第七十六話「アシュレイの決断」
アシュレイは、久しぶりに実家であるマーカット傭兵団本部に戻ってきたが、彼女の表情は暗く、レイと共に傭兵団を離れるかについて、未だ結論が出ていなかった。
(私はどうすればいいのだ。父上はこの歓迎振りを見ても心が晴れていない。今回の責任について、何か考えているはずだ……その手助け、いや、心の支えが必要になるはず。ここなら、私も必要とされる……)
前を歩くレイの後姿が目に入ると、途端にその思いが揺らいでしまう。
(共にありたいと思うのは、レイだけだ。だが、どうすれば……)
レイと別れ、自室に向かいながら物思いに耽っていると、後ろからヴァレリアの声が掛かる。
「随分悩んでいるようね。どれだけ待っても相談に来てくれないから、こっちから声を掛けさせてもらったわ」
「ヴァル姉……」
「レイ君とのことでしょ? 何が原因なの? 話したほうが楽になるから、話してみなさい」
アシュレイは自室にヴァレリアを招き入れると、彼女に自分の悩みを話していく。
五分ほどで話が終わると、ヴァレリアが呆れたような顔で話し始める。
「何を悩んでいるかと思えば……もう、結論は出ているんでしょ?」
「結論?」
「そうよ。レイ君と離れることなんか出来ないんでしょ。なら、一緒に行くしかないんじゃないの」
「でも、父上のことが……」
ヴァレリアはアシュレイの目を見つめ、強い口調で話し始める。
「アッシュ、よく聞きなさい。団長には私たちがいるの。アル兄もガレスさんも、ギルド長だっている。あなたがいなくても大丈夫なの」
「しかし……」
「レイ君に自分は必要ない? そんなはずはないわ。あの子は何でもできる凄い子だけど、魂は弱いの。あなたがいなければ、あの子は壊れてしまうかもしれないわよ」
「だが、ステラがいれば……」
ヴァレリアは、煮え切らないアシュレイの態度に呆れる。
「本当に世話が焼けるわね。ステラちゃんは強いわよ。でも、あの子だけでは、レイ君を支えることなんか出来ないわ。あなたが必要なの、レイ君には!」
「だが、私はレイの役に立たない。唯一誇れる剣の腕も、もう、レイには必要ない……私は……」
ヴァレリアはすくっと立ち上がると、彼女の肩を掴み、声を張り上げる。
「ほんとに! 自信を持ちなさい! ハルに説教したアッシュはどこに行ったの! 力が足りないと思うなら、努力しなさい!」
そして、そのままアシュレイを抱きしめる。
「レイ君が求めているのは、あなたの力じゃないの。あなた自身なの。自信を持ちなさい。今、一緒に行かなければ、後悔するわよ。あなたの後悔した顔を見たくないの。だから……」
抱きしめられたアシュレイは、突然のことに驚くが、やがて幼子のように小さく嗚咽を漏らし始める。
「ヴァル姉……ありがとう……ヴァル姉……」
「もう。子供の頃のちっちゃいアッシュに戻っているわよ……頑張りなさい。でも、いつでも帰ってきなさい。私も、そして団長も、いつでもここで待っているわ」
その言葉にアシュレイの嗚咽が更に大きくなる。
「いつから、そんな泣き虫になったのかしら? そうそう、帰ってくるときは子供を連れてくるのよ。団長に孫の顔を見せてやりなさい。うふふ……」
その言葉にアシュレイは一気に赤くなる。
「な、なんの話、こ、子供……ま、孫……ヴァル姉、からかわないで……」
ヴァレリアは彼女を離すと、
「さあ、行きなさい、レイ君のところへ。そして、自分の思いをしっかり伝えなさい。”ヴァル姉”の言うとおりにすれば、大丈夫。さあ、早く」
彼女はアシュレイの背中を押し、笑顔で送り出す。
(ほんと、世話の焼けること。でも、これで良かったの。団長も自分のためにアッシュが残ったと知れば、同じことを言ったはず……さて、私も仕事に戻らないと。アッシュにああ言った手前、レッドアームズを再建するために頑張らないといけないしね)
彼女は走り去るアシュレイを見送った後、気合を入れるため、両手で頬を叩いていた。
ヴァレリアに背中を押されたアシュレイは、レイの部屋に向かう。
ここ数日の沈み込んだ表情とは異なり、自信に満ちた晴れやかな表情に変わっていた。
彼の部屋の前で、大きく深呼吸してから、中に入っていく。
「話がある。この前の旅に出る件だ」
椅子に座り、のんびりとしていたレイは、居ずまいを正して、彼女の話を待つ。
「頼む。お前と、お前と一緒にいたいのだ。私を、私も一緒に連れていってくれ」
アシュレイは頭を下げ、彼の反応を待つ。
「それがアッシュの結論? 本当にいいの? 後悔はしない?」
「後悔はしない。いや、後悔するかもしれない。だが、一緒に行かずに後悔するより、一緒に行って後悔した方がいい。お前の役に立たないかもしれない。逆に足手纏いになるかもしれぬ。それで後悔するかもしれないが、それでも、一緒に行きたいのだ……」
「役に立たないなんてことはないよ。まして、足手纏いなんて……僕は常識が無い。少なくともこの世界の常識が。それに役に立つから一緒に来て欲しいわけじゃないんだ。一緒にいたいから、離れたくないから、一緒に来て欲しいんだ」
アシュレイは無言で彼に近づいていく。そして、彼を強く抱き締める。
「絶対に離さない。これからも……ずっと……」
レイは急に抱きしめられたことに少し驚くが、すぐに強く抱き締め返す。
「どこまで行けるか判らないけど、二人で世界中を見て周ろう。時々、フォンスにも戻ってくるつもりだしね」
ステラのことを思い出したアシュレイは、彼を抱きしめたまま、「二人? ステラのことはどうするのだ?」と尋ねる。
彼は苦笑いしながら、
「そうか。忘れていたよ。ステラも一緒だ。それでいいね」
「ああ、私は構わない。だが、私がお前の”一番”だ。これは誰にも譲らない。私は自分で思っているより、嫉妬深いぞ。覚悟しておいてくれ。ふふふ……」
「大丈夫。僕もアッシュの”一番”でいたいから。後でハミッシュさんのところに行くけど、どうする? 一緒に行くかい?」
彼女は小さく頷き、彼に口付けをする。
「一緒に行かせてもらう。父上には、私からきちんと話をしなければいけないからな」
二人はこれからの計画を楽しそうに話していった。
ハミッシュ・マーカットは、傭兵ギルドでギルド長のデューク・セルザムと、義勇兵たちへの報酬と、追加の義勇兵募集について、協議していた。
「報酬は五級が一日当たり五十C(=五万円相当)。六級が三十、七級が二十だった。レイの策で商業ギルドから金を出させたが、今はそれ以上に金が集まっている。お前らに出すだけなら、倍になっても問題はねぇ」
「今回は装備を失った奴が多い。出来るだけ出してやって欲しいところだが……この後、追加で義勇兵を募るのだな。なら、そちらに回す金も必要だろう」
「そうだな。だが、追加分には王宮が金を出すという噂もある。今のところ、前と同じ条件でも十分人は集まるからな。できれば、先遣隊の連中に回してやろうと思っている」
「それはありがたいが、本当に集まるのか?」
「ああ、お前らの活躍のおかげだ。ここフォンスじゃ、魔族討伐軍に参加した傭兵は一種の英雄だからな。箔が付くと考える奴が多いんだよ。儂としちゃ、そんな奴らを送り出したくねぇがな。まあ、今回は名の知れた傭兵団も参加する。団長閣下が直接指揮を執られるなら、大きな損害はねぇだろう」
その後、二人の協議は進み、報酬について、ギルド長の裁可が降りる。
ミリース谷で戦った義勇兵たちについては、出発してから帰還するまでの二十二日間の報酬は二倍に引上げることに決まり、更にオークの魔晶石――第三大隊が回収した約千個二万C相当――も、彼らで等分することになった。
ミリース谷の戦いを生き残った先遣隊は総勢百三十五名、そのうち、義勇兵が百七名であった。内訳は、マーカット傭兵団は七十一名――レイ、アシュレイ、ステラの三名は除く――、その他の傭兵が三十六名であった。
五級相当の傭兵で一日当たり百C、二千二百Cに、オークの魔晶石分、百八十Cが加算された。
ハミッシュは戦死者の遺族への補償についても、ギルドに依頼し、デュークもそれを了承する。
「騎士団に捻じ込んでやるよ。今回は騎士団のチョンボのせいだからな。行方不明者の扱いが厄介だが、その辺りは任せておけ」
ハミッシュはすべての事務手続きを終え、自らの家、傭兵団本部に帰っていく。
残されたデュークは、彼の後姿を見ながら、
(かなり堪えたようだな。あのハミッシュが疲れた顔をするとは……さて、儂の方でも騎士団にきっちり”落とし前”をつけて貰いに行かねばな。俺たち傭兵を盾にするのはいい。それが仕事だからな。だが、まともに指揮のとれねぇ奴を指揮官にしておいて、自分たちだけ逃げるのは許せねぇ)
ハミッシュがギルドの外に残っていた多くの人たちを掻き分け、傭兵団本部に戻った。
彼が戻ると、部下たちが彼を出迎え、ようやく彼の顔にもホッとした表情が浮かぶ。
「今回はよくやってくれた。明日から十日間は休みだ!」
その言葉に傭兵たちの歓声が上がる。
「ギルドに行けば、報酬が手に入るぞ! 結構な額になったが、装備類を破損した奴は申し出ろ。修理代は本部が補償してやるからな。今日はゆっくりと休め、解散!」
彼の言葉で傭兵たちは、酒場に向かったり、それぞれの部屋に戻ったりとバラバラに動き始める。
そんな中、レイとアシュレイの二人は、ハミッシュの後を追い、団長室に入っていく。
「ハミッシュさん、話があるんですが、今大丈夫でしょうか?」
「構わん。何の話だ?」
ハミッシュは応接室の椅子を彼らに勧めると、自分もドッカとソファに座り込む。
レイは自分が傭兵に向いていないこと、そして、旅に出ることをハミッシュに話していく。
「お前が傭兵に向いていないとは思わん。お前なら、一流の傭兵、いや、一流の軍略家になれる。騎士団に入ると言う選択肢もあるぞ。ヴィクター殿もお前を気に入っている。グラッドストーン殿もお前を買っているはずだ」
「騎士団長閣下はいい方だと思います。ですが、この国の貴族とは合わないと思うんです。あんまりいい予想じゃないですが、この先、この国の上層部で混乱が起こるんじゃないでしょうか。その時、僕がここにいると、厄介なことになります。それに、マーカット傭兵団にも……」
「お前が言うのなら、何か起こるんだろうな。だが、俺たちはこの国のお偉いさんに睨まれても気にはせんぞ。だから、そのことは気にする必要は無い」
「はい、ですが……」
「まあ、それがお前の決めたことなら、俺がとやかく言うことじゃない。旅をするのもいいだろう。だが、ここはお前の”家”だ。いつ戻ってきてもいいぞ」
ハミッシュの言葉にレイは胸が熱くなる。
会話が途切れると、アシュレイが立ち上がり、深々と頭を下げる。
「父上、私もレイについて旅に出ようと思っています。お許しを頂けますか?」
レイも慌てて、それに倣うと、ハミッシュは苦笑いしながら、
「アッシュ、お前もいい年だ。自分のことは自分で決められるだろう。だから、好きに生きろ。俺のことは気にするな。レイ、アッシュのことを頼んだぞ」
アシュレイは言葉に詰り、「父上……」と呟くだけだった。
レイはアシュレイの肩に手を置き、
「判りました。僕の方が頼ることになりそうですけど。必ず、彼女は守ります」
「まあ、そんなに気負うな。旅を楽しめばいい。アッシュ、たまには戻って来い。いつでもここがお前の家だ。判ったな」
「はい……」
「ところで、ステラはどうするんだ? 連れて行くのか?」
「そのつもりです。ステラも自分から一緒に行きたいと言ってきましたから」
「そうか……お前たち三人は、今日から俺たちマーカット傭兵団の正式な一員だ。何かあれば、連絡をよこせ。世界の果てまで助けにいってやる」
レイとアシュレイの二人は胸が熱くなり、それ以上しゃべることが出来なかった。
ハミッシュが沈黙を破り、「いつ出発するつもりだ?」と尋ねた。
「出来るだけ早いうちに。恐らく近日中に陛下が戻ってこられるでしょう。どんな話になるのか判りませんが、キルガーロッホ公爵と陛下の間で何らかの争いが起きるはずです。それに巻き込まれないように、できるだけ早く、ラクスを出ておきたいんです」
「そうか……そうだな。それがいいだろう」
彼は少し寂しそうな顔で愛娘の顔を見る。
「出発の日が決まりましたら、また連絡に来ます」
そう言って二人は団長室を後にする。残されたハミッシュは、
(やはり旅立つか……判ってはいたが、寂しいものだな。これから忙しくなる。それが救いになるかもしれんな……)
彼は亡き妻の形見である魔晶石を眺めながら、娘の将来を思っていた。
レイとアシュレイは、ハミッシュの部屋を出た後、ステラの部屋に向かっていた。
「ステラに話があるんだ。いいかな?」
彼がそう言うと、ステラは小さく頷く。
「前に言っていた、これからの話なんだけど、僕とアッシュは旅に出ることにした」
ステラは立ち上がり、頭を下げる。
「連れていってください。私も、私もご一緒させてください。必ず役に立ちます。お二人のお邪魔はしません。ですから……」
「判ったよ。ステラはいつでも役に立ってくれていた。でも、それだから一緒に行くんじゃない。君がそう決めたから、一緒に行くんだ。だから、義務でもなんでもない。いつでも、自分の道に進んでくれていいんだ。そのことは判っていて欲しい」
「はい……いいえ、よく判りませんが、レイ様の、あなたの傍に居させてもらえるなら……」
彼はステラの手を取り、「これからもよろしく」と強く握る。
アシュレイも同じように「これからもよろしく頼む」と同じように手を握る。
ステラは困ったような顔をするが、すぐに笑顔になり、「こちらこそよろしくお願いします」と言って、手を握り返していた。




