第九話「記憶と未来」
十一月六日。
レイのたっての希望で、街の中を散策することになる。
最初、アシュレイは、「ランダル殿のところに行かなくて良いのか」と渋っていた。
「理由はないんだけど、もう少し街の様子を知ってからの方がいいと思うんだ。武器屋や道具屋で情報を集めてから行ったほうがいいような気がしてね」
アシュレイは、彼が何か考えているのならと彼の言葉に従った。
朝食を食べに食堂に行くが、どうも昨日のやりとりが引っ掛かっているのか、レイはいつもより静かに食事を食べていた。
(また、絡まれるのも嫌だし……しかし、この街が思った以上に危険な状況なら、学術都市のドクトゥスや商業都市のアウレラに向かったほうがいいな。別に義理があるわけでもないしな……昨日の一件であんまりいい印象じゃないからな、この街は)
レイが話さないため、自然と静かな朝食となる。
周りを見ると比較的遅い時間に降りてきたこともあり、食堂に客は少なかった。だが、装備を整えた冒険者が数人残っていた。
レイは出来るだけ目を合わせないように下を向いて食べていたが、一人の女冒険者の装備に興味を持つ。
その女冒険者は弓術士のようで、革鎧にマント、長弓を手に持ち食堂を出て行くところだった。
その弓の形は、通常の長弓とは異なり、上下でアンバランスな形になっている。
(あの弓は和弓だよな。それも大弓……黒髪の女弓術士、和弓……何だ、この感じは……思い出せない……)
レイは食事の手を止め、その女冒険者を目で追い続けていた。
アシュレイはレイの手が止まったことに気付き、声を掛けようとした。
だが、彼の視線の先が黒髪の若い女冒険者であることに、声を掛けそびれる。
(誰なのだ、あの女は。なぜそんなに見つめている。なぜ……)
ステラもアシュレイと同じようにレイの様子が変わったことに気付いていた。
(あの女弓術士を見られた瞬間、レイ様の様子が変わったわ。とても驚いていらっしゃる。何をそんなに……)
考え込むレイは二人の様子にはまったく気付かず、その弓術士が食堂を出て行くまで目で追っていた。
(今のは誰だったのだろう? ここにいれば、また会えるのだろうか?……ん? 今、何を考えていたんだろう?)
今、目で追っていた女弓術士のことを忘れ、レイは何事もなかったかのように食事を再開する。
そして、アシュレイたちの様子がおかしいことに気付く。
「どうしたんだ? 何か様子が変だけど?」
アシュレイは先ほどの女弓術士のことを聞きたかったが、どう聞こうか悩んでいた。
その横からステラが、
「先ほど黒髪の女性、弓術士の方を目で追っておられました。あの方とはお知り合いなのでしょうか?」
想定外の質問にレイは言葉を失い、「えっ、何のこと……」と答えに窮する。
「思い詰めたように見つめていたぞ。この世界にお前の知り合いは少ない。少なくとも私が知らぬ知り合いはおらぬはずだが……」
アシュレイの問いに、彼は混乱していた。
「判らないんだ。僕は何を見ていたんだろう?……何で覚えていないんだろう?」
アシュレイは「レイ」と彼の名を呼び、その震える手を握る。
レイもアシュレイの体温を感じ、少し落ち着いたのか、笑顔が戻っていた。
「ありがとう。落ち着いたよ。食事が終わったら出かけようか」
そう言ったものの、彼の心の中には不安が渦巻いていた。
(何が起こったんだ? 黒髪の女弓術士……弓道家……弓道部……思い出せそうで思い出せない……僕は何を忘れているんだろう。何か大事なことを思い出せないような気がする……)
彼は軽く頭を振り、気持ちを切り替える。
(無理に考えても思い出せないものは思い出せない。何かのきっかけで思い出すなら、それを待とう。今、このペリクリトルにいるべきかを考えるほうが重要だ)
レイたち三人は街の南地区、冒険者が最も多い地区にある武器屋や道具屋を覗いていく。
武器は足りているが、ステラの投擲剣の補充を口実にいろいろと話を聞いていく。
レイは一軒の武器屋で話好きそうな店員に何気なく声を掛ける。
レイが「何かどこも忙しそうだね」と話を振ると、その若い店員は、「お客さん、最近ここに来たのかい」と事情を説明していく。
「山に異変が起こっているっていう噂くらいは知っているだろう? それでギルドが大規模な調査依頼を出したんだ。その報酬がいつもの五割増くらいでさ、結構森に向かった奴が多いんだよ」
「なるほど。でも、調査だけなら、武器は消耗しないんじゃないか?」
レイがそう水を向けると、嬉しそうに話を続ける。
「ところが、普段はいない山の魔物が森に下りてきているんだって。そいつらは六級とか七級くらいなんだけど無茶苦茶数が多いそうなんだ。それに何かいつもより攻撃的っていうか好戦的っていうのか、調査隊を見付けると闇雲に突っ込んでくるっていう話なんだ」
「山から下りてきた魔物っていうと、どんな奴なんだい?」
「硬い奴だと、鎧トカゲ、岩猪、三又甲虫なんかだな。こいつらと一戦交えて帰ってくる奴が武器を壊しちまうんだ」
レイは「他にはどんな奴が出るんだろう?」と興味深げに呟く。
「殺人蜂、巨大モグラ、コカトリスを見た奴もいたって聞いたな」
その他の店でも同じような情報があり、道具屋では様々な素材が安く手に入ると喜ぶ声すらあった。
(相場観がないから判らないけど、相当奥地に行かないと出会わない魔物、それも普段は大人しい魔物が多いみたいだな。何かから逃げていて気が立っているっていう感じだそうだから、山で何かが起こっているか、何かが現れたってことなんだろうな)
昼過ぎまで情報を集めながら、街を散策していく。
三時頃になると、傷付いた冒険者たちが目立つようになり、街行く人たちの同情を買っていた。
レイは突然、「アッシュはどう思う?」とアシュレイに話を振る。
アシュレイは少し考えてから、
「山で何かが起こっていることは間違いない。それもかなり大規模な何かが」
レイは「そうだね」と頷き、
「結構近いところまで来ているって感じだけど、この街が襲われる可能性があると思うかい?」
「そこまで近くはないし、街の周りはかなり頻繁に狩られている。街の中は大丈夫でないか?」
彼は頷き、ステラにも「どう思う」と意見を求める。
「判りません。ですが、ここは危険だと思います。ここにいる理由が無いなら、離れるべきではないでしょうか?」
レイはステラに頷いてから、「じゃ、ランダルさんのところに行くとしようか」と言って、街の中心に向かって歩き始めた。
(街が襲われる……荒鷲の巣……魔物……魔族! 魔族の襲撃! 思い出したぞ! 魔族の襲撃だ!)
レイは突然、自分の小説のプロットの一部を思い出した。
彼の小説では、魔族が大規模な襲撃を掛けてくるところで途切れていた。
その日時は冬至の日、すなわち翌年の一月一日。あと二ヶ月弱ほど先の話だ。
彼は突然立ち止まり、アシュレイとステラに向き直る。
「思い出した! 僕が書いていた小説を! 大事なことを!」
二人は興奮気味のレイに驚くが、彼はそれに構わず話し始めた。
「年が明ける一月一日に魔族がここペリクリトルを襲撃する。それもかなり大規模な襲撃だった。ここにいる冒険者たちを上回る数の魔族が……」
アシュレイが「それでどうなるのだ。この街は!」と聞くが、
「そこから先はまだ書いていなかった。どうなるかの案はあったけど、思い出せない。今は襲撃があること、それが二ヶ月後に迫っていることしか思い出せない……このことを伝えないと」
アシュレイは興奮気味のレイの腕を掴んで、首を横に振る。
「だが、証拠が無い。誰もその話は信じぬだろう」
レイはその言葉に一気に興奮が冷め、「そうだね」と項垂れる。
「でも、魔族の襲撃があることは事実なんだ。知っているのは僕だけ。僕たちだけなんだ。あんまり覚えていないけど、魔族は五千とか六千とかいうレベルだったはずなんだ。早く手を打たないと街が……」
「なぜ魔族はこの街を襲うのでしょうか? どのような目的があるのでしょう?」
ステラの疑問にレイは「思い出せないんだ」と答えることが出来ない。
「そうですか……ですが、それでは街の人に信じて頂けません。私たちだけでは何も出来ないと思います。ですから……」
ステラが“街を出ましょう”と言う前に、レイが話し始める。
「ここには五万人の人たちがいるんだ。それを見棄てることは……」
そこまで言ったところで、「違う」と呟く。
「……何か別の理由でここから逃げてはいけないような気がしているんだ。何か別の理由で……」
アシュレイは「今は考えても仕方ないだろう」とレイの肩を抱く。
「まだ一ヶ月以上ある。ギリギリまでやるだけやってみるべきだろう。それでも信じてもらえぬなら……我々だけで脱出する。レイを引き摺ってもな」
最後はステラを説得するようにそう宣言する。
ステラも「判りました」とその言葉に頷く。
(でも嫌な予感が消えない。アシュレイ様はそうおっしゃるけど、レイ様はいつも危険なことをする。だから、私が……)
そこで話が終わり、そのままギルド総本部に向かって歩き始めた。
歩き出した三人に会話は無く、重苦しい空気に包まれていた。
ギルド総本部に到着すると、受付の一つでランダルへの面会を伝える。
受付の職員は、この街の重鎮の一人であるランダルに面会したいという若者に驚くが、念のため取次ぎをした。
すると、すぐに面会する旨の連絡があり、慌てて彼らを案内していく。
ランダルの部屋は三階にあり、部外者はレイたち以外、誰もいなかった。
忙しそうに歩き回る職員たちの間を若い冒険者風の男女が歩く姿は珍しいのか、すれ違う人は皆、振り返っていく。
重厚な木の扉の前に案内され、案内の職員が「少しお待ちください」と、中に確認に行く。
ここでも、すぐに扉が開けられ、中に通される。
案内の職員は、レイたちの正体が何者なのだろうと入っていった扉を眺めていた。
(何者なんだろう? オグバーン様がすぐにでも会いたいとおっしゃるあの人たちは?)
中ではランダルが「もう少し早く来ると思っていたぞ」と笑いながら、レイたちを招きいれる。
「早速で済まんが、昨日、俺が君たちに会いにいった理由を話そう……」
ランダルは僅かな護衛で商隊を守りきった手腕を買っていること、そして、レイたちに森の調査に協力してほしいことを話していく。
「僅か三人で四手熊、キラーホーネット、ソルジャーアントを戦って、ほとんど損害を出さなかった腕を買っている。出来れば力を貸して欲しい」
レイは魔族の襲撃をどう伝えようかと考えていたため、頷くだけだったが、アシュレイが替わってランダルの真意を問い質していた。
「ここペリクリトルには二級、三級の凄腕の冒険者が多くいたはず。ランダル殿ほどの方が本当にそれだけの理由で、我々のような未熟者を待っておられたのか?」
アシュレイの射抜くような目に、降参というように手を上げる。
「判った、判った。正直に言おう。二級、三級レベルの使える奴はアクィラの奥に派遣している……」
彼の話では、二級や三級の凄腕たちは、より危険なアクィラの山の中の調査に派遣しているそうで、四級クラスしか残っていない。
その四級クラスには魔術師もいるが、十人程度のパーティでは飛行型の魔物にかなり苦戦した。
そこで三十人規模の討伐部隊を編成したが、その数では足の速い飛行型の魔物は近寄ってこないか、それ以上の規模の集団で襲ってくるようになった。
ランダルは少数精鋭で魔物を倒す方針に切替えようとしたが、その精鋭は山奥に行って使えない。
ちょうどその時、マーカット傭兵団の傭兵が僅か三人で商隊を守りきったと聞き、スカウトすることにしたとのことだった。
「今日もかなりやられたんだよ。そいつらもレベル四十程度のベテランなんだが、相性が悪かったんだろうな。前衛は無事なんだが、後衛がかなりやられているんだ」
レイも話を聞くうちに冷静になり、ランダルの真意を問い質し始めた。
「それにしても僅か三人ですよ。わざわざ司令官本人がスカウトすることはないでしょう?」
「こいつは外では黙っていてもらいてぇんだが、今この街にいる冒険者は大人数、複数のパーティでの戦った経験がほとんど無ぇんだ。つまり、指揮官がいねぇんだよ。お前らもレッドアームズにいたんだから判るだろう。頭がいねぇ部隊は個々がどれだけ強かろうが、大したことはねぇ。噂のミリース谷じゃ、僅か二百の兵で二千のオークを押し返したそうじゃねぇか。ハミッシュの指揮だからできることだ。そうだろ?」
レイはランダルの言いたいことは理解できるが、それが本当に可能なのか疑問だった。
「言いたいことは判ります。ですが、僕たちではここの冒険者の人たちは動きませんよ。例えレッドアームズの話を出しても」
その言葉にランダルも「そうだろうな」と素直に頷くが、すぐにニヤリと笑い、
「だが、奴らも馬鹿じゃねぇ。自分が生き残るためなら、ちっせぇことは気にしねぇよ」
そして、三人を見回し、
「三人とも五級傭兵だそうじゃねぇか。だったら、うちの四級連中と実力は互角だ。昨日も言ったが、こと戦闘においちゃ、同じレベルならハミッシュに鍛えられたレッドアームズに軍配が上がる。一発絞めてくれれば、すぐにいうことを聞くようになるさ」
その後、調査隊の規模や報酬などの条件をランダルが話していく。
レイはその時、冒険者と傭兵の違いについて考えていた。
(傭兵は確かにレベルの上下で態度が変わる。でも、冒険者は力じゃない。いかに効率良く依頼を達成するかだ……)
そこまで考えて、今回の状況が冒険者に不利な状況であることに気付く。
(冒険者の討伐のやり方は、傭兵のように侵攻して行って力で叩きのめすわけじゃない。罠を仕掛けたり、待ち伏せしたりと得意な方法を使うはずだ。でも、今回はそれが通用しない。闇雲に突っ込んでくる高速の敵を罠に掛けるのは至難の業だ。だから、傭兵の戦い方を知っている僕たちに白羽の矢が立ったということか)
レイはアシュレイとステラに目で合図を送り、ランダルに話し始める。
「お話はよく判りました。受けるかどうかは、三人で相談します。今回の件でお話があるのですが、よろしいでしょうか?」
ランダルは少し首を傾げてから頷く。
「今回の魔物たちの行動の裏には魔族が関係しています。恐らく魔族の部隊、それも強力な部隊がアクィラ山脈に現れたのではないでしょうか? その魔族に驚いた魔物たちが山から逃げてきた。当然、縄張りも餌場も捨てて。そして、その魔物を捕食するより強力な魔物も追ってくる。そんな構図ではないでしょうか?」
ランダルは一瞬驚くが、すぐに真剣な表情で聞き返す。
「何か証拠があるのか? 第一、魔族の狙いはラクスだろう? あれだけの軍勢を差し向けたんだからな。それはお前さんたちが一番知っているんじゃねぇのか?」
「証拠はありません。ですが……確かにラクスに大規模な魔族の軍隊が攻めてきました。ですが、彼らの動きがおかしかったのです。本当の狙いはラクスではないのではないかと……」
ランダルはうーんと唸り、「俄かには信じられんな」と呟く。
「もし、それが真実だとしてもどうしようもねぇな。魔族討伐の要請がラクスから出ている限り、そうそうこっちには軍は回せんだろう。確かな証拠があるなら別だが、単なる憶測ならな」
レイはランダルの言っていることが正論だと思っているが、言わずにはいられなかった。
「おっしゃるとおりですが、早く手を打たないと間に合わないのです。証拠がなくとも……すみません。無理を言っている自覚はあります」
レイは明日の朝、返事をしに来ると言ってランダルの部屋を後にした。
残されたランダルはレイの言っていた魔族の侵攻について考えていた。
(あのレイという若者、なぜあそこまで魔族の侵攻のことを主張するんだ? 証拠はないと言っているが、確信しているような言い振り……しかし、去年のこともある……)
一年ほど前、アクィラの奥地で突然魔物が活発化したことがあった。その当時、魔族の関与は疑われたものの、結局別の要因であったことが分かっている。そのため、ランダルとしてもレイの言葉に即座に頷けなかった。
(……ただ、ラクスに侵攻した軍勢以上だとすれば、少なくとも五千。この街の防備は貧弱だ。それだけの軍から街を守りきることは困難だろう……まあ、本当のことだとすればだが……)
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