第六十話「方陣」
チュロック砦への街道沿いで奇襲を受けてから四時間後、撤退開始から三時間後の午後四時に、先遣隊の生き残りは隘路の入口に到着した。
ハミッシュの指揮下には、半数にまで減った護泉騎士団第三大隊第二中隊五十名と、マーカット傭兵団百名、義勇兵八十名の合計二百三十名の戦士たちがいたが、その多くが傷付き、疲れていた。
精鋭であるマーカット傭兵団ですら、二割の戦死者を出し、義勇兵にいたっては、多くが戦死し、更に多くの若い傭兵がパニックに陥って逃げだしたため、当初の二百名から、半数以下にまで減っていた。
(見事なまでの惨敗だな。まあ、退路を確保できたことだけが、唯一の救いか……)
彼らはミリース村から続く、長い隘路を確保できていたことに安堵する。
隘路は長さが十kmほどで、幅は狭いところでは数m、三十m以上も及ぶ切り立った崖が壁になっており、大地の裂け目といった感がある。
今は水が流れていないが、雨が降れば川になるのか、渓流のように大きな岩がゴロゴロと転がっている。街道として利用するため、人の手で平らにしてある箇所も、常に湿っている。
ハミッシュ・マーカットは隘路を眺めながら、困難な命令について嘆息する。
(この道なら一度に戦う人数は十人が限界だ。俺とゼンガ辺りで壁を作れば、全員を逃がすことができる……だが、命令はこの谷の確保だ。やれるところまでは、ここで敵を抑えておかねばならんのだろうな……)
隘路の入口の左右は切り立った崖になっており、その東側には低い潅木とススキのような草が生えた草原が広がっている。その草原の小さな丘を縫うように細い街道が東に続き、一km先で森に入っていく。
(遮へい物がないから、奇襲は受けることはない……だが、三方から囲まれれば、押し潰される可能性がある。どうすべきか……)
彼は岩の間から流れ出す湧き水を飲んで一息ついた後、今後の方針を決めるため、隊長クラスを集めた。
五人の隊長と、騎士団のリーランド副隊長、マーカット傭兵団の副官であるアルベリックが招集され、更にレイもその場に招集されていた。
「キルガーロッホ隊長から受けた命令は、この隘路の確保だ。大隊長はすでに撤退したが、その命令は有効だ」
その言葉に一番隊のガレス・エイリングが反対意見を唱える。
「あの卑怯者の命令など、聞く必要は無いのでは。この不利な地形で二千のオークを抑えるのは、我らでも不可能。直ちに撤退を!」
その言葉に賛同の言葉が上がる。
「確かに逃げ出した指揮官の命令など、聞きたくないかもしれん。だが、ここを敵に抑えられれば、この後に来るであろう増援が、チュロックに向かうことが出来なくなる。チュロックを助けるため、王国を守るためにも、ここを確保しておくことは戦略的に理に適っている。そうだな、レイ?」
突然話を振られたレイは、答えに詰る。
(確かにそうだけど、この戦力でどれだけもたせられるんだろう。早馬が王都に到着したのは十月一日。増援の出発は早くても十月二日。急いでブリッジェンドに向かうとして、早くても昨日、十月五日に到着したくらいだろう。今朝早く出発したとして、ボグビー村には明後日、十月八日、ミリース村にその翌日着くとすると、最低四日はここを死守しないといけない。無理だな)
「戦略的にはその通りです。ですが……」
彼が話を続けようとしたところで、ハミッシュが強引に遮る。
「そう言うことだ。戦略的には、ここを確保しておくことは必須だ。しかしだ。恐らく増援が来るのは早くて三日後、普通に考えれば六日後。その間、ここを確保しておけるのか。そう考えているのだろう」
レイの言葉を借りたハミッシュは、そのまま全員を納得させた。
そして、先の戦いの雪辱と、条件付きで撤退することを匂わせ、説得にかかる。
「敵がオークだけなら、勝機はある。更にここに陣取れば、退路は確保できている。オーガが現れるようなら、退却すればいい。ガレス、オーク如きに我らが負けると思うか?」
好戦的で、ハミッシュを信奉しているガレスは、ニヤリと笑い、首を横に振る。
「オークだけなら、それに、ここを守るだけなら、問題ありませんな」
「そう言うことだ。リーランド殿、貴殿たちは撤退してもらう。こういう仕事は俺たち傭兵の方があっているからな」
リーランドが抗議の声を上げようとすると、ハミッシュは右手で上げてそれを制する。
「ここは我らマーカット傭兵団が守る。騎士団と義勇兵は直ちに撤退してもらう。但し、食料と矢、必要な物資は置いていってもらうがな」
レイはその言葉が信じられなかった。
(唯でさえ不利なのに、味方を減らすなんて……確かに若い傭兵たちは足手纏いになる。騎士たちもベテランがほとんど倒れたから、義勇兵より使えないかもしれない。でも、戦いは数のはず。これは間違っている)
彼はすくっと立ち上がり、ハミッシュの前に立つ。
「死ぬ気ですか! 戦いは数です。それも持久戦なんですよ、交代要員がいなければ、あっという間に疲弊します。再考をお願いします!」
彼は最後に頭を下げ、そのまま腰を下ろした。
「レイのいうことはもっともだ。だが、こういった場所なら、小さくても強固な壁の方が強い。レイ、俺の考えを変えたいなら、俺の考え以上の策を出してみろ!」
ハミッシュは腕を組み、挑発的な目付きでレイを睨みつける。
(それ以上の策っていっても……魔法で一気に片を付けるか……駄目だ。地形が悪すぎる。森が迫っているなら、火を放つこともできる。でも、これだけ広い草原だと、燃料がなければすぐに消えてしまう。それに向きも悪い。明日の昼までもたせて、太陽光集光魔法を使おうにも、西に切り立った崖、南側も少し張り出してきているから、かなり前進しないと使えない……使ったことは無いけど、闇属性で眠りの霧みたいなものを考え出しても、敵の数が多すぎる。駄目だ……)
彼が考え込んでいると、ハミッシュが声を掛けてきた。
「魔法ですべての片を付けようと考えていないか? 確かにお前の魔法は強力だ。このままいけば、お前は歴史に名を残す大魔術師になるだろう。だがな、魔法は万能ではないのだ。魔法に拘らず、お前の知識を生かしてみろ」
ハミッシュはボソリとそう言うと、再び腕を組んで目を瞑った。
(ハミッシュさんの言うとおりだ。僕は何様のつもりでいたんだろう。英雄と呼ばれるハミッシュさんが死を覚悟するほどの相手を、僕みたいな若造一人で何とかしようとしていたなんて……)
そして、もう一度、状況を整理し、何か糸口がないか考え始めた。
(僕たちは撤退することが出来ない。それに数では圧倒的に負けている。防御柵なんかを作る暇もない。ハミッシュさんは、どう考えているんだろう? マーカット傭兵団は約百人。休憩を考えれば、半分の五十名を常時前線に立たせるつもりなんだろうな。それだと、精々直径二十mの半円状にしか配置できない)
そこで、昔読んだ戦史の本のことを思い出した。
(これじゃ、まるでテルモピュライの戦い――レオニダス王率いるスパルタ軍三百人が百万のペルシャ軍と戦った、ペルシャ戦争の有名な戦い――のようだ……テルモピュライ? 防御が強力な隊形は……歩兵による方陣……ファランクスか!……パイクがあれば一番だけど、槍はかなりの数がある。弩の数もこれなら……)
再びレイは立ち上がり、今考えたことを具体化するため、矢継ぎ早に質問していく。
「槍の数は? 矢の数、弩の数と太矢の残数は? 食料の残りは?」
その問いに、ハミッシュは何か思いついたのかと笑顔になり、自ら答えていく。
「槍は四番隊のものを含めておおよそ百。矢は弓術士四十人に対して、一人五十本。弩は五十台で一台辺り太矢は二十本といったところだ。食料は……そうだな、三日はもつな。それがどうした?」
彼は地面に剣で絵を描きながら、説明していく。
「聞いてください。盾を持った剣術士を前衛に隙間なく並べた横隊を作ります。これを東、南、北の三辺にならべ、剣術士たちの僅かな隙間から槍で突けるように槍を持った兵をその後ろに配置します。これで、盾で防御した壁ができますし、槍で攻撃することもできます」
全員の理解を確認するため、レイは顔を上げる。
全員、彼の話を自分なりにイメージしようと、地面の絵を見つめる者、目を瞑って考え込む者など様々だったが、歴戦の傭兵たちには彼の意図が理解できているように思えた。
隊形がイメージできていると判断したレイは、次に闘い方について説明していく。
「この隊形のままでは、いずれ疲労で戦えなくなりますから、合図と共に一辺ずつ下がり、交替していきます。当然、敵は下がる時に押し込んできますから、その前に一旦前進して押し出し、一気に左右に下がります。その時、押し込んでくる敵に弩と弓で攻撃を掛け、更に両手剣の剣術士を中心とした抜刀隊を編成し、彼らが攻勢に出ます。これを繰り返せば、時間は稼げると思います」
ハミッシュらは眼を瞑って戦いをイメージしていく。
「判った。それでいくぞ。アル、負傷者の治療は済んでいるか?」
「ほとんど済んでいるけど、戦えそうに無いのが二十人くらいいるね」
ハミッシュは頷き、リーランドに向き直る。
「リーランド殿、けが人と馬たちを後方に逃がしてもらえないだろうか。その後は、そのままブリッジェンドに向かい、増援にこの状況を伝えて欲しいのだが」
リーランドは納得できないという顔になるが、騎士団の人間がいった方がいいと思い直した。
「了解しました。悔しいですが、私の仕事のようです。直ちにミリース村に向かいます」
彼はすぐに立ち上がり、準備を始めた。
ハミッシュは、再びレイに向き直る。
「さっきの策の打合せをする。前衛の並べ方はお前が確認しろ。全員、レイの指示に従え、判ったな」
隊長たちは大きく頷き、すぐに立ち上がる。
「前衛十人、後衛十人を一斑として、六班作ってください。弓術士と両手剣の剣術士はとりあえず外して……」
マーカット傭兵団のベテランを中心に六班をすぐに作り、それに若手を配分していく。更に四十人の弓術士と、弩弓兵を兼ねる予備兵力の三十人に、両手剣を使う剣術士四十人を振り分けていく。
「前衛は盾を胸の位置に掲げて、剣を突くように、こうやって持ちます。敵が突進してきたら、右足を引き姿勢を低くして、吹き飛ばされないようにしてください。前衛が低い姿勢をとったら、後衛はその上から槍を突き出してください。間違っても前衛に当てないように少し上を狙って。敵はオークですから、標的は大きい。体当たりだけに気を付ければ、大丈夫です。各班の班長さんは、自分の班の状況を確認して、危なくなったらすぐに言って下さい。重要な点は、無理をしないこと。無理をして下がれなくなったら、全員に危険が及ぶと思ってください……」
敵が見え始めるまで、レイは知りうる限りの知識を自信有り気に披露していく。
だが、心の中では不安で押しつぶされそうになっていた。
(聞きかじった程度の戦術で、大軍に向かおうとするなんて自殺行為だ。でも、僕が自信の無い素振りをすると、皆が、特に若い傭兵、騎士たちが動揺する。ハミッシュさんやヴァレリアさんのように堂々と、無理をしてでも笑顔を作って……)
彼の言葉を全員が真剣に聞き、一時間ほどで何となく形になっていた。
「団長、指揮をお任せします。僕もどこかの班に入った方がいいですね」
「お前は俺の横にいて助言をしろ。アッシュ、お前が抜刀隊の指揮を執れ、ステラ、お前はアルの弓部隊に入れ」
「僕は槍術士です。前線にいた方が……」
「お前の槍より、お前の頭の方が何倍も俺たちの役に立つ。けが人の治療もお前に任せるからな」
レイは自分が安全な場所にいることが我慢ならなかったが、治癒師としての能力はこの部隊で一番であると自覚しているため、渋々ハミッシュの言葉に従った。
十月六日、午後六時。
日が落ち、暗くなり始めた頃、先遣隊の前にオークたちの集団が見え始める。
ハミッシュの号令で、一辺十mの小さな方陣がすぐに出来上がり、灯りの魔道具が灯されていく。
きらきらと光る剣や槍の穂先が幻想的に見えるが、兵士たちの顔は緊張に歪んでいるように見えた。
「一斑から三班、指示通りに方陣を作れ! 命令があるまでしゃがんでいろよ。不用意に立つと矢が背中に突き刺さるぞ!」
突進してくるオークの勢いを止めるため、近づくまでは弓と弩で攻撃し、少しでも数を減らそうと考えた。
何百ものオークたちが起すドッドッドッという足音と、興奮したオークが上げる咆哮が周りにこだまする。
若い兵士たちはその光景にガタガタと震え始めるが、隣にいるベテランが小さく声をかけると、次第に落ち着きを取り戻していった。
レイは若い兵士をフォローするため、横には必ずベテランが来るよう配置させていた。
オークの姿が次第にはっきりとしてくる。
醜い顔に明かりが届く距離――十mくらいの距離――に近づいたところで、アルベリックの号令により二十本の矢と五十本の太矢が放たれた。
「撃て! 弓術士は曲射でもう一回打ち込んで!」
シュシュシュという矢の風切り音が消えると、十匹以上のオークがもんどりうって倒れ、後続のオークも足を取られて突撃の勢いを殺していった。
その直後、ハミッシュの号令が周囲に響き渡った。
「全員戦闘用意! 構え!」
彼の号令で六十人が、ガシッという音を立て、一斉に立ち上がる。
そして、槍と剣が棒でつながれたように同時に、前に突き出されていく。
その異様な光景にオークの勢いは更に弱まり、その金属のとげの前に無防備な体を晒していく。
「突き出せ!」
ハミッシュの号令で突き出された剣と槍により、オークは次々と絶命していった。
レイはその姿を見て、感動していた。
(凄い……あの短時間でこれだけの動きが出来るなんて。指揮官への信頼が一糸乱れぬ動きに繋がっているみたいだ……)
これが、後に「ミリース谷の戦い」と呼ばれる、死闘の幕開けであった。




