第六十一話「ミリース谷の戦い:その一」
ミリース谷の戦いは、レイの思惑通りに始まった。
自らの分厚い皮膚という固有防御があるオークといえども、防具がない柔らかい腹を曝し、そこに鋭利な刃物を突き込まれれば、戦闘力を失う。更に、彼らはレンジの短い棍棒しか持っていないため、槍と剣の突きに専念する討伐軍先遣隊側の兵たちは、ほとんどダメージを負うことがなかった。
だが、レイには多くの懸念があった。
(マーカット傭兵団の傭兵たちなら、一時間は戦い続けられるだろうけど、若い傭兵たちは三十分が限度だろう。三十分インターバルで交替していては、数時間で疲労のピークに達してしまう。元々、昼に一戦やってから、逃げてきたのに、体力がもつかが心配だ……最初のうちはいい。だけど、疲れてきたら、必ずダメージを受ける。その時、うまく交代できるのか。もしできなければ、そこに穴が開く……)
そして、戦場を眺めながら、最悪のケースを考えていた。
(僕が敵の指揮官なら、オークの壁を敵に押し込んでいく。死体ごと押し込んでいけば、力で勝り、数でも勝るオークの方が有利だから。オークを消耗品だと思っている節もあるし、この手を使われると対応しようがない。敵の指揮官が真っ当な戦闘に拘ってくれれば、何とかなるんだけど……)
魔族側の指揮官、ユルキ・バインドラーは、敵の不思議な隊形を見て、どう対処すべきか悩んでいた。
(何だ、あの隊形は? 棘を生やした、やまあらしのようではないか。あれでは攻撃の糸口が掴めぬ。いくら操っているオークといえども、自らが死にに行くと判れば、動きも鈍くなる。それに仲間が次々に殺されれば、術が解ける可能性もある……恥を忍んで、アスラ殿に翼魔を借りるか……)
そこまで考えて、翼魔族の女呪術師アスラ・ヴォルティの、勝ち誇った顔を思い浮かべてしまう。
(いや、今更、あの高慢ちきな女に助力を求めるなど出来ぬ。敵も手練とはいえ、ただの人間。絶え間なく攻撃を加えれば、疲労で動きが鈍くなる。こちらには無尽蔵とも言える戦力があるのだ。焦る必要はない……)
戦闘開始から三時間後の午後九時。
数回の交替を行ったが、討伐軍先遣隊側に大きな損害はなかった。
だが、疲労と一向に減らないオークの数に、士気は下がり続けていた。
特に前衛の剣術士たちは、棍棒での打撃を盾で受け止めているため、その衝撃により徐々にダメージを蓄積させていた。
一方、魔族側の損害は、三百以上のオークを失っていた。
そして、そのオークたちの死体が、先遣隊の隊列の前に土塁のように積み上がり、地面はオークたちの血でぬかるんでいた。
ユルキは、オークたちの死体で足場が確保できないことに、苛立ちを隠せないでいた。
(あのような状況では満足に棍棒も振れぬ。まずは死体をどかさねば……)
ユルキは、死体を片付けるよう配下に命じる。
オークたちはその命令に従って前線に向かい、仲間の死体を引き摺っていく。
ハミッシュはその様子を見て、戦列の兵たちにその場で休息を取らせるとともに、アルベリック率いる弓術士隊に狙撃を命じる。
「戦列の者たちは今のうちに休んでおけ! アル! 死体を運ぼうとするやつを射ち殺せ!」
彼の命令で四十人の弓術士と、弩の得意な十人の傭兵たちによる狙撃が始まった。
死体を運び出そうとするオークたちは、身を低くし矢を防ごうとするが、僅か二十mしかない、熟練の弓術士にとっては外しようのない距離にいるため、次々と矢を体に受けていく。
矢を受けたオークは、痛みに後ろに逃げ帰ろうとするが、後ろから来る数百匹の仲間に遮られ、更に矢を受けていった。
弓術士たちの奮戦は目覚ましかったが、オークをすべて倒すことはできず、死体までたどり着いたオークたちは、引き摺り上げた死体を盾にして、少しずつ後ろに下がっていく。このため、戦場からオークたちの死体は、少しずつだが、確実に減っていった。
徐々にオークの死体が片付けられていき、三時間ほどで戦場は再び大軍を動かすことができる状態に戻されていた。
この作業で魔族側は、更に二百近いオークを失っていた。
十月七日、午前零時。
再び、オークたちの進軍が開始された。
魔族軍の将、ユルキ・バインドラーは、オークを突撃させる攻撃に拘っていた。
(我らには飛び道具がない。不器用なオークどもに投石の指示を出しても、味方に損害を与えるだけだ。ならば、当初の作戦通り、敵を疲弊させることに専念すれば良い。人間など一昼夜起きているだけで、疲れきってしまう。まして、昨日から戦闘続きだ。今日の朝には決着が付くだろう……)
彼は、配下の操り手とオークたちを二班に分け、交代で休ませながら、常に攻撃を継続させることにした。
二班に分けたとはいえ、討伐軍先遣隊の前には、八百以上のオークがひしめいていた。
先遣隊の指揮を執るハミッシュ・マーカットは、絶え間なく襲い掛かってくるオークたちに焦りを感じていた。
(全員、疲労が溜まってきている。三十分しか休めず、碌な睡眠も取れない……このままでは朝までもたぬな。何か手は……撤退しかないか……)
彼は横で負傷者に治癒魔法を掛けているレイに目を向ける。
(どうしても、こいつに期待してしまうな……)
「レイ、このままでジリ貧だぞ。何か手はないか」
「一つだけ、いえ、二つあるんですけど……」
彼の言葉にハミッシュは飛びつくように「手があるのか!」と聞き返す。
「ええ、一つは、朝になったら僕が敵の後方に回り込んで、オーガを倒したあの魔法を使うことです。もう一つは、オークを操っている敵の魔族、中鬼族を殺しに行くこと。これはステラなら可能だと思います」
ハミッシュは腕を組んで考え、すぐに答えを出す。
「どちらも許可できんな。ステラにしても、お前にしても、このオークの大群の中をどうやって、出て行くのだ?」
「光の魔法で目潰しをすれば、オークの注意が逸れます。その隙に……」
「すべての敵の注意が逸れるわけではないだろう。囲まれれば、お前たちでもあっという間に殺される。やはり許可できんな」
レイは頷き、「別の手を考えます」と後ろに下がった。
(僕が出て行くのは多分無理だ。気配を消せないし、この白い鎧は目立ちすぎる。鎧を脱いでもすぐに見付かるだろう。ステラは……うまくタイミングを合わせれば、一人は殺せる。でも、ステラはそこで見付かり、殺されてしまうだろう……この手を使うくらいなら、撤退したほうがマシだ)
レイとハミッシュの会話を、ステラは聞いていた。
(私が敵の指揮官を殺す……できるのかしら? ううん、混戦になってくれたら、岩壁沿いを進んで回り込むことはできるわ。五分だけでいい、混乱を作ってもらえれば……)
彼女はレイにその話をしにいく。
「五分だけでいいのです。敵に混乱を与えていただければ、その隙に私は敵の後ろに回り込めます」
突然、話しかけられたレイは、一瞬混乱するが、「駄目だ」とすぐに首を横に振る。
「私の言葉が信用できないのでしょうか?」
「そんなことはないよ。君なら敵の指揮官かテイマーに接近できると思う。でも、敵を殺したら、その後は? 敵に囲まれてあっという間に殺されてしまう」
彼女は強い口調で彼に詰め寄っていく。
「構いません! 私一人の犠牲で何とかなるのなら!……レイ様が、あなたが傷付くくらいなら!……私は……」
ステラの激情にレイは言葉を失うが、すぐに彼女の肩に手を置き、
「もっといい手を考える。僕はこんなところで死にたくないし、皆にも死んで欲しくない。それに指揮官ならともかく、テイマーを一人殺しても、混乱するくらいだよ。もっと確実な手を考えるよ」
尚も訴えようとする彼女の言葉を遮り、「生きていて欲しいんだ。頼む」と、真剣な表情で頭を下げる。
彼女はその顔を見て、黙って頷くしかなかった。
(でも、本当に危なくなったら、私は行くわ! 例え、この方に嫌われることになっても、この方を失うわけには……この方を失えば、私は生きていけない……)
レイはステラとの話の後、彼女が無茶をしそうな予感がしていた。
(命じなければ大丈夫だと思うけど、さっきの様子だと、命令を無視して暗殺しにいきそうだ。何か手を考えないと、本当にみんな死んでしまう……)
彼は打てる手が無いか必死で考えていく。
(手元にある物資は、食料くらいしかない。火計を使うにしても、この下生えの草じゃ、煙を出すくらいしか出来ない。油も無いし、焼き殺すのは無理だ。罠を作る時間も無いし、魔法も、太陽光集光魔法はこの地形じゃ、向きが悪くて使えない。もし、何とか場所を確保できたとしても、昼頃まで待つ必要がある。花火の魔法で混乱させるにしても、単発じゃ大した混乱は起きない。どうすればいいんだ……)
彼は考え方を変えてみることにした。
(敵を倒すという目的に拘る必要は無いんだよな。要はこの場所を確保しておければいい。ここにある素材で一番多いのは……オークの死体? さっきは後ろに運ばれたけど、逆にあれを壁に出来ないか? 両サイドをオークの死体で回りこめないようにできないか……)
そして、オークの死体を使うためにどうしたらいいのか、具体的な方法を考え始める。
(オークの死体は柔らかいし、積むのに適した形じゃない。積んでも簡単に崩されて、後ろに運ばれてしまう……ロープで手足を括れば、オークたちは刃物を持っていないから、運びにくくなるはずだ……誰がどうやって手足を結ぶ?……抜刀隊を出して、一旦オークを下げさせる。その隙に、休憩している隊が前に出てロープで適当に結んでいけば……いけるかもしれない)
レイは積んである物資を物色し、ロープが無いか漁り始めていた。
その姿にハミッシュは驚くが、彼が何かを思いついたのではないかと考え始める。
(何か思いついたのか? こいつの突飛な考えは俺には判らんが、何でもいい。この状況を変えてくれるなら、どれほど馬鹿な案でも……)
レイが物資の山からロープを見つけるが、使うことを想定していないのか、それほど多くはなかった。
「団長! いい案かは判らないんですが、思いついたことがあります」
彼は自分が思いついた、オークの死体を積み上げるという策をハミッシュに説明し始めた。
「オークの死体で土塁を作ります。一旦、オークたちを押し返し、その隙に適当に積み上げて手足をロープで縛ります。こうすれば、さっきみたいに後ろに下げられることもなくなりますし、死体の上に登ってくれれば、勝手に土塁は高くなります」
ハミッシュはその考えに呆れるが、すぐに有効性について思い至る。
(確かに積み上がれば、壁とは言わんが、障害にはなる。それがあれば、一気に押し込まれることはない。奴らが何か仕掛けてくるにしても、時間は稼げる)
「良かろう、それでいけ! ロープが足りなければ、ミリース村に誰かを、夜目の効く奴を走らせろ!」
彼はそう言うとすぐに隊長クラスを集め、レイの策を説明して行く。
レイはステラを捕まえ、ロープを取りにいくよう指示を出す。
「君に頼みがある。急ぎ、ミリース村に戻って、ロープを取ってきてくれ。最低五十mくらいほしい。時間が掛かるようなら、見つけた分だけでもいい。できるだけ早く戻ってきて欲しい」
それに対し、ステラは拒絶した。
「嫌です! 私が離れている間にあなたに何かあれば……他の方に頼んで下さい。お願いします。ここに、一緒にいさせて下さい!」
「これを頼めるのは、ステラしかいないんだ。この闇の中で、濡れて滑りやすい道を全力で走っていけるのは、君しかいないんだ。頼むよ」
彼女は尚も言い募ろうとするが、頭を下げるレイの姿を見て、泣きそうな顔になる。
「私の居場所はここなんです。ここに……いえ、判りました。ですが、絶対に無茶はしないと約束して下さい。お願いします」
彼が大きく頷くと、ステラはすぐにミリース村に向けて走り始めた。
(あの方と離れるのは嫌。ようやく自分の気持ちが判った気がする。この戦いに生き残れたら、これから先も一緒にいさせてもらうようお願いしよう。そのためにも、今は死ぬ気になって走る。一秒でも早く戻ってくるために……)
ステラを見送ったレイは、彼女が強い感情を見せ始めたことに思いを馳せていた。
(ステラがあんなにも強く主張するなんて。これはいい傾向なのかもしれない……今はそんなことを考えている時じゃない。皆を勇気付けて時間を稼がないと……)
彼はハミッシュが隊長たちに説明している場に、向かっていった。
四十分後、ステラはミリース村に到着した。
足元が悪い暗闇の中を何度も転倒しそうになりながらも、抜群の身体能力を見せ、一度も転ぶことなく、ミリース村に入る。
すぐに護泉騎士団第三大隊副隊長のナイジェス・リーランドを見つけ、レイに頼まれたロープのことを話していく。
二人で手分けしてロープを探し、二十mくらいの束を四つ見付ける。
彼女は馬にそのロープを載せると、リーランドに礼を言う間も惜しみ、すぐに戦場に戻っていった。
残されたリーランドは、無表情だと思っていたステラが焦っている姿を見て、戦場がかなり危険な状況にあると考えていた。
(あの娘があれほど取り乱すとは……私は夜目が効かぬ。だから、朝まで出発を見合わせたが、夜明けと共に馬を潰す勢いでブリッジェンドに向かわねばならぬな。幸い、馬の数は多い。替え馬を多く引いていき、一日で駆け抜けてみせる!)
午前五時、まだ完全に暗い闇の中、灯りの魔道具の光を頼りに、彼はミリース村を出立した。




