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121「激闘」

「正気か? たとえこの場で私を殺せたとしてもカルリエの地から一歩も出ることはできない」


「だから利も命も度外視だといっただろう。わが伝統ある暗殺ギルドをよくもああまで見事に壊滅させてくれたな。どちらにせよ、雇用主との契約は切れておるわ。われが望むのは、カインよ、キサマ自身の絶望と混沌だ。おまえが心血注いで造成したこの堤を破壊し、おまえが愛する領民をできるだけ多く殺す。そうそう、それからおまえを生きたまま捕らえて、われの性の玩具にしてやろうぞ。くくく、その女のような顔貌がどのように引き攣るか、いまから楽しみぞ。このときをわれは待ち望んでいたわ」


 ――狂ってやがる。


 この距離ではミロスの表情はよく見えないが、間違いなく精神の針を異常な数値まで振り切った醜悪なものであるという確信が持てた。


「カインよ、おまえの幼い身体を全力で嬲ってやろう。それこそ、ミロスさまとわれの身体なしでは生きてゆけない玩弄物に今日からなり代わるのだ」


「口上はともかくそんなにのんびりしてていいのか。援軍はもう到着してしまったぞ」


 豪雨の中を無数のランタンが蠢きながらカインのもとに集結しつつある。


 ――数では勝った。


「なあ、ミロス。ひとつ提案がある。こちらは連日の河川工事で疲れている。おまえの逆恨みはともかく、すでに雇用主との契約が切れているなら、新たに私と結び直さないか?」

「カインさま?」


 廉直の騎士ヴォルテルは裏返った声で叫んだ。

 この提案にはさすがのミロスも動揺したのか言葉を失い手にしていた曲剣を下げた。


「正気か、小僧。われはおまえの命を何度も狙い、そしていまもなお堤を破壊して領主としての尊厳に汚泥を塗ろうとしているのだぞ? それを理解しているのか?」


「おまえたちが暗殺者ならば金を貰って私の命を狙うのは当然だ。それが仕事なんだからな。だが、契約が切れているのであらば、この私と利を持って結び、命があるうちに国外に退去すればどうかと提案しているだけだ。無論契約金は交渉させてもらうがな」


「馬鹿が。どこまでも人を食った小僧よ。だがこれを見ても同じことがいえるか?」


 ミロスが横を向くと、刺客の男が巨大な麻袋をカインたちの前に放った。

 途切れることがない猛雨に目を凝らしていると、麻袋はやがてゴソゴソと動き出す。


 ――新たなミロスの計略か。


「お気をつけてください、カインさま!」


 屋敷から駆けつけてきた騎士や兵たちが盾と槍とで防御陣を構成する。


「ちょっと待て。なにか、おかしい。灯りを」


 兵のひとりからランタンを受け取るとカインは蠢く麻袋に光を当てた。

 カインは息を呑んだままその場で硬直した。


 灯りに照らし出されたのは――。


 カルリエ屋敷で食客となっていたはずの蟲使いユージェニーの姿であった。


「救い出せ!」


 怒声を伴ってカインが前に出ようとするが、護衛たちの長く強い腕が素早く主人の無謀な動きを制止した。


 騎士たちによってカインの前に引き出されたユージェニーは全身に傷を負わぬ場所はなく、息も絶え絶えであり、誰がどう見ても助かるとは思えないほどだった。


「なぜ、どうしておまえが……」

「愚かよの。カイン、その娘はわれらがおまえを殺すために送り込んだ刺客だったのだ。もっとも、いつの間にやら貴様に情を移したようで、同胞を次々に手にかけた。末路がそれだ」


 激情に駆られたように兵たちには見えたカインであったが、その実、腹の中は冷静だった。


「全軍、攻撃。堤の破壊工作を行う術士に集中せよ」


 激しい雨の中でもカインの編成前の透き通った声はよく響いた。


 雨中の激闘がはじまった。カルリエ勢は騎士の数が少なく農民兵がほとんどであったが、よく錬磨されており正体不明の敵であっても果敢に戦った。カインは細かく指示を出し、大盾を持参した重騎士を前列に弩を厚くして距離を取って応戦した。


「不用意に近づくな。暗器が得意な敵だ」


 この時点で八十近い数の兵が堤に集結している。カインはまず堤を泥に再構成して、俄かの大雨で水量が増したディーバ川の決壊を防ぐことに専念した。


 雨を貫てい奔る矢は、素早さと隠形を身上とする暗殺者たちを次から次へと滅殺した。


「ユージェニー。いますぐ安全な場所で治療してやるからな」

「……いえ、まだ、戦えます」

「そんなわけあるか! おい、退路を確保しろ」


 死人のように顔が真っ白だ。


 ――血を流しすぎたか。


「逃すな。ゆけ、我が右腕と左腕よ」


 ミロスがそう声を嗄らして叫ぶと、いままで戦陣に加わっていなかった巨体の男が二名ほど咆哮しながら出現した。


「スサノオ、アシュラ。怨敵であるカインと背信者ユージェニーを捕らえるのだ!」


 現れた二名の暗殺者は規格外の大きさだった。

 どう小さく見積もっても四メートル以下ということはありえないだろう。


 スサノオと呼ばれた男は巨大なこん棒を――。

 アシュラと呼ばれた男は巨大な手斧を――。


「カインさま、この異形どもはおそらくオーガハーフです」


 騎士のひとりが叫びながらスサノオと向かい合っているが、放出される異様な鬼気に圧され気味でジリジリと後退していた。


 オーガと呼ばれる亜人がロムレスには存在する。

 膂力は人間とは比べ物にならぬほどであり、背丈は家の軒を超えるのが当然とされた鬼だ。


 ――なるほど、巨大型亜人の混血か。


 亜人とはロムレス各地に存在する種族であり、それぞれが固有の特徴を持ち姿形は人間に近いとはいえ、まず別物である。


 スサノオとアシュラの出現でカルリエ勢は一気に押され気味となった。


 この場合、己の命を第一に考える指揮官であるならば、あとは部下に任せて即座にひとり退いたであろう。


 ――だが、逃げれば義を失う。


 カインはことを成すのに楽をするため暗殺を用いるのはもっとも愚であると考える人間だった。


 古代より、敵の総帥を殺した刺客で英雄になった者はいない。


 それは民衆が卑怯卑劣な暗殺者を好まないからである。

 この堤が決壊したからといっても、それは狂奔した殺し屋風情がやったことであり、カインの施政を見てきた者は同情を覚えこそすれ批判は少ないだろう。


 しかし、不正に立ち向かわずに、自らの命を守ることに汲々とする人間が長じたとしてもそこに将来というものはない。


 守ってみせる。

 そのためには、逃げぬことだ。


「怯むな。攻撃を足元に集中せよ。巨人は動きが鈍い」


 腹を据えてカインは叫ぶと兵から弩を奪ってスサノオに放った。


 矢は低く飛んでスサノオの脛に刺さった。

 だが、巨人はなんの痛痒も覚えないのかみじろぎもしない。むしろ寄り集まってくる兵たちを羽虫を払うように退けて、目標をカインひとりに据え直し猛進を開始した。


 さすがにミロスの切り札だ。

 スサノオが丸太のようなこん棒を振り回すと受けに回った騎士は剣ごと身体を砕かれて闇に弾き飛ばされ消えてゆく。

 ミロスがさもうれしげに嬌声を甲高く響き渡らせる。


 兵たちが意地を見せて巨人に殺到するが、こん棒と手斧は風車のように唸りながら、まるで無人の野を往くがごとくカルリエ勢を切り裂いた。




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