119「突貫作業」
生きて戻ったカインを出迎えたのは、泥と疲労で顔を汚し切ったアイリーンをはじめとするメイドや家人たちであった。
「よく、よくぞご無事で……!」
「ぐ、くるしっ。おおげさだ」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしたアイリーンに力一杯抱きしめられながらカインは胸の厚みと弾力に奇妙な懐かしさを感じていた。
リースとライエが感極まった表情ですがりついてくる。カインは黙ったまま彼女たちを代わる代わる抱きしめ、互いの無事に安堵した。
「カインさま、どこにもお怪我はございませんか」
「ああ、ジェフ殿。よくぞ私の代わりに領民を守ってくれた。礼をいうぞ」
「ありがたき幸せ。しかし、このような無茶は二度となさらないでください。私どもなどはともかくカインさまのカルリエの至宝でございます。もしなにかあれば、それはこの領地すべての村民の行く末を閉じることとなりましょう」
「確かに軽率であったが、私は自らの行動を悔いることはない。そもそも民に仰がれる者が誰よりも先に逃げることなど許されることではない。私とて全知でも全能でもない。だが、自らの力でひとりでも多くの領民の命が助かるならば、それこそ君子の道というものだ。それを選ばずにはいられない。私は父母に自らの死を誇れる行動を取った。たとえ、たとえだ。たとえ、ことを仕損じても黄泉に降りたとき祖父に胸を張って会うことができるだろう」
――そこまでのお心で。
ジャンはぶるりと巨体を感動に打ち震わせ目の前の少年の領主に対して自然と拱手を行った。
「ところで姉上はどうなされたか知らないか」
「それならば――」
「カインくん!」
歓喜の籠った声が響きカインはメリアンデールと固く抱き合うと姉弟の無事なる再会を天に感謝した。
「すっごく探したんだよ」
「ご心配をおかけしました」
「カインくんの友だちの蟲使いの女の子とずっといっしょだったんだよ。彼女が溺れてたわたしを助けてくれたの」
「ユージェニーが?」
彼女は屋敷にいるはずなのであるが。
カインは疑問を姉に訊ねた。
「しかしどうやって彼女が姉上を」
「おっきいゲンゴロウさんに助けてもらったの」
「い?」
感謝の念はあるが、それよりもカインの中には小さな疑惑が頭をもたげていた。なにはともあれ礼をと思って家来たちにあたりを探させたが、ユージェニーの行方は杳として見つけることができなかった。
「いまはそれよりも川の普請だ」
今回のように雨が奇蹟的に上がるということはまずないだろう。ジャンの報告から、上流や下流において、堤の幾つかは切れて少なからず人員の被害が出たこともまた現実であった。
手のひらに乗る程度の村々を救っても根本的な解決には繋がらない。抜本的に堤を強化し、聖牛を作成して水竜に立ち向かわねば自分たちに明日はないのだ。
甘さが消えたカインは即座に作業へと移った。人員は今回におけるカイン自ら行った必死の行動が知れ渡ったのか、動員をかけなくても手弁当で領地から続々と領民が集まった。
ふと気づけば、かつては見えなかった女の姿があちこちに見受けることができた。
彼女たちはカインが呼び寄せた屋敷のメイドたちではなくて、あれほどまでにジュリアンヌが供出を拒んだ貴重な女手である。
「どういう心変わりかは知らないが、とにかく助かった」
人間を差配するジャンに訊ねると彼女たちは自分たちの意志で集落を出て、今回の労役に進んで就いたということだった。
――ともかくこれだけいれば、次の大雨までに工事を終わらせることができる。
聖牛と呼ばれる、いわゆる三角錐に木材を組んで石の重りを乗せた工作物などちょっとした知恵と技術があれば誰にでも作れる技術であるのだが、金がかかる上に上に立つ人間が率先して行わなければ、工事が完成することはありえない。
「さあ、突貫作業だ。一気に決めてやるぞ」
聖牛は人海戦術で次々に完成し、川床に沈められていった。
カインは昼夜を問わず現場に赴き、ディーバ川の上流のあちこちに、適宜、切れ込みを入れて増水したときにところどころで逃がす工夫を行った。
「と、口でいうのは簡単だが、実際やってみると金も人員も嫌ってほどかかるもんだな」
カインはメリアンデールに頼んで錬金術を併用して堤の強化を頼むと共に、自ら陽光に炙られながら土木作業に没頭した。
川の勢いというものは分散させれば分散させるほど弱体化する。
錬金術というチート的な能力の効果もあり、いまやディーバ川の工事は増水時に水流の勢いをもっとも受けやすい地点を残すところとなった。




