彼岸を見た者 彼此岸の旅3-2.螺旋樹の導き
亡霊となったひろこは青ざめた顔を空に向けていた。空といっても、岩盤の連なる地下天井であったが。ひろこは眼下に子供たちがいることを知らなかった。その玉が、めきめきと伸びるだろう芽を地面からぴょこんと飛び出させる様子を、見ていなかった。
彼女は手にそれと同じ玉を抱えていたが、その玉は彼女から離れようとした。玉は、手から離れてはじめて成長する。その様子を彼女に見せなければならなかった。それは、人の思いを突き詰めた種、それは、いくつもの関係性に枝分かれしていくそれぞれの和やかな道標だった。だからそれは、人から離れずにいられないものだったのである。
それは、人から生まれた物思いの種子だった。だれもが抱く、感情の源。それはただ育つ木の苗ではない。それは相手がいなければ決して伸びない複雑な経緯を辿るべくして誕生するものだった。単純ではない。それは一つ一つの思いの寄り合いとなるべく自ら成長するものだった。
しかし明確な、立派な樹と育つものに。それは果てしない感情を辿る、正規の宮本だった。宮本。宮殿の本にある木の樹木。
ひろこはどんな人生を歩んできただろう。死ぬ前に。その手から玉はこぼれた。その手からこぼれた玉は、自ら種子と変えて、地面に潜り、その中から成長した。ぴょこんと飛び出した小さな芽。それはいじらしく、可愛らしく、どこも剛健な感じなどない。彼女は強く自分を制御してきた。それは自分らしく生きるために。だが、自分を律するとはどういうことか。
彼女は冷たくなった自分の手をさすった。玉などこぼしたことを全く意識せず、自分の手をさすった。その後ろでばらばらになった体で大きすぎる大きさとなった玉を抱えたよしこは、じっと背後から落とされた玉の行方を見守っていた。背後から、その様子が見えるだけの高さによしこの頭はあった。いじらしく、可愛らしい芽が飛び出た時、彼女は子供のように喜んだ。しかし、芽は、随分と淋しそうに立っているように見えた。
そうだ。自分もこの玉を投げてみよう。そうするとそれは同じような芽が出て、その芽は淋しくなくなるかもしれない。そう思ったよしこは、自らばらばらに解いた体を少しずつつなげ、その過程で大きすぎるほど育った玉を地面に落とした。すると、そこからすぐに芽が出て、ひろこのものと同じ程の背丈になり、乾いた葉をなびかせた。まるで男性のようにすっくと立ったよしこの芽は、可愛げのあるものではなく、茎も太く、葉も大きかった。よしこは何だかそれがどうしようもないものに見えた。自分は、あんな人生を送ったが、その集約がこの芽に詰められるのかと思った。両足首を失っただけで百八十度人生が変わり、逃げられない自分というものを強く意識するようになってしまった。それがすっくと立つ芽に代わり、そして、もう一つのいじらしい幼児の芽の傍に伸びる。
それがどうしても今必要だったことのように思えた。よしこは亡霊のひろこの肩を叩き、こちらを振り向くように促した。ひろこは背を振り向き、そこに、つぎはぎだらけの体の女がいてびっくりした。その体は傷だらけで、裸で、目も当てられないくらいだった。
両者は互いの体を見合った。傷だらけのよしこから見れば、その相方の体は幻のように上品だった。服も、上質で、整ったプロポーションは、彼女に憧れを抱かせる。だがどこか非常に痩せても見える。そんなはずはない肉付きだが、いやに、生命感がなく、色も白い。彼女は自分の体を振り返らなかった。目の前のひろこがどんな様子で自分の体を見ているか、気に留めなかった。
一方で、彼女らの生み落とした生命の樹木は、他の木たちと同じように、急速に育とうとした。二人は足元からその命の波を感じた。ふわっとした大きな期待がその土から湧き上がるように二人は感じ、芽から少し離れると、それは、どんどん巨大化していった。そして一対の樹になるまでに時間はかからなかった、
二人は並んでこれを見た。そして、いつのまにか、二人の前だけではなく大勢の人々の前に、そのような樹が立ち並んだのを見た。樹は、彩りの良い葉を広げ、瑞々しく、辺りにいい匂いを振り撒いた。そして、彼女たちの目の前にその葉を幾枚か落とした。葉は、どれも同じ形をしていたが、それは、いじらしさと無骨な厚さを持った、二人が合体したような葉だった。
二人はまるで元々一人の人間のようだった。二人は、この樹がとてつもなくおしく感じた。自分の分身のように感じたから、しかしあまりに立派に成長した木だったから。
ぼこっと根が地面から飛び出す音を二人は聞いた。ぼこっぼこっ。それは彼女たちの足元だけに起きたのではなく、それぞれの、咲かせ、誕生した芽の、急速に育った幹の、その根元から、飛び出てきた。根は、小さな新しい生木を伸ばし、誰もが、この痩せ細った木に身近な人間の像を浮かべた。彼女たちも例外ではなかった。ひろこは、離婚した旦那と息子を思い、よしこもまた、自分の家族をそこに認めた。




