないけど、僕の意志を無視するなら、アッシュを傷付けるなら、自分の命を絶ってでも逆らってやると」
その言葉にアシュレイが大きく首を振る。
「駄目だ! 死ぬことを考えるのは駄目だ! お前のいない世界など……だから……」
レイは彼女を優しく抱きしめ、「大丈夫。死なないから。アッシュが嫌なことはしない」と耳元で囁く。
「今からランダルさんに断りに行こう。そして、明日にでもこの街を出る。宿も変えよう……」
アシュレイは彼の首元に顔を埋めながら、元の彼に戻ったと安堵していた。
(元に戻ってくれた。私の愛しているレイに。良かった……)
「ステラにお礼を言わないとね。でも、良かったよ。二人がいてくれなかったら、僕は、僕で無くなっていたかも知れない」
レイはアシュレイに軽く口づけをしてから立ち上がる。
アシュレイは少し名残惜しそうな顔をするが、彼の後を追うようにゆっくりと立ち上がった。
二人はステラの部屋に行き、レイはアシュレイにした話を繰り返す。
ステラはその話を聞き、「では、この街を出るのですね!」と笑顔を見せる。
「うん。今からランダルさんのところに行って、今回の話を断るよ。宿も一日だけど、別のところを探そう」
ステラもアシュレイと同様、安堵していた。
(これで元に戻れるわ。今までのように楽しく旅が出来る……)
荷物をまとめ、宿を引き払うと、三人はランダルのいる冒険者ギルド総本部に向かった。
受付で再び、ランダルへの面会を伝えると、すぐに応接室に通される。
ランダルは三人を笑顔で迎え、「結論が出たようだな」とアシュレイに尋ねる。
その問いにアシュレイが頷き、レイが代わって話し始めた。彼は頭を下げながら、
「昨日のお話はお断りしようと思います」
その言葉にランダルはやや慌て、「条件が不服なら相談に乗るぞ」と言ってくるが、
「僕たちは明日にでもこの街を出て行きますから、お受けすることができないんです」
「街を出るのか? 急に街を出るのはなぜだ? また、絡まれでもしたのか?」
レイは「いいえ、特にトラブルはありません」と首を横に振る。
「ならば……もし、急いで街を出る必要がないなら、一度だけでいい。やってくれないか。うちの連中に連携の重要性を叩き込んでもらいてぇんだ」
頭を下げるランダルに、アシュレイが困ったような表情になる。
(父上の昔の戦友がここまでしてくれる。それを無碍に断っていいものだろうか?)
レイはアシュレイの表情に気付き、「どうする?」と小声で彼女の意向を確認する。
ランダルはその様子に気付き、「少し席を外す。その間に話し合ってくれ」と応接室を出て行った。
ランダルが出て行った後、アシュレイが「父上の戦友が頭を下げているのだ。それを無碍に断るというのは……」と言い辛いのか語尾が小さくなる。
ステラはアシュレイの言葉に「私は反対です!」と強く反対する。
「アシュレイ様はレイ様のことが心配ではないのですか! 今回のことはレイ様をお守りするためでもあるのです!」
ステラが見せる強い感情に驚きながらも、「判っている。だから……」と口を濁す。
レイは二人の様子を見て、今後のことをどうすべきか考えていた。
(アッシュは辛いんだろうな。ハミッシュさんの昔の戦友、それも命を預けあった戦友がランダルさんなんだもんな。義理堅いアッシュには辛い選択なんだろう……)
「一度だけ受けてみようか。それが終わったら、どんなことがあってもドクトゥスに向かう。これならランダルさんへの義理も果たせるし」
レイがそう言うと、ステラが尚も反対する。
「私は反対です。レイ様が、あなたが変わってしまうのが怖いのです。どうか……」
縋りつくような感じでレイを説得しようとしていた。
「ありがとう。でも、アッシュが苦しむなら一度だけ受けてみよう。もし、おかしくなりそうだったら僕を元に戻してくれるかな」
彼女は尚も言い募ろうとするが、レイの意志が固いことを見て取り、言葉に詰る。
レイはステラの頭に手を置き、
「できるだけ短期間の、それもあまり危険が無さそうなものにしてもらおう」
アシュレイはレイの心遣いを嬉しく思うが、ステラの言いたいことも理解していた。
「ステラ、すまぬ。一度限り、それで義理を果たせばよい……もし、レイの、レイがおかしくなるようなら……」
レイはその言葉を遮り、二人に笑顔を向ける。
「大丈夫だよ。もう二度とあんなことにはならない。もし、なりそうなら……」
ステラは彼の手を取り、「その時は私が、私の命に代えても、元に戻っていただきます」と真剣な表情で彼の手を力強く握る。
(本当は嫌。でも、この方はアシュレイ様のために……もし、この方が変わってしまわれたら……私はアシュレイ様を許さない……)
アシュレイも彼女にしては珍しく、心が定まっていなかった。
(レイのことを一番に考えるべきではないのか。父上の戦友とはいえ、私にとってはほとんど知らぬ相手。そのような相手のためにレイを失う危険を冒すのか?……だが、父上が命を預けたことがある友が私のような若輩者に頭を下げて頼んできたのだ。それを明確な理由もなく断ることは……)
ハミッシュが戦友と呼ぶ場合、命を預けてもいいという証だった。すなわち、父の命を救ったことがある恩人である可能性が高い。
彼女はハミッシュから受けた教育、受けた恩には必ず報いるというものと、愛する男を守ることで板ばさみになっていたのだ。
十分ほどでランダルが戻ってきた。
「結論は出たか?」
アシュレイがその問いに、
「お受けしようと思います。ですが……」
ランダルは「すまんな、無理を言って。条件があるなら聞くぞ」と笑顔で頷いていた。
「期間は短期間で、比較的安全な地域の調査ならば……」
アシュレイの説明を聞いたランダルは、
「判ったが、今のところ、二箇所の調査を考えている……」
彼の説明では、ペリクリトルから北東に約八十kmの場所にあるリッカデールまで街道の調査か、南東約百十kmにある旧ティセク村周辺の調査が候補だが、どちらも往復の日数を加えて十日程度になるとのことだった。
「比較的安全なのは旧ティセク村周辺だが、廃村なんでな、滞在中は野営になる。リッカデールまではどの村にも宿はあるが、今のところどの村も三級クラスの魔物がうろつく危険地帯だ。どちらかを選んでほしい」
アシュレイはレイとステラに確認した後、「ティセク方面で」と簡潔に答え、
「メンバーの概要を教えて頂きたいのだが」
ランダルはその言葉に頷き、
「お前たちを含め、十五人だ。四級は二人だが、レベルは三十台後半。後はレベル三十前後の五級クラスが八人、若いが優秀な六級が二人だ。六級を含め、ここで三年以上やっている奴らだから素人じゃねぇ」
アシュレイが頷くとランダルが話を続けていく。
「ちなみに四人組のパーティが三組だ。どこもバランスは悪くない。ただ……」
その言葉にレイが言葉を重ねる。
「ただ、他のパーティと組んだことがほとんどないですか?」
ランダルは大きく頷き、「その通りだ」と答える。
「四級の二人のうち、獣人のアルドは、実力が上の奴には従うだろう。もう一人の剣術士、ボリスについては正直判らん」
アシュレイは了解したとばかりに頷き、
「出発日時と顔合わせの時期を教えて頂きたい」
「出発は急で悪いが、明日の朝だ。今日の午後二時に調査隊のメンバーと最終打合せをするつもりだ。そこで顔合わせをしよう。アシュレイ、お前に隊長を任せるつもりだが、それでいいな」
アシュレイが答える前に、レイが「それでお願いします」と先に答える。
アシュレイはレイを見つめるが、「アッシュの方がいいよ。僕はリーダー向きじゃないから」と笑っている。彼女は首を横に振りながら少し笑い、「了解しました。お受けします」と了承した。
その後、ランダルと調査内容、調査範囲、緊急時の処置方法などを詰めていった。
一時間ほどで打合せも終わり、三人は遠征に必要なものを買うため、街に繰り出していった。
十日分の食料と必要な物資を買い、午後二時に再び総本部に向かった。
ご意見、ご感想、お待ちしております。




