第八十二話「ヴァレリア・ハーヴェイ」
十月二十一日、午後五時。
武器屋街でアシュレイとステラの装備を受取ると、レイたちの出発準備は完了した。
「これで明日の朝には出発できるね。天気は保ちそうだし、何とかなるかな」
「そうだな……」
アシュレイは少し寂しそうな顔で周囲を見渡す。
(アッシュの生まれた街だし、やっぱり寂しいのかな?)
「いつでも帰ってこれるよ。二度と戻ってこないわけじゃないから」
「ああ、それは判っているのだが……この世界では、多くの旅人が二度と戻って来られぬのだ……お前の世界と違ってな」
その言葉を聞き、レイは自分がいた安全な世界を基準に考えていたことに気付く。
(……忘れていたよ。ここに来るまでも何度も危険な目にあったって言うのに……油断するとすぐに日本にいた頃の感覚になるな)
後ろで二人の話を聞いていたステラは、二人の会話に違和感を覚える。
(アシュレイ様は、世界という言葉を使われたわ。どういう意味なのかしら?)
彼女はレイが別の世界から来たと言う話を聞かされておらず、二人の会話の意味を計りかねていた。
(やはり、お二人の間に入ることは……でも、それは覚悟したはず。でも……)
レイとアシュレイは後ろのステラの様子に気付くことなく、前を歩いていた。
マーカット傭兵団本部では、祝勝会とレイたちの送別会が行われていた。
レイたちが帰った頃には、既に盛り上がりを見せており、三ヵ月半前に初めてここを訪れた時のように、中庭に並んだテーブルでは傭兵たちが酒を飲んでいた。
ハミッシュも既に席についており、三人を見るなり「遅いぞ」と笑っている。
(懐かしいな。僕たちの歓迎会を思い出すよ……前は仕事でいなかった人が多かったから、人数は同じくらいなんだけど、でも、見知った顔がずいぶんいない。その人たちと二度と会えないと思うと、途端に寂しくなる……)
レイたちはハミッシュのテーブルに案内され、料理と酒が運ばれてくる。
ハミッシュは「準備は終わったのか?」と、さり気無い口調を装いながら、アシュレイに話しかけていた。
「私とステラの装備も間に合いました。いつでも出発できます」
その言葉にハミッシュは少し表情を曇らせる。
(やっぱり寂しいんだな、ハミッシュさんも……たった一人の家族なんだし、仕方ないよな)
ぼうっとした表情で二人を見ていた彼に、ハミッシュから陽気な声が掛かる。
「ペリクリトルに向かうんだな? 何かあてでもあるのか?」
「えっ? は、はい。今のところ、冒険者の街っていうのを見たいだけなんです。あては特にありませんね」
「そうか……なら、ランダル・オグバーンっていう男に会っておけ。俺の昔の友だ」
ハミッシュの話では、ランダル・オグバーンはペリクリトルで街の治安と防衛の責任者をしているという元傭兵だそうで、十年ほど前までは何度か一緒に仕事をした仲だとのことだった。
「ペリクリトルの先はどうするつもりだ? カウム――ペリクリトルの南に位置する王国――か、それとも、ドクトゥス――ペリクリトルの西に位置する学術都市――にでも行くのか?」
「今のところ、ドクトゥスとアウレラには行きたいと思っていますけど、まだ……」
(ペリクリトルには何か引っ掛かるものがある。ドクトゥスではこの転生というか、トリップというか、この現象について調べてみたい。アウレラはデオダードさん――ステラの元主人でアウレラの大商人――のお墓にも参りに行きたい……)
宴は夜遅くまで続いていく。
途中、ガレスら隊長たちが会話に加わってきたり、五番隊のハルたちと話したりと、終始、明るい雰囲気ではあったが、傭兵たちも仲間を失ったことを簡単に割り切れるわけはなく、そこかしこで死者への追悼の言葉が上げられていた。
そんな中、かなり酔っ払った様子のヴァレリアが三人の前に現れる。
(珍しいな。アッシュと同じ”うわばみ”のヴァレリアさんがこんなに酔っ払うなんて……)
レイは彼女の姿に違和感を覚える。
(そうか、五番隊の被害も大きかったからな。十人以上亡くなっているし、隊長だから余計辛いんだろうな……)
そんな彼の想いを無視するかのように、明るい表情でヴァレリアが話しかけてきた。
「あーら、あんまり飲んでいないのね。今日はあなたたちの門出を祝う意味もあるのよ。もっと飲みなさい!」
いつもより更に陽気なヴァレリアの様子に、レイとアシュレイは思わず顔を見合わせてしまう。
アシュレイもレイと同じようにヴァレリアの心のうちを思い、言葉が出てこない。
そんな二人を無視して、ヴァレリアは陽気に話を続けていく。
「ところで、これから先、三人はどうするの? 宿は三人一緒の部屋? レイ君は二人を一辺に相手をするの、ね、ねぇ、どうなの?」
からかうようなヴァレリアの言葉に、レイは赤くなり、答えに窮する。
「そ、そんな……僕はアッシュ一筋だし……」
「あーら、それじゃ、ステラちゃんがかわいそうじゃない。アッシュはどうなの? レイ君がステラちゃんを抱いてもいいの?」
アシュレイの方は、ヴァレリアのからかいに全く動じず、
「私は構わない。だが、レイの”一番”は私だ。これは譲れない」
からかい損なったヴァレリアは、目を丸くする。
「ほ、本気なの? 好きな男が他の女を抱いても?」
その言葉に、一瞬その様子を想像してしまい、言葉が詰る。
「ほ、本気だ! いや、多分、大丈夫だと思う……」
ステラはその話の展開についていけない。
(レイ様が私を抱く? アシュレイ様もそれをお認めになるの? この胸の奥の感じは……何?)
ステラの思いに気付かないレイは、アシュレイの肩を抱く。
「大丈夫ですよ。僕はアッシュとずっと一緒にいたい。アッシュも僕を選んでくれたんですから……」
レイはそう答えた後、ニヤリと笑って、反撃を開始する。
「ところでヴァレリアさんはどうなんです? ハミッシュさんのことは、どうするんですか?」
「な、何のこと、か、かしら? だ、団長と、どうって?」
動揺しまくるヴァレリアは目を泳がせ、この場から逃げ出そうとしていた。
「ハミッシュさんも、もうそろそろ再婚してもいいんじゃないかな? アッシュはどう思う?」
レイの意図に気付いたアシュレイは、この際、姉と慕うヴァレリアの背中を押そうと、その話に乗っていく。
「そうだな。母上が亡くなられてから十八年になる。私という重荷も無くなったことだ。父上にも幸せになって欲しいと思っているよ」
「そうだよね。それにヴァレリアさんなら、アッシュもよく知っているし、仲もいいから安心なんじゃない?」
ヴァレリアは固まったまま、二人の会話を聞き入っている。
「ヴァル姉なら父上の気心も判っているし、戦場を共にすることもできる。私としてはヴァル姉を”義母”と呼ぶことに抵抗は無い」
その言葉にヴァレリアの声が裏返る。
「ひゃ、義母!? あ、アッシュ、からかうんじゃ……」
「お似合いだと思うんだけど……よし、このまま、ハミッシュさんのところに連れて行こう!」
レイとアシュレイはヴァレリアの腕を取り、ハミッシュのいるテーブルに向かう。
ヴァレリアは弱々しく抵抗するが、二人に引き摺られるまま、ハミッシュの前に連れて行かれる。
腕を組んだ三人の姿を、ハミッシュは不思議そうに見て、
「どうした? ヴァレリアが酔っ払ったのか?」
「ハミッシュさん、ヴァレリアさんのことをどう思いますか?」
一瞬話題についていけなかったハミッシュだったが、すぐにいつもの調子で仕事の話をしだす。
「ああ、俺の自慢の部下だな。剣の腕はまだまだだが、部隊の指揮はうまい……」
部下として褒めだしたハミッシュに、レイは慌てて話を修正する。
「そういうことじゃなくて、女の人として、どうかってことなんですけど!」
ハミッシュは話の展開についていけない。
「女としてだと? どういう意味だ?」
レイとアシュレイ以外の傭兵たちも、ハミッシュの鈍感さに呆れている。
「ヴァレリアさんはハミッシュさんのことが好きなんですよ! で、どうなんです、ハミッシュさんは?」
ハミッシュはヴァレリアの顔を見た後、周りにいる傭兵たちの顔を見ていく。周りの生温かい視線にハミッシュもようやくレイの言いたいことに気付く。
「からかっているわけではないのだな。 すまん、今までそういう目で見た事が無い。第一、ヴァレリアは俺より十五以上も若いんだ。俺みたいな……」
「じゃ、今から”そういう”目で見てください! ヴァレリアさんも戦場に立っているときみたいに堂々と告白してくださいよ!」
ヴァレリアはレイの剣幕にたじろぎ、
「それとこれとは別じゃないの。だ、団長、お騒がせしました」
彼女はハミッシュに頭を下げ、その場を去ろうとしていた。
「ヴァレリア、本当に俺のことが……俺のことを想ってくれているのか?」
彼女の後ろから、ハミッシュの声が掛かる。
「俺は未だに亡き妻のことが忘れられん……それでもいいのか?」
ヴァレリアはゆっくりと振り返る。
彼女は酔って飄々とした顔ではなく、まるで戦場に向かうような毅然とした表情で彼を見つめる。
「構いません。私は団長の、あなたのことをお慕いしています。亡くなった奥様のことはよく知りませんが、私は負けるつもりはありません」
その言葉に周りの傭兵たちが騒ぎ始める。
「ヴァレリア隊長が団長にプロポーズしたぞ!」
「我らが隊長にも春が来たぞ! みんな! 万歳だ!」
レイたちもその騒ぎに乗り、一緒に万歳を繰り返していく。
ハミッシュとヴァレリアは、周りの騒音を気にすることなく、見詰め合っていた。
「本当にいいのだな。ヴァレリア」
「はい、団長……ハミッシュさん」
周りの傭兵たちは、見詰め合う二人を更に囃し立てていく。
レイとアシュレイの二人は、その輪から外れていく。
「本当に良かったんだよね、アッシュ?」
「ああ、ヴァル姉は私でも判るくらい父上のことを愛していたからな。それに父上にも幸せになって欲しいのだ。それに二人が、仲間たちが落ち込んでいるのを見るのが辛い。これを機に、ここが明るくなってくれれば……」
二人は幸せそうなヴァレリアの顔と、少し照れているハミッシュ、そして、それを笑顔で見守る傭兵たちを見ながら、ゆっくりと杯を傾けていった。
レイたちは出発のこともあり、日付が変わる前には部屋に戻っていたが、他の傭兵たちの宴会は日付が変わり、空が白み始める頃まで続いていた。
中庭には酔い潰れた傭兵たちが多く眠っており、夜が明ける頃に意識が残っているものは少なかった。だが、起きている傭兵の一人が街の様子がおかしいことに気付く。
「おい、なんか、街が騒がしくないか? 騎士団の連中が走り回っているようだが?」
その言葉に他の傭兵たちも周りの様子を気にしだす。
普段なら、傭兵たちの朝の教練や、商人たちの準備が始まる前であり、精々人の話し声が聞こえるくらいの静かな時間なのだが、騎士が街の中を馬で駆ける、ドッドッドッという蹄の音や、完全武装の兵が走る時に出す、ガチャガチャという金属鎧が発する音が、途切れることなく聞こえてくる。
「何かあったのか? 敵の奇襲か?」
「ここは王都だぞ。いくらなんでも奇襲はないだろう。盗賊でも出たのか、それとも火事でもあったのかっていうところだろう」
起きていた傭兵たちも、その白けた空気に飲む手を休め、そのまま自然解散のような感じで、部屋に戻っていった。
十月二十二日、午前八時。
昨夜、飲みすぎたレイは、日が高くなってから、ようやく起き出してきた。
(久しぶりに二日酔いだ……学習能力が無いのかな、僕は……)
いつものように解毒の魔法を掛けて、顔を洗いに行く。
中庭を覗くと、昨夜の宴会の名残があり、楽しかった一夜を思い出していた。
(人さえ死ななければ、傭兵稼業もいいんだけどな。この一体感というか、仲間っていう感じがとても居心地がいい。でも、やっぱり僕には無理かな……)
中庭を通り過ぎると、既に朝食を済ませたアシュレイとステラが出発の準備を行っていた。
「二日酔いは大丈夫か? もう少し寝ていてもいいぞ」
アシュレイはいつものように平気な顔で、彼の体調を気遣う。
レイは笑って、「大丈夫」と答えるが、
(相変わらず”うわばみ”だな、アッシュは。あれだけ飲んだのに全然残っていないんだから)
彼は二人と別れ、朝食をとりに食堂に向かった。
彼がもたれる胃をさすりながら、ゆっくりと朝食をとっていると、若い傭兵が飛び込んできた。
「アーウェル・キルガーロッホが脱走した! 今、街は騎士団でてんやわんやになっているって話だ」
その傭兵の言葉に二日酔いで青い顔の傭兵たちも色めき立つ。
「脱走だと! 本当か、それは!」
「ええ、正式に騎士団が発表したそうです。何でもキルガーロッホ家ゆかりの騎士が手引きしたって……」
レイはその話に違和感を覚えていた。
(アーウェルが脱走? それもキルガーロッホ家ゆかりの騎士が……誰に何のメリットがあるんだ、そんなことをして?)
そして、すべての城門で検問が強化され、近くの街を中心に騎士たちが捜索を始めたという話も聞かされる。
(拙いな。城門の検問で出発が遅れる。それはいいんだけど、今日中に王都を出られるのか?)
レイは食事を平らげると、アシュレイたちの下に早足で歩いていった。
アシュレイたちのところに行くと、彼女たちも話は聞いていたようで、不安そうな顔で彼を見つめる。
「今日中に出発できると思うか?」
アシュレイの問いにレイは首を横に振る。
「行ってみないと判らないけど、城門で混乱が起きているって思ったほうがいい。それに街道や近くの街も警戒しているだろうし、予定通りの行程は難しいと思う」
彼女も同じことを思っていたのか、「そうだな」と小さく呟く。
午前九時。
ハミッシュらに別れを告げ、南の城門に向かうが、すぐに検問待ちの大行列に出会う。
行列は一kmを超え、ほとんど動いていなかった。
「諦めたほうがいいかもしれないね。戻ろうか?」
アシュレイとステラもすぐに頷き、再びマーカット傭兵団本部に戻っていく。
途中、街を行く人たちが苛立っていることにレイは気付いていた。
(城門が通れないってことは、商人たちは仕事にならないし、物資が入ってこないから、市も活気が無いはず。イライラするのは判らないでもないな……)
本部に戻ったレイたちは、することもなく、のんびりと時間を潰していたが、街の雰囲気が徐々に剣呑なものに変わっていくことに不安になっていく。
(このまま何事もなければいいけど……何か起こったら、騎士団の兵は出払っているし、混乱を収めることができるんだろうか?……)
彼の不安は的中した。




