120「堤防決戦」
深更。
カインはひとり屋敷の外で炬火の横に立ちながらひとり夜空を黙って見上げていた。
――できるだけのことはやった。
この土地に長らく住むジャンやアイリーンの意見はそろそろ強烈な雨季の真っただ中に差しかかるということだった。
(聖牛はできうる限り造り、川の流れも考えつく知恵を絞りつくして分けるだけ分けた。あとは精魂込めた堤防が水竜に打ち勝てるかどうかだ)
この土地にあった堤防は屏風のように高く厚みのある城壁のようなものであったが、カインはそれらが柔軟性を欠き、濁流を一点に受ければ弱いことに気づき、新たに持てる限りの人員を投入してスーパー堤防に近いものを作った。これは現在ある堤の幅をゆるやかに盛って広くし、居住区の下の土も錬金術で底上げして河川の氾濫による越水の被害を最小限に食い止めるものだ。
わかりやすくいうと、かつては堤の下に村があったためにディーバ川が氾濫した場合、傾斜の勢いで集落がモロに越水のダメージを受けたのだ。
だが、スーパー堤防は斜度がゆるく、幅がたっぷり長く作られているので越水の際に押し寄せてきた水は俯瞰的に見れば水平に近い斜度を走るために、村々に与えるダメージを軽減できる。
さらにカインは越水を堰き止める壁をお抱えの錬金術師を動員して川の縁に延々と築き上げた。
まず、巨大な壁は並大抵の洪水では乗り越えることができず、また、越水したとしても以前のような強烈な水害を村々が受けることがないように、俯瞰的にいうと盆地そのものに盛り土をした形に作り替えたのだ。
これほどの大規模な土木工事は近代的な建設技術があっても多大な労力と資金を必要とするのであったが、カインにはそれらを可能にするチート的な技があった。
錬金術である。
彼らが大地を自由に操るので土を運ぶ多くの車両や建設機械を必要としない。
村の建築物をそのままに土を盛ることは造作もなかった。
――戦闘に特化しない技でも使いようでいくらでも役に立つ。
これまで労苦を思いやって空を眺めていると、不意に、雨垂れがカインの面貌に滴った。
――また、この予感だ。
直後に、堤の警備兵から知らせがきた。
「堤の付近に怪しい人影が多数あり」
「なんだと。ここには百を超える兵が集めてあるんだ。とにかく偵察を出して詳細を報告――いいや、私自身がゆく。おまえは屋敷の警護以外集められる者だけ集めてあとで来い」
カインは胸騒ぎを覚えながらも数人の騎士を従えると、徐々に強くなる驟雨を切り裂くように騎馬を駆けさせた。
堤に到達するとカインは瞠目したまま馬を止めた。
「なにをやっているんだ、あいつらは」
黒尽くめの集団がいた。
どこから現れたか理解はできないほどの大集団だ。
目視でも五十は超えているだろう。
その集団は堤の防壁に向かって地獄の底から響くような口調で呪文を延々と詠唱している。
――間違いない。あれは土塁を破壊する錬金の術式だ。
なに者かがカインたちが精魂込めて作った堤防を破壊しようとしている。
気づいた瞬間に、サーッと血の気が引いた。
咄嗟に彼我の戦力差を計算する。
いまここにはジャンの屋敷から伴ってきた八名ほどの騎士しかいないが、ここで戦っていればおっつけ援軍の兵が到着するだろう。
それよりもなによりも、カインが気になるのは勢いを増しているこの雨だった。
「このままでは遠からずディーバ川の水量がマズいことになる」
謎の黒尽くめの集団はカインたちが近づいていることに気づいているはずだが、領主代行を前にしてもまったくもって破壊行為をやめる気配もなければ逃げ出すということもなかった。
――手駒が少なすぎる。
カインの身辺を守っていたリースとライエは河川工事の手伝いの為にきていたメイドの入れ替えの警護を行うために、ジャンの屋敷を離れていた。
股肱の臣といえる剣の遣い手であるジェフも豪傑であるゴライアスも南北の境を兵を率いて守っているためにこの場にはいなかった。
カルリエの騎士たちが弱いというわけではないが、ずば抜けて武術に優れている家臣がいないのは心細いがカインはなんとしても堤を守らなければならない義務があった。
「やるぞ。私についてこい」
カインは軽く武者震いをすると騎士を率いて集団へと急襲を行った。
雨はやまぬ。
誰何を伴わない無言の攻撃だった。
騎士たちは勇んで抜剣すると堤を疾走して異様な集団に斬りかかった。
「あっ」
突撃した誰かが闇夜に煌めく光に気づいたのか声を上げたが、そのときはすでに遅かった。
黒いローブを被った集団は素早く散って前陣と後陣を作り上げると、手にした吹き矢を騎士たちに向けて放った。
音もなく走る矢の存在に気づいたカインは反射的にその場へと身を投げかわしたが、猪突猛進が売りである若き騎士たちのほとんどが放たれた矢に身体のあちこちを穿たれ、転がった。
「ぬうっ、無礼ぞ。ここにおわすはカルリエのご領主ぞ」
カインの身辺を守っていた大柄な騎士が野獣のように吠えたてるが、謎の集団は再び無言で吹き矢を放った。
騎士はカインを守るように立って大剣を風車のように振るって飛翔した矢を叩き落したが、暗闇と雨とで異常なまでに劣悪な視界ではどうにもならず、首筋に矢がかすった時点でよろりと上体を崩し片膝を突いた。
「カインさま、これは毒矢です。決してわたしの背から身体を出さぬよう」
「ヴォルテル、無理をするな!」
カインは瞬時に錬金術を行使して前面に土の防御壁を張った。
分厚いコンクリートの壁が足元から隆起してカインとヴォルテルを吹き矢から守る。
だが、連日の工事で術を使い過ぎていたせいか、カインは激しい立ちくらみを覚えて目の前に真っ白な星が散った。
「おまえたちはいったいなんのつもりだ。村人たちの命を守る堤を破壊してなんの利がある」
「端から利なぞ度外視だ」
冷え切った声音の奥に粘った怒りがわずかに覗く。
「ミロスか。まだ生きていたのか」
謎の黒尽くめの集団の正体――。
それはいままで幾度となくカインの命を狙ってきた暗殺者たちであった。
灰色の髪に氷のような切れ長の目を備えた殺し屋の頭領はローブを放り捨てると、身体の線が出た動きやすい装束でその場に佇立していた。
切断された左腕はない。
だが、彼女が右手に持っている奇妙にくねった曲刀はそのフォルムを見ただけでよく切れそうなことが理解できた。




